憲法改正の三条件

◇ 憲法を変えるには、日本を矮小化(退化・劣化)させるような改正ではダメだ。日本と世界の未来を切り開き、東アジアや世界から日本が尊敬されるような改正が必要だ。安倍自民党の改正案は、東アジアの緊張を高め平和国家日本の誇りを破壊するものとなる。日本の存在が世界と東アジアで名誉と誇りを傷つけられ、ユーラシア大陸の東の果て極東で、孤立と衰退を招く誤りを犯さないために、日本国憲法を正しく改正する方途を提案します。

                  日本文化論 世界連邦への道 人間とは何か 人間存在研究

日本国憲法改正の三条件 (編集中)

誇りと尊敬の日本国憲法とは――世界恒久平和への希望の国となるために

――自由民主党の「日本国憲法改正草案」批判と現行憲法の限界克服の提言――

★ 恒久平和と国民福祉実現のために、世界に開かれたわかりやすい憲法を作ろう

★ 日本は世界平和のために、どのような国際貢献ができるのか―世界連邦を憲法に記そう―

★ 日本と世界の恒久平和は、日米安保を超えて日米中と世界安保(↓)の実現によって可能となる

★ 日本は世界恒久平和を主導的に構築するために、時代錯誤の「普通の国」であってはならず、世界連邦による世界安保をめざす

はじめに

 日本国憲法改正の動きが急速に進められている。しかし改正派(自民党改憲草案)の主張は、過去の帝国主義(明治憲法)時代へ、歴史の歯車を戻そうとする時代錯誤的な発想にもとづいている。例えば、草案前文の「天皇を戴く国家」からして天皇主権を彷彿とさせるし、「先の大戦」への反省は皆無であり、日本国民の基本的人権は「国と郷土」の下位概念に位置づけられ、世界との共存共栄が必要な時代にあって「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承する」と新しい日本文化創造への気概や展望が全く見られない。改憲の意義についても述べられておらず、むしろ懐古的な国家主義的哀愁さえ感じさせる病的なものであり、国際問題を軍事力を前提にしてしか解決しようとしない弱肉強食の近代帝国主義的発想の憲法前文となっている。

「改憲草案」の条文内容については、すでに憲法学者や識者が指摘するとおり、現(昭和)憲法の平和主義、国民主権、基本的人権の三本の柱を、国家主権(権力)のもとに踏みにじるような復古主義的な低次元の内容であることが明らかにされている。他にも草案前文の「和の精神」と第九条の安全保障・国防軍の強権性(不和の精神)の間のアンバランスさや、第九条の二5項軍事審判所(軍事法廷)の設置と第七十六条二項の特別裁判所の否定とは矛盾があり、また近代憲法における立憲主義(人権擁護、権力抑制)の理解(社会契約説)が不十分で、世界に開かれ歴史的評価に耐える条文とは言い難い。

 ただ思想史的にみて西洋近代の「天賦人権説」を批判している点(改正草案Q&A)は、人権概念を天賦ではなく「国民の民主的自覚を促す」意味で理解するなら評価できる。しかしこの草案では、権力抑制をめざす立憲主義の無理解(天皇元首化や改正要件の緩和等)と基本的人権の「公共の福祉」的意義を軽視し、「公益及び公の秩序」に従属させている。そこから「天賦人権説」批判が生じているので、人権そのものの抑制(表現や結社の自由抑制・特定思想の強制)に利用され、基本的人権の歴史に逆行するものとなっている。

 そこで、現行昭和憲法が「不磨の大典」ではなく、またすでに還暦を超え、地球環境問題や国際貢献の在り方、西洋近代思想に依拠する憲法の限界等の不備も見られることから、世界史的意義をふまえて改正が必要とされるなら、新たな今日的課題を解決するために、以下の三条件をふまえた上で改正されるべきであることを提案する。

★ 依存的平和主義の憲法から、「世界連邦」による恒久平和を建設する創造的平和主義の憲法へ

★ 日本民族と文化の役割は、道義国家として有限な地球の平和共存と互恵互助の世界連邦の建設へ

(1)アジアの国々に信頼される国家となること

―世界連邦設立を憲法に明記し、非同盟中立の平和創造国家であることを宣言する―

現代はグローバルに世界が一体化され(ようとし)ている時代です。そこで世界史の流れの中に、先進国(欧米と日本)による植民地支配とは何であったかを位置づけ、アジアと日本の関係を明らかにして、日本国憲法の意義と日本国の歴史的使命を自覚することが必要になっています。その自覚を新憲法上に宣明することによって、アジアの国々に信頼される国家となることができます。そしてこの条件は、現平和憲法のめざす理想の実現という形態によって可能となります。

しかし自民党改憲草案にみられるような頑迷な歴史修正主義(植民地主義と帝国主義の正当化)は、アジア太平洋戦争の原因となった日本の大陸侵略や戦争責任を認めません。むしろ逆に被植民地(化)に対する侵略と支配の正当化(大東亜共栄圏構想等)を試みて、先進国の近代化の犠牲となり弱者とされた植民地諸国の後進性を非難し嘲りの対象としています。

 先の大戦は植民地争奪の帝国主義戦争であり、欧米(英米蘭等)に遅れて近代化に成功したアジアの先進国日本は、戦勝国アメリカの深謀遠慮(共産主義の防波堤構築等)があったにせよ、自称「神国」でありながら予期せぬ敗戦によって欧米帝国主義に対する「防衛的」侵略戦争の反省を強いられました。それによって逆に、アジアの国々に信頼され世界の恒久平和を実現する使命を与えられ、いやむしろ獲得し、世界に先駆けてたぐいまれな平和憲法を持ち、戦後の経済発展を成し遂げるに到ったのです。

 現在日本には隣国との間に、解決すべき深刻な領土問題の対立がありますが、共存共栄を目指す平和的な解決を最優先にしなければなりません。もし国家主義的野心による軍事的解決の意図を持って憲法改正が企図されるなら、アジア諸国からの信頼は崩壊し、国民は再び戦争の悲惨に追い込まれることになるでしょう。まずは欧米とともに植民地主義と軍事的解決の正当化を克服し、第一次世界大戦後の平和的傾向に反した行動(満州事変等)を反省して、多大の損害を与えた中国や韓国・朝鮮には率直に謝罪するべきです。

 その上で平和を愛する諸国民と諸国家の公正と信義に信頼して世界の統一をめざし、日本と世界の平和と安全を確立する世界連邦・政府を設立するため、日本国の名誉をかけた新憲法を制定し、先導的に全力をあげて世界の恒久平和という崇高な理想と目的を追求します。

(2)国際連合を「世界連邦」へと再編成し「連邦警察軍」設置の見通しをもつこと

―憲法に「世界連邦警察軍日本部隊(仮称)」を明記し「自衛隊」をこれに当てる―

 なぜ日本国憲法改正の条件に「世界連邦」への見通しを持つことが必要なのか。それは昭和憲法が平和主義を基本においているにもかかわらず、今までの日本政府は、東西対立や国益主義の偏重もあって、世界平和の実現に積極的に寄与することをしていないからです。前文では「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的[憲法三原則と政治道徳]を達成することを誓ふ」と述べていますが、超大国アメリカの意向に従うだけではこの目的を達成することはできません。

 すでに「世界連邦」建設の運動(世界連邦運動協会)が推進されていますが、その目的は多くの国民に共有できると思われます。現行平和憲法を受け継ぎ、永続的な価値を持つ新しい憲法を制定する条件としては、世界と日本の新しい諸課題(地球環境問題・資源エネルギー問題・南北問題・貧困格差問題・民族問題等々)を解決できる「世界連邦」建設への目的を持つことが必須の条件です。地球上の利害対立の平和的調整を行う「世界連邦」こそが、平和共存・互助互恵の精神を実現し、人類の持続的繁栄と幸福をもたらすものとなります。

 現代世界の普遍的価値となっている自由・平等・社会権等の基本的人権は、平和共存と互助互恵を主旨とする「世界連邦」の構築によって、世界中に拡大・発展させる必要があります。今日21世紀の世界は、西洋文明を根源とする科学技術と生産力の発展によって経済成長がすすみ、多くの地域に便利で快適な生活をもたらし、貧困や病気等の克服を通じて福祉の向上がはかられてきました。しかし、人類は、未だに南北問題や貧富の格差問題、さらに宗教・民族対立を解決していないだけでなく、地球環境汚染や資源・エネルギーの涸渇問題等の成長の限界に伴う深刻な生存持続性の問題に直面しています。今や世界は一つ。一地域の問題が即座に世界の危機的状態を招く時代になっているのです。

 このような状況にあって、世界は手をこまねいているわけではありませんが、各国の政治家や知識人は、将来の展望を欠き自国の利己的な国益を優先して覇権の強化に努めています。とりわけ超大国アメリカは、モンロー主義の孤立政策的傾向があり、軍事力による棍棒外交が行われてきました(中南米、ベトナム戦争、イラク戦争等)。しかし他方、20世紀前半における二度の世界大戦後には、世界平和のためにウィルソン大統領は国際連盟(1919)を提唱し、またF. ルーズベルト大統領は国際連合(1945)の結成に尽力しました。

 これらの国際組織のうち、国際連盟(League of Nations)は、大国アメリカの不参加等の欠陥があり、また第二次大戦後の国際連合(United Nations)は、戦勝国五カ国の安全保障理事会における「拒否権」に特徴的なように偏りのあるものです。国際連合は、戦後の米ソ対立の冷戦時代から民族独立の時代を経て今日的な混乱と閉塞の時代に到るまで、国際平和と福祉に対して多くの積極的な役割を果たしてきました。しかし、大国を中心とする利害の対立があって現在では十分に機能しているとは言えません。

グローバル時代の利害対立や紛争解決には、財政に裏付けられた軍事的な組織(世界連邦警察軍)や経済社会組織(世界連邦政府)が必要です。さらに世界人権宣言(1948)に見られる西洋的理念だけでなく、国連人間環境宣言(1972)をふまえ、人類文明を持続可能ものとする理念のもとに、世界連邦政府を確立し、維持運営していくための原理原則(世界連邦憲法と新世界人権宣言)が必要とされます。そして、その必要実現の意志を持てるのは、今日の国連憲章の理念をふまえ、その意志を託された日本国憲法をもつ日本国民に他ならないのです。またそれを実現可能にするのが「和の精神」を背景に持つ日本国の平和憲法なのです。

 日本国民が世界の諸問題から目をそらし、アメリカの軍事力に依存しながら自国の利益と軍事力の強化にのみ関心を寄せ、日本国の世界史的使命を見誤るなら、日本自体の存立だけでなく、アジアと世界の混乱を助長することになります。また第二次世界大戦の原因をつくったこと(満州事変1931、国際連盟脱退1933等)に対する反省と重い責任の自覚を忘れるなら、平和を願った多くの戦争犠牲者を冒涜することとなり、世界と日本に再び戦争の惨禍をもたらすことになるのです。日本は「普通の国」ではなく、「普通の国」であってはならないのです。それによって、理性と科学によって世界を開明発展させながら、弱肉強食と自然破壊をもたらした西洋近代を超え、未来の地球と人類社会へのビジョンを持つことで、「誇りある国」になることができるのです。

 さて,そこでもっとも関心が持たれるのは、日本はどのような形で「世界連邦警察軍(連邦軍)」を構成するのかということです。新憲法には、当然「世界連邦警察軍日本部隊」の設置が明記されますが、日本の連邦軍の大半は日本国に常駐します。そして常駐連邦軍は世界連邦政府と日本政府の協議の上で命令を受け、世界と日本の平和と安全の確保(国土防衛と災害救援)に当たります。世界連邦政府と各国政府の関係は、今後の課題としても、日本国憲法に示しできるだけ積極的に議論の主導権を握ります。

 現状の出発点としては新憲法に基づいて「国際連合」への提案を国是として行い、「『世界連邦』結成検討委員会」を立ち上げます。それと同時に、日本の自衛隊の一部を独自に「世界連邦警察軍(仮称、略称として連邦軍)」として編成し、「国連軍」の海外派兵部隊として活用します。つまり新憲法では、もっぱら日本防衛(自衛)のための軍隊でなく、国際的性格を持つ軍隊設置が明記されることになり、世界平和に積極的に貢献します。またその前提として、世界恒久平和のための新しい組織世界連邦」の設立に、世界で始めて国家として取り組む名誉を担う ことになるのです。

(3)日本文化の「和」の伝統を再創造して世界平和に貢献すること

―多様な人間文化に普遍的な日本的「和の精神」で地球共同体を結びつける―

 世界平和のために、島国日本で醸成された「和の精神」が必要なことが明確になってきました。「和」は、柔和、温和、親和、和解、調和、平和、調整 mild gentle harmony piece reconciliation etc を意味します。このような「和の精神」は、日本が世界に誇れる精神文化であり、恒久平和と合理的精神の前提にならねばなりません。なぜなら、平和を崩壊させる根源となる利害の対立が起こるのは、和の精神が欠如し、利害や理屈が先立って、相互不信が拡大するためです。不信を起こさないために人類共通の相互理解、すなわち、和―信頼が必要なのです。現実の利害対立がいかに厳しく激しいものであっても、人間にはめざすべき共通の理念や展望を持つことがなければ真の平和や人類(私たち)の進歩・成長は望めないのです。

 中国古典では「礼の用は和を貴しと為す。・・・和を知りて和すれども、礼を以てこれを節せざれば、亦た行なわれず。」(『論語 学而12』)と言い、聖徳太子は「和を以って貴しとなし、忤(サカラ)うこと無きを宗とせよ。」(『十七条の憲法』)と諭して、社会や集団の根本に和を前提とすることを求めました。平和を求めるのに功利主義的な利害や合理性だけを強調しても、やがて利己心や競争心によって対立が避けられなくなります。「和の精神(心)」は、永久平和のための人類の普遍的原理、世界標準としてふさわしいものです。

しかし「和の精神」を世界標準にするには、まず国民一人一人の自律自助と民主的自覚が必要であり、世界に対しても合理的・説得的説明ができなければなりません。日本はかつて「大和」のもとに統一国家を建設しましたが、それは有限な島国での共存共栄をめざしたものでした。今世界は「成長の限界」を迎え、「地球共同体」の自覚が必要となっており、日本の「和の精神」こそが世界の恒久平和に貢献することができます。日本国が再認識し教訓とするべきなのは、明治以降の帝国主義的覇権国家(覇道)ではなく、現憲法の平和主義にふさわしい日本古来の「和」の伝統を再創造させ、互恵互助の平和国家への展望を持つ(王道)ことなのです。

 ただ日本古来の「和の精神」と言っても、それを説得力ある形で世界標準にするためには、日本の「和」の限界性や特殊性を克服することが必要です。というのも、日本の「和の精神」は、「身内の和」を大切にしてきましたが、「長いものに巻かれよ」とか「寄らば大樹の陰」「出る杭は打たれる」ということわざのように、自立心や民主的精神、主体性を軽んじる傾向がありました(現代でも「令和」という語句を使用している)。これを克服するためには、上に述べたように「国民一人一人の自律自助と民主的自覚が必要」なのですが、これは日本の内向的な「和の精神」とは矛盾する性質を持つので、「和と自立(自律)」を統合・発展させる必要があるのです。

 古来日本の統一国家大和朝廷の成立や日本の封建制度が世界一強固であったこと、また明治維新以来の天皇制にもとづく民族主義・軍国主義による中央集権化と、それによって近代化を成功させ世界の一流国家にしたこと、これらすべてのことには「和の精神」が根本にありました。しかし近代化の成功が、先発帝国主義諸国の外圧に対抗し、アジアへの侵略と植民地化を進めたこと(日清・日露・第一次世界大戦)であったために、中国・満州の権益をめぐって欧米先発資本主義国と対立し、偏狭で排外的な「和の精神」に陥って「国際連盟」をも脱退してしまいました。その結果、世界は国際協調を目指していた(ワシントン会議等)にもかかわらず、「大東亜共栄圏」や「植民地解放」という内向きの論理(自存自衛)で国民を欺き、挙国一致の軍国体制によって世界大戦の暴挙そして敗北という塗炭の苦しみを世界と近隣諸国、そして日本自身にもたらしました。

 敗戦後の占領政策は、民主主義の旗手を自認するアメリカを中心に行われ、平和と民主主義を日本人にもたらそうとするものでした。しかし同時に、占領政策(非武装民主化)を容易に行ない、共産主義の拡大を防いで日本をコントロールするために、連合国軍最高司令官マッカーサーは、神的権威を持ちカリスマ的存在であった天皇(現人神)を利用しようとしました。大和朝廷成立以来の天皇制に内在する「和の精神」は、権威に対する身内の批判を許さない情緒的な日本的集団主義を内包しており、これを巧妙に利用しようとしたのです。

 それではこのような主体性のない依存的な内向きの情緒的集団主義を克服し、世界標準となりうる開かれた「和の精神」であるためにはどうすればよいのでしょうか。そのためには、我々の考えでは、人間や社会に対する新たなものの見方考え方が必要になります。それが人間存在研究所の提唱する「生命言語説」にもとづく人間観と「新しい社会契約」という考え方です。これらは近代西洋で成立した「人権と社会契約の思想」の限界(人間の被創造性・所与性)を克服し、新たな世界標準として普遍的なものとなる資格を持っています。

 日本国憲法は近代西洋思想の優れた産物ですが、経済の成長拡大の限界が地球規模で進行し混迷が深まる現代にあって、この憲法の改正が必要とされるときが近づいています。その際には、東西思想の融合によって思想的閉塞状況を克服し、人類福祉の向上と永続的な世界平和を確立する「世界連邦」の結成が前提となり、「和の精神」が不可欠の条件となるはずです。世界に比類のない平和憲法を持つ日本は、世界の恒久平和確立に貢献しうる新たな憲法を持つことによって世界に誇れる日本になりうるのです。現憲法のように単に「非武装中立」を明記するだけでなく、より積極的に世界平和を実現するための「世界連邦」(世界連邦警察軍)をめざすことこそ、現平和憲法に生命を与えるものであり、自衛隊を日本と世界の平和に誇りを持って生かすことにならないでしょうか。

 これらの主張の概略は、当研究所のHP別稿で述べていますので参照してください。

※ 追加説明

世界連邦を目指して自衛隊を改編し、連邦警察軍を設置することの意義

① 憲法改正によって、自民族中心主義(国粋主義)に陥ることなく、現行憲法で違憲性が強く米軍依存的な自衛隊(=軍隊)を、「連邦警察軍」として明文化できる(国益と国際益の統一)。

② 米国追随の日米安保条約を解消し、さらに世界の他の対立構造を「連邦的秩序」によって平和的に解決するシステムを構築できる(経済問題、領土問題、宗教・民族対立、環境・資源問題等におけるアメリカ的秩序の改編)。

③ 第二次大戦の戦勝国連合という「国際連合」の限界を超える組織を編成するために、日本国がまず憲法を改正して世界平和に積極的に取り組むという人類史的使命を憲法に与えることができる。

④ 日本の連邦警察軍だけでなく、各国の連邦警察軍に真の世界平和に対する誇りを持たせ、集団的自衛権と民族的利害を超える崇高な目的があることを自覚できる。

◇ 第二次世界大戦における日本の敗戦と占領政策の評価について

 日本国憲法の制定、財閥解体・農地改革、封建的諸制度の解体、極東国際軍事裁判

(日本の無謀な侵略戦争とその敗北の必然性を解明し、連合国とアメリカの占領政策の肯定的側面と否定的側面を論じます。)

◇ 日米安保条約と東アジアの信頼関係の醸成について

 日米安保と東西対立 共産主義の防波堤 東アジアの緊張解消 経済拡大の限界と共存共栄の優先 近代型成長経済理論(スミス・マルクス理論)の限界と修正 東アジア共同体構想と「世界連邦」 平和国家日本の主導的役割 競争的現実主義から、世界一体化への理想的現実主義へ

◇ 現行憲法の自衛隊と新憲法における「世界連邦警察軍」について

 憲法第9条の意義、領土問題の平和的解決、「世界連邦警察軍」の規定

(日本の平和と安全を、米軍に与えられ保護されるものとしてでなく、世界史的に限界のある「国際連合」を抜本的に変革し、「世界連邦」とその連邦警察軍を日本自らの主導によって創設することによって、日本だけでなく世界の恒久平和を実現する方法を求めます。)

◇ 象徴天皇制について

 天皇象徴性の意義・役割 日本的政治文化と象徴性 民主主義と天皇制 政教分離・信教の自由の徹底

 神秘的権威と衆愚政治を温存する神権制度の廃止。日本と世界の平和と安寧・国民福祉にとって、天皇制という世襲的神的権威が未来永劫に渡って持続的であるかは疑問であり、生身の人間天皇と皇室家族にとっても不幸な制度である。1946年の「新日本建設ニ関スル詔書(天皇人間宣言)」は、天皇制の神道的背景がさらに再吟味されることによって、人間の自然的心情理解のもとに憲法的次元において現代化される必要がある。

(人の世を知ろしめす役割は、人間に任す。天の下自然崇拝としての神社神道は、日本精神の「和」の拠り所として改革しつつ容認する。世界平和と日本の繁栄という全国民の祈りや願いは神社神道において可能である。「信教の自由」)

(日本固有の伝統を創造し継承してきた天皇制の歴史的意義と役割を解明し、将来において平和と民主主義の発展、国民の幸福のために天皇制がどのようにあるべきかは、民主的に論じることが可能である。「言論の自由」)

◇ 自民党の改憲草案の退嬰性について

 読めば分かる時代錯誤の復古主義・権威主義、日本国・国民と東アジア・世界にとって災いの元になる。近代型憲法の常識(立憲主義)をわきまえない偏狭な民族主義の典型例。

左翼と右翼の偏狭性と暴力性(階級と民族の闘争、共産主義と民族主義)を克服して、諸民族諸 国民のすべてが地球上に共存共栄できる新しい平和的な国際秩序を日本国が主導して創造する。

旧来の非科学的偏見にもとづく宗教(三大宗教など)や哲学・思想(天賦人権思想・現象学・マルクス主義など)を克服し、人類共通に承認できる科学的知識にもとづく理想や理念を創造して共存共栄・互恵互助の世界連邦を建設する。

★ 上述の「日米中と世界安保」とは、相互に拡張ないし世界支配をめざしている米中に対し、平和国家日本が、現在の日米安保を超えて中立の立場を取り、世界連邦(軍)に安全保障の権限を委譲する。その際、領土的係争地については世界連邦の管理下に置き、平和維持と環境・資源保護の拠点として、それぞれの領有権を棚上げする。

★ 将来の縮小社会における人類の普遍的イデオロギーは、西洋近代の基本的人権論やスミス・マルクス的な発展拡大・弱肉強食の思想ではなく、それらの限界を克服する東洋的調和と永続的幸福をめざす新しい人権にもとづいた共存共栄・互助互恵の思想・イデオロギーが必要になります。

★ あらゆる歴史的な対立・混乱を解決する道は、過去の反省にもとづく未来への展望の共有にある。未来への展望は、当事者間の対話だけでなく共通の普遍的イデオロギーを必要とする。