被災地NGO恊働センター代表
頼政良太さん
被災地NGO恊働センター代表
頼政良太さん
第40回 宗援連情報交換会 「能登半島地震支援活動の新たな展開」
3)頼政良太さん(被災地NGO恊働センター代表)
私は宗教者ではなく被災地NGO恊働センターの代表で、いま関西学院大学で助教をしている。キリスト教の大学なので、そういった意味では宗教者の皆さんとは関わりがあるかと思う。我々の団体は阪神淡路大震災で発足し、もうすぐ30年になる。災害時に被災地へ行って活動することをメインにしており、今回も七尾市に拠点を構えて活動している。
七尾市は平成の大合併で一市三町が合併。人口が約4万8千人、2万5千世帯の規模となる。我々はこの七尾市の最も北部に位置する中島町に拠点を構えている。
経緯としては、2007年に能登半島地震の時にも穴水町や輪島市の仮設で活動させて頂いた。当時から足湯をしていたが、取り入れている活動団体はまだ少なかった。その後、中島町の住民の方々よりお声かけ下さり、2009年から15年ほどお祭りのボランティアを継続してきた。
そういった縁があって、地震発災の翌日1月2日には、中島町で拠点を設けていくことになった。1)物資配布/居場所づくり 2)情報発信 3)炊き出し 4)片付清掃 5)避難所環境整備 6)足湯ボランティア 7)引越し支援 8)相談対応 9)他団体とのネットワーク 10)地元団体の支援 などの活動をしている。
物資配布は2/3開始。のべ3800人以上に在宅被災者向けに物資を配布。食品、衣類、ペット用品、生活用品など。物資を受け取った方にはアンケートを実施。2月〜3月の1ヶ月間で実人数でいうと483名がご利用頂いた。お一人暮らしが約8%。二人暮らしが27%で、高齢者一人暮らし二人暮らしの方が基本的に多い。旧七尾市や穴水町からもお越しになっている。
避難所に入っている方はあまり多くなく、ほぼ被災住宅で暮らしているという状況。お風呂、トイレが使えない方が非常に多い。また半数の方か自宅にいるが自炊ができていない。在宅支援は特に震災初期では非常に重要であると考えている。
アンケートの自由記述より
〇物資配布の奥でお茶を飲みながらお話を聞きながらゆっくりするスペースがある。そこでお話をすることを非常に楽しみに来られる方もいる。
〇「仕事は再開したが、その間に待って頂いた保険代がまとめて請求され非常に苦しい。ここに来て、いろんな話を愚痴をこぼすことができるので、それで何とか心が落ち着いてやっていける」そう言って頂く方が少なくない。
〇5月のアンケートでも、「災害ゴミをどうすればよいか」「5月末で閉鎖されるのでは」など皆さん非常に不安が大きくなってきている。「どの程度お金がもらえるのか。それ次第で公費解体か修理でいくのかも検討したいが、そもそもどういった制度が使えるのかも分からない。」そうした家の再建に向けての不安も出てきている。
心のケアであったり制度の説明。その方の状況に合わせて適切な再建プランをつくっていく。個別のサポートが必要だろう。こういったことが、物資を配布したりする中に非常によく分かってくる。
いま外部のボランティアさんを受け入れて、現場に行っていただくマッチングボラセン的な機能も担っているが、内容としては社協のボランティアセンターで断られてしまい、何とかできないかとの相談が増えてきている。
正直、災害ゴミなのか、元々あったものかの判別がつかないものが多くある。おばあちゃんお一人で、納屋が3つあるというケース等も多く、災害での対応に限定すると解決できない。そのおばあちゃんの暮らしはどうなるかを考えると放っておくことはできない。
足湯ボランティアも行っていて、こちらは心のケアという側面ももっている活動になっている。足を10分から15分間お湯につけて手をさする。その間は1対1で会話する。会話の中の言葉を「つぶやき」と呼んでいる。つぶやきからニーズを拾う。そのつぶやきには、周りにはなかなか言えないことも含まれており、どんな話が出ているのかっていうと、1月とか2月あたりのものでは
〇一日が長い。避難所にいるとすごく長く感じてしまう。
〇3日前に避難所の炊き出しが終わってしまった。自分で買いに行かないといけないが、避難所生活も長期になるとお食事を作るのもしんどくなる。
〇地元離れたくない。
〇なかなか家の片付けもできない。子どもたちの遊び場がない。公園が使えない。瓦礫の片付けで危ない。
〇仮設住宅では、今まで同じ地域で暮らしていなかった人が一緒に暮らす。人間関係が難しい。
いろんな問題点がこういったつぶやきを見ていくとわかってくる。課題は非常に大きいことが分かっていただけるかなと思う。
いま新宗連の皆さんがボランティアに来て頂き、非常にたすかっている。昨日は被災したキャンプ場を清掃して頂いた。今日は仮設住宅での餅つきに入って頂き交流を深めて下さっている。これからこういったコミュニティ支援も必要となってくる。
仮設住宅に集会所がなく、こういった集まりがやりづらい。今日は天気もよかったので、テントを張って餅つきをやった。たくさん来られて好評だった。交流を求めているが場がない。また物理的なスペースもない。仮設の方も、餅つきの準備に何人か手伝って頂いた。何かやりたいという思いはある。そういった環境がない。これも課題であると感じている。
最後に、現状と今後の課題について。
避難所の大部分が閉鎖に近づいている。
〇仮設住宅での新たなコミュニティ形成支援が必要だが、いまはその環境がない。なかなか役場のサポートがない。自治会もまだ作られていない。そうした中でのサポートが必要となってくる。
〇避難所に残る人(行き先がない人の支援)のサポートも重要。
〇災害ゴミ置き場の期限近づく。なかなか明示がされずに、いまのところ5月末で閉鎖との案内しか七尾市では明示されておらず、住民は不安を感じている。(7月末まで延長が決定したが、その後の延長の見通しはない)
〇母屋の片付けは災害ボランティアセンターで対応しているが、それ以外の空き家、納屋、倉庫などの対応まで考えると、とても終わりが見えない。まだまだ人手が必要。
〇2次避難や親戚宅から戻った方にどのように支援していくか。
〇連絡が取りにくい。ご自宅にいらっしゃらない方が多い。
〇多くのボランティアがせっかく来て下さるが、被災住民が「いま金沢にいる」となると微妙にずれてしまう。その調整にどうしても手間がかかってしまう。⇒どこのボランティアセンターも苦労している部分で、今回の特徴であるかと思う。
住民の方々は、災害発生直後から目の前のことで必死だった。発災当初からすると少し落ち着いてきたところで、これから再建に向けての不安が大きくなってきている。
罹災証明書の発行も進んでいるが、判定が自分の思っていた判定にまで届いていない。準半壊や一部損壊の判定が非常に多い。そうなると補助金がなかなかもらえない。その場合はどうしようという制度面での不安もあり、非常にメンタル的にもつらくなる。そういったケアも今後必要となってくる。前に進んでいける人と再建ができない人とのギャップが大きくなっている。
ボランティアの受け入れ体制について。災害ボランティアセンターだけでは受け入れが限定的であるため、その拡大を図る必要がある。ボランティアの数が足りないという声が出ているが、ボランティアの呼びかけを行うとともに、受け入れ体制をしっかり整えていくことも同時並行で行う必要がある。
NPO団体も多く入っているが、NPO自体も人手や運営資金が足りず6月末で撤退するという団体もある。NPOがどんどんと撤退していくと本当に厳しい環境になる。そこをどのようにサポートしていくかも課題となる。地元の方どうしで連携がまだできていない部分もある。連携強化が必要。復興に向けたボランティアのメニューづくりや長期的な関わりが可能なボランティアの環境づくりが必要であると考えている。
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竹島正(川崎市総合リハビリテーション推進センター所長):
私自身は今回、実際に能登には行っていないが、現地の人や行った人からは、「能登の人は自治体に頼らずに暮らしてきた。自治体に頼っても解決は難しい。自分たちで何とかやっていこうと暮らしてきた方なのだ」と聞いたことがある。
あと、もうかなり高齢化が進んでいる。一旦地元から離れたりいろいろなものを失うと、かなりフレイルが進行するケースも多いのではないかという話も聞いている。日本全体で人口減少が進む中でこうした地域が大災害を受けた場合、そこに住む人々が果たして戻ることができるのか。人口減少の影響が一層強くこの地域に与えることもあるだろうという話も聞いた。
それから、能登地震の場合には、今までの災害支援のモデルがうまく機能しない。まだ生活のレベルが安定しないところもたくさんあると。だから実際、DPATとか医療がモデル化してきたサービス支援の仕組みが、道路などの影響でなかなか入れない。実際に行っても、支援のニーズに行き当たらないというような話も聞いている。特に実際の地域ニーズで違う点となると宗教者災害支援連絡会の方々の方がもっと地元ニーズに近いところで見ておられるかと思うが、能登地震が今までの災害と異なる点について伺いたい。
頼政:
今までと違う点では、道路の被害がかなり大きく、なかなか入れなかった。また高齢化も進んでいて、担い手がいない。地域の皆さんは非常にコミュニティが強く、確かに行政に頼らすにやってこられたというところもあるが、一方で高齢化も進んでいる。平時であれば、何とかやってこれたことが、災害になると難しいという面もある。それをどうやって支えるかみたいなところが難しかった。
今までと違う点としては、行政の被災率も高いし、そもそも人間が少ない。行政も人が減少し、機能が非常に弱体化している。例えば避難所にお弁当を出すことも、東日本大震災でも1ヶ月後には全部の避難所にお弁当が届いていた。今回の七尾市では避難所でお弁当が出始めたのが3月末だった。行政の対応が非常に遅れてしまったみたいなところがあった。
今まで行政のお弁当があって、ただ揚げ物も多く栄養バランスも偏っているのでプラスアルファでバランスを良くするために炊き出しを実施してきた。今回はそもそもお弁当が来ないので、何とかしなければとやってきた。今までやっていた支援と同じように見えるが、質的に若干違いがあるという感じがする。
今までの災害と比べて、その基本となる行政であるとか、災害救助法のようなベースがきちんと機能しなかった。なので行政がなかなか機能していない中で支援に入っても、おそらく医療支援もうまくコーディネートできなかったりとかする。
竹島:
精神保健との連携の必要性についても伺えれば。
頼政:
精神保健の必要性は、非常に感じている災害関連死に関しても、いま申請中も含めると百人以上となっており、自死されるケースも出ている。住民の不安は大きく、介入していく必要はあると思う。
我々の拠点にも物資が求めるというよりは、吐き出せる場所がなく、人に何か喋りたいとお話に来られる方も多い。課題を物理的に解決もそうだが、精神保健によるメンタル的なサポートのニーズは非常に高いと思う。
稲場:
今までの被災地では、片付けや炊き出しといろんな活動に多くの人が動くなかにも、ただゆっくり一緒に膝を突き合わせて話をするような人もいたと思う。今回はそういった状況が本当に少ないと感じる。先程頼政さんから、七尾には談話室がない仮設住宅がいくつかあると伺ったが、寄り添いの支援を継続する上でこれは本当に大きな問題である。
完成した仮設住宅に今後新たに設置ということは可能か。また声を上げることで変えていくことができるか。またそこに頼政さんのような災害ボランティアNGOや竹島先生のような専門家が宗援連と連携して働きかけることはできるか。
頼政:
集会所や談話室がなく困っている。地域の方々からも集会所の要望が出ている。そういった声を集めて、文書として市に提出することも検討したが、一応、市役所の方に働きかけて、議員さんも動いて下さっている。これから作る仮設住宅には集会所・談話室を設置し、既にある仮設住宅には追加で建設することも検討しているという返事は頂いている。
具体的な仕様や時期などは未定だが、まったく作るつもりがないという感じでもない。少しは動きがあるかと思っている。
あと集会所ではないが、各仮設住宅の中に福祉施設を設置することも石川県の方でも検討している。そこにはデイサービスの機能に加えて、住民が自由に使用できる共同スペースも併設していくという記事が出ていた。少しずつそういった動きも出てきているので、我々も市役所や議員さんに今後も働きかけていきたいと考えている。
稲場:
頼政さんには初動の段階から大阪大学、我々の学位も小牧の拠点に寝袋で泊めて頂き大変お世話になっている。これまで様々な被災地でコーディネートし、多くの団体を受け入れて来られたと思うが、宗教者のボランティアが他と異なる部分は何か感じられたか。
頼政:
今日も新宗連の方々が35人チームになって来て頂いている。いろんな年代の方がおられるので、バリエーションのある活動をして頂き、中にはお話を聞くのが上手な方もいらっしゃる。被災した方に寄り添いたいという気持ちを非常に感じるところがある。そういったところは宗教者の皆さんの特徴かと思う。
以上