田中徳雲氏「宗教者の使命と救済 〜フクシマに生きる5年目の冬、僧侶として、親として、そして人として〜」

宗教者災害支援連絡会第25回情報交換会

2016年1月30日(土)15:30-19:00

東京大学仏教青年会ホールA・B

報告 田中徳雲氏(福島県南相馬市・同慶寺住職)「宗教者の使命と救済 〜フクシマに生きる5年目の冬、僧侶として、親として、そして人として〜」

同慶寺は福島第一原発から17km北の、避難指示解除準備区域に指定されている地域にある。

日中の立ち入りは自由だが、宿泊はできない。

すべてにおいて深刻な放射能汚染の影響を受けている。

日中の立ち入りが自由になっても片付けに来る人は全体の4割程度。

外にあったものはすべて放射能に汚染されてしまった。

3分の1以上の家屋が取り壊される予定。

震災前、住民の7割以上は田畑を耕す。漁業も盛んだった。

自分は、生きるということ、生命をいただくということ実感したい。

綺麗なところには人が集う、と境内の清掃に力を入れていた。子どもも手伝い。

3月11日

震度6弱。直感的に原発のことが心配になった。

15メートルの津波。150名が小高区で犠牲になった。

街全体が混乱。あたり一面海があふれた状態。

危機意識をもって勉強していたので、24時間以内に爆発することもわかっていた。

周辺の方々へ危険性を説明したが、聞く耳をもってもらえない状況だった。

家族で避難を開始。

母を一人家に残した。翌12日から住民の間でも危険性が言われるようになった。

命からがら逃げた方々。津波で行方不明の方々、自衛隊や消防すべての方々が現場から離れたので、放置された。手当をうけられていたら……。

発見されたすべての方がご遺体。

壇信徒の半数は南相馬市内。子育て中の家族は都市部に。

父親だけが市内で仕事をしている人が多い。伝統文化など、人間関係も崩れ、厳しい。

それらが精神の拠り所であったことに気づいた。かなり厳しい状況。

丸5年たつ今、家族が複数箇所で住んでおり精神的な負担が多い。

避難生活を続けながら、元の家の管理は大変。

時がとまったように残っている。

家族は、2年間福井に避難。子どもたちの精神状態も不安定に。

平成25年の春にいわき市に移住。引っ越し当日は泣いて抵抗する子どもを車にのせて。

多くの子どもたちが度重なる転校、いじめで不安定に。

こどもは4人。周辺の土壌は0.2μSv/h。

子どもの被曝に目をつむりながら生活するのは想像以上の精神的な苦痛。

当たり前のことができない環境。

週5日は原発に近いところを通って、お寺へ。最大で15μSv/hのところを通過する。

境内は70万ベクレル/㎡。

遠方に避難した檀家のところへも訪問。

1ヶ月に7千キロ移動する。

事故前から最終処分地が決まっていなかった原発。溶け出した燃料がどこにどの程度あるかわからない。どこに処分したらいいかわからない、本腰が入らない。

汚染水の垂れ流し。罪深い

東電の意識に疑問を抱く。

この瞬間も海へ汚染された水を流し続けている。

賠償問題も前途多難。それぞれの人の思いに、どう値段をつけるか。どこで妥協し、受け入れるのか、と。かえって人の心を貧しくしてしまう。お年寄り、遺族はどう希望を見つけたらいいのか。

対象は30キロ圏内。5メートル離れてもダメ。

ねたみ、そねみで地域が暗くなっている。

普通の生活を取り戻すことは二度とない

15万人以上の方々が今も避難生活をしている。

岩手県の方々からも山菜からセシウムが出ていると言われた。

生活のすべてに入り込んでいる。

被曝しないように最大限の努力はしているが、なんということでしょう。

子ども、生き物たち、ごめんなさい、許してください

行政の責任、許してしまった私たちすべての大人の責任。

福島の原発から何を学ぶのかが大事

○フクシマをどう受け止め、何を学ぶのか?

大切なのは前向きな反省をして、何を学んでいくのか。原因をみつめてきた。

心、地域の状況、むかしに遡ってみつめてきた。

原発は45年前から稼働。

原発建設、最初はみんな反対だった。お金で頬を打たれるような状況。

地元の有力者から次々と裏返り、気づけば反対を言えない状況だった。

当時を知る方々と振り返り、自分たちにも責任があると気づいた。

コンセントの向こう側も意識した生活をできていなかった。

電気はどこからくるのか?原料は?

○私たちの心の傷はどうしたら癒されるのか?

なぜ数年たっても気持ちが穏やかにならないのか。

→誰もきちんと責任をとっていない。代表的な責任者は、相応の責任を果たすべきでは?

(東電社長、副社長など)

国策として推進してきた経産省の官僚。若い世代に示しがつかない。

何を中心に経済活動を行っているかの反省は?

○日本、世界の人々がこの教訓を生かし生き方の軌道修正を

きちんとした処理ができないなら、原発からの卒業。化石燃料からも卒業していくべき。

地下のもの、地上のもの。人間のエゴではないか。業の深さ。

反省をして生き方の軌道修正ができれば。心の転換ができる。

家族は避難できたが、お世話になった方々を放っておけず、3月14日頃から毎日電話で連絡をとっていた。福島に帰るのはとても怖かった。高速道路で帰る道のり、逆方面はたくさんあったが、福島に入るのは自衛隊、消防、活動家。お世話になった方々のことを考えると放っておけなかった。

当時は「なぜ?」と言われた。義理と人情で帰った。

人との関わりあいで生活して、住職として、お陰様で育てて頂いて今の自分がある。

それを捨ててほかの土地でいきていくことも選択できるが、自分がどうしたいのか。

完全に迷いがないわけではない。福井で被曝から免れても、ストレス、事故もいろんなことがある、人間はいつどこでどうなるかわからない。

だから、「今、この瞬間」を生ききることに決めた。

檀家のみなさんの最初の集まりは、草を清掃するという名目で、平成23年10月末に集まった。

身体を動かさないので精神的にも良くない。集まる口実を作った。

集まると非常にみなさんが生き生きと身体を動かしていた。震災以来はじめて汗をかいたと。

最初の清掃、オフサイトセンターに許可。

2回目以降の清掃は、平成24年4月16日に小高区が警戒区域から避難指示解除準備区域に再編されたのを待って行った。毎月1日と15日、みなさんと清掃活動。それから4年継続。

初期の清掃が除染になっていた。

被曝もするが、線量が下がると地元の方々ががんばってくださった。

平成24年から相馬野馬追の墓前祭、ほぼ例年通り行うことができた。

8月2日も本堂に入りきらないほどの人が、盂蘭盆会施食会へ

秋には「大地といのちの祈り」

北米先住民AIMリーダー デニス・バンクス師とともに、

「大地と生命に謝罪と感謝の祈り」。

最も大事なのは大地と生命。

国を超えて大事なのは地球とすべての生命。デニスさんは3年足を運んでくださっている。

平成25年春には「春風のまつり」

・復活した村上地区の田植え踊り

・落語

・一諸に「ピースフラッグセレモニー」

旗を掲げ、一国ずつ国名を呼び平和を祈るセレモニー

地震で倒壊した墓地。2日かけて直した。

たんぽぽの異常が多く見受けられた

(マーシャル、チェルノブイリでも同様のものがみられた)

シロツメクサ、ユリの奇形もみた。

送電線

線量が高いと錆びが早い。放射能は酸化させる力が強い。

福島は目の前のことで精一杯、遠くから反省をどう生かすかという声があがると、福島の方が癒される。国の施策は全く逆だと感じる。

○できることは自分でやっていくことが大事。

車を改造して、天ぷら油など廃油を濾過して使っている。

リッター10キロくらいはいける。

高速道路のおじさんに「いつもいいにおいすんな~」と。

避難先では自家発電装置を使っている。フォークリフトのバッテリーをリサイクル。

6人家族で冷蔵庫、洗濯機、テレビ、ビデオみたりもしている。5~9月は電気を買わなくても大丈夫。自分でどの程度までできるのか、試験的に実践している。

あるとき落雷で停電したときに、うちだけ電気がついていた。

地震のこと、原発のこと、電気はなるべく自分で使う分は自分で発電すればなんの問題もない、と伝えた。

同じ電気を使うのに、生活の根本が失われる方法か、このような方法か、みんなが色んな選択をできたらいい。

○精神的な苦痛

考えるのもつらくなってすべて手放したくなる時もあった。

慰霊行脚したいと思っていたが、住職としては一歩が踏み出せない。すでに2年が経過していたので、2014年3月11日に合同慰霊祭をおこなって、牧師、シスターと、日本山妙法寺の「いのちの行進」に参加させていただき約2カ月間行脚の旅にでた。

支えてくださった方々のお陰で、宗教宗派を超えて、地球の声をきく。体力の限界を超えていくと自分と周囲の境目がなくなり、融けていく感覚。自然の声が聞こえてくる感じ。

ネパール僧も一諸に歩いて、支援をしたいと言われた。御仏舎利を福島へ、と頂いた。

檀信徒の方とともに、ネパールへ。ルンビニからいただいた。お米粒よりも小さいもの。

○マルシェの開催

フクシマでは女性がいちばんがんばっている。

理屈を超えた本能がある。世直しの原動力がある。

市場で立ち話をしながらやるせなさを話していた。お寺で場所を提供した。

○分断から融合へ

争いから和解へ

破壊から創造へ

砂漠からみどりへ

絶望から希望へ

戦争から平和へ

暗闇から光へ

わたしからあなたへ

怒りから赦しへ

終わりから始まりへ

悲しみから喜びへ

芋虫から蝶々へ

大地(地球)とすべてのいのち

おかげさまの感謝の心

母、子、のような愛

みなさんの力を集めて、無理のないところで楽しく、ワクワクにフォーカスして世の中をいい方向へ、子どもたちのために。