珠洲ひのきしんセンター(天理教寶立分教会・天理教北乃州分教会)
石橋雄一郎さん(天理教寶立分教会・教会長)
遠藤教一さん(天理教本芝雪分教会・教会長)
珠洲ひのきしんセンター(天理教寶立分教会・天理教北乃州分教会)
石橋雄一郎さん(天理教寶立分教会・教会長)
遠藤教一さん(天理教本芝雪分教会・教会長)
第41回 宗援連情報交換会 「持続する能登半島地震・豪雨支援活動」
2)珠洲ひのきしんセンター(天理教寶立分教会・天理教北乃州分教会)
石橋雄一郎さん(天理教寶立分教会・教会長)
遠藤教一さん(天理教本芝雪分教会・教会長)
遠藤さん:
珠洲ひのきしんセンターは、能登半島地震の復興支援を目的に、天理教を信仰する有志が設立した。珠洲市内の天理教会の2教会を拠点に、行政や他の災害ボランティア団体と連携して活動。設立以来、天理教信者だけでなく一般ボランティアも受け入れ、のべ1万人以上が復興支援を継続してきた。
ひのきしんとは、親神様のご守護に感謝をささげる自発的な行為。日々常々、何事につけ、親神の恵みを切に身に感じる時、感謝の喜びは自ずからその態度や行いにあらわれる。これをひのきしんと教えられる。すなわち、ひのきしんとは日々の絶えざる喜びの行いであり、その姿は千種万態である。信仰のままに感謝の心から喜び勇んで事に当たるならば、それは悉くひのきしんとなる。
しかし、なぜそれが被災地支援に向かうのかという理由の一つが「おふでさき」に示される。親神様は全ての人間を創り、守護をもって育てられている親なる神である。世界中の人間は親神様を親と仰ぐ兄弟姉妹であり、他人は一人もいないと教えられている。
その上で、教祖中山みき様の手本「ひながた」が私たちを具体的な行動に向かわせた。天保9年(1938年)から明治20年(1887年)までの50年間にお通りになった足跡を「ひながた」と呼び、人生の歩み方の手本を意味する。親神様のお心のままに世界の人々を助けるために日々お通りになり、その様子を学び、それに倣って暮らすことが親神様のお心、陽気ぐらしの為にこの世界と人間を創られた思いにかなう歩み方であるとされている。
陽気ぐらし世界実現の要件として、「たすけあい」と「澄み切り」の二つをあげることができる。人をたすける心により自分中心の心遣い(濁った状態)を払しょくすることで心を澄ます。天理教の「たすけあい」は単なる相互扶助やギブアンドテイクではなく、ひとり一人が人をたすける心で行動する姿である。
石橋さん:
夕刻に地震が発生した際は、大きな揺れで住居でもある教会が潰れるのではないかと感じた。
全員で外へ出ると津波警報が鳴り、近くの小高い山(三平山)へ向かった。その夜は小学校の避難所に泊まり、翌日教会を見に行くと足の踏み場もない状況だった。片付ける気力もない。その日も避難所に泊まった。
翌日3日には天理教寶立分教会に新潟や埼玉から教友の支援者が金沢から16時間かけて「生きていましたか」と駆けつけてくれた。また、災害系NPO「愛知人」は前年5月の地震でも支援に入って下さり、我々もここで3ヵ月間作業し学ばせて頂いた。そうした経緯もあり、北乃洲分教会に来て下さった。
当初はガソリン、灯油、水がないとの要望に、県の規制もある中に物資提供を頂いた。その後は炊き出しで入ってくれた。
1月8日に北乃洲分教会教会後継者の矢田と私、その埼玉、新潟からの教友の4人で「珠洲ひのきしんセンター」を立ち上げた。公式LINEアカウントを立ち上げ、日本全国の教友と情報を共有した。10月現在で、のべ1万人以上の方を受け入れている。
遠藤さん:
続いて、ひのきしんセンターについて説明します。寶立分教会は事務局と受け入れ窓口、北乃洲分教会は活動拠点と役割を分担した。ひのきしんセンター発信の情報を得て、支援者が申し込む。日々刻々と変化する被災地のニーズをホームページを通して確認し、作業の準備や被災者の不安やストレスを和らげるイベントを独自で考える。また珠洲市社会福祉協議会と連携協力し、避難所・仮設住宅の被災者から直接にニーズを拾う活動も行ってきた。
具体的な支援について
初動では、道路の寸断により金沢から十何時間もかけて物資を届けた。両教会で受け入れ、各地の避難所へ配布した。行政の指定避難所以外にも、自主避難所が多数あった。大谷地区ではビニールハウスに身を寄せる被災者もいた。行政の情報収集が難航し、支援の手配が十分にできなかった。北乃洲分教会矢田嘉伸が、自転車で避難所を回り独自にニーズを調査し、センターの活動を展開した。
物資支援と並行し炊き出しも開始。ひのきしんセンターは行政の手の回りにくい中小規模の自主避難所を中心に炊き出しも実施した。1月8日から3月20日まで2ヵ月半ほぼ毎日、行政がやっと現状の問題を認識し、3月中旬に夕食の配膳を開始するまで継続した。
支援者の呼びかけには、LINEやFacebook、ホームページで積極的な発信を行うことで全国から参加くださった。従来は人づてに聞き、詳細は電話で問い合わせる。今回はITリソースを初期の段階で導入することができ、内容確認も支援の申込みもサイトでして頂いた。それにより1件1件の電話対応の手間を大幅に削減できた。
昨年5月の地震で行政、社会福祉協議会、災害NPOと連携し活動に入った。屋根に登って雨漏りの補修も行った。その時に築いた信頼関係が、今回の下地となっている。「布教活動をしない」「見返りを求めない」姿勢を汲み取って下さり、宗教団体であるにも関わらず受け入れて頂けた。
それと同時に、「上戸の石橋さん」、「飯田の矢田さん」で通じる地域に根差した教会であり、被災者であっても支援をする側に立つことができたことも信頼を強くした大きな要因であったかと思う。
横浜での活動について
横浜市立港北小学校では、私がPTA会長をしている関係で働きかけ、児童の募金約19万円からホッカイロ750個を購入。1/30に一つひとつに応援メッセージを書いたものを届けました。2/23には港北小児童の書いた寄せ書きを珠洲市立飯田小学校に届けたことから飯田小学校との交流が始まった。またその募金から、3/27には飯田小学校にプレゼントを届け、珠洲市役所と能登町教育委員会に募金を届けた。その後も継続的な支援を行った。
港北小学校の児童には、私の活動について「ひのきしんとは、当たり前が当たり前でない事に気が付き、その感謝を伝えることなんだよ。だから今に感謝して、友達、両親、先生にありがとうという気持ちを大切にしてほしい」と説明し伝えた。
飯田小学校児童は、港北小学校児童へのお礼の気持ちを、自分たちの地震の経験を学びとしてオンラインで伝えるべく準備を進めている。しかしながら、児童の心の問題も深刻であるが、うまく先生が導いていると校長先生から聞いている。辛く悲しい出来事ではあるが、見ず知らずの児童たちがつながることで、震災から何かを学ぶきっかけになれたらありがたいことだと私は考えている。
別の事例として、避難所生活で遊ぶ機会や場所も少なかった子供たちが思いっきり体を動かすことができるようにと、4月に岡山で子ども食堂を運営する教会が企画して運動会を実施した。こちらはNHK等の報道番組でも紹介された。また愛知県の教会では、保育園や道の駅で炊き出しの際にバルーンアートを作ったり、カラオケの機材を避難所に持ち込み音楽家がミニコンサートを開く。また崩れ落ちた墓石を積み直す作業を行ったりと、多彩に富んだ活動が展開されている。
現在の状況(水害対応)
いまは、9月21日の豪雨による災害対応が活動の主軸であり、私自身も先日10月13~14日と珠洲に入って実際に活動させて頂いた。
女性一人暮らしのお宅で泥の掻き出し作業。3日間で3トンダンプカー6杯分の汚泥を掻き出すこととなった。まだ、洗浄し消毒後に乾燥するという作業が残っており、まだまだ時間がかかる。圧倒的にボランティアの数が足りていないと感じた。今後も珠洲ひのきしんセンターでは、ボランティアの受け入れを進めて、1日も早い復興に貢献できればと考えている。
まとめ
天理教の本質は人助けであり、世界中の人間が仲良く助け合い、陽気に暮らすのを見て、共に楽しみたいと考えて人間を創られた親神様の思いに添って行う、その行動がひのきしんである。困っている人に喜んでもらいたい。自分のできることで救けさせて頂きたいという思いで行動する場所がひのきしんセンターである。
天理教には代表的な災害支援組織として、「天理教災害救援ひのきしん隊」がある。これらは今までもいろいろと報道されていて名前が出ることも多い。豊富な経験をもとに、自前で給水車や物資を準備し初動対応に当たる。また重機や多くの機材を操作し大規模な活動が可能である。しかし、細かいニーズに対応するには適していない部分もある。そこで有志が少人数で活動することで、さらにきめ細かいニーズに対応できる。それにより被災者に寄り添うことが可能と考えている。
さらに過去の支援で経験を積み上げたメンバーがより増えてくることで、バリエーションに富んだ活動にとつながっている。
稿本天理教教祖伝 逸話篇には中山みき様が信者に話した言葉が残っている。ブドウの房を手にとって「よう帰ってきなはったなあ。これをあげましょう。世界はこのブドウのようになあ皆丸い心でつながり合うてゆくのやで。この道は、先長く楽しんで通る道や程に」「皆丸い心で」
私たちはこの教祖の言葉のぬくもりがとても心地よい。被災して、心が折れている人たちにこのぬくもりを伝えたい。「どうしたら伝えられるか」という思い。ひのきしんセンターを拠点として同じ気持ちで活動するので、個人個人は様々な形の支援を行ってはいても同じ方向に進んでいるように見えるのではないかと私は考えている。
ありがとうございました。
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石橋:私自身が被災者でもあるが、やはり感謝しかない。組織が大きくなると動きにくくなるところを、個人が自分の時間・お金・都合を捨てて、日本全国から珠洲ひのきしんセンターに自分の意志で来られる。そのおかけで初動の早い段階から動くことが可能となった。
島薗(司会):道路が整わない。水も通っていない。その中でボランティアが殺到すると他の支援活動に支障をきたすという情報が石川県からも出された。ボランティアが入りにくい状況となったが、現場は支援を必要としている。その情報がここに集約される。行くのが最も困難な珠洲に多くの人が入る。ひのきしんセンターがその中継点となった。大切な役割を務められたその取り組みを伺うことができた。
石橋:ひのきしんセンターのサイトから活動を申込んで頂く。その団体名、出身地、人数、宿泊場所、活動地の一覧表としてまとめている。宿泊場所は2教会(寶立・北乃洲)と信者さんが住んでいないご自宅を提供して下さった。30人程度は宿泊が可能。
島薗:今回、能登には宿泊施設が確保できずに、個人ボランティアは金沢からバスで早朝に出発し、昼間にボランティア活動を何時間かしてまた金沢に帰るしかなかった。そうしたことが、ボランティア活動がしにくい大きな要因となってしまった。
石橋:我々は寝袋を持参しての宿泊で、食料等も含めて自己完結型での取り組みとなる。こちらはあくまで場所だけを提供する。これまで被災地でのそうした経験を積まれた方々が北海道から九州まで来てくださった。
公費解体から外れた一部損壊と準半壊の方が本当に多い。金銭的にも負担が大きい。水道メーターまでは国が負担する。その先はまともに工事をすると百万近くはかかるが、補助は一円も出ないと多くの方が困っている。
そうした案件や他に社会福祉協議会で断られたニーズも、ひのきしんセンターにもって来られる。社協は業務上無理もない。地元団体ということで、村長等からも「石橋さん、これできますか?」ともってこられる。我々は選ぶことはせず、そこに困っている方々がおられるから、今させて頂く。順位付けもせずに、言われた通りにさせて頂いている。
稲場:天理教災害救援ひのきしん隊の活動は、Facebookを拝見し現地の声も伺った。今日の報告でも、初動の段階から困難な状況でも継続されている。とりわけ、教会が被災したにもかかわらずセンターを立ち上げて、いろいろな方々と連携されている。地元にとって大きな力となっているとあらためて感じた。
私が被災地で天理教の災害救援隊の動きを見ている中で、初動の段階で全国各地の主事の方々が情報交換して現地に入るとも聞いていた。報告では2つの教会と新潟・埼玉の教友とのつながりでセンターを立ち上げたとのことだったが、初動の段階で主事の方々や本部の動きがあったのか。
もうひとつには、例えば熊本地震では益城町の社協ボラセンに隣接して天理教さんがブースを設置していた。社協で引き受けることができない、壁を壊す、撤去する等の危険が伴うニーズを担っておられた。また佐賀県武雄市で連続して水害に遭われた地域では、社協ボラセンの横に曹洞宗の方が「おもやいセンター」として同じく社協が対応できないニーズに取り組まれていた。
昨年の珠洲地震で石橋さんが地元で築いた連携について伺ったが、ひのきしんセンターと社協の災害ボランティアセンターではどのように情報共有がなされてきたか。
石橋:本部から主事の方々も現地調査に来られた。珠洲には八つの教会があるが、活動できたのは石橋と矢田の二教会のみ。あとは建物が駄目だったり、過疎の地域でもあり元々の信仰の部分でも折れたというような状況だった。目の前に困っている人がいる中で、こちらが本部を当てにはできない。まずは自分たちが動くしかなかった。逆に動いていたから元気だった。組織でいうと本部に許可を得ずに勝手に始めてしまったという形になったが、後に本部はそれを認めて下さった。
社協との連携では、昨年5月の地震で信頼できる担当者に会えたことが大きかった。NPO団体ともつながりができた。分からないことは聞いたし共有すべきことはこちらから伝えた。とにかく情報を共有して進めてきた。また珠洲の活動団体間で懇親会なども定期的に開催し親睦を深めた。
大出(新宗連):10月の時点で1万人以上の参加者が自己完結型で取り組まれたとのことだが、会員信徒以外に一般の方へどのように周知されたか。
石橋:周知はしていなかった。自然発生的に集まってきた。少し信じられないかもしれないが、そう答えるしかない。逆に言うと、県が止めた。石川の教区が止めた。それが本当の意味で助けたい人たちだけが集まってきた。それは個人ボランティアも同じで、県に登録して狭い枠の中を何とか入りたいという思いで入って来られる。
島薗:私が訪問した時にいらした水道工事の専門家。山口から来て、二週間もいたと言っていたが、仕事を休んで来られたのか?天理教の方ですか?
石橋:天理教の方ではない。「珠洲 ボランティア 水道」と検索して、我々のサイトにたどり着いたと。義援金は一体どこに行っているのか。本当に困っている被災者まで実際には届いていない。そういう思いで、水道何とかしなければならないと山口から来てくれた。ヤンキーのような風貌だが、心がとてもきれい。熊本も行きたかったが、当時はお金もなく忙しかった。今回は少し余裕もできて時間も空いたのでボランティアに来たと。それでセンターの第二宿営地での寝泊まりだった。プロなので仕事は早く本当に助かった。
島薗:珠洲ひのきしんセンターは、今回の宗教者支援において典型的な独自性をもった働きとして、石橋さんたちの活動から学ぶところが多くあるのではないかと思っております。ありがとうございました。
以上