夢小屋23@志賀町、日本臨床宗教師会
松本二三秋さん
夢小屋23@志賀町、日本臨床宗教師会
松本二三秋さん
第42回 宗援連情報交換会 「能登半島地震支援活動のその後の展開」
5)松本二三秋さん(夢小屋23@志賀町、日本臨床宗教師会)
能登半島地震の発生に際しましては、宗援連の皆様をはじめ、全国の方々から多大なるご支援を賜りまして、心より感謝を申し上げます。
石川県羽咋郡志賀町大笹にて、私は臨床宗教師として活動しております。臨床宗教師という言葉は、地方ではなかなか理解されにくいと感じており、地域の方々との接点を持つため、私の納屋を改装して「夢小屋23」という無料カフェを開設しました。2022年にオープンし、現在では志賀町役場健康福祉課との連携のもと、認知症カフェとして運営しており、今年で四年目を迎えます。
本日の報告では、地震発生後の私の対応について述べさせていただきます。まず、2024年1月1日16時10分頃に地震が発生しました。続いて、1月7日および13日には中部臨床宗教師会より支援物資の搬入がありました。1月30日から3月30日までは炊き出しの支援活動に従事し、避難所での活動方法や必要な設備・資材の取り扱いについて学ぶ機会を得ました。
2月12日には中部臨床宗教師会の今後の活動方針が定まり、それに基づき私自身の対応方針も決定いたしました。その後、富来(とぎ)、輪島、珠洲などの避難所や仮設住宅への臨み方について、最後に、ケアに関対する課題として、夢小屋を拠点に被災地を訪れる臨床宗教師や支援者に対するサポートとフォロー、そしてケアについて報告させて頂きます。
2024年1月1日16時10分頃、地震が発生した際の状況について報告いたします。その日は、名古屋から訪れていた長男家族とともに正月を迎えておりました。午後三時過ぎから頃、息子と向かい合って酒を酌み交わしながら、家族団らんのひとときを過ごし、ちょうど一時間ほど経った頃、娘息子の嫁さんと私の妻に「次は何を食べようか」と話していた瞬間、突然の揺れに見舞われました。
最初の揺れの際には、「正月から珠洲の人たちはかわいそうやな」と話していたのですが、数分後にはさらに大きく、そして長い揺れが襲い、「おいおい本当はうちか」と思わず口にするほどの衝撃でした。親子ともに、あまりに突然の事態に呆然としながらも、現実を受け止めざるを得ませんでした。地震の被害は甚大で、私の自宅から五キロほど金沢方面に向かった地域では、地盤が軟弱なこともあり、周辺の家屋はほとんどが全壊しておりました。自宅の庭に敷かれた石畳も、揺れによって歪みが生じておりました。
翌1月2日には、志賀町役場にて一世帯あたり六リットルの水が配布されるとの情報を得て、私も水を受け取りに向かいました。しかし、途中で大渋滞に巻き込まれ、やむなく車を降りて徒歩で役場へ向かいました。役場の入り口付近に到着したところ、すでに2〜300メートルにわたって人々が列をなしており、これは到底受け取れないと判断し、引き返すこととしました。
1月4日頃、私は妻とともに自宅を出て、全壊した友人宅や兄弟の家を訪ね、2リットル入りの水ボトルを携えて巡回を始めました。被災直後の地域の状況を目の当たりにしながら、知人は大丈夫か少しでも役に立ちたいという思いで行動を始めました。7日には、中部臨床宗教師会の坂野会長、大下大園先生らが支援物資を携えて来訪されました。私はその際、道案内を務めさせていただき、ご経験豊富な方々の迅速かつ的確な動きに、ただただ驚かされました。私はこれまでボランティア活動の経験がなく、次に何をすべきかも判からず、戸惑うばかりでした。
そのような中、1月15日付の地元新聞に、ビニールハウスを避難所として活用している方々の記事が掲載されているのを目にし、支援物資の残りを届けようと考えました。町役場に連絡を取り、該当地区の区長の案内のもと、そのビニールハウスを訪問しました。私の自宅から車で5〜10分ほどの草木薙という地域でした。訪問時には、「こんなところまでありがとう」と温かい言葉をかけていただきました。驚いたことに、その方は私の兄弟や従兄弟をよく知る人物であり、思いがけないご縁に胸が熱くなりました。
その方の住まいはビニールハウスの向かいにあり、井戸や風呂が備えられていて、皆で水が来るまでその場で生活を続けるとのことでした。二週間後には、自作のパンを持参して再訪したところ、「日本中からテレビ局が来たけれど、有働さんが一番きれいだった」と、坂本さんがスタッフの方々についても語っておられました。
次に、炊き出し支援を通じて学んだ避難所での活動について報告いたします。中部臨床宗教師会事務局の田中さんから、同会員の穏(なばり)さんが臨床宗教師とは別の形で早くから志賀町富来(とぎ)地区にてボランティア活動を行っているとの情報をいただきました。穏さんは、私が臨床宗教師養成講座の現場実習で沼口医院のビハーラでご指導いただいた方でもあり、すぐに連絡を取りました。
その結果、1月30日から計4回にわたり、私の「夢小屋23」を拠点として活用いただくこととなりました。穏さんは、東北の震災後も5〜6年にわたりボランティア活動を継続された経験豊富な方であり、まさに炊出しプロフェッショナルと呼ぶにふさわしい方です。
初回の活動時には、「何もしないで見ていればいい」と言われましたが、それでも自分なりにできることを手伝ったという実感があります。活動を通じて、避難所での基本的なルールや技術を学びました。たとえば、テントの設営と撤収の方法、四隅に重しとなる水タンクを配置する必要性、避難所の電気や水道は使用しないこと、ゴミはすべて持ち帰ること、そして後片付けと清掃は当然の責務であることなどです。
さらに、作業は手際よく、スマートに行うこと、そして常に笑顔を忘れずに接することの大切さを教えられました。これらの教えを受け、翌日には蓄電池、テント、テーブル、椅子を自ら購入し、次からの活動に備えました。
2月12日、中部臨床宗教師会の事務局の方々2名、坂野会長、そして現在の北原密蓮さんが「夢小屋23」に来訪され、今後の活動方針について意見交換を行いました。その議論の中で、3月から志賀町富来(とぎ)の活性化センター、すなわち避難所において「傾聴カフェ」を開始することが決定されました。活動に必要な物品として、テント、蓄電池、テーブル、椅子などが挙げられましたが、私は不足分が予想されるテーブルと椅子のみを追加で準備することとしました。また、活動の主催は地元の「夢小屋23」が担い、共催として中部臨床宗教師会が加わる形で、「カフェ・デ・モンク」を大垣、名古屋、三重と順次開催していく方針が定められました。
この方針に応じて、私は今年一年の行動指針を明確に定めました。すなわち、中部臨床宗教師会の活動日程を最優先とし、自らの行動をそれに合わせて展開することを決意したのです。震災支援における臨床宗教師としての役割を深く自覚し、志をもって取り組む覚悟を新たにいたしました。
次に、各現場への臨み方について報告いたします。まずは、志賀町富来(とぎ)地区に設置された第二および第四仮設住宅への取り組みについてです。
当初、避難所に被災者が居る場合には、すべて志賀町役場総務課を通じて、開催希望日時や参加予定人数、活動内容などの詳細を申請し、許可を得る必要がありました。そのため、私は日本臨床宗教師会のパンフレットと、活動報告が掲載されたニュースレター第15号を役場に提出しました。このニュースレターには、中部臨床宗教師会の支援活動の様子が記されており、併せて東北大学の実践寄附講座が始まって10年を迎えたことに関する資料も持参し、臨床宗教師の活動の背景と意義について丁寧に説明いたしました。
しかしながら、仮設住宅の「お世話役」については個人情報の観点からすぐには教えていただけず、何度か説明を重ねる中でようやく第二・第四仮設住宅の担当者をご紹介いただくことができました。早速、両名と面談を行い、同様の資料をお渡しして協力をお願いしたところ、私自身が名古屋に単身赴任していた約30年の間に私と関係のある方々を知っている方が多く、結果として非常に協力的な対応をいただくことができました。
実際には、志賀町富来地区の仮設住宅への入居は、5月の連休明け頃から始まりました。そして、7月頃からは、志賀町役場総務課から社会福祉協議会の「支え合いセンター」へと管理が移管されることとなりました。こうした行政との連携を通じて、臨床宗教師としての活動の場を着実に広げていくことができたと感じております。
次に、輪島地方での活動について報告いたします。3月から5月にかけて、志賀町富来(とぎ)の活性化センターにて、ボランティア活動を含む「カフェ・デ・モンク」を計4回開催しました。その頃から、「富来だけでよいのか」「奥能登にも行きたい」「輪島にも支援を届けたい」といった声が上がるようになりました。
中部臨床宗教師会の会員であり、その同級生でもある方が、輪島市で歯科医院を営みながらボランティア活動をされているという方をご紹介いただきました。早速その方に連絡を取り、歯科医さんのご都合に合わせて訪問の予定を調整。(必要な資料は事前に郵送し、準備を整えました。)
5月13日に笹谷歯科医さんを訪問した際には、すでに輪島支え合いセンターのPBV(公益社団法人 ピースボート災害支援センター)と連携されており、活動開始にあたっての助言をPBVに求めることができました。PBVからは、現地で活躍されている岸氏(浄明寺副住職)をご紹介いただくこととなりました。
浄明寺を訪問した際、岸氏はご不在でしたが、資料を即座に送付し、改めて訪問する旨をお伝えしました。
その後、9月21日に豪雨が発生。当日私は三重県伊勢うどんの方々とともに志賀町とぎ第4仮設住宅 防災センターで炊き出しのボランティア活動に参加しておりました。豪雨が収まった24日頃、岸氏に電話をしたところ、自坊裏の土砂崩れの対応に追われているとのこと。その際、「中部臨床宗教師会として独自に活動を始めてはどうか」との助言をいただき、大きな後押しとなりました。
この言葉に背中を押され、10月27日、輪島市マリンタウン第二仮設住宅にて初めての活動を実施しました。24日、岸さんの状況をお聞きし、放っておけないという思いが募り、9月25日にはわずかの新米と焼酎を持参して、浄明寺と笹谷歯科医を再訪しました。
浄明寺の住職は、裏手の崖崩れ現場を案内してくださり、「昭和34年以来、60年ぶりの大洪水である」と語られました。岸副住職は、4トンダンプに乗り、背中に土泥水を積み込みながら多くのボランティアと共に活動されており、その姿に深い敬意を抱きました。お忙しい中でのご対応に感謝しつつ、現地を後にいたしました。
三つ目の現場として、珠洲市への支援活動について報告いたします。奥能登への支援をさらに広げたいという思いから、8月末、建築業を営む友人に相談を持ちかけました。彼は穴水や輪島方面に頻繁に通っており、震災後も復旧工事の依頼を受けて活動していたため、珠洲に関する情報を得られるのではと考えたのです。
その友人から、小松に住んでいた頃の中学校時代の恩師が珠洲の仮設団地に入居しているとの話を聞きました。すでに8月末時点で10回以上見舞いに訪れているとのことで、次回の訪問に同行させてもらうことにしました。翌日曜日、資料一式を持参し、恩師に臨床宗教師の活動について説明を行いました。
この恩師は、元学校教員であり、民生委員を四期連続で務められた方で、珠洲原発反対運動にも27年間取り組まれ、最終的に計画を阻止されたという経歴を持つ、地元でも人望の厚い方でした。そのような方との出会いを通じて、地域との信頼関係を築く第一歩となりました。
帰路の途中、社会福祉センターに立ち寄ったところ、日曜日にもかかわらず事務局長が在席されており、「ささえ愛センター」の担当者をご紹介いただくことができました。これを契機に、第一回目の活動時には「砂山先生」と呼ばれる方が参加され、現在に至るまで珠洲訪問のたびに連絡を取り、すべての会でご協力をいただいております。
珠洲での活動は、地域の方々との信頼と連携を基盤に、臨床宗教師としての支援を着実に広げていく貴重な機会となりました。
最後に、ケアに関する課題と、私自身が目指すところについて述べさせていただきます。私は、自宅の納屋を改装して「夢小屋23」を設け、訪れてくださる方々に、ほっこりとした暇なたたずまいの提供をと考えているそんな折に、能登半島地震が発生し、地域の状況は一変しました。
「お天道様はいつも見てくれているに違いない」と信じている自分にとって、自然なるがままに従って、「自分ができるだけのことにがんばれ」と言われているのではないかと思いながら、誰かが何かを始める前から手助けをさせていただく。進行中の物事を見守り、必要に応じて支援をさせていただく。それから愛と敬意をもってお世話させて頂くことが、私の役割であると考えています。
遠方から能登の被災地へ足を運んでくださる臨床宗教師の皆様や支援者の方々には、まず心からの感謝を申し上げたい。そして、夢小屋を拠点に、心地よく傾聴カフェへ向かっていただき、活動を終えた後には安全にご自宅へ戻っていただけるよう、心を込めたおもてなしを心がけて臨んでおります。
このような思いを胸に、私は臨床宗教師として、そして地域の一員として、今後も支援とケアの実践に取り組んでまいります。
島薗進(司会・宗援連代表):
夢小屋23の活動について、志賀町役場健康福祉課との連携のもと、災害前から若年性認知症のカフェが運営されていたとのことですが、その経緯について簡単にご説明いただけますか。
松本:
夢小屋23を設立したのは、田舎に戻って臨床宗教師として活動するにあたり、地域の方々に理解されにくいのではないかという思いからでした。無料喫茶を開き、近隣の高齢者が気軽に立ち寄れる場を作りたいと考えました。沼口医院での学びを活かし、コーヒーやお菓子だけでなく、バターの香りがするパンを提供したいと思い、愛知学院大学での養成講座の傍ら、NHKのドイツパン講座や農協のバターパン講座に参加し、女性に交じってパン作りを学びました。
その活動を通じて、臨床宗教師の実践報告に触れ、半田市で健康福祉課と連携して傾聴カフェを行っている事例を知りました。そこで、地元に戻った際に町長を訪ね、日本臨床宗教師会のパンフレットやニュースレターを持参し、町営病院の存在も踏まえて説明を行いました。
開所式後には、介護に従事する方々が夢小屋を訪れ、「私たちの活動と同じですね」との声をいただきました。その流れから、春には健康福祉課より「認知症カフェとして夢小屋を使わせてほしい」との申し出がありました。役所の施設では敷居が高く、認知症の方々が入りづらいという課題があったため、夢小屋のような場が求められていたのです。
初期の2年間は、若年性認知症の男性とその家族が利用され、特に介護を担う母親の負担が大きいことが明らかになりました。昨年春からは、若年性認知症の女性が2組加わり、今度は男性の家族が「毎日が大変だ」と語るようになり、現在では3組の利用者が継続的に参加されています。
島薗:
本日のご報告に登場した北原氏は元学校教員、松本氏は元社長と伺っています。臨床宗教師の中には、セカンドライフ的な宗教者もおられ、日野氏や高柳氏のようなプロの宗教者とは異なる、在家と宗教者の中間的な立場の方もいます。日本の宗教界には多様な背景を持つ方々が存在し、地域社会との関係性を活かした臨床宗教師会らしい活動が展開されていることに、改めて意義を感じました。ありがとうございました。
山根陽一(文化時報):
被災者の中にも認知症の方がいらっしゃると思いますが、何か特徴的な傾向などはありますか?
松本:
被災によって症状が悪化することは確かにあります。若年性認知症の男性利用者は、震災後に「OB会のような場として夢小屋に行きたい」と希望され、昨年5月と今年6月末に顔を出してくれました。「震災は仕方ないけれど、ここに来ると嬉しくなる」と語ってくださり、言葉の理解は難しくなってきているものの、喜びの感情ははっきりと伝わってきます。
地震に対しては、「誰がやったわけでもない」と受け止めておられるようで、そうした自然災害に対する素朴な理解と、夢小屋での安心感が結びついているのだと感じています。
以上