結柴依子氏「3.11からの出発」

宗教者災害支援連絡会第26回情報交換会

2016年5月1日(日)14:30-18:30

東京大学山上会館

報告 結柴依子氏(真宗大谷派、福島こども保養基金代表)「3.11からの出発」

〈自己紹介〉

私は秋田県にかほ市にある真宗大谷派浄専寺で副住職を勤め、また教団の教化事業に携わりながら、「福島こども保養基金」http://www.fukukko-hoyou.org/ の代表として保養活動を続けています。

最近は、これからの「保養」のあり方を模索しながら今年の準備を進めています。これまでは、その年の保養のことだけで1年が終わっていくような感じでしたが、昨年あたりから頼りになる仲間も出てきて、少し考える時間が持てるようになりました。

〈保養基金設立まで〉

最初に、これまでのことを振り返っておきます。私たちは活動報告として『福島のこどもたち』という報告書を第4号まで発行しています。最初の号から読み直してみますと、毎年同じことの繰り返しのようであっても、見えてくるものが違っていることに気づかされます。その年によって状況が変わっているのでしょうが、私は5年たった今でも原発事故をいうことを整理できないまま、何かできることを考えています。

私がこの活動を始めるきっかけとなったのは、以前この宗援連の情報交換会で報告された福島県二本松の佐々木道範さん(第10回、現大谷派真行寺住職)・るりさん(第16回、現同寺坊守)ご夫婦との出会いでした。

2011年6月頃、能登に住んでいる大谷派の友人から「福島にとどまらざるを得ないお母さんたちのために、放射線量を量る測定装置を買う手伝いをしてほしい」と頼まれ、そのことがきっかけで福島の問題に関わるようになりました。

その測定装置の送り先が「NPO法人TEAM二本松」という、内部被ばくを避けるために「市民放射能測定室」を設立し飲食物の放射能濃度を測定しようと道範さんが立ち上げたNPOでした。それから道範さんご夫婦との交流が始まり、また道範さんの真行寺が経営する「同朋幼稚園」に通うたくさんの子どもたちとそのお母さん方のすがたを見せてもらうこともできました。その道範さんから、秋田での保養受け入れの相談を受けたことが、私が保養活動を始めるきっかけでした。

それから紆余曲折しながら、その年の冬に青森のお寺さんたちに協力してもらって、初めて「冬休み保養」を行いました。その時に出会ったお母さん方の声を聞かせていただきながら、これなら私もできるかもしれないと思い、秋田で仲間を集めて保養団体を立ち上げようと決め、2012年2月に「福島こども保養基金」を設立しました。

〈保養の意味〉

「保養」とは、避難できない状況にある子どもたちが、放射能の影響が少ない地域で一定期間過ごしてもらうための支援活動です。被災された状況はそれぞれ違いますが、「子どもを被ばくさせたくない」という親御さんたちの願いに少しでも寄り添う活動が「保養」ではないかと私は考えました。

当時、福島では子どもたちの屋外活動が制限され、避難地域ではないけれども線量の高かった二本松では、外に出してもらえずにストレスがたまり泣いている子どもたちがいました。また、これから外で「お散歩デビュー」しようという時に原発事故の影響を受け、外で遊べないので歩く力が弱くなった子どもたちもいました。親御さんたちも子育ての夢を壊された悔しさや、無念な気持ちを持たれていることが感じられました。親も子も、強いストレスの中で生活していたのです。

私は、外で思いっきり遊ぶという当たり前の生活の場を用意して、そこに親子で参加してもらうことが私にできる支援だと思ったのです。「保養」の一番の目的は、屋外活動・自然活動を充実させることではないでしょうか。何か特別なことではなく、原発事故前には当たり前だった生活を送ることができるような、息の長い支援が必要だと考えています。

〈親子で被ばく対策学習会〉

もう一つ、私たちが保養基金として大事にしてきたことは、被ばく対策の課題を共有することです。具体的には「親子で被ばく対策学習会」を夏の保養で開いています。「保養」に参加してもらえるのは年間わずか十数日間で、1年の大半を子どもたちは線量の高い地域で生活しなければなりません。日常生活のなかで被ばくを避けるために、被ばく対策を徹底的に学び共有していくことも「保養」のプログラムとして位置づけ、1回目から行ってきました。

これも福島の方から「保養ではとにかく放射能についての勉強会をやってほしい。お母さん方の危機意識や被ばく対策がもっともっと深まっていくような、この土地で暮らしていける方法があるんだ、ということを一緒に学んでいきたい」という、保養への希望があったからです。私も大変に感銘を受けまして、今も継続しております。

3年目までは親御さんだけの学習会でしたが、これもお母さん方から「子どもにも自分で自分の身を守るための学習をさせてほしい」との声を受け、子どもたちも参加してもらうようになりました。学習会は休憩1回をはさんで3時間ですが、子どもたちは飽きることなく熱心にノートをとっています。今年も昨年に引き続き放射線衛生学の木村真三先生をご講師にお招きする予定です。

〈保養の内容〉

「福島県保養基金」の仕組みをお伝えしたいと思います。昨年まで、夏の保養は11泊12日の日程で、福島県在住の親子を対象に定員40名程度で開催していました。保養はできるだけ長く行いたいのですが、費用やスタッフのことを考えると12日間が限度かなと思います。放射能汚染は福島県外にも広がっていますが、私たちの団体の規模では40名程度が精一杯です。

年齢はゼロ歳から小学校6年生までが対象です。中学生になると本人が希望しても部活などで参加できなくなることがあるので、小学生までとしています。形態としては、民間施設での合宿保養で、食事も出してもらい、自炊はしていません。最初の頃は安く提供してもらえる施設がなく相部屋でしたが、その後良い施設が見つかり、1家族1部屋を用意できるようになりました。

保養活動を始めて2年目から春休みと冬休みの保養も始まり、年3回の保養を行う団体になりました。期間は1週間程度で参加者は子どものみ10名程度にしています。その人数ならスタッフのお寺などにホームステイの形で参加してもらえ、経費など負担を軽くすることができます。年齢は小学生までで、季節の生活にふれながら保養をしてもらえればと思ってます。今年も7月に保養を予定していますが、宿舎の都合で9泊10日の日程になりました。

〈保養のプログラム〉

ここからプログラムの説明になります。私たちは、基本的にお母さん方の要望を聞きながら企画し、お母さん方と一緒に作りあげるようなプログラムをイメージしています。こちらだけの思いではなく、福島の人たちが本当に何を求めているのかを聞き、それをきちんと形にしていけるように毎年心がけています。

主なプログラムは、海水浴・釣り・バーべキュー・農業体験・サイクリング体験・高原活動、また動物園見学・観光(買い物)・親子で被ばく対策学習会などです。

プログラムには自転車の練習もあります。外で自転車の練習ができず、まだ自転車に乗ることができない子どもたちがいるのです。この3年ほど貸自転車やサイクリングコースのある所で合宿しているので、だいたい保養期間中に自転車に乗ることができるようになります。農業体験も、土壌汚染で子どもたちが土にふれることや食育の機会が減ったことを哀しむお母さん方の声を受けて、地元NPOの協力を得て行っています。また釣りも人気が高いプログラムです。

海水浴も人気で、このために参加している方々もいます。海は危険な面もあり、相当数のスタッフをつける必要があるので大変ですが、夏の大事なプログラムなので続けていきたいと思います。またカヌーやサーフィンなども、私たちがいろいろな機会にそれらを指導できる方と知り合うことでスタッフに加わっていただき、実現したものです。また、冬と春の保養もウインタースポーツを中心にスキーとかスノボーとかを、専門の方の協力を得て行っています。

そのようにしてお母さん方の声を聞きながら試行錯誤するなかで、仲間が増えていったということもあります。

福島では原発事故の影響で芋掘りや焼き芋ができなかった時期もあり、真夏ですが焼き芋を体験してもらったこともあります。また地元の方に協力してもらって、地元の祭りに参加させていただき、途中参加のお父さん方も一緒に楽しみました。親御さん方も原発事故の影響で失ってしまった生活があるのです。

保養に参加された親御さんから、保養から帰って子どもの描く絵の様子が変わってきたという声を聞きます。また、昆虫などに図鑑では興味を示さなかった子どもが、保養で直接昆虫にさわることで興味を持つようになったという声もあります。野外で自然と接しないと体験できないことは多く、体験が人間をつくるということを教えられます。

〈保養活動のなかで〉

保養で行っていることは、普通は住む場所でできるのことが当たり前なのに、福島の人たちは安心そのような生活ができない状況があるということ、それは異常なことであるということを一緒に考え、またそれが5年も続いているということを知ってほしいのです。

チェルノブイリ原発事故の後、ベラルーシは国策として保養事業を行っていますが、日本の国は保養事業に関与していません。私たちのような、いくつかの小さな団体が皆さんから寄付を集めて行っているのはどういうことなのだろうかと思います。

放射線被害の実態は、物理的なものや精神的なものだけではありません。放射線への意識の違いや、避難するかしないかなど様々な選択の違いのなかで対立し、自分の意見を言いづらくなっている状況が実際にあります。不安な気持ちを表に出せずに、うわべだけでつき合うことに疲れてしまう。気にしないようにしているけれども、不安につぶれてしまいそうになる。保養に参加することで、問題意識を共有できる人と出会えたとしても、地元に帰ると萎縮してしまう。子どもを守りたいお母さん方が孤立してしまわないよう、同じ思いの人たちとつなげていくことも保養の大切な役割だと思います。

私は、保養に参加されて喜ぶ方々を見るとうれしくなります。年々、保養活動を続けることが厳しくなっていますが、新しい方法での取り組みを模索していきたいと考えています。「3.11からの出発」という本題に入る前に時間がきてしまいましたが、これで終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

〈質疑応答〉

Q1 参加者について。

A 基本的にリピーターです。次の保養日程が決まっていると、保養先を探す心配がなく、来年まで気を楽にして生活できます。だいたい参加者の半数がリピーターで、残りが一般公募で集まられた方々です。

Q2 放射能学習は小学校でもやっているはず。保養と教える内容が違うという意見は?

A 私たちが保養を始めた頃は、国や行政の安心安全キャンペーンと、それに対する反論などいろんな情報が飛び交って、何を信じたらいいのか親御さんたちも、私たちもわからない状況にありました。

科学者に安全だと強調されても、危険だと強調されても信じることはできない。放射能を不安に思うことで責められるように感じてしまう。何が本当なのか分からないけれども、この保養活動を通じてお母さん方が相談できるような人、不安によりそう人が育ってほしいのです。安全なのか危険なのか、大丈夫なのか避難が必要なのかではなく、「分からない」というグレーゾーンな所に立って、ではどういう対策を立てればよいのかということを考えられている先生を講師としてお願いしています。

この講義後に開いている座談会が一番大事です。お母さん方からの質問が止まりません。これまで質問できる相手もなく、不安に思っていても聞けるような状況になかったのです。この座談会で、保養から地元に戻って何ができるのかを確かめ合っています。