鹿野融完氏「関東・東北水害支援活動報告」

宗教者災害支援連絡会第24回情報交換会

2015年10月17日(土)15:00-18:30

東京大学仏教青年会ホールA・B

報告 鹿野融完氏(横浜市青葉区・徳恩寺住職)「関東・東北水害支援活動報告」

実施日

1. 平成27年9月14〜16日 栃木県加園町

2. 平成27年10月9日(日帰り) 茨城県常総市

協働団体

- 日本財団

- オープンジャパン(石巻市)

- ヒューマンシールド神戸

- 茨城トヨタボランティアチームなど

ボランティアの心得

- 発生→ニーズ調査・現調→活動→ニーズ→継続

- 行政との連携

- 宗派の壁

- 責任のあり方

- 「ありがとう」の意味

- 遊行(観世音菩薩)

9月14日からの栃木県加園町での活動は、高野山真言宗神奈川青年教師会のメンバーとともに6名で行った。それに先立つ13〜15日、福生の米軍の人たちが休暇をとって支援に入りたいと希望したのに応じ、15人ずつ3チームに2人ずつがつき、被災した方々のニーズの伝達をサポートした。

子どもたちが都市部に住んでおり、復旧がなかなか進まない農家で、崖崩れの修復や用水路の泥出しなどの作業にあたった。

通常、ボランティアセンターでは1時間につき10分の休憩と水分・塩分補給を勧めているが、米軍の屈強な人たちは上官の命令がないと休まない。それではこちらの体力がもたないので、ちょっと仕込みをした。持参していたコーヒー缶を、おばあちゃんが「ありがとう」という笑顔とともに米軍の人たちに差し入れるようにお願いした。それで休みをとることができるようになった。

10月9日は、茨城県常総市の家屋の床下に潜り込んで泥出しと消毒の作業を行った。われわれ6名に茨城トヨタボランティアチームの11名を加えて17名で作業にあたった。

行政が立ち上げるボランティアセンターに登録してできる作業と、自分たちがやれる活動との間には、大きなギャップがある。そのことを、阪神・淡路大震災、中越地震、中越沖地震での支援活動で実感してきた。今回の水害でも、ボランティアが集中したシルバーウィークには受付で2時間待ち、200人が待機だけで終わったという例を聞いた。

私たちは黒澤司さん(日本財団)に連絡をとり、ボランティアセンターを通さないサテライトとして、行政に頼らないボランティア団体と協働して活動することを心がけた。SNSを活用し、現地に入っている団体に連絡して、ニーズを把握するようにした。

災害発生時に即座に活動ができるように、お寺の中で備蓄を行っており、重機のオペレーターの資格もとっている。

現地で活動したら、そこでニーズを吸い上げ、協力を仰ぎながら活動を継続する。

ただ、行政を無視した活動は信頼されず長続きしない。地域に生きるお寺として日々の積み重ねを大事にし、行政の動きにも留意する必要がある。

支援活動に宗派の壁が立ちはだかる経験もしてきた。東日本大震災のさい、宮城県には高野山真言宗の寺院が大崎市古川に1ヶ寺あるのみで、沿岸部には拠点となる寺院がなかった。名取市閖上に拠点を作り、東京別院から備蓄品を運ぼうとしたが、福島県を通ることに本山からストップが入った。また、避難所となっている他宗派寺院にお見舞いを届けることも止められ、遠くの南三陸町まで届けることになった。読経をつとめる機会はほとんどなかった。もっと宗派を越えて協働できるのではないかと思った。

支援を受ける側が「ありがとう」と言い続けることは疲れる。そこで、お供物を活用することを考えた。お供物はお檀家さんからの浄財であり、自分で稼いだものではない。それを被災した方々に託す。受け取った支援者がありがとうと言い、ニコニコ笑顔の会話が生まれる。みんながありがとうと思えるように、お互いに気持ちをくみとる雰囲気づくりをするのが宗教家の仕事。

「遊行」という気持ちで被災地に入るようにしている。観音さまは33人に姿を変えて説法に行った。そのような心持ちで楽しく活動し、ぬくもりを共有することが継続につながる。何人も親戚ができるようなおつきあい。

若手のボランティアの成長が著しい。これからは仏教界全体が垣根をつくらずに活動できるようでありたい。

地域に生きるお寺づくりの一つとしてボランティア活動にも関心を寄せてほしい。

(質疑応答)

Q. ボランティア活動がもっとしやすくなるように、社協の災害ボランティアセンターに求めるポイントは。

A. 問題のひとつは、情報の一元化にこだわりすぎること。地域ごとにサテライトを作り、報告やミーティングの回数を減らすべき。ふたつめは、あとから文句を言われたくないという意識が強すぎること。裁量権のある人材を認めて育成していく必要がある。

Q. 「ありがとう」をめぐる他のエピソードは。

A. 中越地震のとき、避難所で、みんなで材料を持ち寄って味付けを加えながらポトフを作ったことがあった。そのときにおばちゃんから、「ありがとうと言うより、ありがとうと言われるほうがよっぽどいいわよね」と言われた。みんなで作ったものをみんなで食べようという雰囲気になった。これは東日本大震災での支援活動への教訓にもなった。炊き出しのさい、こちらからは食材を運んでいくだけでいい。被災者から自発的に何かをやる機会を設けることもボランティアの重要な役割。

Q. 阪神・淡路大震災から20年の間に、宗教者の支援活動が社会にどのように受け入れられているか、その変化はあるか。

A. 個々の宗教者の意識は変わっても、本山の意識はまったく変わっていない。問題のある宗教団体により、宗教への信頼はますます下がっている。地域のお寺への信頼も下がっている。人が亡くなったときに最初にかかわるはずのお寺と人びととの乖離が進んでいる。お寺は地域に根っこを張っていかないといけない。被災地に行ってお坊さんです、牧師です、と言っても通用しない。私の場合、Tシャツ、作業着で、名刺も持たずに活動している。