弥生神社権禰宜
池田奈津江さん

第40回 宗援連情報交換会 「能登半島地震支援活動の新たな展開」

2)池田奈津江さん(弥生神社権禰宜)

一人のボランティアとして、能登半島地震災害支援センターにお世話になり、4月25日26日のボランティア活動を体験させて頂いた。4月初旬にご発表の川井周裕がセンター長を努めておられる浄土真宗本願寺派「能登半島地震災害支援センター」にボランティア登録をオンライン登録で行った。

前日24日夜の18時から、翌日の内容に関してミーティングがあったが、私はこれに間に合わず、当日の朝6時にセンターに到着した。センターは、金沢市笠市町。駅から10分に所にある西別院内にある。参加したのは私を含めて9名だった(各地より出向(東京4名、京都1名、熊本1名)センター常駐1名・門徒さん1名)。

6:30センターを出発し、市内コンビニで朝・昼食を購入。ここでトイレ休憩も済ませて、能登空港を経由しこちらでもトイレ休憩。9:30に能登町白丸地区の高源寺に到着。地震の10分後二度にわたって最大5mほどの津波に住宅が押し流されるなどの被害。大規模な火災も発生。地震と津波の二重の被害に遭われた場所だった。

不在寺院だったが、住職の息子さんが東京から一人参加されておられた。新聞等では既に「既に2月14日~16日までの三日間。津波で本堂、庫裡が甚大な被害を受けた高源寺で、のべ21任が活動した。建物内の砂の除去、海水の漬かった家具や畳の運び出しを行った」と報道されていた。

午前は、本堂に隣接した物置の片付けをさせて頂いた。災害廃棄物の分類、トラックへ積載、各処理場への運搬、そして床の清掃。土や砂の中に木片やガラスが多く混ざっており、そうした除去や分別などの細かな作業も実施した。午後は、お寺の別所を清掃。廃棄物の運び出し、分類作業をひたすら行った。14:30に活動終了。この日は18:30頃センターに到着。18:30ミーティング。当日の活動報告、感想、翌日の活動について30分ほど行い、解散。

翌日26日、7:30センター発。参加者5名(センター長川井さん、各地より出向(京都1名、熊本1名、門徒さん1名)、池田)。能登島鰀目(えのめ)町での活動。9:40能登島鰀目町 浄尊寺に到着。漁師でもある住職が門徒さんのニーズを聞き取ってボランティア家をまわる。内容は、布団や家具の運び出し(介護ベッドの解体、サッシのガラス外し)。それらを分類後に廃棄物処理場へ運搬。

12:00鰀目町公民館でトイレ休憩と昼食。そこでも川井さんは倒壊した漁師の網小屋を除去するための相談を受けていた。要望を聞き、公的な支援を受けることができるかを確認し、引き受ける際には人数や日数をどうするかなどの相談をされていた。午後はブロック塀の撤去。ニーズがあり、一つ一つ剥がしていった。

こうした活動を通して、経験を重ねられたコーディネーターが活動の中でスキルの伝授されていた。トイレ休憩、食事の購入、心身の使い方アドバイス、こやまかな心遣いは、活動参加者してすごく安心できた。「災害支援以外の支援の要望もある。これらも受け入れて対応することで、地域の人との交流の機会とする」と語られたことが印象に残った。

「傾聴する宗教者の会」で浄土真宗本願寺派の方々との出会いがあった。そこで出会った本願寺はの方々とのご縁がいまも続いている。

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島薗:傾聴する宗教者の会(KSS)も含めて、弥生神社のご説明といつ頃から支援活動をしておられるかについてお話を頂ければ。

池田:東日本大震災が発生した年に、私は神職となった。その時に、宗教者の支援活動を見て、その窓口がある時には現地に行って一緒に支援活動をさせて頂いた。神職でありながら、他の宗派の方々と一緒に活動をすることを大切にしてまいりました。

八本:社会福祉協議会のボランティアセンターを通してだと、ここまでは踏み込めないのだろうなと感じた。覚悟して入ればここまでできるのだとなと学ばせて頂いた。と同時に、珠洲で見てきた様子でも。ボランティアではどうにもならない状況がいまだに積み重なっていると聞かせて頂きました。

島薗:西日本水害とか、通常の災害では発災から2~3週間くらいでの状況が数か月続いているし、まだ続くという状況。しかもお宅に住民が不在のケースも多い。これは能登半島地震のかなり特徴的な状況なのかと。

池田:支援者にとっても支援がなかなか進まず、これまでの災害とは違うと感じた。

北村敏泰(ジャーナリスト):私も個人的にボランティアに行ってきた。そこでの物の見方などに自分自身が影響を受けたという実感がある。

池田さん自身、被災地で教派の異なる方々と協働し、ご自身の宗教者としての立ち位置、姿勢に何らかの影響はあったか。

池田:ミーティング後に本尊に向かって手を合わせた。神道ではあまりないなという気持ちもあったが、仏様も有難いですし、自分の信仰を抱きつつも同じく尊重したいという気持ちもあり、その時には「郷に従え」と違和感もなく受けて入れた。逆にいうと自分の信仰を表に出すことはしないようにして、する場はなかったが、特に違和感もなくやっていけたかと思う。

島薗:衣笠病院のホスピスボランティアとか、いまお寺ではいろんな活動をされている。これらは災害支援活動のきっかけとなった東日本大震災に関わる前からか。

池田:支援活動は東日本大震災がきっかけであり、自分自身の中で宗教者としていかに活動するかを考えたときに大事になってきたのは、それ以降となる。

以上