<Yohoo知恵袋 教養と学問 サイエンス 言葉>
y_k********さん 2017/5/9 11:38
人間とは、言葉を話す動物である、というのはどのような意味でしょうか。
あるHPサイト(人間存在研究所)でそのような説明がありましたが、いまいちよく分かりません。できればその意味を箇条書きでまとめて下さい。
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takahiroさん 2017/5/9 18:24
他に言葉を話す動物っていますかね。言葉ってのは言語体系、文法法則がある主語、動詞、目的語などがあるものを指しているでしょう。
y_k********さん 質問者2017/5/10 14:55
ありがとうございます。確かにその通りですね。でも言語体系・文法法則があるというのは、人間にとって、他の動物と比べてどのような「意味」があるのでしょうか?
あるHPサイト(人間存在研究所)は、https://sites.google.com/site/sawatani1/ ですが、
少しむつかしすぎます。「人間にとっての文法の意味」は何でしょうか?
oni********さん 2017/5/12 13:41
当研究所の名前が出ていましたので答えましょう。すべてを読めば分かって頂けるでしょうが、それが難しいのでしょうか。
言葉を話すことは、自分の意図する意味を正しく伝えたいのだから、正確に表現することが必要になります。そのために言語体系や文法法則があります。文法法則がどのように出来たのかは、生命の本質に関わる問題を含みます。 生命存在の本質から答えると次のようになります。
① 人間を含めたすべての生命は、地球という多様で変化に富む自然環境に生きています。
② 環境は、生命が生きていくのに必要な恵みを与えると同時に、死をもたらす危険に満ちています。
③ このような優しさと厳しさに満ちた環境に生きるには、環境が与える情報を正しく知覚・認知する必要があります。
④ 人間以外の動物は、生得的本能にもとづいた経験的学習(と洞察)によって、環境に適応的に生きています。
⑤ 人間は、言葉(言語記号)を用いて環境(対象)の状態(何がどうあるかwhat how、なぜwhyそうあるか、それらの関係はどうか等)を把握・認識し、それらの情報を仲間(社会)に伝達・共有し、より適応的に生きるようになりました。
⑥ 人間は、言葉によって多くの情報を獲得し、また情報を再構成・創造することによって、多様な文化と文明を発展させてきました。
⑦ つまり、言葉を話すことによって、話す内容自体を正確に再構成し、それを社会的に豊かで確かなものとして子孫に伝え、今日の豊かで便利で快適な文明を築いてきたのです。
⑧ しかし、今日の文明は、人間に光明や幸福や安心ばかりをもたらしたのではありません。人間は、偽りの言葉によって、他人をだまして利己的利益を追求し、人間自らを欺いて人類の文明ばかりでなく、生命の存在自体を破滅に向かわせようとしています。言葉について考えるとき、その言葉がものごとの本質をとらえているかどうか、真実を表しているかどうかも考えるようにしましょう。 以上です。<人間存在研究所 大江>
[追加説明]
上記のコメント
「Yahoo! 知恵蔵」 への y_k さんの質問 について、不十分な部分をさらに詳しく 説明を加えます。
言語の理解が、今日においても解明にほど遠いのは、言語に関心を持っている学者たちが、生命存在と人間言語の関係について十分理解できていないことにあります。言語が、生命存在の意義(生化学的意義:生命細胞が生存環境との間でどのような生化学的生存反応・活動様式をもっているか)と密接な関係を持っていることは、言語理解のために根本的に重要です。つまり、言語記号は、人間を含む生命(動物)が、自然的生命的環境のもとで持続的生存を実現するために、無限の環境刺激(情報・対象・名詞・主語・what)がどのように(how)存在し(動詞・形容詞・述語、名詞・目的語等の対象関係の表現)、また、どのような(howまたはwhich)判断や選択をするべきか認識・思考するという、生命に共通する「生存のための刺激反応様式」が根底にあります。
「人間とは言葉を話す動物である」と、人間を生命言語説として定義することの意味は、「生命とは何か?」「人間とは何か?」の意味の理解の上に成立 しています。 つまり、人間とは、言語を用いて創造的で文化的な社会的活動を行う動物であり、その基本にあるのが言語だということになります。人間の言語活動の本質の理解は、生命活動の本質(生化学反応としての生存のための刺激反応様式)の理解が十分でなければ、言葉が人間の本質であるということは分かりにくいと思います。人間は他の動物と比べて、自然の中で刺激反応的・生得行動的に活動しているのではなく、狩猟・採集や農耕・牧畜、衣食住や娯楽などの社会活動を円滑かつ快適に行うために、仲間との意思の疎通や情報の共有を図り、また様々な工夫や創造的思考(活動)を発揮してきました。
では、なぜ人間だけがこのようにして文化・文明を築き、豊かで快適な生活が可能になったのでしょう。それは、人間が直立歩行や自由な両手の使用という生物学的進化の結果と言えますが、さらにその上に言語を用いた情報処理能力の飛躍的進歩があります。言語的情報処理能力における「創造性」とは、人間以外の高等動物の情報処理能力は、処理の対象(刺激情報、獲物や危険物等)を目や耳などの知覚対象が直接面前にある場合に機能する(学習・記憶可能な刺激直接反応性)だけなのに対して、人間の言語的情報処理能力は、知覚的対象だけでなく想像的対象(悪霊や神々、道具や社会規範等)を言語記号化することによって、対象間の因果(縁起)関係を創造し、文化や文明における無限の対象世界をつくり出すことです。
言語という声帯などの発声器官で産出される分節化可能な音声信号は、直立歩行による発声器官や大脳の発達による発声コントロールの進化がありますが、 さらに言語理解にとって重要なのは、その音声信号(言語)の意味理解(何がwhatどうhowあるか、何をwhatどうhowするべきか。なぜwhyそうなるのか等々)を明確にするために、言語構成上の社会的約束(文法)が必要になるのです。それではどのようにして文法が自然に形成されたのでしょうか。それは、動物的な起源があり、他の高等動物の認知と行動を観察することから類推できます。動物の生存欲求(個体と種の存続)を充足するためには、まず環境の認知(好奇欲求)が必要であり、また環境が安全であり、食欲を充たす対象があるか、仲間が友好的かどうかなどを吟味する過程は、対象(名詞・主語)を分別確定しその状態(動詞・述語+名詞・目的語)を表現するという、「文生成の認知過程」を含みます(例;トラが獲物を襲う)。この過程は、他の動物でも行われる認知過程ですが、類人猿でさえその場面が直接面前で知覚できなければ起こりません。人間はこの過程を言語記号化することによって、面前に対象が無くても、言語記号を記憶・再現することによって脳内で想起・再構成・創造することができます。これは、人類だけが、思考や文章構成(生成)のための、刺激情報に対する反応・行動の遅延による思考過程の独立の可能性の増大があります。その上でtakahiroさんのアンサーに触れられている 言語体系、文法法則があるのです。
私たちの研究所(代表;大江矩夫)が主張する「生命言語理論」が、文法を生物学的・動物行動論的立場の認識論から説明しようとするのは、言語の生物学的起源と構造・機能を理解することなしに文法の意義を理解することはできないと考えるからです。人間すなわち言語の獲得者(言語を獲得した生命)が、世界の認識を深めて(知識の蓄積・真理の探究)仲間に伝え、自己と人類のための持続的な平和的福祉的社会を構築することは、生命と人類にとっての最大の課題であり使命です。その意味で言語の獲得の意義は、人々の生き方にかかわる最も重要な知識なのです。その意味で言語体系や文法規則は、単に言語の表現規則として扱うのではなく、人間関係や自己の生き方(何を選択するべきか、いかに生きるべきか)にかかわる背景、すなわち言語の発話や人類の行動(倫理)規範や生き方にかかわる成立基盤を持つのです。
以上のように「人間とは何か」を知るためには、まず「言語とは何か」ということを理解する必要があります。 そして、「言語とは何か」という問いに正しく答えるためには、まず「生命とは何か」ということを知る必要があります。生命言語説の要諦は、まずこのような出発点を持ちます。
生化学反応体としてのすべての生命は、常に環境との刺激受容・反応行動を行っています。生命にとって環境の認識・把握・理解は、生存を続けるための基本的機能です。環境がどのようになっているかを知ることは、生命存続(生存)のための絶対条件です。そのため生命は、無限に多様な環境を知って、環境に適応するための組織や機能を進化させてきました。多様な生命の生存形態(既知の種140万種以上?)の中で、人間が獲得した言語は、最も高度に進化した適応行動形態だということができます。
人間にとって 言語にとって 文法とは何かということを知るためには 言語記号を用いて 環境を理解し 認識 するためには 言語記号を 社会的に 伝達 理解可能なものにするために 言語の使用の約束 すなわち 文法 を形成する必要があったのです 文法を構成する要件は 環境 すなわち 対象を 記号化し それを 用いて 環境が 刺激が 対象が どのようになっているか そしてその対象に対して どのように行動すべきかを 相互に理解できるような 約束が必要になったのです