日蓮宗妙圀寺(七尾山 寺寺院群)
鈴木和憲住職

第38回 宗援連情報交換会「能登半島地震における宗教者による災害支援」

日蓮宗妙圀寺(七尾山の寺寺院群)鈴木和憲住職

妙圀寺は高台の位置にあり、津波の指定避難所にもなっている。震災当日は大津波警報が発令され、津波の避難者が30人ほど上がってこられた。お寺の中は物が散乱し、足の踏み場もなかった。余震も大きく続いていたので建物の中に入ることもできない。私たちは何をしたらいいのかよく分かっていなかった。ひとまず、来た方には、お寺の境内に避難して頂いた。

夕方になっても、避難解除もされず、余震、津波警報もまだ続いていた。避難者30人の中には、赤ちゃんから高齢者までがいた。お堂のパイプ椅子、備蓄の毛布を用意した。カイロもお配りした。暖を取るにはストーブも考えたが、余震もあり倒れて火事になる恐れもあったので、代わりに毛布を用意した。やっと夜9時くらいに近くの小学校が避難所として開設された情報が入り、皆さんで移動された。

私たち家族3人は妙圀寺を離れることはできず、境内にある車のなかで車中泊をして過ごした。翌日以降は昼間はお寺で片付けをして、夜は近所の一人暮らしのお宅で寝泊りはさせて頂いた。

片付けをして、妙圀寺内にも支援物資を置く場所が確保できたので、支援物資設置の要請を受けた。お昼はお寺で支援物資の配布を行った。その際にには、お堂の中には土足のまま入って頂いた。この地域では高齢者一人暮らしや小さいお子さんがいると、七尾市の支援物資提供場所まで取りに行けないのが現状だった。

この物資支援に関しては、日蓮宗寺院、真如苑SeRVさん、大阪大学の方々からも直接に支援に来て頂いた。日蓮宗寺院では宝達志水の一寺院が拠点となって頂き、全国から有志の寺院、全国日蓮宗青年会などから水、食料、生活用品が集められ、妙圀寺へ郵送または車で運んで頂いた。

支援物資のお渡しの際に、コミュニケーションを取り、お互いの不安や恐怖を分かち合うことで、それらが和らぐ。安心しながら乗り越えていくことを学ばせて頂いた。私たち僧侶も、普段は相談者から相談を受ける立場であるが、この震災では自らも話すことで元気を頂いた。

断水による水の確保がとても難しかった。1月中では洗濯に6時間待ち。洗濯する場所は使える井戸水や開設したコインランドリーにも数に限りがあるので、そこに集中し待ち時間がかかった。入浴、温泉施設も市内でも1ヵ所か2ヵ所しかなく、2時間待ちというのもあった。2月から順次、断水も解消してきているが、私たちの地域はまだ断水が続いている。

入浴、買い物に関しては、金沢市・富山市まで出かけたり、生活用品水やガソリンの入手も含めて1日がかりだったりと。断水による水汲みは、高齢者にはとても難しく、そのため市外へ引っ越しされる人もいる。

当初より2カ月より復旧の時期が早まった。私の娘は小学校3年生。通う小学校は断水は解消されたが、給食は提供されずに簡易給食が継続。炊出しは七尾市内中心部が多く周辺地区はあまりなかった。妙圀寺では炊出しも行った。多くの水を使用する。断水中は料理もできない。洗う食器もない。

東日本大震災を経験され、福島から来られた方ともお話しができ、貴重な機会を頂いた。七尾市では、犯罪の被害に発生しており、非常に物騒な状況。倒壊した自宅で、家族が交代で車中泊している方がいるのも実情。

市との間には日に日に溝ができているように感じる。現状に対する不満の声もあがる。20日ぶりに入浴できたのもなかなかあじわえない経験。とても感動した。いまでも心に残っている。

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島薗:ご家族とともに、地元の一寺院の現場から支援活動にも関わりながら、今後の見通しが立たないなかにありがとうございました。奥様は阪神淡路大震災も経験されたと伺っていますが。

奥様:はい、兵庫県出身で小学校5年のときに丹波市で、震度は3か4でした。輪島での火事の映像は、当時を思い出して直視できなかった。あのとき全国から支援が入って、今の兵庫の町並みがある。きれいな街に戻っている。支援を頂いて立ち直ることができた。今回の能登地震も私たち寺院でできることに限りはあるが、誰かの力になれたら―。みんなと思いを共有しながら、一緒に復興に向けて歩いていきたい。

荻須:長野市浄土宗玄向寺副住職荻須真尚です。昨年の春から大正大学で客員研究員。寺院の調査に鵜飼秀徳と二人で当たっている。茅野さんは松本仏教和合会でお世話になっている先輩。私の親友が七尾市の同じ山の寺寺院群の浄土宗西念寺の高田光順さん。勉強会が同期で親友。お寺は本堂全壊。午前中も話した。妙圀寺さんが16ヵ寺をLINEでつないで情報共有し、支援物資を分けてくださり大変ありがたかったと。普段からのお付き合いでは、遊歩道の整備などの交流があったということですが。災害時にそれが役立ったか?

鈴木:山の寺寺院群16ヵ寺は宗派が異なるが、年に1回合同でのお参り。山の寺寺院群のお堂を開放して散策する企画もあった。その中でグループLINEをつくり情報を共有した。物資の情報もお知らせした。娘の友達との親どうし、子供会でグルーブLINEラインもつくり、子どもたちも震災の影響で恐怖、精神的にも病む方もいたので、お寺に呼びかけた。子ども同士で遊ぶと楽しく元気も出ますので、実際に食欲のない子も元気になり、ごはんが食べられるようになった子もいた。親にも不安・ストレスもあり、子どもが遊びに来たついでに、物資を取りに来たついでに、たくさんおしゃべりをして元気なって帰られた。どんな内容でもいい。笑い話でも。

荻須:高田住職も「自分たちも話を聞いてもらって、それでほっとした」と言っていた。

稲場:私たちの調査では、石川県で津波避難場所に指定されたお寺神社宗教施設は86ヵ所ある。うち圧倒的に多いのは七尾市で51ヵ所。お寺がその約半分。妙圀寺は鈴木住職の代で役所と締結したのか。前々から津波がくるとお寺に逃げていくという関係のなかで避難場所になったのか。それから、私も何度か行かせて頂き、外部の支援をオープンに受けとめ、それを地域の方々に分けていくという非常に開かれたお寺だと感じた。何がきっかけがあってそうなったのか。

鈴木: 2007年能登地震では、隣の保育園から自主的に避難にこられ、外にいらしたので、お堂に入るように案内した。その後に市から津波避難所として指定された。5、6年前から看板も設置されてた。物資配布ができたのは、お堂が無事だったのとタイミングよく皆さんから支援物資を届けて頂いたおかげでだと思う。

奥様:私は在家の出身で、お寺のしきいが高くて、気軽に行ってもいいのか分からなかった。嫁いでからは、「お寺に来て頂いて多くの方と交流をもちたい」と考えてましたので、娘が生まれたのをきっかけに、子供の行事でお友達をお誘いした。法要など入ってないときは、雛お祭りや節分の豆まきもした。子どもと一緒に親も来て下さり、「お寺ってこんなに気楽に立ち寄ってもいい場所なのね」と。物資も取りに来てくださった。困っているのは皆さん一緒なので、みんなで分け合うことができればいいなと。