新世界人権宣言の提案(要約)

「新世界人権宣言」の提案

縮小社会における「世界連邦」と新しい「世界人権宣言」

要 約

 現行の「世界人権宣言」の限界性・過渡期性・不完全性を克服し、「世界連邦」「世界政府」による世界恒久平和の基盤としての「新世界人権宣言」の構想を提案します。現在進行中の縮小社会に起こっている政治・経済、宗教・文化、思想・哲学等々の対立や混乱は、「世界人権宣言」において普遍的な基準とされる人間の「尊厳と権利」「理性と良心」の根拠の薄弱さ(イデオロギーの貧困)に一因があります。

 ここで提案する新宣言では、人権としての「永続的幸福追求権」を、すべての宗教や哲学・思想等の根底にあるものとしてとらえ、またとりわけ東洋哲学の根底にある人間と自然と社会との調和(物心一如、無為自然)を前提にし、近代的人権思想の根底にある人間の普遍的欲求・感情としての「幸福追求権」の発展形態として捉え、科学的普遍的知識・認識論(ものの見方考え方)のもとに、東洋思想にも淵源を持ち、共通理解が可能な人権論を追求します。

 その考え方の基本は、「永続的幸福追求権」という新たな人権の根拠が、西洋的カント的な「人間の尊厳」「理性と良心」という必要条件だけにあるのではなく、十分条件として東洋思想による悟りや解脱、安心立命のような真の自律的幸福をめざしているというところにあります。

 「縮小社会*」の閉塞状況(地球環境破壊や資源エネルギーをめぐる争い、価値観・イデオロギーの対立等)の克服と人類の持続的な共存共栄のためには、人類統合的な「世界連邦の樹立」が必要ですが、そのための基礎になるのが、全人類の永続的幸福をめざす「新世界人権宣言」の構想なのです。

(*注)縮小社会の定義について略述。人類は一万年前の農業革命以来、自然を支配し改変・利用することによって全体として冨と文化を飛躍的に蓄積拡大してきた。とくに18世紀のイギリス産業革命を契機とする科学技術の応用・発展によって、生命が蓄積してきた化石エネルギーが大量消費され、20世紀後半からは資源エネルギーの限界や環境破壊が顕著になり、このままでは世界人口の増加とともに飽和状態になると考えられる。地球はこの状態をいつまでも続けていくことはできず、やがて、豊かな物質文明の発展を支えてきた化石エネルギーの涸渇とともに、今日の拡大成長社会は縮小せざるを得ない。人類社会の縮小成長を目指すのが縮小社会となる。縮小社会は、新しい普遍的価値のもとに世界の一体化をめざし、共存共栄をめざし共に生きる社会である。

はじめに

「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。All human beings are born free and equal in dignity and rights. They are endowed with reason and conscience and should act towards one another in a spirit of brotherhood.」(『世界人権宣言 第一条』1948 外務省訳[引用者; この英文と日本語訳が論争を引き起こす不完全なものであることは他の機会に検討したい。])

 この世界人権宣言の考え方は、今日では、国際連合加盟国が共有する普遍的なものとされています。しかし、人類と生命の平和的永続性にとっては不完全であり、今日的な地球世界のかかえる諸問題(環境・資源・暴力・格差貧困等)を克服し、閉塞状況を打開するには不十分です。起草段階で中国代表Chang氏の東洋的発言もありましたが、基本的に西洋的普遍性から生まれた人権と民主主義の考え方には、その根拠づけに限界があるためさらなる検討が必要です。

 まず、この宣言における人権(Human rights人間の諸正義)の基本となる自由と平等は、「尊厳と権利」において根拠づけられています。しかし自由と平等を根拠づけた重要な「尊厳と権利」の意義づけは、起草委段階で論争を招くため断念されました。また、人間を特徴付ける「理性と良心」についても、神によるか、自然(本性)によるかで議論が分かれ曖昧にされました。しかし、明示されていないとは言え、人間の権利(rights 正義)が「自由かつ平等に生まれ(are born free and equal)」、「理性と良心を授けられている(are endowed with reason and conscience)」と受動的に表現されていることは、能動的な神ないし自然の働きかけによって与えられた権利であることを前提とし、人間の主体性(不安定な自己の存在と生き方についての責任義務)を軽んじていることは明らかです。いずれにせよ、西洋思想的に言えば、人権の基軸となる自由と平等は、人間らしい最低限の生活保障を求める社会権とともに、すべての人間が幸福に生存するために、哲学者や思想家が発明・創造・意味づけし、多数決原理の契約によって普遍的観念・知識とされているのです。

『国際連合憲章』第1条では、国際連合の目的の3項目として「人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励すること promoting and encouraging respect for human rights and for fundamental freedoms 」があり、人権は世界平和の構築とともに国連の重要な柱となっています。人権は今日の世界に於いて、人間関係を規制する民主主義の基本原理であるとされています。人間はこれらの知的価値を、与えられたものとしてでなく、実現すべき国家と社会の原理として創造的革新的に発展させなければなりません。

 啓蒙思想によって生まれ、市民革命によって定着した近代民主主義の原則である基本的人権は、20世紀の二度の世界大戦と社会主義政治体制の成立を経験して生存権・社会権を加え、大きく発展しました。しかし、21世紀の今日では、世界的に見て経済的エゴイズムと政治的未成熟、そしてそれらから生じている経済的格差と利害対立によって実現の道は遠く、「与えられたものとしての権利」であるために、人権が保障され経済的に豊かな国であっても、「同胞の精神」は蔑ろにされ先進国と途上国の間だけでなく富裕な国の内部にあっても格差は拡大し、人類全体の幸福にはつながっていません。

 世界人権宣言が出されて半世紀以上が経過するのに、なぜ様々の危機が続行し協調体制が取れないのでしょうか。様々の分析が可能ですが、ここでは思想史的観点から、とくに西洋に始まった近代民主主義の基礎となる人権と社会契約の考え方から分析し、東西思想の統一が図れるような提案をしたいと思います。その解明のヒントは、世界人権宣言の前提となっており、人間の本性とされる「理性と良心」の見直しと、生命進化・多様性の頂点に位置する「人間の尊厳と権利」に加えて、「生命言語説」の立場から人類にとっての「責任・義務」を根拠づけることにあります。21世紀の今日「理性と良心」への信頼は揺らいでいます。この信頼を取りもどすには、人間の理性とは何か?良心とは何か?一般的に「心(精神)とはなにか?」「人間とは何か?」「生命とは何か?」という根源的問いが必要になっています。

 21世紀、縮小社会の始まりは、エゴイズム、刹那主義、享楽主義、思想と社会の混乱、欺瞞と不信、権力主義が横行する社会です。しかし他方、将来への見通しは明るくなくても現状への危機意識に目覚め、現状を打開しようとする動きも見られます。「新世界人権宣言」の原則を提案することが、縮小社会の閉塞状況を打開する一つのアイデアとなれば幸いです。

(1) 人権(Human Rrights)の考え方の発展

(2) 普遍的人権の意義と政治権力の関係

(3) 国家と市民社会との関係について

(4) 基本的人権と権利・義務について

(5) 新しい人権と所有権について

(6) 永続的幸福追求権の考え方について

続く☞ こちら