世界経済の縮小成熟

    世界経済の拡大・成長から縮小成熟へ

  今までの世界経済の成長拡大の歴史、すなわち文明の発展・生産力の増大とそれに伴う破壊と浪費の歴史は、とりわけ知的な面では、一方で西洋の合理的知性にもとづく科学技術の発展(功利主義・道具主義)に支えられてきたが、他方では人間存在のユダヤ・キリスト教的解釈と認識論的言語的誤解にもとづく世界解釈の誤った正当化の歴史であった。今や世界史は、人間存在(言語的存在)の真の理解による新たな段階にさしかかっている。それは人間の言語的精神性による物質的生活のコントロールである。

 世界史は二度の世界大戦を経て、世界平和を築くため国際連合中心の協調体制を取ろうとした。しかし、欧米先進国、とりわけ超大国アメリカの利益と覇権維持のため、イスラム圏を中心とした途上国では混乱が続いている。地球経済の拡大は、マルクス主義的社会主義の崩壊後、資本主義の矛盾を抱えたまま国内と諸国家間の格差を拡大し、資源・エネルギー問題や環境問題等の解決困難な課題をかかえ世界平和の実現を困難にしている。今こそ人類は、人間の本質に目覚め、自己と社会の自律と幸福、人類と自然の持続的な共生と平和をこの地上に実現するため、拡大・成長の限界から縮小成長の成熟社会へと創造的な活動をする段階に来ている。

そこで縮小成長の成熟社会である「縮小社会」の理念について検討してみる。大方のご批判を仰げれば幸いである。


   縮小社会の理念と移行問題

       ― 縮小社会ユートピアを考える ―                           研究員 山田 武

1.縮小社会研究の意義

①人類社会の大転換:経済の拡大成長の限界から縮小成長(成熟経済)への課題

②自由放任・利己的経済(格差拡大社会)から道徳的調整経済(互助成長社会)への課題

③縮小社会の理念の確立:物質文明中心から精神的価値(善性・良心・理性)の再構築へ

(※)21世紀は文明の大転換時代。しかもこの大転換は、過去のように征服・覇権戦争や革命など英雄的指導者によって行われるのではなく、科学的に検証できる知識にもとづいて平和的に、大衆的な議論と納得によって民主的に行われる必要があります。利己主義にもとづく非道徳的な資本主義的競争が、人間的善性を抑圧し人類社会の平和的存立と持続性を脅かしています。グローバルに発展した資本主義は、量的拡大によってしか経済活動の不公正や格差拡大、社会の病理現象、そして大衆の不満を解消・隠蔽できないだけでなく、財政や金融による調整・再分配・福祉政策によっても制御することはできません。今日進行しつつある縮小社会では、様々の利害対立(イデオロギー対立、経済格差対立、民族対立等)の激化が予想され、すでに現在ではその行き詰まりが見られます。「縮小定常社会」への平和的移行のためには人類とその運命についての共通理解を広めて、意識の変革によって社会の革新をめざす以外に方法はありません。縮小社会研究の歴史的意義は、人類社会の永遠平和のためにこそあると思われます。

2.縮小社会と拡大社会はどのように異なるか

①資本主義拡大社会の現状:資源の争奪、弱者搾取、貧富の格差、文化的退廃、資源の浪費等。

②拡大社会の起源:拡大は人類の本質として、新石器農業革命から始まり産業革命以降加速化。

③縮小社会の現状:福祉国家における人口と経済拡大の停滞、成熟社会は量より質を求める。

④縮小社会の未来:強者支配と格差拡大の欺瞞的存続か、公開・公正、互助・互恵の道徳的社会か。

(※)縮小の反対概念である拡大は、人間の言語的本性によるのであって、個体と種族の維持・存続は、社会の繁栄・拡大を志向しています(正確には繁栄・拡大は、人類だけでなくすべての生物種に共通する)。とりわけ現生人類は、約一万年前の新石器農業革命以後、農業生産力の発展と、冨と人間の権力支配によって、四大文明を成立させました。その後世界の諸民族は、物的人的資源の争奪を通じ、国家や帝国の様々の政治支配体制を作って奴隷制や封建制度を存続させ、それらの諸民族・共同体間の略奪・交易を拡大させることを通じて、市場経済・貨幣経済を発展させてきました。

 そして、18世紀イギリスに始まる産業革命は自由な市場を通じて世界に広まり、石炭・石油エネルギーや多様な資源を活用して物質文明中心の豊かで便利な社会を拡大再生産させてきました。ところが、化石エネルギー資源には限界があり、今日21世紀には、社会の縮小の必然性が、植民地と労働者を犠牲にして発展した先進国に明らかになってきました。このまま拡大成長が続き資本主義が限界に達すれば、資源を巡る争いは避けられません。資本主義的競争の勝者(強者)の支配は、社会問題や資源を巡る争いを解決できず、社会の平和的存続のためには、拡大成長を抑制しながらも互助・共生できる意識的道徳的な縮小社会への成長・成熟が必要です。

3.縮小社会と定常社会をどのように関連づけるか

①縮小社会は、農業的地産地消原則のもとに、「公正な市場」が商工業・流通金融業を調整する。

②社会の縮小は、拡大成長経済の持続性の限界から、縮小進歩の「定常状態」への困難な過程。

③縮小社会の研究は、「理想としての定常社会」と資本主義的拡大社会の原理の研究を含む。

(※)現在明らかになっているのは、今日の世界経済を拡大しながら持続させることはできず、、現状をそのまま「定常社会」とすることはできませんから、社会の縮小成長は不可避だということです。J.S.ミルの想定した「定常状態」(単純再生産)は、自由競争にもとづくグローバル経済のもとでは、成立しません。なぜなら、自由市場の調整能力は、成長拡大を前提としてのみ可能だからです。縮小社会から定常社会への平和的移行は、国際連合よりも強固な組織を持った国際組織(世界連邦)による「公正なグローバル市場と強力な世界機構」を担保としてはじめて可能になるのです。

(参考)「資本や人口が定常状態にあっても,それが人間の進歩向上をも停止状態に置くことを意味しないのは言うまでもない。あらゆる種類の精神的教養や道徳的社会的進歩の余地は従来と変わらず大いにあり,『生活の技術』を改善する余地も大きい。」J.S.ミル『経済学原理』

4.縮小社会と世界の政治・経済はどうあるべきか

①今日の資本主義市場経済は、国家(法)の政治的調整によって、民主的に(?)調整されている。

②グローバル資本主義は、超大国アメリカ中心の通商体制が揺らぎ、不安定性が増大している。

③格差拡大を前提とする貪欲資本主義は、その非道徳性の暴露と市民的自覚によって修正可能。

④縮小社会国家の財政・金融政策は、国際組織(世界連邦)の調整によって安定性の確保が可能。

⑤世界連邦は、国家の経済的自立を推奨するが、世界的資源の偏在と世界企業の独占を調整する

(※)近代以降の世界経済と政治は、人権保障を求める民主主義の拡大によって福祉国家の確立をめざしてきました。しかし、福祉国家は経済の成長拡大によって維持されており、資源の偏在や南北対立、成長の限界の中での自由競争は、福祉国家どころか国家内外の格差や社会問題、地域紛争を拡大させています。国際経済における自由貿易推進の動き(FTAやTPP)も、表向き「互恵」の体裁を取っていますが、実質は自由競争である限り強者支配であり、利害の調整を行う国際機関がなければ、格差は広がり平和な安定した福祉社会は望めなくなるでしょう。

世界規模の縮小社会は、公開・公正、互助・互恵の原則を必要としますが、現状ではアメリカの覇権主義を筆頭に、強者の強権支配が横行しています。このような混沌閉塞の状態からの脱出は、道徳的意識の高まり以外にはありません。つまり、過去のイデオロギーに囚われることなく、今日の混迷した状況を創りだした西洋近代の思考様式とイデオロギーを根底から見直すことが必要なのです。

5.縮小社会の意識と道徳はどうあるべきか

①大転換に必要な理論:認識論と人間観の革新、公正な市場と政治⇒交換と分配の正義。

②縮小社会への意識:受動他律的強制によらない、人類の主体的創造的関わりが必要。

③縮小・定常社会の道徳:自然との共生、利己心の抑制⇒人間の善性(良心・他慮・連帯)の育成。

④精神性の重視:人間の幸福は、物質的な生活の安定(welfare)を基礎に精神的充実で完成する。

(※)西洋近代の功利主義的倫理は、個人主義に特有の「互助なき利己的互恵主義」によって成立していました。これはルネサンス・宗教改革によって確立した個人主義的ヒューマニズムと、啓蒙思想・市民革命における自由・平等・私有制の人権思想・社会契約説に由来します。しかし、産業革命による産業資本主義の確立によって、社会は一変します。機械による大量生産は、農村からの低賃金労働者を酷使し、それによって産業は発展しましたが、階級対立や社会不安は増大して、19世紀は革命の時代とも言われました。このように資本主義は、「弱肉強食・創造的破壊」を美徳として、とりわけ労働者と植民地の犠牲のもとに発展・繁栄してきました。このような資本主義の功利主義的倫理は、利潤追求を目標とする資本主義の欺瞞的イデオロギーとなっていました。

 これに対するマルクス主義を中心とする社会主義イデオロギーも、諸個人の自律と契約合理性(合理的経済人)のもとに「市場交換の不等価性」(市場の欠陥)を見抜けず、「交換的正義」がないがしろにされてきました。そのため福祉国家の推進においても「分配的正義」すなわち、福祉は人権として受動的に与えられるもの(天賦人権論)という観念を克服できず、バラバラにされた大衆民主主義、実際には生活者・消費者・享楽者が、資本主義マーッケトの下に操作管理の対象とされることになってしまいました。

 しかし、大衆がバラバラにされるのには理由があります。それは根本には、旧来のイデオロギー(宗教・思想・学問等)の対立的共存が克服されていないこと、すなわち人間存在の意義についての共通理解が得られず百家争鳴の状態にあることだと思われます。これは「契約や表現の自由」が保障され良いことかもしれませんが、反面では、人間不信や享楽主義、金銭信仰や強者支配、宗教や民族間の差別・対立・排斥の背景ともなって、暴動・紛争・戦争を煽る危険性をもたらしています。

 とりわけ、創造神を絶対化する宗教は、かつては人々に道徳的基盤や人生苦からの救済を与え、社会の結合と安定をもたらしていました。しかし、今日では科学的認識とは反するにもかかわらず、旧来の利己的民族的利害・権益を維持するためや、戦争やテロを正当化することに使われ「文明の対立」という状況を生み出しています。旧来の非科学的な宗教には、今日でも人々の精神的苦しみや悩みを救済し、固有の生活文化と結びついて一定の安定的効果があるのですが、人類が相互理解を深める共通の知識(教義)であるとは言えません。世界が縮小社会に移行している今こそ、人類共通の普遍的人間観にもとづく意識と道徳が求められます。

 世界の閉塞状況と混乱を克服するために、文化や生活様式の多様性を尊重しようという折衷主義的相互理解もあるのですが、経済成長の限界と社会の縮小化の中では、自己保存(自民族中心主義)の傾向が優り、他者の尊重(他慮・善性)が無視されるという危険な状況が生じています。まずはわれわれの認識や知識を根本において規定する言語の意義を解明することが必要ではないでしょうか。

6.縮小社会における精神性は、どのように拡大するか

①精神性は、感性的快不快を持続的な精神的快に高める、理性的に統制された心的世界である。

②理性は、言語的認識構成(文法)力による知識を活用し、行動(欲望と感情)を制御できる。

③縮小社会は、精神性によって利己主義をおさえ、互助共生と資源循環型の持続社会を目指す。

④縮小社会の人権は、自由と公正、平等と正義が一体化し、格差は平均の10倍を限度とする。

⑤旧来の宗教は、人間の心(精神)を充実強化(自慮、他慮)し、平和を築くものとして尊重される。

(※)縮小社会という大転換の時代は、意識の変革を必要とする困難な過程となります。意識を変えることは、現状から利益を得て安住・満足している(させられている)人、また現状に不満であっても旧来の宗教的思想的伝統や利己的偏見に囚われている人にはとりわけ困難です。しかし旧来の宗教や思想の道徳的・積極的側面は、良き伝統として科学的検証に反しない限り縮小社会に生かされます。

 人生苦を救済または低減するはずの宗教は、日本では、ゆりかごから墓場まで営利企業の下請けになり、メディアで紹介される宗教(施設)も、現世利益や観光産業としての役割に終わっています。また、今日のマスメディアは、宗教や共同体の代替機能を担い、大衆の精神的不安やストレスの解消、娯楽や消費意欲を喚起することによって、社会の結合と人間の心を破壊し、資源を浪費していきます。これらは伝統的宗教や思想・学問自体の貧困、人間の「精神性の貧困」化そのものと言えます。資本主義経済の成長拡大は、物質的豊かさによって生活を便利で快適にしましたが、精神生活の面では、心的混乱の増大、相互不信と対立、家庭や教育の崩壊等の社会問題を増加させています。

 このような状態を創り出すのが競争・格差・効率・成長を維持することを目標とする一部の巨大企業の経営者・高級官僚・政治家・経済学者などの唯物主義者・マネタリスト(金をばらまけば経済が活性化するという人)たちです。彼らは精神性を敬遠します。彼らは成長拡大を阻む正しい知識や、認識能力を高め真実を知ること(地球の限界、原発制御の限界、市場の限界、宗教の限界、哲学の限界、人生の限界等々)を妨害するか、無害化または曖昧化しようとします。彼らは、人間がカネに目がくらむものであることをよく知っており、「自由と幸福が欲しければカネを稼げ、それは自己責任だ」と言います。そしてこの発言は、事実を示す側面もあるのですが、しかし、彼らにとって最も重要な「不都合な真実」は、彼らの所有または管理する莫大な冨がどのように獲得され使われているかということが明らかになることです。実はそこに隠されている不正義や市場の欠陥を知られたくないのです。

 カネにまつわる不正義の解明は経済学の仕事ですが、別稿の『西洋経済学思想批判』で述べたとおり、伝統的経済学は基本的には非道徳的な「利己的互恵主義」(この場合の互恵はまやかしに使われる強者の論理)であり、「資本主義的格差拡大」に利用されてきたのです。従って、その非道徳性を見抜くには、社会科学的認識が必要なだけでなく、高い道徳性と精神性が必要になるのです。これはカネを稼ぐ競争に参加しない脱落者の単なる怨恨ではありません。現代の科学技術文明が、人類によって蓄積された共同財産であるにもかかわらず、地上に生産された<世界の冨(財・資源)>の50%が、どのような事情で1%の最富裕層に集中しているかということ、また、平均的日本人の<生涯所得(例:約2億円)>をはるかに超える<年間所得(例:10億円以上約1500人)>を獲得できるというのは、どうして可能なのかが問われます。これは資源に限界があり社会が縮小しているからこそ問われるべき倫理的問題なのです。

 人類文明が高度に発展した小さな地球(宇宙船地球号)で、一人の人間がすばらしい創造的能力を発揮でき、平均的人間の何十倍もの報酬が得られるのはなぜなのか。先進国と途上国、富裕層と貧困層、過剰な浪費と慢性的な飢餓、豊かさの中の貧困などの社会的格差がなぜ生じるのか。グローバルな縮小社会では、常に地球資源の生産と交換と分配、そして個人的所有の道徳的意義や正当性が、経済合理性や効率性とともに問題とされるのです。そのようにして始めて、人類社会の破滅を防ぎ平和的な共存共栄の社会が実現するのです。しかしそのためには人間精神(心)の可視化・透明化、つまり精神性の拡大・意識の変革が必要になるのです。

 さて以上が前置きです。上記5項目を丁寧に説明する必要がありますが、今回は概略です。

①について:精神や心の概念は、定説を欠き混乱していますが、これを認知言語学や脳科学の知見を加えてわかりやすくします。その上で精神性を高める、つまり欲望や感情(行動)を抑制・制御する方法を確立します。

②について:従来の「理性」の意義・役割を言語的認識(思考)力として、認知心理学的に解明し、誰にもわかりやすく、また自覚的に使いやすくします。

③について:縮小社会を自律した諸個人による、互助・共生にもとづく循環型社会とするには、公開・公正を原則とする市場と、何よりも人間の善性(自慮・他慮・共同=良心・仁義・連帯=無我・慈悲・同心)にもとづく社会関係が必要です。また、人間の悪性(利己・排他・独裁)の中核は、利己心ですから、利己心を抑制し善性を発揮・促進させることが必要です。

④について:近代西洋で確立した人権思想と社会契約説は、西洋思想上の偉大な成果ですが、これらには自由・平等は天(神)から与えられたという前提(自然権・天賦人権説)と、人間は理性的存在であり合意された契約は合理的であるという前提があります。しかし、はたしてこれは本当でしょうか。たしかに、西洋の社会契約や法律は、自由で平等な自律した個人(市民)を前提としています。ところが、現実の人間は、多様な生活条件を持つ不平等な存在であり、生死も病気も災害からも自由な選択は限られ、偶然に支配されていることが多いものです。

 われわれは、人権(human rights)を人間の正義(right)を求める心(バランス調整感覚)から構想されたものと考えます。しかし近代の人権は、形式的自由はあっても公正さは限られ、形式的平等はあっても経済的にはバランスを欠き、格差を拡大させる不平等・不正義なものでした。縮小社会にあっては、自由には公正を、平等には正義を常に含むとみなし、具体的な生涯所得格差を平均所得の10倍以内(要議論、多数決)と考え、その調整は「交換と分配の正義」にもとづいて。市場(道徳)と国家(政治)がおこないます。

 なお「ベーシックインカム」は、市場原理主義的傾向が強く、公正や正義にもとづく互助・共生への道徳的配慮に欠けるのではないかと考えます。

⑤について:宗教は、人生苦や不条理な人間存在の不安から解放し、永遠の幸福を求めようとする教義と教団によって成立します。宗教を4つに大別すると、原始宗教、多神教、一神教、覚醒宗教となります。ここで検討の対象とするのは、ユダヤ・キリスト・イスラムの一神教と仏教・道教等の東洋的覚醒宗教です。両者の宗教信者は、人生に意味を持たせ不安解消や絶対救済をめざし、祈りや修行を通じて永遠の生命・霊力・幸福を得ようとします。これらの宗教は政治指導者に利用され、文明の展開や民衆の精神生活に大きな肯定・否定の役割を果たし、現在でもその伝統が続いています。

 しかし、縮小社会においては、これらの宗教も科学的に検証できなければ信者は減少し、文化遺産としてのみ尊重される存在になるでしょう。また、宗教が戦争を肯定し、来世にしか真の幸福はないと教える場合がありますが、縮小社会では、何よりも地上の平和と万民の幸福がめざされます。そして、宗教における人間の精神性の重視は受け継がれ、地上の平和は、社会科学的認識と道徳性の広がりによって確立され、万民の幸福は、生理・心理学的認識と自己理解の深まりによって実現していきます。

 こうして、縮小社会における精神性の拡大は、互助的人間関係を重視し幸福の質を高めるため、浪費的経済生活の縮小に反比例して自制的精神生活を豊かに拡大します。そのために人間と社会の科学的理解を深め、人間の無意識的な欲望や情緒の自己制御と人間関係における問題の処理方法を研究し、それらの知見を広め啓発しながら人間と社会の変革を推進し。混乱を克服しながら縮小成長から定常成熟社会へ移行していきます。

(参考文献)カント著『永遠平和のために』石田靖彦著『縮小社会と倫理』中西香著『衰退する現代社会の危機』大江矩夫著『人間存在論―言語論の革新と西洋思想批判』


◇ 縮小社会における価値観・人生観・世界観の重要性

        ――意識を変える――

 人類が約一万五千年前に農業革命を成し遂げて以降の急速な経済(政治)活動の拡大成長(生産力の発展)は、言語を獲得した人類の思考と創造力の賜物であるが、その頃の人類は不可思議な自然(神々)の賜物と考えていた。世界史上の古代の権力者(征服者・指導者・権威者)は、自己の力を誇示するため神々の絶対的・神秘的な力を利用し、被支配者を武力だけでなく欺瞞と迷信で従属させ、その絶対的地位を維持しようとした。古代的権威が揺らいだ枢軸時代以降に成立の哲学や仏教・儒教そしてイスラム教等も、中世封建社会を通じて政治的権力者に利用されてきた。

 近代になって科学的認識が進み啓蒙思想や社会契約説が生まれると、伝統的権力(絶対主義)を倒して市民国家(民主主義)が成立した。しかし、現代(21世紀)においても、科学的検証が困難な宗教的命題(言説)は、思想信条の自由の名のもとに民衆に大きな影響力を持ち、世界の平和や人類福祉の実現、そして世界の一体化に障害となっている。そのため社会的経済活動によって財を生産・集積して自己の利己的栄誉や貨幣的冨(資本)による他者支配を図ろうとする人々は、無知や迷信を温存しマスメディアを利用して民衆を、大衆の名の下に愚民化しようとしている。

 現代の大衆社会化状況は、西洋近代思想・学問にも由来している。例えば天賦人権思想、社会契約説、功利主義哲学、自由放任経済説、マルクス主義経済学、現象学・実存哲学等では人間の社会的自律と民主主義の発展は望めないどころか、今日では明らかな障害になっている。ここでは詳しく述べないが、われわれの「生命言語説」のみが、現代の思想的混乱と地球人類の危機的状況を克服することができる。社会の縮小成熟と新しい思想・価値の発展拡大は避けることができない。