「新世界人権宣言」の提案

縮小社会における「世界連邦」と新しい「世界人権宣言」

要 約

 現行の「世界人権宣言(1948)」の限界性・過渡期性・不完全性を克服し、「世界連邦」「世界政府」による世界恒久平和の基盤としての「新世界人権宣言」の構想を提案します。人類が一万年前に経験した農業革命以来発展してきた文明と社会の拡大は、21世紀になってその量的限界に達していることが明らかになってきました。その結果、現在進行中の縮小社会に起こっている政治・経済、宗教・文化、思想・哲学等々の対立や混乱そして地球自然環境の破壊は、旧来の「世界人権宣言」において普遍的な基準とされてきた人間の「尊厳と権利」「理性と良心」の根拠の薄弱さ(普遍的イデオロギーの貧困)を明らかにしつつあります。

 ここで提案する新宣言では、人権としての「永続的幸福追求権」を、すべての宗教や哲学・思想等の根底にあるものとしてとらえ、またとりわけ東洋哲学の背景にある人間と自然と社会との調和(物心一如、無為自然)を前提にして、西洋的合理主義によって構成しようとしています。この発想は、近代的人権思想の根底にある人間の普遍的欲求・感情としての「幸福追求権」の発展形態として捉え、科学的普遍的知識・認識論(ものの見方考え方)のもとに、東洋思想にも淵源を持たせて、すべての人間・市民に共通理解が可能な人権論を追求します。

 その考え方の基本は、「永続的幸福追求権」という新たな人権の根拠が、西洋的カント的な「人間の尊厳」「理性と良心」という必要条件だけにあるのではなく、十分条件として東洋思想による悟りや解脱、安心立命のような真の自律的幸福を体現することのできる市民・人格によって構成される民主的社会をめざすことにあります。

 このように「縮小社会*」の閉塞状況(地球環境破壊や資源エネルギーをめぐる争い、価値観・イデオロギーの対立等)の克服と人類の持続的な共存共栄のためには、人類統合的な世界連邦の樹立が必要ですが、そのための基礎になるのが、全人類の永続的幸福をめざす「新世界人権宣言」の構想なのです。

(*注)縮小社会の定義について略述。人類は一万年前の農業革命(トフラー1980)以来、自然を支配し改変・利用することによって全体として冨と文化を飛躍的に蓄積拡大してきた。とくに18世紀のイギリス産業革命を契機とする科学技術の応用・発展によって、生命が蓄積してきた化石エネルギーが大量消費され、20世紀後半からは資源エネルギーの限界や環境破壊が顕著になり、このままでは世界人口の増加とともに飽和状態になると考えられる。地球はこの状態をいつまでも続けていくことはできず、やがて、豊かな物質文明の発展を支えてきた化石エネルギーの涸渇とともに、今日の拡大成長社会は縮小せざるを得ない。人類社会の縮小成長を目指すのが縮小社会となる。縮小社会は、新しい普遍的価値のもとに世界の一体化をめざし、共存共栄をめざし共に生きる社会である。

はじめに

「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。All human beings are born free and equal in dignity and rights. They are endowed with reason and conscience and should act towards one another in a spirit of brotherhood.」(『世界人権宣言 第一条』1948 外務省訳[引用者; この英文と日本語訳が論争を引き起こす不完全なものであることは他の機会に検討したい。])

 この世界人権宣言の考え方は、今日では、国際連合加盟国が共有する普遍的なものとされています。しかし、人類と生命の平和的永続性にとっては不完全であり、今日的な地球世界のかかえる諸問題(環境・資源・暴力・格差貧困等)を克服し、閉塞状況を打開するには不十分です。起草段階で中国代表Chang氏の東洋的発言もありましたが、基本的に西洋的普遍性から生まれた人権と民主主義の考え方には、その根拠づけに限界があるためさらなる検討が必要です。

 まず、この宣言における人権(Human rights人間の諸正義)の基本となる自由と平等は、「尊厳と権利」において根拠づけられています。しかし自由と平等を根拠づけた重要な「尊厳と権利」の意義づけは、起草委段階で論争を招くため断念されました。また、人間を特徴付ける「理性と良心」についても、神によるか、自然(本性)によるかで議論が分かれ曖昧にされました。しかし、明示されていないとは言え、人間の権利(rights 正義)が「自由かつ平等に生まれ(are born free and equal)」、「理性と良心を授けられている(are endowed with reason and conscience)」と受動的に表現されていることは、能動的な神ないし自然の働きかけによって与えられた権利であることを前提とし、人間の主体性(不安定な自己の存在と生き方についての責任義務)を軽んじていることは明らかです。いずれにせよ、西洋思想的に言えば、人権の基軸となる自由と平等は、人間らしい最低限の生活保障を求める社会権とともに、すべての人間が幸福に生存するために、哲学者や思想家が発明・創造・意味づけし、多数決原理の契約によって普遍的観念・知識とされているのです。

『国際連合憲章』第1条では、国際連合の目的の3項目として「人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励すること promoting and encouraging respect for human rights and for fundamental freedoms 」があり、人権は世界平和の構築とともに国連の重要な柱となっています。人権は今日の世界に於いて、人間関係を規制する民主主義の基本原理であるとされています。人間はこれらの知的価値を、与えられたものとしてでなく、実現すべき国家と社会の原理として創造的革新的に発展させなければなりません。

 啓蒙思想によって生まれ、市民革命によって定着した近代民主主義の原則である基本的人権は、20世紀の二度の世界大戦と社会主義体制の成立を経験し、生存権・社会権を加えて大きく発展しました。しかし、21世紀の今日では、世界的に見て経済的エゴイズムと政治的未成熟、そしてそれらから生じている経済的格差と利害対立によって実現の道は遠く、与えられたものとしての権利であるために、人権が保障され経済的に豊かな国であっても、「同胞の精神」は蔑ろにされ先進国と途上国の間だけでなく富裕な国の内部にあっても格差は拡大し、人類全体の幸福にはつながっていません。

 世界人権宣言が出されて半世紀以上が経過するのに、なぜ様々の危機が続行し協調体制が取れないのでしょうか。様々の分析が可能ですが、ここでは思想史的観点から、とくに西洋に始まった近代民主主義の基礎となる人権と社会契約の考え方から分析し、東西思想の統一が図れるような提案をしたいと思います。その解明のヒントは、世界人権宣言の前提となっており、人間の本性とされる「理性と良心」の見直しと、生命進化・多様性の頂点に位置する「人間の尊厳と権利」に加えて、「生命言語説」の立場から人類にとっての「責任・義務」を根拠づけることにあります。21世紀の今日「理性と良心」への信頼は揺らいでいます。この信頼を取りもどすには、人間の理性とは何か?良心とは何か?一般的に「心(精神)とはなにか?」「人間とは何か?」「生命とは何か?」という根源的問いが必要になっています。

 21世紀、縮小社会の始まりは、エゴイズム、刹那主義、享楽主義、思想と社会の混乱、欺瞞と不信、権力主義が横行する社会です。しかし他方、将来への見通しは明るくなくても現状への危機意識に目覚め、現状を打開しようとする動きも見られます。現代世代の幸福だけでなく、将来世代にまで永続的な幸福をもたらす「新世界人権宣言」の原則を提案することが、縮小社会の閉塞状況を打開する一つのアイデアとなれば幸いです。

(1) 人権(Human Rrights)の考え方の発展

(2) 普遍的人権の意義と政治権力の関係

(3) 国家と市民社会との関係について

(4) 基本的人権と権利・義務について

(5) 新しい人権と所有権について

(6) 永続的幸福追求権の考え方について


(1) 人権(Human Rrights)の考え方の発展

―形式的・特殊的・差別的人権から平等的・実質的・普遍的人権への民主主義の進展―

①17,18世紀の市民社会と資本主義成立期における人権思想の普及時代(啓蒙時代から市民革命・産業革命期)には欧米中心の個人主義的人権(自由権・財産権と限定的・差別的平等、植民地支配と争奪戦)が中心であった。

②19世紀に産業資本主義経済が確立し、貧困・失業や労働争議などの社会問題が深刻になった時代から社会主義的人権(社会権・生存権)が唱えられるようになり、その流れは、20世紀には社会福祉政策や社会主義国家の成立に結実し、さらに人種的・民族的差別の解消に向かった。

③20世紀後半における経済成長と技術革新は、地球規模の自然環境の破壊と情報技術の高度化・情報社会化をもたらし、自然環境の保全と情報管理(公開と秘密)の権利への自覚が高まり環境権やプライバシー権・知る権利が人権として認められるようになった。

④ このように人権の考え方の変化は、有産者・社会的強者の人権(生命・自由・財産)から、無産者・労働者・人種・性別・宗教等の違いをこえた「普遍的人権」として発展し、人類全体の幸福を追求する国際的運動―「世界人権宣言と人権規約の成立」に到っている。

⑤ 人権の普遍性は、文化的価値的多様性や個人生活の多様性を超えて、全人類の共通の価値として発展させ、地球的有限性に対応しうる全人類の「永続的幸福の実現」をめざす。化石エネルギーや資源の浪費、欲望の肥大化を容認する権利や幸福は人類に残されていない。

⑥ 従って、追加されるべき人権は、現行の「世界人権宣言」等に現れた功利主義的・経済的権利を超える、「永続的幸福」を求める権利とそれを実現するのに必要な条件である。そのためには、欧米的人権の限界を超え、より普遍性を高めた生命観・人間観に基づく人権観を必要としている。将来の人権には、人間の尊厳を実現するための恒久平和と経済的安定、社会的連帯を達成する義務・責任が含まれる。

※備考1 ①②③は、それぞれ第1世代の人権から第3世代の人権とされる(ユネスコの人権部長等を務めたカレル・ヴァサクが唱えた)。第3世代の人権には、「連帯の権利」として「発展の権利」「環境と持続可能性への権利」「平和への権利」等が提起されている。

※備考2「永続的幸福」については、創造神宗教や仏教の解脱・救済信仰の科学的現代化が参考になる(別項で論じる)。 「永続的幸福追求権」は第4世代の人権として、前3者を根拠づけることが可能である。


(2) 普遍的人権の意義と政治権力の関係

―人権は人類にとっての道徳的要請として再定義が必要―

① 人権の実現は、単なる個人的・利己的要求としてではなく、社会的責任・義務であり、連帯した人間・市民の道徳的要請であり、憲法(constitution)で守られるべき民主政治の原理である(立憲主義)。

② 人権の根拠となる諸個人の「幸福追求権」と「人間の尊厳」は、人間の「理性と良心」に裏付けられた「善的人格」(※)を前提とし、国家に対する権利だけでなく、個人と個人の関係(私人間)を調整する道徳的要請である。(世界人権宣言には「幸福追求権」はない)

③ 普遍的人権としての自由・平等・社会権は、個人・社会・人間としての幸福追求権を実現するための手段であって、政治的議論と経済的利害の調整の場で、不断にその質が問われなければならない。

④ 政治的権力(国家等)は、諸個人の人権の保障だけでなく、諸個人間の人権の対立を調整し、社会構成員全体(公共)の福祉を向上させる義務があり、一部の構成員の利益を優先してはならない。

⑤ 多数決政治権力(政府)の正当性は、人権保障と国民福祉の充実を目標とすることで評価される(少数意見・要求の尊重)。そのための情報公開・知る権利は、普遍的人権を実現する条件となる。

⑥ 普遍的人権の根拠となる「人間の尊厳」は、「生命の尊厳」を根源とし、理性(思考力)と良心(肯定的感情)を持つことによって、すべての人間が「善的人格性」を形成し「永続的幸福」を獲得できるとともに、自己と社会を認知・抑制・制御できるという想定によって成立する。 「永続的幸福」を実現できる社会的条件は、世界政府と諸国家による恒久平和、互恵互助、公正市場、検証熟議である。

(※)注:「世界人権宣言」では、人間は「理性と良心」を授けられた善的人格であることを前提としている。しかし、人間は欲望と感情の動物でもあり善悪併せ持つ存在だから、「人間の尊厳」という制約なしに、すべての人間に人権を認める(悪人・犯罪者にも人権がある)ためには、人間性の中に常に人間の善性(理性と良心)を見いだし、尊重することが「人間の尊厳や正義・権利」、すなわち人権を意味づけることになる。


(3) 縮小社会における国家と市民社会との関係について

―国家(政治)と市民社会(経済)の利害調整は、透明性と公正性が道徳的要請となる―

① 国家(法の制定・執行・判定)の役割は、人権と民主主義の発展と並行して変化し、今日ではすべての国民の福祉と幸福の持続性が優先され、さらに人類世界の平和と発展がその条件となっている。

② 市民社会の利害の基準となる所有権は、近代には個人的労働生産物を公正な所有とみなしていた。しかし、市場の自由な交換契約を通じての所得は、他人労働の搾取を容認して格差の拡大を招いた。格差の縮小のためには、国家による分配的正義(課税と社会保障)だけでなく、市民社会の公正な交換(一般商品と労働力商品の公正な交換=交換的正義)が道徳的法的に要請される。

③ 交換による所得の私的集積や格差の拡大は、人間の労働能力差の限界を超えて、人類文明の発展の成果(貨幣経済・科学技術・社会制度等)を、等価交換(win win)の名目で利己的に運用した(win loss)欺瞞的収益(Winner-take-all経済)の結果である。等価交換は市場の願望であっても事実ではない。

④ 地球的有限性の中での経済の成長拡大には限界があり、未来の世界経済は、縮小成長以外に道はない。自由放任から起こる社会の限界と矛盾を、経済の成長拡大で調整してきた政治経済のしくみは限界をこえ、旧来の「合理的経済人」のもつ「理性と良心」では、対処できなくなっている。

⑤ 物質的功利主義が優先してきた資本主義的経済制度は、他人の不幸(自由競争による勝者の利益)をパイの増加によって軽減することを暗黙の前提として成立してきた。また、精神的救済者としての宗教は、根本教義の知的限界によってその役割を十分果たせなくなっている。よって、幸福追求権(市民革命の人権、日本国憲法13条)の深化発展は、交換的正義と社会的連帯を含む新しい人権(永続的幸福追求権)に求められることになる。

(※)注:国家が、課税と分配によって社会的矛盾や格差の調整をするという民主政治のありかた(分配的正義)は、経済の拡大が限界を迎えれば、パイの分配をめぐる利害対立はより激しくなり社会の混乱は深まる。そこで経済活動における市場交換の等価性自体を問題にして、交換的正義が追求されなければならない。交換的正義は、国家による法的強制では永続性はなく、社会的自覚と連帯を必要とする。


(4)基本的人権と権利・義務について

―Human Rightsは、市民の国家への権利と市民への国家の義務と私人間の連帯を含む―

① 本来、権利(Rights)という西洋的概念は、政治権力に対して生命、自由、財産の保全という個人の要求を正当化するためにright(正当・正義)という用語が、抵抗権・革命権とともに用いられた。

② 人権は民主国家成立の根拠であり、市民の人権を実現することが国家の義務とされた(社会契約説)。基本的人権の擁護・保全は、国家の国民市民に対する一方的義務とされるが、国家や個人に対する権利(要求)と義務(責任)は、法的には相互的である。よって、人権実現のために、国家は民主的でなければならない。

③ 第3世代の新しい人権は、個人の自由・平等・福祉の実現を基本に、人類社会・共同体における相互関係・相互利益を重視し、情報公開・環境権・プライバシー保護権とともに、第4世代の人権の核になる「永続的幸福追求権」の必要条件であり、追求するべき目的である。

④「永続的幸福追求権」は、伝統的文化・道徳や宗教的救済の背景のもとで、「内心の自由」と共に法的制度的保障を受ける。永続的幸福(内心の自由)と表現の自由(一方的な社会的圧力:誹謗中傷・差別を含む)が対立する場合、永続的幸福が優先する。表現(言論ではない)の自由は、公正さと公共の福祉への貢献によって正当化される。

⑤ 基本的人権としての「永続的幸福追求権」は、「内心の自由」から生じるため主観的多様性をもつ。そのため、国家は、諸個人の永続的幸福(心の平安・救済)の内容について干渉はしないが、必要に応じて幸福追求についての市民間の相互援助・連帯を要請し、社会福祉的な条件整備をする(精神衛生・心理臨床や生き方・自己実現概念の発展、「理性と良心」の育成)。


(5)新しい人権と所有権について

① 所有権は、自然的なものであるが、個人の能力に依存すると同時に、法外な所有は社会的制限を設けている。立憲主義の祖であるロックは「十分性の制約」と「浪費の制約」(『市民政府論』)を基準として、所有権を制限したが、今日では彼の想像を超えた「十分性」以上の法外な個人所得が、個人の労働の結果を越えて許されている。侵略戦争や植民地支配にもとづく侵略的所有と資本主義における格差拡大の根源に遡って、不正な所有権の制約を再検討する必要がある。

② 所有権の社会的制約は、国家や共同体の在り方(社会体制)に関係し、権力的に規制されてきたが、近代初期まではその正当化は無制約的(神聖不可侵・自由放任的・強者支配的)であった。20世紀には社会主義的制限(生産用具・手段の私的所有の廃止)や所有権に対する義務(ワイマール憲法)、「公共の福祉」の制約が課せられた。新しい人権の考え方では、不公正な格差拡大の防止のために、所得の透明化と交換的正義(あらゆる所得の公正さ)が追求されるべきである。

③ 地球の資源的冨の争奪・分配・移動は、戦争による略奪と欺瞞による詐取、そして市場の合意による不等価な商品交換による不公正な冨の集積(貧富の格差)の過程を伴ってきた。労働(腕力と知力)による冨の取得と所有は、他人の労働(力商品)を媒介(交換・詐取・支配・略奪)してのみ平均的個人の何倍もの所有を可能とする。市民社会における自由で公正な人間関係と社会秩序は、国家による課税と給付(分配)による社会福祉と社会保障による制度的調整だけでは維持できない。

④「理性と良心」によって許容され、また社会的に受認できる道徳的合理的な所有権の限界が存在する。生命の存続に関わる地球自然(環境)は、全人類のみならず全生命の存続にとっても基本的には共有の財産(環境権を含む)であり、個人や団体の占有物ではない。その上で個人・団体の所有権(相続財産、所得)は、その適正な労働能力によって評価されなければならない。適正な労働の評価でなされる所得格差(所有権)の正当化は、虚偽・欺瞞・詐欺・脅迫等のない交換的正義の実現によって可能となる。

⑤ 現行の国際人権法体系では、所有権における原則的制限は存在しない。個人的所有権は、個人の労働と社会的貢献と公正・正義によって規定される。従来の利己的競争による所有権の規定は、合意の名による非対称的売買関係において、不正な交換取引を隠蔽し欺瞞によって得られた利益を合法化することによって行われていた(低賃金、独占商品、不公正取引、不労所得、著作権・特許権等、役員報酬等々)。自給自足を除いて、所得や利益の分配(人的報酬)は、すべて交換(労働力と貨幣・衣食住・土地等の交換=賃金・報酬)を基本としている。すべての交換的人間関係が、公正と正義にもとづいて行われることが、第4世代の人権に求められる。


(6) 永続的幸福追求権の考え方について

「永続的幸福権」という聞き慣れない用語に違和感を覚えられるでしょう。この人権は、生命共同体を創りだした地球という小さな惑星が、宇宙の奇跡とも言うべき特殊な環境の下で、特殊な進化を遂げた人類の未曾有の繁栄によって、人類自身と多様な生命の永続的生存が危ぶまれている状況に置かれていることに対して、人類全体に求められている人権であると考えて下さい。

 従来の自由や平等や社会権などの人権は、幸福な生存を全うするために、すべての人間が共通に必要とする社会的条件(要求)、すなわち普遍的な権利として認められてきました。しかし、今日ではそれらの人権を将来の世代においても享受できるかどうかの疑いが起こっています。

 有限な環境と資源の制約から、「成長の限界」が明確になり、環境破壊や資源の浪費に対して地球的・全人類的な対応が必要になってきたのです。われわれは、現代世代の人権だけでなく、将来世代の人権をも配慮する必要に迫られています。

 その究極的な解決策として提案したいのは、人間一人ひとりが人間存在についての認識を深め、自然と生命・同胞に配慮しつつ、自己抑制をしながら永続的幸福を得る権利を、基本的人権として認め合い契約を結ぶことことです。その内容として考えられるのは、救済神や解脱法を説くすべての普遍宗教(キリスト、イスラム、仏教等)に見られる永遠的幸福または救済への信仰です。そのような信仰を科学的普遍的に獲得できる過程を、とりわけ仏教の始祖釈尊が、人間の心の解明分析によって明らかにしています。それによれば、永続的幸福とは「人生苦からの解脱」の状態ということになります。

 われわれ危機の時代に生きる人類は、人類が今日まで求めてきた宗教や哲学・心理の思想、経済や政治・社会等の学問そして自然法則の追求や科学技術の開発などあらゆる解決策を総合して、今日の人類的閉塞状況を乗り越えなければなりません。その根底的契機として、まずは古代ギリシアで求められた「汝自身を知れ」という言葉が実現されなければなりません。そのための一助として、「人生苦からの解脱」を、人間存在の根源(欲望、感情、言語=心・精神の三要素)から解明しようとした釈尊の教えを学ぶ必要があります。 詳しくは「ブッダのことばと科学」をご覧下さい。


参照 ☞ 「ブッダのことばと科学 」

【参考文献】

『人間の尊厳と国家の権力 : その思想と現実,理論と歴史』 ホセ・ヨンパルト著. 成文堂, 1990

『人権宣言論争 : イェリネック対ブトミー 』G.イェリネック著 初宿正典編訳. みすず書房, 1995.

『人権、国家、文明 : 普遍主義的人権観から文際的人権観へ』 大沼保昭著. -- 筑摩書房, 1998.

『人権についてオックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ』 / J. ロールズ他著 S. シュート, S. ハーリー編 ; 中島吉弘, 松田まゆみ共訳. -- みすず書房, 1998.

『世界人権宣言の研究 : 宣言の歴史と哲学』 寿台順誠著. 日本図書刊行会, 2000.

『国際人権法における人間の尊厳―世界人権宣言及び国際人権規約の起草過程を中心に―』小坂田 裕子 中京法学46巻1・2号 (2012年)

『人権論の再構築』井上達夫編. -- 法律文化社, 2010. -- (講座人権論の再定位 ; 5)

『人権は二つの顔をもつ』金泰明著 トランスビュー 2014

『国際人権法 : 国際基準のダイナミズムと国内法との協調』申惠丰著. 信山社, 2016

『人権. -- 第6版.』有斐閣, 2016. -- (有斐閣アルマ ; Specialized . 憲法 / 渋谷秀樹, 赤坂正浩著

『普遍性と多様性 : 「生命倫理と人権に関する世界宣言」をめぐる対話』奥田純一郎編著. -- 上智大学出版, 2007

『ブリッジブック国際人権法』芹田健太郎, 薬師寺公夫, 坂元茂樹著 信山社出版, 2017

『コンセプトとしての人権 : その多角的考察』M.フリーマン著 ; 高橋宗瑠監訳 現代人文社, 2016.


◇ 新世界人権宣言へのメモ

★ なぜ現行の世界人権宣言に加えて、新しい世界人権宣言が必要なのですか?

 それは旧宣言が、西洋近代の人間観や世界観の限界を超えず、人権について説得力ある普遍的根拠を示していないことです。そのため、この宣言に賛同している国家自体があからさまな人権侵害を行い、またそうでなくとも人権侵害を黙認し、または正当化している場合が多いからです。非民主的宗教国家やイデオロギー国家、民族主義的国家は、人権侵害がよく知られていますが、民主主義の大国アメリカやイギリス、ロシア、日本でも宣言を正しく実行しようとはしていません。

 その理由の根源には権力者の横暴や利害の対立、保守主義の迷妄もありますが、人間や世界にとって共通のあるべき姿や未来への展望が十分に理解されていないことにもあります。

★ 新世界人権宣言において宗教の役割はどうなるでしょう?

 人権宣言において思想信条の自由・信教の自由は最も重要な権利の一つです。しかし権利(rights)は正義(right)を具現化したものですから、正義に反する自由はあり得ません。自由には責任が伴い、私有財産権による経済活動の自由や犯罪者の身体の自由が制限されるように、信教の自由も制限されます。新しい人権では、その普遍性を保障するために、検証可能性を前提にした公明正大な議論(科学的熟議)が義務化されます。その場合の前提として、科学的知識や方法についての判断基準が問題となります。生命言語理論では、この問題の解決として、西洋的な因果認識論ではなく、量子力学と東洋思想に淵源を持つ「縁起的認識論」の立場を取ります。 ※参照「縁起的認識

 人類は、かつて、宗教教義における神や仏のような万能の権威を持つ被造物(ここでは神仏は、人間の被造物となる)を自ら創ることによって、大きな安心と救済を自らにもらしてきました。しかし、神仏に対する信仰のように、検証不可能で不透明・不確実な認識論によって地上の生命と人間の未来を任せることができるでしょうか?むしろ、神や仏を創造した人間の本質(自然)である言語の解明によって、新たな普遍的価値を創造しなければならないのではないでしょうか。生命言語理論はそのような人類的課題に答えることができます。

 人類は、西洋思想の限界を超えて、人間の本質が解明されたのち、はじめて、人類にとっての新しい普遍的な価値の創造が可能になり、より普遍的な人権(人間の正義human rights)が確立され、世界連邦建設の道を切り開くことになるでしょう。そして人類は、新しい人権と世界連邦のもとで永久平和と永続的な幸福を確立することができるのです。


★○「ユネスコ憲章」の冒頭には、「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」とあります。人の心は、欲求と感情、そして心の記憶を意味づける言語(観念)で構成されています。心の中の平和のとりでは、言葉で作られます。あなたは心の中にどのような平和の心を持っていますか。心の中に生命や人間の尊厳という観念(言葉)を持っていますか?これからの人間は、心の中に平和と人間の尊厳という言葉を育てて、自分の欲求や感情を制御(manage,control)していく必要があるでしょう。