金田諦應氏「東日本大震災から熊本地震へ―傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」の歩み―」

宗教者災害支援連絡会5周年シンポジウム「宗教者の実践とその協働」

2016年6月19日(日)14:00-17:40

東京大学情報学環・福武ホール ラーニングシアター

報告1

金田諦應氏(通大寺住職)

「東日本大震災から熊本地震へ―傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」の歩み―」

仙台こころの相談室共同代表。傾聴移動喫茶カフェデモンクマスターです。

本日は宮城栗原市県からやってきました。今朝ほど、お寺の墓地付近にクマが出没しているので注意するようにと警察から連絡ありました。今年は、近年になく「熊」を身近に感じております。

本日は、東日本大震災後の活動と、熊本震災での活動についてお話をしたいと思います。

志津川湾は私たち内陸の人間にとって、豊かな海の幸を育み、何世代にもわたって命を支えてくれた海です。また、お寺の裏には栗駒山がそびえ、そこから流れ出る水は、一迫川となり、やがて北上川と合流し、そして追波湾、石巻湾に注ぎます。同時に歴史・文化・風土・宗教も共有している地域で、川上に住む者は、川下で大変なことが起きれば助けるのは当然の事と想いながら活動をしております。

3月12日、津波が沢山の命を奪った後の、志津川湾に登る朝日の写真です。この湾に親、兄弟、友人、そして家族同様に可愛がっていたペットが沈みました。大川小学校の校庭には泥だらけになり、持ち主を失った沢山のランドセルが並んでおりました。

私達の活動地域の犠牲者は、約6000人。東日本大震災で犠牲になった約20,000人の方々の三分の一を占めます。生と死、喜怒哀楽が入り混じった状況でした。

最初の活動は火葬場でのボランティア。手製の棺桶にいれ、軽トラックに積んできた方。冷凍車の中に、ご遺体をのせてこられた方もおりました。

最初の火葬は小学生5年生の女の子二人。小さなお棺が二つ並びました。私達はお経が読めなくなり、新聞記者は写真を撮れなくなった。必死にそれぞれの使命に向き合う日々でした。

宗教者だからといって無条件には火葬場には入れません。市当局、運営している会社。そしてなによりも大切なのは実際に現場で働いている方々との合意が必要です。あらゆる役割の方々との協働作業は慎重さと繊細さが必要です。

49日の追悼行脚。仏教の僧侶と、キリスト教の牧師さんとの鎮魂の行脚。お経はやがて叫び声に変わり、牧師はどの讃美歌を歌ってよいか迷い出し始めました。海岸に立ち、今まで学んできた宗教的言語が全て崩れる感覚を味わいます。神と仏は何処にいるのだろうか?それでも私達僧侶と牧師は歩き出しました。

大きな出来事の前に広がる、複雑で多様な悲嘆。心が凍り付いて動かない。泣くことすら出来ない状況。私達の使命はただ一つです。動かなくなった心を動かし、共に未来への物語を紡ぐことです。

傾聴移動喫茶「カフェデモンク」の活動が始まりました。心ある方々からの寄附で運営。教団からは全く援助は受けておりません。

未来への物語が立ち上がる「場」。ホットできる「場」。安心して泣ける「場」を作る。その過程は「即興アート」と表現したいと思います。

ケーキ、スイーツ、香り高いコーヒー、美しくデコレーションされたお花、微笑むお地蔵さん、お位牌などの心を動かすアイテムをさり気なく配置します。週一回の活動。人が来ない日もありましたが、そこにいることに意味があると自分たちに言い聞かせました。

他宗教の方々との協働。布教を目的とせず、悲しんでいる人に真摯に向き合う宗教者ならどのような宗教・宗派でも受け入れました。

様々な宗教・宗派の方が、一緒に炭火を囲む写真があります。火に手をかざし、被災地の苦悩を語り合う姿。火は「原子力の火」ではありません。人類を人類たらしめた「炭火」です。炭火の中には芋が入っています。孫を失い、遺体が見つからないと嘆く老婆に差し上げる「焼き芋」です。それを様々な宗教者が一緒に焼く。この火を離れてしまうと「黒い巨塔」の呪縛が待っているのです。だから絶対にこの火を離れては成らないと思う。やがてこの火の周りから臨床宗教師が誕生していきます。

それにしても東北の、寒い冬はこたえました。(火鉢を囲んでの写真)

魂の救済は、その土地の歴史や精神風土から生み出されたさまざまな文化の中にあると感じます。お地蔵様は、心の奥ひだに固まってしまった感情を蘇らせたのです。

南三陸町防災センターで夫を失った方は、メガネをかけたお地蔵様に向かって叫び泣きました。初めて人前で大きな声で泣いたのです。人知れず泣くのと、人前で泣くのは大きな違いがあります。彼女の悲しみの物語は、私達の物語と合流し、「私達の物語」として未来に向かって動き出したのです。

伝統の中で動き出した物語があります。

津波が来る20日前、その家族は喜びに満ちていました。娘が故郷でお産をし、初孫を授かったのです。しかし、津波によって妻、娘、初孫を失います。仮設住宅での孤独な生活。ゴルフ場に行っては弾道の定まらないボールを打ち続ける毎日。

初盆に灯籠を流しました。流した灯籠は、最初3個ばらばらに流れたけれども、最後は一つの灯りとなって海の彼方へ消えて行きました。「彼の世にいって三人一緒に暮らしている」老人はそう確信した。老人の物語は少し前に動き出したのです。

それでも時々心がぐらつく。老人は日本刀を買います。そして刃先を見つめ、よろめく心を引き締め直しています。灯籠流し、日本刀の持つ伝統的な力は、悲しみを背負いながら生き続けた日本人の、大切な財産であることを知りました。

再生する海。一年後、49日を行脚した同じ場所を牧師と共に歩きました。ヘドロと死臭の臭いが漂った49日行脚と違い、浜から磯の香りが漂ってきます。磯が萌え始めています。海が再生しているのを全身で感じ、「色即是空・空即是色」、諸法の実相の真理がストンと落ちてきました。世界は破壊と再生の繰り返し。その中に喜怒哀楽の人の世がある。宗教者はその中を、共におろおろ歩く存在なのかも知れません。

瓦礫の中、避難所、仮設住宅集会所から、5年かけてやっと復興住宅に辿りつきました。仮設住宅でお会いした人々と、復興住宅での再会を喜び合いました。皺と白髪が増え、病気は死に病へと向かっている人が多いのに驚きました。災害公営住宅には「孤独と死」が待ち受けているように感じます。

仮設住宅には騒音や近所の諍いなど様々な問題がありました。しかし、それが本来の人間の住む場所ではないかと感じています。

最近では仮設住宅集約化(自治会の再編、人間関係の再構築)が本格的な日程になってきています。仮設自治会を5年間運営してきた会長が、これから予想される問題を、ため息混じりに呟きました。避難所から仮設住宅よりも、5年間住み慣れた仮設住宅から新しい仮設住宅に移る事は、最初から自治会を立ち上げるより難しいという事なのです。

Café de monkは、2年前に熊本に支店を開き、東北大学で臨床宗教師研修を修了した臨床宗教師が中心となって活動していました。熊本の震災では前震の夜から開店。現在では熊本、浮城市、益城町を中心に、週に2回ほど傾聴活動を展開しています。衣食住が安定してくると、次は心のケアが大切になってきます。心の復興には長い年月がかかると思います。

またCafé de monkは全国7箇所で、その土地の風土や、抱えている問題に寄り添いながら活動を展開中。今年はあと2店舗開店の予定です。