第34回情報交換会議事録

宗教者災害支援連絡会 第34回情報交換会

2018年11月3日

村上正道氏(湘南のぞみキリスト教会 牧師・日本福音同盟 援助協力委員会 委員長)「震災の記録を残す意味(もしくは意義)~防災と次世代への継承の観点から~」

震災の記録を残すことの意味はおおきい。三つの記録報告書を話題にしたい。

通信手段が発達したけれども、いっぽうで情報の洪水の中におかれてしまっている。情報を整理したり精査したりということがおろそかになり、間違った情報が拡散したりということが多くなっている。情報をいかに早く、しかし正確に伝えることを考えてゆかねばならない。たとえば、粉ミルクのような必要物資が、必要な時期に避難所に届かなくて無駄になったり、必要な量をはるかに超えて届いて無駄になったりする出来事を通して、あらためて正確な状況の必要性を感じる。

配付資料の末尾に入れた、全国の教会からどのような支援が届いたかを記録する、「救援活動カレンダー」は今後のためにも有用だと感じる。活動にまったく関わってこなかった方であってもこれを通して何が必要なのかを理解できる。刻一刻と必要が変化することを知ることができる。このような記録を残すことの意味は多い。

「震災と信仰調査報告書」は、支援活動についての文献は多いが、数少ない宣教活動に関する文献。震災が個人の信仰などに及ぼした影響をきちんと押さえたい。それは、教会のあり方の見直しにも関わっている。「宣べ伝える教会」から「地域に仕える教会」、「地域と共に生きる教会」への移行だ。その中で教会員一人一人が何ができるか考えていく。支援や援助のネットワークの構築も大事。被災地のアンケート調査で、遠慮なく率直に語っていただく。震災を個人で内面的にどう受け止めたか、変化したことがあるか?を問うた。

「キリストさんと呼ばれて」は、体験談中心。救援活動のタイムラインや初動時の物資などのイメージをしる資料となるとともに、被災地でお聞きした、被災者の皆さんの実感にふれることのできるお話がある。たとえば、いただいたおにぎりを食べ終わらないうちに次のおにぎりが届くが、それに感じるもったいなさや申し訳なさ感じ。各自のニーズは違うのだから、そのニーズにできる限り応えていくこと、自分が何をできるか考えて適切な選択をしていくことが大事と考える。

質疑

日本福音同盟の援助協力委員会はどのような活動をされているのか

全国のさまざまなプロテスタント教会をまとめる、日本福音キリスト教会連合の中には、さまざまな委員会がある。神学を研究するための委員会。援助協力委員会。女性問題委員会、など。災害を通して被災地域においてどのように仕えていくことができるのか、などを検討している。日本だけにとどまらず、世界諸国と連絡を取り合いながら、ネパールの地震、インドネシアの津波と地震の支援に取り組んで、アジア福音同盟を通して、支援金を送ったりしている。

稲場:「宣教」についてうかがいたい。被災地での宗教者は布教を控える、という共通理解があったと思うが、ここで言及された「宣教」とは、既存信徒支援か、あらたな布教か。

村上:日本福音同盟では布教は100パーセント控えることを徹底していた。キリスト教徒に興味をもってもらって質問をされる被災者の方。それらを通して関心をもたれる方にご案内するなどということはある。

島薗:福島ホーププロジェクトというのがあるが、教会の関係者で構成されているのか?

村上:ほとんどクリスチャン。財政的運営的な応援。ただし、現在は保養プログラムに子供達も集まらなくなってしまっており、ボランティアも減少している。牧師自身や牧師の奥様などのみで、キャンプ自体も縮小しなければならなくなった。

島薗:東北ヘルプの川上直哉さんを以前お呼びしたことがあり、保養以外を含めた福祉までの活動には注目している。ところで『キリストさんと呼ばれて』という報告書について、もう少し詳しく。

村上:クリスチャンのボランティアが被災者の皆さんからは「キリストさん」と呼ばれていた。聖書の教えやキリストを通した救いを重視していたが、それは裃を着けてまわりが近づきがたい感じを出していたのではないかと自問してきた。災害の中で教会(教界)が一つになろう、神の愛をもって人々に仕えるべきだという動きがあらわれ、それが教会の本来のあり方ではないかと気づきはじめていた。

島薗:それまで福音派は社会活動よりは信仰を伝えることを大事にしてきた、とかんがえてよいか。その変化は、阪神淡路での経験が重要だったか?。

葛西:『震災と信仰調査報告書』に言及された折、信徒が災害に対してさまざまな受け止め方をしたことを、遠慮なく書いていただく、というお話があった。「神罰」とか「天譴」という人たちもあったが、どのように受けとめられたのか。

村上:神罰と考えることは100パーセントない。私どもが信じている神は罰を与える神ではない。

聖書の一節:先祖の悪行によってこの人が盲目になったわけではない、神の栄光がこの人にあらわれているのだ、に言及して、自罰的にならないように寄り添う。

葛西:災害そのものに出会っての自問は? それを「遠慮なく」語っていただくことの意義は大きいと思うが。

村上:なぜ神がこのような振る舞いを、このような災害を許されたかは、わからないという立場に立つ。

震災に限らず、虐待を受けているこどもにどう答えるか?私自身が分からないことであるが、いつも感じていることは、どこまで行っても神様は愛の方であると考えている。

島薗:「宣べ伝える教会から地域に仕える教会への移行」とうかがって、こども食堂などの活動を想起した。

村上:これまで地域との関わりがないがしろにさせられていた部分があり、きたい人が来ればどうぞという受け身の教団であったのが、いまは、教会の方から積極的に地域に関わるように取り組んでいる。

犯罪の前科を負っている方が牧師になられ、その方が少年院出所者の身元引受人になって仕事を紹介して、といったような活動もある。地域の痛みにどのように関わるかを懸命に考えている。

篠原:災害支援も大事、でも信仰も大事。避難所などで静かな時間の確保が大事だが、そうならない場合もおおいと思う。信仰を守れなかった事例は?

村上:そういう事例は聴いたことがないかも……静かに祈ったり静かに聖書を読んだり。

稲場:九キ災など、さまざまな協力活動がプロテスタントの中で出てきているし、自分の学生もそこに関わっている。日常のあたりまえの生活では神の愛を感じる機会がないが、ふだん祈らなかった人が現場で祈らざるをえないことが、平常時のあり方を変えていく。備えとしての防災をやるようになった。自分自身の内面に神の愛を感じて掘り下げるものもあるのではないか。

村上:自分自身も問いなおし。答えは出ないが、自身を通して愛を伝えていく役割や可能性を感じている。私たちのゴールは何か? 被災された地域の方々に私たちが入ることによって、途方に暮れている地域の方々に仕えて、希望が見えてよかったと思っていただく、一歩背中を押す支えが神の愛を現すことで、自分たちの目指しているあり方なのではないかと思う。

世話人より報告

稲場(世話人):東京の首都防災と宗教施設との連携活動について、東京都神社庁での、東京都宗教施設の調査を踏まえたシンポジウムを12月7日に予定している。ここは井戸水が使える、宗教建築が耐震仕様になっていて避難施設として提供できる、などのデータがあがっている。

島薗:稲場さんは本日所用で早退されるので、復興支援ボランティアをされてきた岡山の現況も報告してほしい。

稲場:夏に災害が頻発している中で、宗教者の支援も重要。自身と阪大は真備町で7月から泥掃除や仮設での炊き出しを宗教者と協力しながらやってきた。まきび荘という避難所では九キ災の山中さんが責任者となって活動している。倉敷市はフェイズ移行で、大きなボランティアセンターは閉じ、真備町内に移った。「みなし仮設」が取り残されている、大きな仮設には人が来るが、みなし仮設には支援が届きにくい。そこに宗教者が地道な寄り添いをされている。260しかない仮設団地と、それ以外の人たちのみなし仮設との差。また、仮設団地同志の差。

メディアにとりあげられがちな場所に支援が集中するのだが、そこは大きなNGOが(排除というわけではないが)仕切りがち。たとえば、小学校に併設するような仮設で、木造の仮設住宅が(条件がよいので)、支援団体がそこを選ぶような状況を見る。いっぽう、高台にあったり、ゴミ処理場に近いなど、条件の悪い仮設に支援が入らない。そのような場所に入ってこられる被災者と関わっているので、阪大としても寄り添い支援を続ける。先月、ある仮設住宅にで、行政、社協、学生、臨床宗教師が加わって、はじめて入居住民が自己紹介して知り合う場を作れた。

八本:真如苑サーブではまだ被災宅の泥出しと清掃に追われていて、仮設には入れていない。うかがったところを支援先として検討します。

久間泰弘氏(曹洞宗龍徳寺住職)「曹洞宗における復興支援7年半の経過」

久間:2012年の6月にお呼びいただいて、二回目。今回、島薗代表からは、曹洞宗青年会の現況はどうなのか、また、福島の現況はどうなのか。7年間の間というお題を与えられた。

前回は、曹洞宗青年会の顧問だった。2013年に現地事務所は閉め、曹洞宗全体に移管をしてという動きになった(婦人会や壇信徒も含めて)。全国の防災の意識と知識は?ストックヤード整備事業というのを曹洞宗は行っている。東日本大震災の知見が生かされているところとそうでない部分とがある。端的に言えば、マネージャー、コーディネーター、プレイヤーの立場の違いを想定しての防災訓練が不可欠なのではないか。

支援疲れをして離職してしまう方などもあり、その支援として行茶をしている。ストックヤードは誰がどう使うのかを想定した研修会が大事。先日も研修したばかりだったが、水をおくのは、米をおくのはどこがいいだろう、と、自分たちで考えて設置をしていった。伊予市で二年前の研修をしたかた中心に今回は動いていただいたのだが、そのノウハウをより伝えていきたい。また、時間・場所・立場の違う方々の傾聴をし、その知見を集めて取り組む意義。支援者のバーンアウトが起こっている。支援者の意図を問われる。自分の真情を隠してこちらにぶつけてくるけれども、自分自身の体調の管理をどのようにしたらよいか分からない、どうやって宗教者はみずからを律してセルフケアをすることができるのでしょうか、という問いかけがなされた。坐禅の心をヒントに、臨床宗教師の研修も踏まえて、ヒントになる資料を作成中。

チャイルドライン福島の話。横浜での中学生のいじめ(というより事件)。こどもの世界では「放射能汚染」が風化しておらず、悲惨な事件になるまでずっと継続していたことを思い知らされた。家族離散や虐待の話題もSave the Children Japanから聴いている。高校生や大人が、ずっと苦しかった心境をいまになってようやくしゃべれるようになったが、その一方で、まだ震災の話をしているのか、という空気があり、しゃべれる場所が減ってきている。

配付資料2の、被災地と復興支援活動の現況について。震災関連の自死者は減らない。こども避難者数も減らない。「特定復興再生拠点区域」の除染が始まった。報道されないが、特定復興再生拠点区域は、帰宅困難区域の中の20パーセント程度に過ぎない。それ以外のところはまだ手をつけられていない現況。8割の方は帰還の目処が立たないまま、現在の居住地に生活基盤が移行しつつある。

行政区長へのアンケートでは、地域の崩壊、人口減少、除染、医療福祉の確保などで、行政区長さんも高齢になっているが次の継承者がいない状態。行茶活動にも参加者が減じている。また、帰宅困難区域に入っていく高齢者にどのような支援ができるのか、という課題。行政にも余力はない。

傾聴と連動する各種ワークショップも行っている。そこでは、昨年から毎回法話をしてほしいと求められる。法話の機会がないと帰ってしまう人も。公共の場所なのだが、相互理解の中で仏教的なお話をすることが求められている(後述)。

福島の「みんぷく」など、指定避難をしているいわきにおられる方が連携の要請を。自治会長同士が分裂したり対立したりしている状況もいわき市にはある。津波や地震で避難している復興公営住宅と、原発の補償を受けている復興支援住宅とが隣り合わせにあり、感情の怒りなどがどうしようもないことも多い。そこに宗教者が入ることへの期待。場所も規模も足りなくなっている。

3.チャイルドライン福島の話。福島の子どもたちの電話での話題。福島市内での二つの窓口を開設。たとえば2014年の福島の子どもたちの電話は23070件、子供達の厳しい心身の状況が事件や相談の件数や電話内容の深刻さがうかがわれる。のぞまない妊娠・一人親家庭で一人で過ごす時間が増え、女子高生がアルバイトをするという活動の中で、不安や寂しさのなかで妊娠、という事例も。社会から忘れ去られる時間が立っているが、忘れているのは私たちだけ、子供達の命を守れる私たちか?誰も私の気持ちを聞いてくれない、という思い。社会の余裕のなさ。

こどもの保養キャンプは放射能想定の短期のものだったが、それが、宮城・福島の不登校児童の増加が増えている。大人の都合でなく子供達自身が考えての保養キャンプを設けた。

4.子供達を守るために伝えていくべきこと

こどもの権利条約が焦点。196カ国が批准している。こどもは保護されるべき存在であり、また同時に、自分たちで意見を表明することもできるべき、というこどもの権利条約ならではの視点。大人社会が自由と安心を保障することによってはじめて自立への階段を上がることができる。だが、不登校も多動も増えている。

大人の中に入ってくるこどもへの初期対応を誤り、怒りを向けたり寂しそうにしたりするこどもなど、思いがけない傷を私たちが負わせている現状を踏まえ、どのように応答していくか。

サイコロジカルファーストエイドの有用性。災害は女性とこどもが心の傷を負いやすい。日常的なストレスに弱いのは男性だが。どうやったら二次被害を生み出さなければよいかという観点から発行されている。加害者にも支援者にもなりうる自分。津波ごっこ地震ごっこ。人形を波にのみこませたり砂に埋めさせたりする、それを大人が不安になるからやめさせるのではなく、伝えるべき。大人は天災を理解する助けをどうできるか。苦しい出来事を再演することによってコントロールを身につけていく。日本ではサイコロジカルファーストエイドを使う研修がセイブザチルドレンで行われているので是非でていただきたい。子供達も受け身だけでなく主体的に関わってもらう。愛媛はプランジャパンという組織で話している。

※サイコロジカルファーストエイド(第二版、日本語訳)は、兵庫県こころのケアセンターのサイトでダウンロードできる。http://www.j-hits.org/psychological/

あいまいな喪失から明確な喪失への移行。その時にそばにいる人があるか。

避難解除されているけれども、そこの地域コミュニティは大きな機能不全状態にある。被災者自身が口にしないよう表明しないよう忘れようとしているなかで、明確な喪失への移行を突然迫られる苦しさ。これから活動が始まるところでのコミュニティ形成の重い課題。これから福島が経験するフェイズは未開拓のもの。曹洞宗青年会のSVAの全国での活動でも取り組んでいる。

※「あいまいな喪失」とは、行方不明者や失踪者の場合のように、死亡を確認することができない喪失を指す。「明確な喪失」とは、遺体確認や、年数が経過し、そのあいまいな状態に結論を下さざるをえない状態を指す。

そもそも、震度6以上の地震では15分以内に8割の人が被災する。1/400の日本の国土面積のなかに世界の10パーセントの活火山があり、多くの地震が起こっている。いつどこで起こっても不思議ではない。最も多い水害。日本国内には1718の自治体があり、多くが水害を経験しているが、約40パーセントは地理的な状況・あるいは自治体の経済的な状況から毎年被災をまぬかれない。この現況の中で、私たちは弱者にどう向き合っていくかという命題があると思う。安全と安心、宗教者のネットワークをどうしていくか。平時からの、二次被害を生まない手配が重要。災害が連続した今年ほどつなぐ必要が感じられた年。

質疑

石田:分室の体制は? 電話相談とかレポートの作成とか、研修はどうなっているのでしょうか。

久間:福島駅前に復興支援分室がある。合計三名が平日に常勤。ボランティアも出入りあり。非常勤は二人まで雇用できる。チャイルドライン福島の活動として一人を雇用。実は別組織で、婦人科のクリニックの女医が理事長をして下さったり、臨床心理士会の会長、児童福祉施設の園長先生など、こども支援にすぐれた人たちがいたりする、そんな事業としてある。

ボランティア養成講座は現在第11期が開講中。こどもの状況、こどもの心のケア。プログラムはチャイルドラインが一定のプログラムをもっている。実動しているボランティア20名のうち、僧侶は自分を含めて3名。チャイルドラインの研修を受けていないと、医療資格や心理資格を持っていてもやってもらえない。こどもの権利条約、こどもの意見をサポートしていくことが私たちの役割という視点に立てない人は続かない。主役はこどもだし被災者自身だ。

篠原:外部支援が減っていて住民の共助組織を作っていくべきだという話。地域でのさまざまな分断があるなかで、分断をやわらげるような宗教者の働きの可能性は?

久間:まず篠原さんにはチャイルドラインの立ち上げなどでの支援を頂いたことに御礼。最近はリフレイミングという手法を使っている。まずは受ける、そして、それはこういうことですか、短所長所、違う見方に分解し、感情がぶつからないように違う視点を提示していく。一発で納得することができなくても、翌月まで心が残っていて、話ができる。ただ、責任がある人は強い感情があるので、別の時間をとってお話を聞かせていただく。

八本:こどもの直接支援の保養プログラム。私たちも青梅の杜にご招待したりなどをやっているのだが、現在は「保養」という表現はほとんど使われなくなっている。だが今日うかがったような現状があり、うかがいたいのは、募集のしかた、規模、どのようなかたちで関わられているかをうかがいたい。私たちは一つのNGOに依託しているのだが。

久間:福島の教育委員会から一挙に補助金が減った。県外に子供達を出すキャンプはやめましょうという話になった。募集も出発も決まっていて、出発の一週間前から、校長先生からキャンセルの電話があった。「そういう時期じゃない」「土日の授業が入ったから」と言われて、内実はあとから行事などを足されたらしい。東京オリンピックがきまって、福島放射能汚染の終結宣言をしたので都合が悪いのだろう。保養キャンプということばをつけない方がよい。子供達の意識も、「福島もほかの地域も同じ」をのぞんでいる。また、チャイルドラインの活動から受けた影響も大きい。それぞれの得意フィールドをもっているボランティアが保養プログラムをしたときに活動くださる。

大滝:「法話を求められる」というお話があった。法話を必要とされる空気というのは?

久間:面白い楽しい話ももちろん大事。落語もやっている。でも、泣くことも必要。宗教的な配慮は泣くための手助けになる。法話者のありがたい言葉は響かず、どう苦労して、目の前の課題に宗教者としてどう向き合ってきたのか、ということをしてほしいとリクエストされる。

その他・総合討論

久喜(全日仏):来週は世界仏教徒会議があり、成田山と總持寺で取り組みます(チラシ配布)。

篠原:WCRP:西日本豪雨のボランティアを新宗連とともに。野村町で、障害者への支援活動を。ここしばらくで、住民は、(福島と同じような)人災ではないか、野村ダムを大雨の時に緊急放流して野村町の750世帯を水没させた国土交通省の四国整備局の責任は?住民の声を集めている代表者は、国土交通省の住民説明会で、水没が分かっていて流したのはなぜ、という怒り。喪失感や、怒りの矛先を向けたらよいか不明な気持ち、作業はよいから宗教者が来てほしい、という話。三ヶ月またはもう少し長く。

真如苑サーブ(八本):30年7月豪雨と、北海道胆振東部地震。教団内での対策会議も終息。岡山は継続して入っていたが、癒し系よりそい系の支援の前に、土砂かきは終わったが清掃のボランティアのニーズがあるようで、10月11月に細々と続けているところ。北海道は落ち着いてきているが、仮設のお手洗いの清掃などのニーズがあるよう。完全に終わっているわけではない状況で細々とやっています。

石田(浄土宗):米一升運動。淑徳大学との協力の上で、期限近い非常食の適切な配分、使用手配などに取り組んでいる。

篠原(WCRP):来年3月13日―14日、現地復興関係者に集まっていただき、WCRP主催、宗援連も共催の、復興円卓会議を開催させていただきたい。

次回の情報交換会について

島薗:次回の情報交換会は2月23日、鎌倉の保養プログラム、金光教、こどもおやつクラブのお話を聞くことなどの企画を調整している。

7年間の時間はたっているがこの会を続けてきた、また続けていく意義は深いと感じた。どうもありがとうございます。

まとめ担当:世話人:葛西賢太