真宗大谷派西照寺僧侶、こまつ子ども食堂代表
日野史さん
真宗大谷派西照寺僧侶、こまつ子ども食堂代表
日野史さん
第42回 宗援連情報交換会 「能登半島地震支援活動のその後の展開」
2)日野史さん(真宗大谷派西照寺僧侶、こまつ子ども食堂代表)
私は真宗大谷派西照寺に所属しております。石川県小松市、南加賀の地域に位置する寺院でございます。姉が住職を務め、私はその補佐役として活動しております。また、「こまつ子ども食堂」の代表として、七年間にわたり地域の子どもたちの支援活動を継続してまいりました。
本日は、私どもの活動についてご報告させていただきます。冒頭に、子ども食堂の紹介を目的として制作したビデオをご覧いただきました。こちらは海外の支援者の方々に向けて作成したものであり、全編英語字幕となっております。特に、インドの団体からのご支援を受けたことを契機に、活動の様子を広く伝えるために制作されたものでございます。
私は寺院の活動と並行して、地域の子どもたちの居場所づくりに取り組んでまいりました。そのような中、昨年1月1日に発生した地震では、小松市も震度五強の揺れに見舞われました。震源は能登地方であるとの情報を受け、私にできることを模索し、SNSを通じて支援物資の呼びかけを行いました。毛布、衣類、おむつなど、必要とされる物資を全国の皆様からお寄せいただき、多くの仲間たちとともに支援体制を整えました。
また、現地の状況を把握するため、友人の僧侶や知人を通じて、今何が求められているのかを丁寧にヒアリングいたしました。その中で、輪島中学校において約1500人が避難生活を送っているとの情報を得て、炊き出しの要請を受けました。時間的な制約がある中で迅速に準備を進め、仲間たちとともに1月6日から三日間、現地に赴きました。通常であれば二時間半ほどの道のりを、六時間かけて現地に到着し、炊き出しを実施いたしました。
こちらの写真は、最初に炊き出しを行った際の様子を記録したものでございます。1500人分の食事を準備し、避難所となっていた体育館では、発災直後ということもあり、プライバシーの確保もままならない状況でした。物資は届いていたものの、現場で対応されていたのは輪島市の職員五名のみであり、非常に過酷な環境の中で懸命に活動されておりました。
私どもは十名の少数精鋭で現地に赴き、まずは炊き出しの場を整えることから始めました。事前には僧侶仲間をはじめ、様々な方々にヒアリングを行い、どのようにして能登へ入ることが可能かを模索いたしました。当時、県からは「来るな」という指示が出ており、検問も設けられていたため、単に「子ども食堂の炊き出しです」と申し出ても通過は困難と判断いたしました。そこで輪島市と連携を取り、正式な許可証を取得し、それを携えて現地へ向かった次第でございます。
この経験を契機として、私どもは「御用聞き支援」を開始いたしました。現在も週に一度ほど、五〜六名のチームが編成され、避難所や支援住宅などを訪問し、「今、何が必要か」「足りないものはないか」といった声を丁寧に拾い上げております。
避難所にいる方々にはお弁当が届くものの、車中泊をされている方々や周辺に住まわれている方々には行き届かない現状がございました。しかし、地域コミュニティの結束力により、例えば一つの避難所に物資を届けた際には、30世帯分を代表者が預かり、必要な方々へと声をかけて配布するという仕組みが自然と形成されておりました。こうした地域の力に支えられ、珠洲市では避難所を一つひとつ巡る支援活動を展開いたしました。
七尾市までは物資が届いていたものの、各所で不足しているものを補うべく、私どもは運搬と配布を担いました。写真にあるように、私は黄色いジャンパーやTシャツを着用しておりましたが、これは検問を突破するための工夫でもありました。子ども食堂の名では通過が難しかったため、赤十字の資格を持つ仲間の協力を得て、赤十字の名を借りて活動を行った経緯がございます。
こうした支援活動を通じて、多くのご縁が生まれました。今でも交流を続けている方々もおられます。例えば、支援住宅に入居された方の様子を見に行ったり、避難所でのヒアリングを行ったりと、現地の方々との関係を深めてまいりました。珠洲市蛸島の保育園では、二人の幼い子どもたちが避難所のアイドルのような存在となっており、周囲が大人ばかりの環境の中で、彼女たちにおもちゃを届けるなどの支援も行いました。
ある日、地元の方と連絡を取る必要があり、名刺をお渡ししたところ、そこに記載された「真宗大谷派西照寺僧侶」という肩書きを見たご年配の方が、「あんた、お坊さんやったんか」と驚かれました。それまで赤十字の人間だと思われていたようで、「そろそろ法話が聞きたいんや。お参りがしたいんや」とのお言葉をいただきました。その一言が、私にとって大きな気づきとなり、新たな活動の始まりを予感させる出来事となりました。
現地では「子ども食堂」として活動している旨を伝え、赤十字の服を着用して支援にあたっておりました。しかしながら、私にはもう一つの顔、すなわち僧侶としての立場がございます。この立場をより大切にすべきではないかと考えるようになり、その後、活動の幅を広げてまいりました。
まず小松市において、自分の寺院を開放し、音楽ライブを開催いたしました。これは、募金を募り、支援金として届けることを目的としたものでございます。また、市と連携し、物資の配布会も実施いたしました。物資の多くは私どもが持ち込み、地域の方々にお届けすることができました。
さらに、加賀温泉郷には、みなし避難の方々が多くいらっしゃいました。そうした方々に向けて、仲間とともに散髪の機会を設けるなど、生活支援にも力を注ぎました。小松大学の学生たちが卒業を迎える三月には、不要となった家財道具が出ることを見越し、それらを仮設住宅へ移られる方々に届ける取り組みも行いました。
寺院では音楽活動も展開しており、私はミュージシャンとしての顔も持っております。仲間とともに輪島や小松市で音楽を届ける活動を行い、チャリティーとして支援金を募ることもいたしました。炊き出しは数え切れないほど実施し、企業様からも多くのご協力をいただきました。「我々も支援に行きたいが、場を設定してほしい」との声に応え、場の調整や案内、チラシの作成・配布なども担いました。
仏教青年会の全国の仲間たちから要望があった際には、場のセッティングを行い、活動の橋渡しをいたしました。企業様からケーキの提供を受けた際には、私は僧侶でありながらサンタクロースのコスプレで、子どもたちに笑顔を届ける活動も行いました。
また、大阪大学の稲場圭信先生とご一緒させていただき、「むすびえ」様のご紹介を通じて、5月17日大阪・関西万博会場内でのイベント「宗教施設におけるこども食堂と防災・復興支援」に登壇の機会を頂戴いたしました。この経験は私にとって非常に意義深いものでありました。宗教施設がいかにして地域に貢献できるか、宗教者がどのように動いていけるかという視点からお話をさせていただきました。
しかしながら、子ども食堂の活動においては、寺院を場とすることから、政教分離の問題に常に配慮を要します。申請の際には「宗教的活動は行いません」との誓約書を提出し、宗教色を極力排除するよう努めてまいりました。そのため、法衣を着て公の場で話すことに対して、葛藤を抱えながら臨んだこともございました。
万博の場では、政教分離の問題に加え、寺院における女性の役割についても言及いたしました。寺院を地域活動の場として開放するには、寺院に関わる女性たちの理解と協力が不可欠であることを訴えました。また、私の寺院も地震による被害を受けており、未だ修復が完了しておりません。建物自体が古く、耐震性に乏しいという課題も抱えております。
私は、思いついたことは何でも実行に移す性格です。写真にございます「笑語(わらかた)ひろば」は、東京のNPO法人クロスフィールズ様から「ぜひ法話を届けてほしい」とのお声かけをいただいたことがきっかけで始まりました。これを機に、金沢別院のご協力を得て、金沢市およびその南側に避難されている方々に通知を出し、心を癒す法話のひとときを提供する場を設けました。
この法話会には、「H1法話グランプリ」という宗派を越えた研鑽の場で出会った仲間たちにもご参加いただき、毎回、心に響く法話を届けております。次回は8月26日に開催を予定しております。こうした活動は、思いつきから始まったものでございますが、声をかけていただき、場が整えば、今後も法話を届ける場を積極的に創出してまいりたいと考えております。
また、写真右側のチラシにございます通り、私が本当にやりたかったことが形になったと感じたのが、「能登地震被災者支援 食材支援パントリーと尼CAFÉと音楽の時間」でございます。小松市内に避難されている方々を対象に、自身の寺院である真宗大谷派西照寺を会場として開催いたしました。
このイベントでは、私の得意分野である食材支援を中心に、カフェ形式でお菓子を提供し、ほっと一息ついていただける空間を設けました。さらに、ミュージシャンの方々による「音の時間」を通じて、楽しみのひとときも提供いたしました。今後もこの取り組みを継続的に実施していく所存でございます。
こちらは、地域の防災士の方々にもご協力いただき、緑のビブスを着用してお手伝いに入っていただいた様子です。参加者の皆様とともにお話を伺い、支援の輪を広げることができました。
最後に、私の現在の課題について申し上げたいと存じます。私の現在の課題について、三つの視点から申し述べさせていただきます。
現地の状況は刻々と変化しており、能登方面の皆様もそれぞれ異なるフェーズに移行されております。寺院の再建に向けて動き出された方もいれば、仮設住宅で今後の生活に不安を抱えておられる方、さらには遠方のみなし住宅に避難されている方々もいらっしゃいます。こうした多様な状況の中で、私自身が今、本当に取り組むべきことは何なのか、迷いを感じているのが正直なところでございます。お声かけをいただければすぐに動ける体制は整えておりますが、支援の方向性を見極めることが、今の私にとって重要な課題でございます。
能登で活動すべきなのか、小松で継続すべきなのか、あるいは金沢や他の地域なのか――その選択もまた、私にとって大きな課題となっております。支援の期限や地域の選定について、明確な答えを持ち合わせていないことに、葛藤を感じております。
私自身の強みを生かし、子ども食堂という場を寺院で開くことにより、私だからこそできる支援を実現していきたいと考えております。寺院という場が持つ安心感や、地域とのつながりを活かしながら、今後も活動を展開してまいりたいと存じます。
以上をもちまして、私の発表を終えさせていただきます。ご清聴、誠にありがとうございました。
島薗進(司会・宗援連代表):
日野さん、ありがとうございました。私も二年ほど前、クリスマスの時期に小松の子ども食堂の集いを拝見させていただいたことがございます。お寺として非常に早い段階から子ども食堂に取り組まれ、今回の能登の被災地支援においても、多様な形で活動されていることがよく伝わってまいりました。それでは、参加者の皆様からご質問をお受けしたいと思います。
稲場圭信(大阪大学・宗援連世話人):
日野さん、本日はありがとうございました。万博でも素晴らしいお話をいただきましたが、特に本日のお話の中で印象的だったのは、僧侶としての立場をどのように現場で活かすかという点でした。政教分離の問題もある中で、(昨年)1月7日に能登里山街道の検問を通過する際には、赤十字のシャツを着用し、輪島市からの許可を得て活動を開始されたとのことでした。その後、現地で「法話が聞きたい」という声を受けて、宗教者としての活動にスイッチが入ったという経緯も伺いました。
宗教者災害支援連絡会でも、政教分離の原則については常に議論されており、「布教を目的として被災地に入らない」というのが大前提である一方で、被災地で宗教者の存在が求められる場面も多くあります。お坊さんの話を聞きたい、お墓の相談をしたいという声に応えることは、宗教者ならではの重要な役割であると考えております。日野さんは非常に慎重に活動されてきたと感じておりますが、これまでの能登での活動において、行政や社会福祉協議会から「宗教的活動は控えてほしい」といった要請を受けたことはございましたか?
日野:
そのような要請を受けたことはございません。ただ、仮設住宅が建設された際、すべての場所に集会所が設置されましたが、その集会所で追悼法要やお参りを行いたいという希望があったと伺っております。輪島市では一部の僧侶が積極的に働きかけ、それが受け入れられたと聞いておりますが、珠洲市ではなかなか理解が得られず、現在も数か所で宗教的活動が認められていない状況があるようです。能登は「土徳(どとく)」の深い地域であり、日常的に手を合わせる文化が根付いております。そうした地域性を大切にしながら、皆様とともに場をつくっていければと願っております。
稲場: ありがとうございます。今後、行政や地域との連携において、うまくいった点や課題がございましたら、ぜひ宗教者災害支援連絡会にも共有いただければと思います。本日はありがとうございました。コンサートも頑張ってください。
日野:ありがとうございます。頑張ります。
島薗:
今、「土徳」とおっしゃいましたが、「土の徳」と書いて「土徳」ですね。東日本大震災の際にも、都内から多くの方が相馬に移られ、「土徳」という言葉が語られるようになりました。真宗の方々も多く移住され、今日のお話を伺っていても、能登に「土徳」という言葉がふさわしいと感じました。
一点、私からも質問させてください。先ほどご紹介のあった「笑語(わらかた)ひろば」についてですが、これは落語広場のようなものなのでしょうか?
日野:
「笑語ひろば」は、場を変えながら何度も開催しており、その中で法話を聞く会を継続的に行っております。企業様からのご支援をいただきながら、つながりを大切にし、活動を広げてまいりました。
島薗:
先ほどのチラシには小松での開催が記載されていたと思いますが、能登での開催はどのようにされていたのでしょうか?
日野:
「笑語ひろば」の資金は、NPO法人クロスフィールズ様が広域避難者支援のために確保されたものであり、現地では使用できないという制約がございました。そのため、地域が限定されており、私が預かって自分の寺院で開催した際も、「小松であれば支援金を出します」との条件がありました。オリックス財団様からのご支援もそのような形でいただいております。こうした制約があることは事実でございます。
島薗:
子ども食堂もライオンズクラブなど実業界の方々の協力を得て運営されており、そうした支援が被災地支援にも展開されている点が非常に興味深く感じました。ありがとうございました。
日野:
ありがとうございます。今後も頑張ってまいります。
以上