星野英紀氏「高台復興住宅建設と行政、住民、菩提寺―相馬市漁師地区の場合―」

宗教者災害支援連絡会第19回情報交換会

2014年6月2日(月)17:00-20:00

東京大学仏教青年会ホールA・B

星野英紀氏(大正大学理事)「高台復興住宅建設と行政、住民、菩提寺―相馬市漁師地区の場合―」

星野氏から、福島県相馬市の原釜、尾浜地区について、高台移転地の造成の進捗状況、また、震災からの3年間の歩みについての報告があった。

(要約)

東北有数の漁港であった原釜地区は、震災による津波により163名もの犠牲者を出し、倒壊家屋や冠水家屋など使用不能になった建物が70%を超える打撃を受けた。

行政は、地震発生後原釜地区を「災害危険地域」と定め、買い上げを決定した。これに対し、相馬市東部地域(原釜地区を含む)住民が任意で設立したのが、「東部再起の会」である。(以下「再起の会」)

「再起の会」は、国、県、市に対し平成23年6月末に嘆願書を提出し、「まず海が見え、潮の香りのする安全な地域」に「集団で移転」したいと訴えた。そして、旧居住地から数百メートルの距離にある標高10数メートルの高台の買い上げと造成を申し入れた。その買い上げの際、漁師町特有の緊密な人間関係を利用し、今秋には分譲住宅が完成されるまでに至っている。また、市が開催する無宗教式の慰霊祭、追悼式とは別に、「再起の会」主催の灯籠流し「流灯会」も行われている。この灯籠流しは震災後三年間開催され、その後、原釜地区内3箇所に、慰霊碑を建立した。それは、「流灯会」に来ても拝むところがない、という参加者の声を反映したものであった。

また、この「再起の会」の「流灯会」には、多数僧侶のボランティア参加があった。その背景には、この地域は多くの住民が、真言宗の摂取院という寺の檀家であったであったことが挙げられる。摂取院住職は「再起の会」発足の呼びかけ人の一人であり、震災時の仏事を行うのみならず、「再起の会」の灯籠流しの準備などで檀家や地域住民との結びつきを強めたという側面もある。摂取院は震災を通じて、ソーシャルキャピタルとしての寺院の存在を浮き彫りにしたのではなかろうか。

〇質疑応答

(1)東京大学の蓑輪氏からの質問:「再起の会」そもそもの発足のきっかけは何か

答え→地域の理髪店T氏が理髪ボランティアをしながら、人々に原釜地区の復興を説いたような地道な活動から。そもそも漁師を営んでいる地域住民の方々は、人との繋がりを大切に生きている方が多い。

(2)上智大学、島薗氏からの質問:若い世代の人口流出が進み、お寺の経営が辛くなるところも多いと聞くが、(星野)先生のまわっていらっしゃった地域はどうか?

答え→宗派にもよるが、だいたい、仏事は自宅でやらず、斎場でする。自分で車を運転して移動する。お寺との関係は意識されてはいるが、家族単位の仏事が多く、その辺りは都会と同じ。墓は残っても寺は廃れる傾向にあるのではないか。

(3)上智大学、学生からの質問:被災地の祈りの場所について。作ったのは何故か。また、後の世代に残すのは(慰霊碑のような)石で残すのがベストな方法なのか?

答え→市も「再起の会」も慰霊碑を建立した。歴史上を見ても伊勢湾台風の時の慰霊碑など、多くの慰霊碑は石で作られている。長期間持つから、多くの人に語り継がれるからではないか。