金沢豊氏「3年半の活動を振り返って」

宗教者災害支援連絡会 第21回情報交換会2014年11月10日(月)於・東京大学仏教青年会

金沢豊氏(浄土真宗本願寺派総合研究所)発表議事録

(文責・星野壮)

0. はじめに

・活動を振り返る機会をいただいたのだけれど、振り返る必要性を感じることがあまりなかった。なぜなら、これからのことに対して不安を感じるから。

1. 浄土真宗本願寺派の活動概要

①無料宿泊場所の提供(長期滞在可能)

・ボランティアセンターのベースキャンプとして仙台市内の別院付属施設を開放している。規模は縮小している。

②仮設集会所におけるイベント

・自治会主導のサロン活動(名取市の仮設7ヶ所のうち6ヶ所にて)にお手伝いとして月1~2回伺ってきた。「もう良いです」と向こうにいわれるまで、行う予定。遠隔地からの来援ボランティア支援も続いている。

・仙台市内に教化センターを新設した。仙台市社会福祉協議会に「仙台への避難者向けサロン」として使用してもらっている。

③仮設住宅居室訪問活動

・計3年半行ってきた。陸前高田市、名取市、岩沼市、南三陸町にて行ってきたが、現在は前者2ヶ所にて継続中である。

・この活動を継続して行うために、現在ボランティア養成講座(仙台で8回、気仙地区(岩手県沿岸南部)で5回開催)を開き、相談員を育成している。もちろん宗派の内外にはこだわらず、地元の人間で継続的に関われる人材を求めている。金沢氏自身は、1ヶ月のうち1週間を東北で過ごし、地元相談員の養成と活動の運営に関わるような状況。

2. 被災地で感じる現在の問題点

①ボランティア活動が激減している。

・地元では、「受援力」という言葉を使って、「ボランティアを受け入れる力」をつけなければ、と言われる。ボランティア者の数が減って寂しいという声を頻繁に聞く。だからもっと「もう地元の力、自立する力に任せて」と考えすぎずに、ボランティアに行ってもよいと思う。

②仮設住宅自体の劣化

・仮設住宅にも物理的ケアが必要なのに、雑なフォローしかできていない可能性。行政の力が必要。今後の町作りが全く進んでいない、という事実があるので、仮設に5年以上留まりたいと考える人がいると思う。

③人口の流出

・仕事を求めて多くの人が被災地から移住をした。子育て世代は減り高齢者が残り、より過疎化高齢化が明確に見えるようになってしまった。雇用の創出が必要だろう。

④住民感情の変化、さまざまな感情をもつ人の存在。

・大変厳しい思いを抱えている人は沢山いるが、その中でも誰にもわかってもらえないと苦しむ人、アウトプットして元気な人もいる。

・仮設にいる人が苦しみ、仮設を出て、住宅を建てられた人が元気というのはウソ。あくまで一人一人の事情による。

・個の支援、つまり個々人の事情を考えての心のケア、対人支援は意外と少ない。他の人、団体と協働しながら、支えていく必要性を感じる。

⇒①・②・③については、なかなか宗教者が全てに関わり、改善していくことが難しい。

④については、上記のような事を通じて、われわれでも関われると思う。

3. 居室訪問活動

・目的:孤独から生じる死にたいほどの苦悩を和らげること。

・対象:基本は仮設住宅入居者だが、公営住宅にも伺う。一人ひとりへの支援に向けて。

・方法:2人1組で居室に訪問し、いわゆる傾聴活動を行う。2人で行うことにより、相互で常に確認しあうことができる。

・何より「気持ち」が重要。相手の「気持ち」を感じて、それに応じた自分の「気持ち」を感じる。そして、感じた「気持ち」を場合によっては言葉とする。このようなことを通じて、「気持ち」を受け取り、お返しするという行為を繰り返し、時間を共有する。

・この行為のための、何らかのマニュアルがあるわけではない。苦しい人に対してちゃんと向き合うことが大事。

・宗教者だからこそできる活動だからではなくて、対人関係を大切にする活動を支えることが、宗教者ができること。

・人との関わりが苦手な人と関わりたいと思っている。だから、ニュースや報道番組、またメディアで取り上げられることがない人と交わっている、という実感がある。

4. 活動の中での体験

・「話すことに何の意味があるの」

ある人から「話して良いことあるのか?何か私のことが分かるのか?」と言われ、咄嗟に「わかんないけど、分かろうと思っている」と答えた。その一言から信頼関係が生まれ、いろいろと話を聞くように。その人いわく、「同じ仮設だからといって、隣の人とは状況・事情が違うし、同じ家族だからといって何を考えているか分からない」と言われる。そして「あんたが第三者だから話せるんだよなあ」とも言われたことがあった。

・新聞記者との意見交換の中で。

「ともに前へ!」とはいえない。「それぞれがそれぞれだ」ということが真実。混迷している現状だが、あえてそこを認識することが重要だと思う。

・活動を支えている思い・教え。

被災者たちは、今となっては「ただ時間が過ぎていく。生きることが苦しい」と感じてしまっている人がいる。そのような人と共にいると同じ気持ちになる。

なぜ、そのような気持ちを味わいつつも、活動を継続できるのかと考えると、「苦悩も常住不変のものではない」という教えにたどり着くように思う。「すべての物事も、いずれは消滅する、だから集中しなさい」という『涅槃経』の言葉。「苦しみも「無常」の1つである」と思うからこそ、続けていけるのだと思う。個人的には「無常という教えに照らされ続けられる活動」と言い換えてみたい。

5. 質疑応答

Q.黒崎氏(國學院大學)

振り返る必要性を感じないと仰っていたが、振り返っていただいたから、分かったことが多い。感謝する。「さまざまな人がいる」という見方が印象的だった。このようなお話しを伺って金沢氏の見方は、やはり宗教者としての立場だからこそできる見方のようにも思えるが。

A.金沢氏

その通りだと思う。多くの人を救って元気になってもらうことが重要だが、そこからこぼれ落ちちゃう人は、間違いなく存在する。

Q.ランジャナ氏(デリー大学)

自分が僧侶であること、さらに所属などアイデンティティを明示して活動するのか?

A.金沢氏

こちらからは言わない。ネームプレート「西本願寺 ボランティアセンター 金沢豊」を見て、どこから来ていたんですか?と聞かれたら答える。あくまで目的に沿って活動をしており、不必要な情報はこちらから積極的に提示することはしない。

お寺だと分かったら、答えている。基本的には「仏事相談」ではないつもりだが、もちろん受け付けない訳ではない。

Q.島薗氏(上智大学)

戸別訪問を止めてくれと集会場に言われたりすることはあるのか?他にこのような居室個別訪問に関わる人・団体・ボランティアはいるのか?珍しいことでは無いだろうか?

A.金沢氏

うちには来ないでくれという人もいた。来ないでくれという自治会長も、その日の気分で仰っていることが多いので、粘り強く交渉した。布教ではないこと、地元の人と一緒にやりたいんだということ、必要だと思っているということ、と伝えている。会いたくない、という人の前に物理的に居座るようなこと、無理矢理引き出すようなことはしない。相談員も自分たちでセルフチェックしながらやっている。知る範囲内ではないように思う 。

Q.島薗氏

ビハーラ的な活動と似ているところはあるのか?

A.金沢氏

全てが当てはまるとは思わないけれど、方法、目的をきっちり据えるという点では、類似点はあるんじゃないか。ビハーラや臨床宗教師などの活動は、われわれにとっても支えとなっている。ありがたいと思っている。

※ 情報交換会後、金沢氏から「類似の活動は「傾聴に取り組む宗教者の会(KTSK)」と思う」とのコメントを得た。