木ノ下秀俊氏「それぞれのふくしま」

宗教者災害支援連絡会第19回情報交換会

2014年6月2日(月)17:00-20:00

東京大学仏教青年会ホールA・B

報告 木ノ下秀俊氏(真宗大谷派)「それぞれのふくしま」

島薗進代表によるまとめ:

宗教者災害支援連絡会第19回情報交換会6/2では、木ノ下秀俊氏(真宗大谷派現地復興支援センター、南相馬)が「それぞれのふくしま」と題して地元で住民たちの悩みに立ち会ってきた経験に即して語った。以下は、私なりのまとめです。

真宗大谷派原町別院を本拠とする木ノ下氏だが、震災当時は原発に近い富岡町におり、人々とともに飯舘、福島、米沢、飯豊と避難した。そのとき頼りになる情報はメディアを通しては得られなかった。「何を信じればいいのか?」疑い続けている。

原発の関係者からとにかく逃げるようにと言われたが、後で事実そうだったと分かった。行政とメディアの情報はあてにならないというその時の状況は今も続いている。

放射能の情報も同様。稲を作るのかどうか。行政に言われても確かな情報はない。

だから皆がそれぞれに判断しなくてはならない。その判断は多様にならざるをえない。それをおたがいに認めて生きていくほかない。「それぞれ」を尊ぶことが日々必須のことだ。ところが「福島」とか「被災地」で一括されてしまう。「ひとりひとり」が尊ばれていない。

南相馬の住民にとってふだん「ふくしま」は「福島市」を指す。南相馬も鹿島、原町、小高と違う。また、人もそれぞれだ。農家を続けるかどうか。次世代に「継いでほしい」という人もいれば「もういい」という人もいる。そのことを見ずに一括りにされている。「安全・安心」という専門家も「ノーモア福島」などという人もそうだ。

「美味しんぼ」の鼻血は避難所で見聞きしたことがある。何を今さらと思ったが読んでみた。

よく言ってくれたという思いがあるが、案の定つぶされた。

放射能のほの字も言えないような状況が福島県内にある。なかったことにして「復興」に進もうとしている。

心配があっても言えない。黙ってしまうしかない。心配していないわけがないが、口に出すと白か黒かになってしまう。対立しないためには言えない。そこで、誰にも言えず不安を抱えるようになっていく。そうして孤立していくことになる。皆、ひとりひとりだ。

宗教者として何かをするか?初めにはそういう意識はもてなかった。人が必要としていることに応じていくことでせいいっぱいだった。今はどうか。「人はひとりひとりなんだ」ということを踏まえて、ひとりひとりの人間に会っていくこと。そしてできるだけのことをしていくこと。

だが、もしかすると宗教者なら話せるということもあるかもしれない。人は自由な立場で寺に来るからだ。

危険かどうかは言えない。抑え込んだり、分断を進めたりしたくない。

だから「用心しながら生きていく」「用心するに越したこはない」というようにしている。

そうしてふつうにつきあっていくようにしている。