ホーム 人間存在研究 http://www.eonet.ne.jp/~human-being/ 人生の意味を考える
☞「人間とは何か?」 Q&A 心とは何か? やさしい人間存在論
――人間とは、言語(言葉)を獲得した生命(動物)である。人々が人生に対して悲観論を持つか楽観論であるか、また性善説を採るか、性悪説を採るかは、「人間とは何か?」の解答にはならない。科学的な人間観は、個々人の願望や人生観・価値観には左右されない。「人間とは何か?」という問に対しては、まず生物学的解明が先行して、次に哲学的思考や想像・価値観が必要となる。人間は言葉をもつことによって、「自らの存在を意味づけざるを得ない存在」になったのである。なぜか?人間は言葉によって初めて、「なぜ?」「何のために?」という人間と世界の存在や行動の意味を考えるようになったからである。
また 「人間とは何か?」を考えるには、まず人間を他の動物から区別する「言語」とその機能(「生命とは何か?」を含む)について考え、ついで「人間(自分)は、いかに生きるべきか?」「何のために生きるのか」を考えるのが順序だからである。――
―― 人間とは言葉を獲得した生命です。その言葉を用いて自己と世界を創造的に記号化し、損得・正邪・善悪を選択・判断し、人生を意味づけ合理化しながら生きています。――
今、あなたの心(頭・脳)の中で、「人間とは何か?」という問に対して、どのような言葉が、どのように駆けめぐっていますか?
わたしたち人間は、欲求を満たし、目標を実現するために、日常的な行動を取るときには、ほとんど意識することなく言葉を使っています。しかし、自分の思いが簡単にかなわないとき、「何が?」「なぜ?」「どうして?」(問題意識)と、今まで経験・蓄積してきた情報(データ、イメージ)を、あらためて言葉で取り出し、それらを再構成して問題解決をはかります。それは、わたしたち人間が、この世界をすでに言葉によって理解し、(子どもの場合は成長とともに)意味づけ知識化し、お互いの意図を伝達し合っているからです。
幼い子どもは、大人と一緒に行動するときだけでなく、一人遊びをするときに、どれほど言葉を駆使しながら世界をイメージし、自分をコントロールしているか観察したことがありますか。食事のたべかた、トイレの訓練、遊びのルール等々言葉なしで人間の生活も成長もありません。人間は言葉とともに人間らしい心を育てているのです。
人間の本質は言葉です。人間は言葉によって意図を伝達し、思考し、創造し、世界の中に自らを位置づけ、自らの行動と人生を意味づけながら生き、そして、子孫に文化を継承して、自らの一生を終えるのです。あなたは自分の一生をどのように意味づけますか?自分の人生を価値あるものとするため、ともに考えていきましょう。
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★ 人間とは何か? 人間は何のために生きるのか?
人間についての正しい問いの立て方(心を強くする方法)が、あなたの人生を豊かで有意義なものにします。たとえば幸福な人生を求めるとしても、幸福には生活での安楽さや快適さ、日常行動における感覚的な喜びや驚き、趣味についてのワクワクする計画や期待、仕事についての自信や誇り、その場その場の感動や感激など多様・多彩であることは、誰もが経験していることです。友達と楽しく語り、美味しいものを食べ、美しい自然を愛で、無病息災のうちに日々の生活を送ることなど、人それぞれの経験や価値観に応じて人生を幸福に感じること は感謝すべきことです。
しかし、健康や生活資金に心配があり、家族の状況や仕事の行き詰まり、老後をどう生きるかなどわれわれの置かれている状況によって、幸福の在り方は大きく異なり、またものの見方や考え方によっても幸福の感じ方が左右されることが多いものです。――そこで、死に臨んでも怯えず恐れず、後悔のない人生を送るために、そして、より「永続的な幸福」(「ブッダのことば」と科学)を得るために、人生に対する「問いの立て方」を、一度根本から見直してみてばどうでしょうか。10歳からでも早くはないし、80歳からでも遅くはありません。 「人間とは何か?」「人間は何のために生きるのか?」「どうすれば充実した豊かな人生が送れるのか?」などについて考え直してみてはどうでしょうか?
そうすれば、マーク・トウェインの『人間とは何か』の「人間とは機械である」という議論が、いかに偏狭で底の浅いものであったのかが理解できるようになるでしょう。当研究所の「生命言語理論」は、ゴータマ・ブッダ(シャカ、釈尊)の 『ブッダのことば』 ((中村元 岩波文庫)をベースにした思想です。人間が心強く生きるには、単に現実に適応的に生きるだけでなく、「永続的な幸福」を得ようとすることによって可能になります。そのためには、自他の違いを強調することよりも、まず生命と人間の共通性(普遍性)に気づき、それらを追求していくことが必要になります。そしてその先に、人間とは何か? 人間は何のために生きるのか?の答が見えてくるのです。
★ 人間は、自己と世界(自然と社会)を言語化し、それらすべてを「言語的に意味づける」ことによって生きています。
言語的に意味づけるとは、「いつwhen、どこでwhere、何がwhat、どのようにhow、なぜwhy」(5W1H)等の疑問を解明し、空想を含むすべての対象の関係を文法に従って表現することです。言語的表現は、文として知識や法則となり、自然現象の理解と利用を効果的に行い、自己の価値観や行動、そして社会関係の規制を行います。言語の理解は、人間や自然や社会の認識、そしてすべての学問の基礎(認識論)となります。 「人間とは何か」の疑問に答える生命言語説( (LWT)とは)は、今まで解明できなかった哲学を中心とする学問上のすべての難問(アポリア)を解決します。
人間存在研究所は、過剰な競争と浪費の推進によって自己を見失い、傷つき病んだ人間の心を癒し、経済の物質的拡大成長によって崩壊しつつある社会(縮小社会)の絆を修復し、自然破壊を抑制して持続可能な社会の創造を目指した研究を進めます。そのためにまず人間存在の本質を究明します。人間の本質は言語です。この事実の気づきから現代社会の諸問題のすべてを解明します。まず生命とは?から始めます。
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☆ 人間として生きるとはどのようなことなのか (Q&A 人間と社会)
人間が社会に主体的に関わる条件とは何か、
今日の時代の閉塞状況は西洋思想の限界に由来するのではないのか、
われわれの子孫に生命のための美しい地球を残すにはどうすればよいか、
今,哲学の存在意義が問われています。
時代はイデオロギーの終焉から、イデオロギーの再生・創造へ
◇ チャレンジしてみませんか――人間とは何か、人間はこれからどうなるのか、
われわれは今どうするべきなのか、共に考えてみましょう。
人間が道具を造り、火を用い、文化を創造できるのは「言語」の情報構成力から・・・・・。人間世界と心を再構成し、認識力を高め、知識と世界を拡大し、行動を操り世界を変えるのは言語の力。さて、あなたは言語の力を、思考や情報の「伝達だけ」だと思っていませんか? また、生きるに値する人生とは・・・・?
★ やさしい人間存在論 Q&A まとめ――人間生命と言語と社会とは
★ 人間と類人猿(高等動物)との違い・チンパンジー研究の限界――思考と言語
★ 新しい人間の歴史と文明の展開のための概念――生命言語説とは何か
★ 言語論の革新と西洋思想批判の論述――「人間存在論」を読もう
* 今日の言語学・哲学(意味論)と経済学・倫理学(価値論)は、ともに西洋思想(特に西洋的認識論・思考様式)の限界を共有している。両者(意味論的・価値論的知識)は、共に人間と人間との意思疎通を前提にした「観念的信号」によって構成されているが、その観念性が主観的なのか客観的なのか、また主観と客観の相互の関係性はどうなっているのかが混乱していて結論が見いだされていない。この認識論上の難問 (人間にとって知識とは何か)は、生命言語説によってはじめて解明される。
☆ 生命にとって言語とは何か? おすすめ!⇒やさしい人間存在論(2)
それは生命の生存様式、人間の生き方そのものに関わるものである。
つまり、生命にとって生きるとは、個体と種の持続的生存の欲求を満たすために、様々の問題を見いだし、解決していくことである。人間は、そのための情報を、言語記号化することによって思考し、伝達し、記憶し、文明を築いてきたのである。
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◇ 自分の心を知ろう ― 心の探究は楽しい ―
心のしくみは、次の3つの要素でできています。
生きたい、生き続けたいという生命共通の欲求
好きか嫌いか、快か不快か、良いか悪いかという選択の感情
そして、欲求と感情に意味づけし、行動を方向付ける人間特有の言葉
これら3つの要素を、あなたの心の中に発見してください
――人間存在の本質すなわち、人間の心を構成する欲望と感情と言葉の解明から、
わたしたちの生活、文化、経済、政治、そして幸福を考えよう――
――言葉をもつ生命としての人間存在は、因果を超える縁起主義によって、
その本質がはじめて明らかになる。――
――その昔、人間は幸福であるために神や仏、天国や極楽浄土を想像の世界に必要としました。
しかし、人間の言葉と心の本質を知った私たちにはその必要はありません。今必要なのは、
人間存在についての正しい知識と行動です。まずは自分の心について知りましょう。――
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◇ 縁起的認識と因果的認識(やや難しい)
・ 東洋的な 縁起的認識は、バランスと現状持続性、つまり自然との一体化(物心一如)・相互依存性(相依性)を重視します。西洋的因果的認識は、単線的な目的追求と発展性、つまり自然の合理性と支配を重視し、人間の認識能力の相対化が回避されます。縁起的因果認識には、始まりと終わりがなく、永遠と無限の運動があります。単線的因果認識には、始まりと終わりがあり、永遠と無限は単なる目的(終わりend)にすぎません。
その結果、縁起的認識では、宇宙・自然の中に、生命・人間主体を相対化し安住できますが、単線的因果認識では、宇宙・自然を人間の支配するべき対象としてのみ認識し、対象との永続的一体化に親和性を認めません。
仏教の縁起は、因縁生起の略で、因縁の因は主因、縁は補助因または相互依存性を示します。
言語的・理性的認識は、因果的認識に片寄りやすく、言語的・感性的認識は、縁起的認識を基本にしています。人間には両者の認識が必要ですが、生命と人間の本質を見抜くためには、縁起的認識が必要です。生命進化は、弁証法的発展や進歩ではなく自然環境の多様性に対応した、生存形態の多様化に過ぎないのです。
自然や人間を含めた世界の構造は、差異(多様性)と普遍(共通性)をもとに相依性(縁起)の運動によって成立している。人間の認識は、言語的認識の限界(偏見性)によって、この世界の複雑・多様な実相を二項対立的・弁証法的(円環的・発展的)に単純化してしまう傾向があるが、この限界を自覚することによって生命と人間にとっての真知に達することができる。
※参照⇒ 「古典的モデルのように、たがいに一義的に決定しあっている決定要素をもつモデルは、けっして自然に忠実なものとはなりえない。 // いまや新理論によって、古典的モデルは、決定要素間の相互依存関係を再現するためには不適当である。」(シュレーディンガー『量子力学の現状』井上健訳 「世界の名著66」)
⇒ 人間の心のなかの因果関係は、欲求と感情と言語(心の三要素)の間の相互依存(相依)関係にある。相依関係とは、「此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」という仏教的縁起のことであり、心の三要素は、強弱・敏鈍を伴って認識と行動に多様な個性的様相をもたらす。
※ 縁起的認識と複雑系科学: 縁起とは、複雑系(complex system)とほとんど同義です。古典的な西洋的認識は、直線的因果認識でしたが、今日の複雑系認識論は非線形の相互作用(interaction)を重視し、仏教の縁起的認識における相互依存(relative reliance)関係の立場と相似しています。しかし、相互作用は因果的対立を残存させているのに対して、相互依存関係では対立を含みつつも因果関係の全体を調整しています。複雑系科学では、数学的論理性を重視しますが、縁起的認識では、論理を越えた無限性・無常性を前提として生命という認識主体から論理を始めます。論理は生命から独立して存在するのではないと考えます。因果関係の認識は、生命の生存(刺激反応性)という観点から出発します。
********************************************************************************************************** * 違いよりも共通点で世界平和を築こう!
共通のものを
ぼくも
君とおなじように
泣き、そして笑ったことがある
君とぼくと――
そこには、いろいろのちがいもあるが
しかしそれは、へだたりではない
われわれは
小さなことでは、ちがっているが
大きなことでは、みんなおなじだ
われわれを、ちがわせているものも
かぎりない人生の真実によって
われわれみんなに共通の真実によって
一つの全体につながっている
人生への希望と
人間のすばらしさとによって
一つの全体につながっている
ヨハンネス・ベッヒャー(ドイツの詩人)
篠原正瑛 訳
仏も昔は凡夫なり 我等も終には仏なり
いづれも仏性具せる身を へだつるのみこそ悲しけれ
『平家物語 巻第一・祇王』
住む家は小さくとも、
私たちにはみんなで共有する大きな自然がある。、
自然は、私たちに優しいことばかりではないけれど
私たちを生かしてくれる、かけがえのないふるさと。
喜びも悲しみも、偉大も醜悪も、過去も未来も
すべてを包み込んでくれる永遠のふるさと。
この自然の中で、人間として生きるとはどのようなことなのか?
◇甘えない・諦めない・曖昧にしない――自立と成長のための必要十分条件
「無知の知」 「これを知るはこれを知ると為し、知らざるは知らずと為す。これ知るなり。」(論語為政)
――難しいようでも、誰にでもできること、それは正しい情報・知識を持つこと――
善き生命、善き人生、今日も明日も、生ある限り永遠に。
私の人生、あなたの人生、苦しさを越えてすべての命に幸多かれ。
地上に共生する生命の息吹と躍動と煩悩を感じとり、
新たな人類の歴史を築いていこう。
――そのために人間として生まれたことの意味を、
つまり、言語をもつ生命について考えてみよう。
まず自分(私)について知ることは、
人間つまり生命と言語の起源とはたらきについて知ること・・・・。
そして、自分の社会と文化の歴史と役割を知ろう。
さらに自分の家族と地域と民族について知れば盤石だ。
私達は自信を持って前進することができる。
人生を大いに楽しんで生きることができる。
――しかし・・・・この先、本当に豊かで安楽な生活できるの・・・・・?
<下へ続く>
*「見ざる聞かざる言わざる」 では人間は成長しない *
<上からの続き>
――それでこの先、本当に豊かで安楽な生活できるのかって?
そう、自信をつければ思わぬ力を発揮できるようになるのです。
思わぬ力を発揮するとは、人やものごとに対する認識能力が向上し、
それによって、解決能力や創造力が高まり、
解決目標が明確になることによって、不安や迷いが無くなり、
よりすぐれた行動力や仕事力・生産力・生活力を発揮できるようになるのです。
――おわかりでしょう、金を儲けることだけが人生ではなく、
大地の上で自然と共に生きることも可能であり、
企業を興して商品製造や商売によって生計を立てることも可能であり、
企業に雇われて金を儲けて趣味に生きることも人生です。
いずれにしても、自己の認識力や洞察力を高め自信を持つことが、
日々の生活や人生を豊かに送るための必要条件なのです。
――善き命、善き人生、今日も明日も、未来まで、命ある限り・・・・・・
私の人生、あなたの人生、すべての命に幸いあれ。
地上に共生する生命の息吹と躍動を感じ取り、
新たな人類の歴史を築いていこう。
そのために、
「人間とは何か」 「人生をいかに生きるべきか」を問うこと、
人間存在のあり方を問うことが必要になります。
そのような問から生まれる答えが、あなたの人生を左右する貴重な知識となり、
あなたの人生を豊かで実りあるものとします。
「人間とは何か?」「私とは何か?」、まずこの根源の問から始めて下さい。
――ただ自信を付けるには様々な方法があります。
世界宗教としての仏教、キリスト教などの数多くの分派宗教、新興宗教、民俗宗教。
世俗人生哲学や処世観、趣味・スポーツ・芸術などの才能、金銭や地位・名誉への執着
なのになぜ、今さら「生命言語説」のようなものを提案するのかって?
それは人間存在研究所が、不断に検証可能な科学的知識をもとめ、
常に異なる見解を大切にし、誰にも共有可能な普遍的真理をめざしているからです。
生命が人間であり、人間が言語とともに滅びない限り、生命言語説は永遠だからです。
「汝自身を知れ」 「知は力なり」 ―For ever onward―
※ 人間存在研究所は
人間として、かけがえのない一生を、ムダな生き方をしないための研究をします。
人間として、人それぞれに価値ある人生とは何かを研究します。
そのためにまず、人間存在とはどのようなものかを研究します。
さらに、 現代社会が、自然破壊や資源・エネルギーの枯渇、経済的利害や国益の対立、宗教や道徳の混乱、社会教育や学問研究の停滞等々の閉塞状況に直面している中で、諸問題の解決のためにまず何が求められているのかを研究します。とりわけ西洋近代の政治経済学の限界と、民主主義の在り方を研究します。
日本文化と国家が、世界とアジアに対してどのような貢献ができるかを研究します。とくに共通の文化定背景をもつ「東アジア共同体」の構築について研究します。偏狭なナショナリズムを克服し、どうすれば日本を道徳文化国家として世界に貢献できる国にするのかを研究します。「東アジア共同体」の構築は同時に、地球世界の永久平和と人類の永続的幸福を保障する「世界連邦」成立の第一歩となります。
当研究所は、人間的自覚にもとづく自立した善良な市民たちの、社会連帯と持続的な幸福をめざします。
未来社会への希望を創る――人間存在研究所 for ever onward of Life & Human Being
生命言語理論(LWT)によって世界の永久平和と万民の永続的幸福をめざす 人間存在研究所
Human Being Insitute for lasting peace in the world and permanent happiness of all people by LIFE-WORDS Theory
人間存在研究所の実践的課題
■ 生命の要請と人間的自覚(生命言語説)にもとづく自立した善良な市民たちの、社会連 帯と持続的な幸福をめざそう。
■人間と社会(関係)の存在原理と諸問題を解明して、それらの活動をコントロールし、問題を是正する方法(新社会契約説)をみいだそう。
■ 西洋中心主義を克服し、国際連合の改組によって新しい人間観と世界観に基づく世界連邦(World federation)を実現しよう。
■ 地球環境問題の唯一の解決方法である欲望の抑制と資源の分かち合い、そして互助の精神を、日本的和と仏教思想によって実現しよう。
――日本的独善と偏狭性からの脱皮
――あまえない、あきらめない、あいまいにしない
問い合わせメール ohebeing1<at>yahoo.co.jp(<at>⇨@)
人間存在研究所(Human Being Institute)
公開セミナー盛況のうちに終了しました。ありがとうございました。
◇ セミナーの内容 「生命言語説とは」 ⇒ プレゼン生命言語説
「新社会契約説とは」 ⇒プレゼン新社会契約説
★☞ 人間は自由でも平等でもなく、この世に生存している。だが、言語的思考(理性)と幸福に生きる権利においては、自由で平等であることができる。幸福への願望は、生命・人間にとって普遍的である。言語的思考によって自らの人生を幸福で意味あるものとすることにつとめよう。
しかし、幸福への道程と内容については、多様性と複雑性(差異性)に覆われている。また、衆生や人間の間では利害の対立やものの見方・考え方についての差異や争いは避けられない。
その中で言語を持つ人間は、幸福な生活と未来についての生き方や社会の在り方について、選択・判断と創造・成長・発展を期待できる。そのような認識・思考能力と相互理解・伝達能力は、言語を持つ人間の優れた能力である。
我々は、衆生を含めた人類すべてのより良き幸福な生存のために、我々自身と社会の在り方について考えを深め、持続可能で心豊かな生活のできる人類社会を築いていこうではないか。
今日のような地球生命と人類社会の危機の時代に、自分自身と社会の在り方について研究を深めよう。人間存在研究所は、そのような使命を自覚して研究と啓発と人間的社会的改善・変革につとめる。
★※「言語を持つ人間」「言語的思考」のできる人間とは、理性を持つ人間、神や仏を創造して人間存在を意味づけ合理化する存在のことである。人間を、理性的存在と位置づけることから、言語的存在と変えることによって、普遍的人間観が創造され、新しい人類の歴史が始まります。