金光教大阪災害救援隊
竹内真治さん
金光教大阪災害救援隊
竹内真治さん
第41回 宗援連情報交換会 「持続する能登半島地震・豪雨支援活動」
島薗(司会):今年の1月に能登地震が発生して以来、4回目の情報交換会となります。この間に9月21日には豪雨が発生し、能登北部では二重の甚大な被害に遭い今も多くの方が苦しんでおられます。今日はそうした中にも持続的に支援活動を続けておられる3組の方々に詳しくお話をお伺いいたします。
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1)竹内真治さん(金光教大阪災害救援隊)
我々は門前町浦上地区の浦上公民館にて炊き出しの活動を行っている。1月能登地震から18回の訪問となる。当初、浦上地区の方々は公民館に避難していたが、後に別々の仮設住宅に入られた。仮設住宅に移動し生活が落ち着いてきた今でも、住民の方々が楽しみとなる炊き出しになれればと炊き出しを継続している。
配膳では、お一人お一人に、会話をするように心がけている。毎回、驚くくらいの長蛇の列ができており、その待って頂いている間に地域住民どうしが話をする。我々も話をする。「ここに戻って来られて、うれしい。本当にうれしい。」「他の地区からは浦上はいいなと言われる」「この炊き出しの日には、家族みんなで集まろうね」とお声を頂いている。
緊急的な炊き出しが終了すると、多くのボランティアは撤退する。しかし、我々はここからが本番。いつまで継続できるか。人・物・お金の工面が課題であり、いまも奔走している。発災から時間が経過し落ち着いたと言っても苦労しかなく、それなら炊き出しで美味しいものを食べて元気を出してもらいたい。
車1台でいくのが経費的にも人材の確保にもギリギリのところ。少数精鋭、平均4人で朝から仕込んで夕方5時には250食。これはかなり超人的な作業が必要となる。食材とメニューにこだわりをもっている。定番の豚汁とカレーライスは滅多に作らない。国産牛に野菜のすり下し。ペースト状になるまで何時間も炒める。1人前に玉ねぎ1つは入る。だから美味しい。ハンバーグ、ソースカツ丼、焼き肉、あんかけ焼きそば、オムライスと、もう何でもリクエストがあれば作る。数えきれないほどの多彩なメニューを楽しんで頂いている。
わざと余るように作り、他の仮設住宅へお配りする。浦上地区が終了し、次の仮設に移動すると19時過ぎになる。玄関でベルを鳴らすと「待ってたよ」笑顔で出てこられる。関係性ができてくると、軒先で話し始める。また、食べた後にも真っ暗な中を「めっちゃ美味しかったからそれを伝えに来た」と何人も言って来られる。こちらとしても、「どうしたら少しでも喜んでもらえるか」「ホッとしてもらえるか」と毎日そのような事を考えながらやっている。
7月の浦上祭りでは、神社へ奉納する獅子舞踊りがある。この日に炊き出しが重なった。夕方ようやく炊き出しが落ち着いた頃を見計らって、「いつもありがとう。あなたたちのために獅子舞を舞いますから」と私たちのテントの前で獅子舞を舞って下さった。
住民の方が楽しみにしている納涼音頭大会では、クライマックスの大抽選会に屋台から参加させてもらった。私たちが景品に当たると、自分たちの時よりも盛り上がる。私たちは皆さんに仲間として受け入れて下さったのだ―と思わせて頂いた。庭で栗ができた、キュウリができたと持ってきて下さる。そうした事を励みに頑張っている。
仮設住宅の暮らしが落ち着きかけた頃、9月21日に豪雨がきた。映像で見たときにはヒヤッとした。まさに我々が活動している浦上地区ではないか。何人かからは写真や映像が送られてきた。すぐに準備をして、24日には現地入りした。
公民館に炊き出しの資機材の大半を置かせて頂いている。それらの30-40㎝は泥に浸っていた。衛生面を考慮すると廃棄せざるを得ないものも多くあった。金額にして50万程度。住民さんは私たちを見つけて下さり、非常に喜んで下さった。
公民館は床上浸水。仮設住宅は床下浸水。さすがにへこんでおられた。「もう神も仏もない」とおっしゃる方も多くおられた。「できるだけ1回でも多く通うようにしますから、みんなで元気出していきましょうね」―それしか言いようがなかった。地震の被害を免れた何件かのお宅が、この豪雨でかなりやられてしまった。
ひどい被害に遭われた方から「うちの家見た?」と聞かれた。「見に行くなんて、とてもできません」と答えたら、「竹内さんたちは別だから、一緒に見に行きましょう。写真も撮っていいですから記録に残してください」と案内して下さった。行くと本当に悲惨な状況が広がっていた。能登半島地震とは全く別の災害だった。
最後に、個人的にはなりますが、なぜ炊き出しにこだわっているかについて聞いて頂きたい。
2011年東日本大震災で初めてボランティアに参加した。現地でシャンティさんの炊き出しを見た。避難所で温かい豚汁をもらった被災者の親子が、遠くから見ている私の近くにまで歩いてきて、ぽっと座った。そして、「温かいね」と言って、豚汁をすすりながら、涙をぽとぽとと流された。
それを見たときに、私は「自分も宗教者の端くれだが何もできない。あのお坊さんは、豚汁一杯で人を泣かせるのか。人を助けられるのか。自分もいつかはああなりたい」と思ったが、その時は何もできず辛酸をなめて帰ってきた。あれから13年半が経過した。今は、昨日も撤収作業の最中に「次また来てくれるとわかっていても、あなたたちが帰ると寂しい」と言って頂き、少しは皆さんに寄り添えている団体になれてきたかという気がする。
今回も不思議なご縁で、総持寺祖院のお膝元でシャンティさんと活動させて頂いています。ありがとうございました。
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稲場(大阪大学):竹内さんは熊本地震の益城町、西日本豪雨の岡山県真備町等でも活動されており、大阪大学の学生も活動に参加し学ばせて頂いている。能登地震ではいち早く、大変な中にも浦上公民館で炊き出しをされた。真心がこもった食を提供され、「炊き出しはいろいろとあるが、ここの炊き出しは違うんだ」というお声も聞いてきた。また普通なら食事を受け取り、または配って終わる。だがここでは、待っている間に被災された方々がにこやかにお互いどうし語り合い、情報交換の場所にもなっている。「どうして自分たちがこんな目に遭わなければいけないのか」という怒り、悲しみ、いろんな思いを竹内さんたちが受けとめている。関係性を築き、長く関わっていく、まさに生きる伴走者としての活動であると思っている。すばらしい活動であると思いました。
鐵重宗峻(築地本願寺):私も一昨日珠洲で炊き出しに入り、500食のカレーを作ってきた。竹内さんのご苦労はすごく身に染みて分かる。フライドポテトで失敗したこともあった。それでも能登の方は本当に優しくて、「待ってるから大丈夫だよ。焦らなくても大丈夫だからね」と待ってて下さるようなこともあった。データを取り、メニューも工夫しているが、竹内さんのほうでお勧めのメニューがあれば。
竹内:仮設住宅では揚げ物は避けられる傾向にある。だがお年寄りでもお肉とお魚は大好きだ。最近はメニューがマンネリ化しないためにも、各県の名物を出すなどの工夫している。メンバーは全国から集まるようになった。熊本地震で被災した方も参加された。信奉者でない方も来て頂いている。
文化時報(山根):先ほど、震災と豪雨はまったく別の災害であると言われた。被災者の心の痛手に違いは感じられたか。地震はすごい揺れだが、せいぜい長くて1、2分で終わる。水害は何時間も続き、さらにひどくなっていくのが分かる。トラウマは水害の方が強く残るという話を聞いたことがある。実際に被災者と接する中にそうしたお話があれば。
竹内:1年に2度も大きな災害が来て、「心がぽっきりと折れた」とおっしゃる方が非常に多い。「何とか立ち直ろうとここまでやってきた。もう何も手がつけられなくなった」と。地震の時は泣いてなかったが、今回は泣いておられる方がかなり多くおられる。地震で半壊になっても住み続けていたが、豪雨で全壊になったとか。本当にダメージはかなり大きい。
以上