金沢市石浦神社権禰宜
佐藤圭輔さん

第39回 宗援連情報交換会「能登半島地震における宗教者による支援活動の広がりと現状」

3)佐藤圭輔さん(金沢市石浦神社権禰宜)

池田奈津江(世話人):石浦神社では能登半島の神社さんの受容所や例祭の場の提供し、全国からの支援物資の集積拠点として震災直後から様々な支援をしておられる。佐藤さんよろしくお願いいたします。

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石浦神社は、兼六園と21世紀美術館に隣接した立地にある。当社では地震発生直後に、氏子さん・責任役人総代と会議を行い、神社境内すべてを使用し、支援物資を集結する活動を開始した。

宮司が災害時には支援活動を行っており、常日頃から発災直後に会議を開催していた。当社に非常にInstagramのフォローアー数が多い責任役員がいて、そこから必要な支援物資の募集を始めた。

輪島朝市の重蔵神社に連絡をとり、いま必要な10品目を定めた。SNSで募集すると、翌日には氏子さんから、翌々日には全国の企業や団体から多くの支援を届けて頂いた。

境内には緊急で櫓を使用して支援物資を保管する場所を設置した。それから拝殿の中、控室もすべてを支援物資を保管する場所とした。社務のほうはほぼ停止した状態となった。

ここで私も初めて支援活動を経験した。一番大変だったのは仕分け作業だった。団体、企業はお水・カセットコンロなどまとめて届けて下さる。

しかし、一般の方からは10品目が一つの箱にまんべんなく入れていて、その仕分け作業が発生する。またAmazonを利用しての配送では、梱包材が大部分を占めたり、箱も弱いためそのまま流用できず入れ替えが必要となる。そうした作業を朝から晩まで行っていた。個人の方は義援金、支援金でお納めいただいて、企業団体は特定の品目で支援して頂くのが一番良いと感じた。

石川県は非常に動きが遅かった。金沢市に物資倉庫があり、実際に支援物資はすでに届いている。しかし、仕分けをする人間がいないため、いつまで経っても物資が現地に届かない。

自衛隊はすぐに現地に入っていたので、県が動くまでの間は批判を覚悟の上で毎日2トン3トンをハイエースのバンを使って、輪島まで当時は4〜5時間かかって往復した。朝早く出たら夕方夜遅くに到着した。そうした活動をずっとしてきた。当社は配給所と重蔵神社に定期的にお配りしていた。

つぎは2次募集というかたちで品目を変えた。あらたに10品目定めて、全国の皆様から集まったものを同じく現地にお届けした。今は募集を終了し

ている。

現在の活動としては、当社は責任役員や総代は飲食店の経営者が多いためその方々と、併せて地域団体とも一緒に現地での炊き出しを定期的に行っている。

神社としての支援は、被災された神社さんのご神体をお移しさせて頂いた。当社は立地だけはよく、観光客が非常に多いので、被災された神社様の再建費用などの一部になればと境内に臨時で(その神社さんの)御守り等の授与所をつくった。

そうした場を設けることで、当社としては社入金が減少したが、困っていたら助けたいという宮司の方針もあったので、いま現在もそのような形で支援させて頂いている。

今後の支援に関しては、能登地方は昔から神社のお祭りは非常に盛大で、そうしたお祭りを継承し途絶えさせないために、いま金沢でそれらをできないかと活動計画を検討している。

災害時には、支援者は支援の流れを把握していなければならない。また、次はどのような段階で何が必要か―そういう順序を理解することで、よりスムーズに支援活動も進めていくことができるのではないかと今回の活動を通して感じた。

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野村:10品目は具体的に。

佐藤:1次募集の品目としては、水・ヘルメット・工具・灯油・ガソリンタンク・カセットコンロ・ガスなど。食料は意外と大丈夫だった。

池田:重蔵神社の如月祭を石浦神社で行った。その際に、氏子さんや総代さんは来られたか。

佐藤:金沢にも避難されておられた。重蔵神社で如月祭は決まった年齢の方がご参列するという決まりがある。避難されているその方々に声をかけ、石浦神社の拝殿にて祭典を催行させて頂きました。

島薗:お祭りも金沢で行う計画でしょうか。

佐藤:はい。夏の輪島大祭で能登地方のきりこ(山車にあたるもの)を金沢にもってきて行うか―など重蔵神社とも現在検討中。氏子さんもほとんど金沢に避難されており、その方々にも参加して頂いて実施したいと少しずつだが話を進めている。

以上