主体性進化説―人生を生きる意味

☆ 生命進化の新原則(主体性進化説)

人生の意味を考えるには「生命とは何か?」に答えなくてはなりません。またそのためには、「生命進化」について明らかにする必要もあります。そうすれば、人間の本質である「言語の秘密」が解けてきます。どんな言葉が、私たちの未来を切り開いていくのでしょう。人間の知識は言葉によって構成されるので、生命にとっての知識が、人生の意味を規定します。生命の知識は、人間存在の意味を明らかにする進化論と深い関わりがあります。

まずは、ダーウィンの自然選択進化論に代わって、新しい進化の原則となる生命言語理論による「主体性進化論」の要約を示します。

「生命の進化は、自然の変化と多様性に対する、生命の主体的選択による生活様式の適応的な多様化である。生命の生存活動(生化学的反応)は、基本的に適応的ではあっても闘争的ではない。また、選択的であっても競争的ではない。生命は無限の自然に適応する限界(程度や手段)をわきまえている。」

その原則は以下のとおりです。

☆ 生命進化の新原則(主体性進化論)

① 自然は選択するのではなく、競争と共生を含む無限の変化と多様性の状態にある。

② 進化とは、無限の変化と多様な自然に対し、生命が自らを多様に適応・変異・進化させることである。DNAの突然変異は、不適応な場合は発生や細胞分裂において補正され、適応的な突然変異は子孫を残し新種の起源につながる場合がある。

③ 生命は変化に適応するために、自らの生活様式と環境を選択するが、その選択に失敗することがある。生存を脅かす環境の変化は、圧倒的に個体の死と種の存続の危機をもたらす。

④ 生命の選択の基準は、個体と種の存続を目的とする適応性(適応選択)であり、その分子生物学的(生化学的)選択・変異反応による適応を、誤って「自然選択」と言わないようにするべきである。

⑤ 動物の行動原則は、自らの内的外的環境からの刺激・変化の的確な認知と適応的な行動である。

⑥ 生命の適応進化は、多様な環境における多様な生存様式への変化と安定性への主体的な追求である。


*三種類の突然変異について (ダーウィンは創造神を自然に仮託している)

 ―突然変異は生化学反応の法則による必然的反応。生命は適応的突然変異を主体的に選択する―

 ―進化の総合説の欠陥は、生命自体が適応的突然変異の選択主体であることを排除したこと―

 ―偶然的突然変異の適応性(生存と繁殖)を選択するのは、競争的自然ではなく生命自体の適応性である。生命の適応性は、生化学反応を継続できる生細胞の恒常性維持機能である。―

 生物進化学において突然変異は、生命(細胞)内外の環境変化や化学結合のミス(であっても法則的反応である)や分子の置換、欠失、付加などに伴ってDNAやRNA、または染色体等に(個体にとっては)偶然的に起こる生化学反応であり、それによってタンパク質製造の設計図と触媒の働きを変質させると考えられます。一般に化学反応は安定的な物質でさえ、光や熱、放射線や無数の化学物質(誘導物質、触媒等)の偶然的な(無数の物理化学的)影響を受けて、上記のような多様な反応(変異)を起こします。さらに、生殖細胞における突然変異や発生における表現形質に直接影響を与える遺伝子発現は、まだ十分にそのメカニズムが解明されていませんが、遺伝子DNAをエピジェネチック(後成的)に制御することが知られています。これは獲得形質を子孫へ遺伝するのを可能とすると言われていますが、DNA本体を変異させるとはされていません。しかし、生化学反応そのものは、法則的に起こるものであり、原因のわからない(ミスや置換、欠失等とされるような)突然変異であっても、化学反応の一種、つまり偶然的突然変異も科学的必然性によるということが言えます(量子化学的説明が必要かもしれません)。

 いずれにせよ、生命にとっての突然変異(mutation)には三種類あり、「適応的変異adaptable mutation、不適応的変異、中立的変異」に分類できます。適応的というのは自然選択説で言う「生存に有利な変異favourable variations 」ではなく、危険な生存環境に自らを適合させる(変異する)ことで、水中から陸上へ、温暖から寒冷にあわせたり、獲物を捕らえたり逃避できる無限に多様な変異を主体的に(試行錯誤的に)選択することです。また突然変異には、DNAやRNA等の高分子化合物に起こる生化学的変異と細胞分裂時の固体の形質に生じる表現型変異があります。栄養素の欠如や毒物の摂取は、高分子化合物や遺伝子の発現に障害を与え、病気として発症する場合があります。また個体の形質の変異は、獲得形質として遺伝的(発生的)に子孫に影響をもたらすことがあります。いずれも変異による不適応的な症状は、個体の生存や子孫を残すことを困難にすることになります。(ダーウィンは変異を、favourable variations と injurious variationsとvariations neither useful nor injurious―有利、有害、中立に三分類する。『種の起源』第四章)

 適応的変異は、環境に適応し子孫を存続させることができますが、不適応的変異は個体と種にとっての病気であり、子孫を存続させないことがあります。遺伝子や固体における中立的変異は、両性の接合による遺伝子変異と共に、生命の存続に影響せず、種内の多様な個性的生存様式をもたらします。遺伝子DNAにおける突然変異は、反応エラーとして修正される場合もありますが、多くの反応エラーは個体の生存に影響を与えず、新種の形成にも至りません。動物や植物の品種改良(育種)における人為選択は、生命の主体的選択を人間の好みに応じて増幅させますが、保護や管理が不十分であれば先祖帰りをしたり、子孫を増やすことができません。

 自然選択説では、生存に有利な突然変異(の累積した個体)が生存競争の厳しさに打ち勝って繁殖し、新種の起源になりうると説きます。しかし、適応選択説では、環境との調和やバランスをとる適応的な選択で、個体や種、生態系のバランスをとって多様な個体や種の永続的生存をめざすと考えます。自然の多様な変化は、生命の存続にとって個体死や種の絶滅という過酷な面もありますが、生命を育み種を永続させる恵みと優しさを併せ持ち、そのために、生命は自然環境の不安定や弱肉強食に適応しながら、多様な個体と種による生態系のバランスを保っているのです。生命(個体と種)に生存と生殖に有利な突然変異(適応的変異)が起こるとしても、その有利さは、適応の有利さであって、競争の有利さだけではなく、棲み分けや共生・互助の有利さでもあるのです。つまり、生命の進化(多様化)は、無限の多様性に対しての個体や種の「優位性」ではなく、有限的(弱者と見える)生存様式であるとしても永続的生存のためのバランスのとれた「調和性」こそ適応的生存とみなせるのです。(マルサス・ダーウィン流の生命の幾何級数的増殖とされるのは、生存の有限性・困難性を補償するための生命の戦略であって、増殖性が目的ではなく永続性が目的である。増殖性は永続性を意味しない。今日生存している古細菌等の原始生命体やシーラカンス等の古代生物は、増殖的有利性よりも適応的永続性の結果である。)

 以上のように、突然変異は、DNAの複製ミスであっても偶然的なものではなく、自然法則に基づく必然性を持っており、「偶然性を強調する」のは人間の認識の有限性を認めている(ミスや偶然に見えるだけ)に過ぎないのです。このような自然選択(適応選択の主体を自然にありとみなす)という理解の混乱は、東洋思想と親和性を持つ量子生物学の知見の蓄積によってやがて解明されると思われます。しかし、今日生物学の主流を占める総合進化説(ダーウィン流の自然選択説、ネオダーウィニズム)では、突然変異に「適応的な必然性」があることを認めていません。これは、それぞれ立場は違って個性的ではあるけれど、総合進化説(自然選択説を中心にした進化説)を正しいと見なす生物学の俊才・大家達、J.ハクスリー、E.マイヤー、E.O.ウィルソン、R.ドーキンス等々に共通の西洋的合理主義(自然法思想・世界は時計仕掛け説)の偏見です。とくにウィルソンの「遺伝子=文化共進化説」とドーキンスの「ミーム説」については、遺伝子中心主義における人間(文化)理解の基本的欠陥(文化における言語論の欠如)をよく示しているので別稿で批判的に論じます。

*簡易原則

① 自然は選択するのではなく、無限に変化する。

② 進化とは無限に変化し多様な自然に対し、生命が自らを多様に適応進化させることである。

③ 生命は変化に適応するために、自らの生活様式と環境を選択するが失敗することがある。

④ 生命の選択の基準は適応性であり、個体と種の持続を目的とする。

⑤ 動物の行動原則は、自らの内的外的環境からの刺激・変化の的確な認知と適応的な行動である。

⑥ 生命進化は、多様な環境における多様な生存様式への変化と安定性への主体的な追求である。

★人類の言語起源や進化は、生命の主体的生存力(適応力)を自覚することなしに論じることはできない。

★ 自然は選択するのでなく、「生命にとって有益かつ有害な変化」をするのみである。

 自然が生命の生き方を選択するのではなく、生命が有益かつ有害で多様な自然(環境)への多様な生き方(種)を選択・適応する。諸生命が独自の生き方を選択しても永続的適応となるとは限らない。生命(自然)を誕生させた環境(自然)は、無限の変化をするが、生命は有限の存在だから適応(生存)には限界がある。自然の変化に適応できない。生命は存続することができない。生命の進化は、環境の変化に応じた生命自体の選択的適応変化によるのであって、自然(神)の選択によるのではない。生命は、偶然的な突然変異を行うし、また獲得形質を選択的に遺伝することもできる。

★ 生物学(総合説)における自然選択の発想は、自然を絶対的な選択主体と考える。

  しかし、自然は選択をする主体ではなく、逆に、生命こそが自然に合わせて自己の生き方・生存様式を適応的に選択しているのである。人間は生命であり、生命は自然(不可知な絶対者・無限)の一部であるから、自然の法則性は、自然の立場からではなく、有限な生命すなわち人間の立場から探究しなければならない。科学的知識(探求)の出発点(選択判断の原点)は、自然(神=絶対者=創造主)からではなく、人間の認識能力(すなわち言語的知的能力)から始めなければならない。そしてその言語能力でさえ生命の選択的適応能力によって獲得されたのである。

 ★ 生存に有利な変異はどうして起こるのか?偶然(突然変異)か、必然(合目的的変異=獲得形質)か?

という問に対して、「主体性進化論」は次のように答えます。生命は、内外環境の不断の変化に対して「生命存続のための適応(主体的適応)」を目的として、変異(適応・調整)を含む生化学反応を行っている。そのエピジェネティックな反応過程での適応的獲得形質の遺伝、すなわち細胞質・体細胞の適応変化から核・生殖細胞・DNAへの影響(相互作用)は必然である。

    参照⇒ ダーウィン主義批判 自然選択説批判


言語の起源と進化―人間生命の本質を知るために

人類は言語を獲得することによって「ホモ・サピエンス(智恵ある人)」となったことについては、今日、共通理解が成立しつつある。しかし、その言語が、一体どのような機能を持ちどのように獲得されたかについては、諸説あるものの謎とされている。この謎を解くには、「生命の起源・誕生」にまで遡り、ダーウィン的進化論(進化の総合説)の限界を克服する必要があります。

私たちは「生命とは何か?」「人間とは何か?」という科学哲学的疑問に対して、「主体性進化論」と「生命言語説」によって解明できるのではないかと考えています。その概要を以下にまとめてみます。

① 生命の定義:

生命とは、原始地球の物理・化学反応の進化によって、循環的・持続的生化学反応を獲得した細胞である。細胞は、代謝、複製、保護膜の三大生命機能によって、熱力学第二法則に反する自律的平衡性を維持することができ、多様な生存形態をとる生化学反応組織(システム・系)である。

② 生命の誕生:

原始地球においては、太陽光・宇宙線・雷放電・隕石爆発・熱水鉱床・噴火・金属触媒等々の自然エネルギー(物理化学)現象によって有機化学進化が起こり、生命の構成要素である高分子化合物(タンパク質・核酸・糖質・脂質等の原型)の生成蓄積(原始スープ)が進んでいたことについては多くの実験や観測で確認されている。「原始スープ」内で起こる物理化学反応や、代謝(クレプス回路様のATPエネルギー管理システム)、複製(RNA・DNAによる触媒タンパク質製造管理)、細胞膜(細胞質保護安定平衡化管理)は、それぞれ数億年の環境変化と無機・有機触媒による有機化学進化によって液滴(コアセルベート)中で統合され、「循環的・持続的生化学反応」が成立することによって生命が誕生したものと思われる。

③ 生命誕生の意味:

生命は、自律的・継続的・安定的な生化学反応の成立によって誕生し、地球という特殊な環境の無限の変化と不安定性に反応・適応して、外界からエネルギーを取り込み、危険を回避し、老廃物の蓄積・老化の防止行い、若返りと存続のための増殖をはかりながら、多様な環境に応じた多様な生存形態(生命進化)をとるようになった。その意味は、「生命は無限の変化と危険の中で、主体的に有限な生存を続けることを強いられている」ということになる。

これは哲学的な表現に思われるが、生命誕生の科学的知見(仮説)から、人間が獲得した言葉による知識や価値の原点になるのではないか。つまり、まず「生命である人間は、生命として生き続けなければならない。」では、どのようにか?「人生を肯定的にとらえ、永続的幸福・満足をめざして生きること。言葉によって社会とつながり自らを意味づける生命として生きること・・・。」ということになる。

生命は地球という特殊な環境のなかで、奇跡的に少ないチャンスを生かして存在することになったけれども、偶然に誕生して進化(多様化)してきたのではなく、無限の変化に適応した生化学反応の持続、すなわち無限の中での有限な生命の永遠の存続という目的をもって地球上に誕生したのです。この「生命誕生の不運を幸運に変える」(「苦を楽に変える」ことは釈尊の教えです)こと、これが生命科学の時代の「道徳的イデオロギー」の基本になるのではないでしょうか。

④ 生命の恒常性維持と刺激反応性:

生命(細胞)が平衡状態(恒常性ホメオスタシス)を「維持する」ことについては、生命の本質を示す用語としてよく知られています。この概念は、本来動物の生理的調節を意味するものですが、単細胞生物についても、エネルギーの取り入れや細胞内浸透圧の調節等においてフィードバック機構を用いて平衡状態が維持されています。「動的平衡(dynamic equilibrium)」という用語も使われますが、「平衡」という用語はもともと「静止状態」ではなく、A状態とB状態を対比させ等価・均等にある反応状態であり、「動的」を含むので、生命の主体的特徴を意味する場合には、「恒常性の維持」がふさわしいと思われます。「動的平衡」を使用する場合でも、エントロピー増大法則を克服する生命の「動的平衡維持」と「維持・存続」を付加するべきなのです。

その「生命恒常性維持」に、なぜ「刺激反応性」を対比させることが重要なのか?それは、地球における「生命の存在意義」と人間の本質である「言語の創造的意義」について知るためです。

そこでまず、ダーウィン進化論(総合説)の誤り(限界)を、次のようにまとめることから始めます。生存に有利な適応的変異はどうして起こるのか?偶然(突然変異)か、必然(合目的的変異=獲得形質)か?という問に対して、私たちの今西的「主体性進化論」は次のように答えます。

“生命は、内外環境の不断の変化(適不適の状況)に対して、「生命存続のための適応(主体的適応)」を目的として、変異(適応・調整)を含む生化学反応を不断に行っている。そのエピジェネティックな適応的反応・調節過程での獲得形質の遺伝、すなわち細胞質・体細胞の適応変化(変異)から核・生殖細胞・DNAへの影響(相互作用・変異と発現の調整)は必然である。”

ここで「恒常性維持と刺激反応性」の関係は、恒常性維持(生命存続)を基準(目的)として、内外の刺激に対する化学的反応(代謝)と個体的反応(活動)に到るということです。単細胞生物でいえば、外界の有害な刺激が化学的反応を誘発し、生命保護のための忌避反応をもたらしたり、また、多細胞動物が、空腹を感じて中枢神経に化学反応を起こし、知覚器官が食糧を捉えれば、運動神経が筋肉に電気・化学反応を起こし、栄養摂取の活動をします。生命の生化学反応や個体の活動(刺激反応性)は、すべて生命恒常性の維持存続という意味と目的をもちます。

さらに生化学反応の意義を説明します。一般的な化学反応(例HCl+NaOH→H2O+NaCl+反応熱)は、「物質間の相互刺激反応」(仏教では「縁起の法」によって、様々の物質や現象は相互に関係を持ち影響を与えあっていると考えます。)であり、熱力学第二法則(エントロピー増大法則)に従ってエネルギー的には無秩序・平衡に向かいます。しかし、生命(細胞)の生化学反応システム(ネットワーク)は、エントロピー増大則に反してエネルギー(熱刺激)を取り入れ秩序を保つ方向に化学反応を継続できるようになります。つまり、物質相互間の循環的刺激反応(フィードバック機構)が、内的外的条件の無秩序化圧力に対して「自律的に秩序化できる平衡状態(自律的平衡・恒常性維持)」すなわち生命存続という目的・基準を持った生化学反応(刺激反応性)を継続することにあるからです。

例えば物質H2Oが、ある系において平衡状態にあるときに、ある条件(熱、圧力、ph、金属等反応・触媒物質などの環境変化=多様な刺激)が加えられれば、H2Oはその刺激に反応することによって他の状態に変化します。熱が奪われれば液体から固体(氷)へ、鉄Feが接触すればH2O+Fe→FeO+H2 等の反応が起こります。物質を取り巻く条件(刺激)の変化によって異なる反応になります。ところがこの反応条件が生命活動においては、細胞系における「生化学反応の調節・制御・継続(生命恒常性の維持)」によって安定化・複製化・循環的平衡化を行うことが基本になります。

生命の恒常性維持は、細胞内環境(温度・浸透圧・濃度等)の活動基準を維持するため、外的環境のエネルギーや栄養素を取り入れ、外的環境の脅威から自らを保護し、老化を克服するための複製をつくります。そのための生存要件・基準の確保こそ生命維持の活動(動物の場合「欲求の充足活動」)であり、内的外的環境の刺激に対して生存基準に合うかどうかの判断・選択・反応をしているのです。

しかし、生命を取り巻く環境は、生命を誕生させ生存を継続させる安全な環境であるとともに、物理化学的に生存にとって危険な環境であることから、生命は原始地球の多様な変化(無常)の中で、共生や融合を繰り返して、さらに適応性(可塑性・安定性)のある生化学反応が可能な個体に成長進化(多様化)したと思われます。そのように、生命が生存維持の危機を乗り越える適応進化の瞬間瞬間が、環境(自然)の変化の偶然性を克服して生命の主体的適応性を増大させ、持続的生存という目的をそれぞれの種が実現しているのです(進化・多様化の意味)。

結論として、「生命の主体性」とは、生命存続という目的を実現するための、多様な環境変化に適応する生化学的な反応力(適応力)なのです。この点から、多細胞動物にとって必然的な認知・判断・記憶を司る神経組織の発達、すなわち刺激反応性の統合(脳の発達)から、言語の獲得によって創造的になった動物・人間が出現したことの意義が明らかになります。

⑤ 生命が「言語」を獲得した意味―刺激反応性の克服(情報の創造)

前節④では、生命が平衡状態(恒常性)を維持し続けるために、内外環境の刺激に対し反応する場合の基準があること、その基準は、原始細胞(とその誕生を促した原始地球環境)の状態を受け継ぎながら、30数億年をかけて多様な生存形態に進化してきたこと、そして、その進化の主体は、原始地球という特殊な自然環境で化学進化を重ね、持続的生化学反応を獲得した生命自体であることを明らかにしてきました。

その生命が、環境に対して動的な反応行動を可能にしたのが動物、とくに多細胞動物です。単細胞の原生動物(ゾウリムシ、アメーバ等)も環境に対して活動的ですが、多細胞動物は、単細胞の集合・共生・融合から機能を分化して、代謝・生殖・知覚器・手足等の臓器や器官を誕生させたと考えられます。それらの機能は、内的恒常性を維持する代謝組織(内臓)を分化・発展させて血液・血管で統合し、生殖機能を特化(両性生殖:卵と精子の放出から保育・胎生へ)するとともに、環境の変化を有効に捉える感覚器官、適応的に行動する細胞間伝達(神経機能)と筋肉組織を進化・発達させました。とくに運動情報を処理する知覚と反応の結合と統合は神経系(小脳・大脳等)を発達させ、人類と言語の出現を準備しました。

「言語の起源と機能」については今日でも諸説あり、「人間とは何か?」を明らかにするためにとても重要です。しかし、これらの解明は、西洋的偏見によって極めて困難な状況にあります。例えば、ユダヤ・キリスト教的言語論、ソシュールの言語記号論、チョムスキーの生成文法、ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論、現象学的言語論等々は、生命論・進化論に見られる非主体的認識論に制約され、人間・言語の一面的な捉え方から解放されていません(参照『言語論』)。

そして、環境への生命の主体的な適応的変異能力(細胞のシステム自体に組み込まれている生化学反応を持続させる適応能力)を、ダーウィン流の自然選択説が「軽視」してきたことによって、言語の起源と進化の解明の障害となってきたのです。つまり、動物における認識能力の発達・進化(対象の正確な認識への欲求・好奇心とその実現=神経系の発達)が、言語による集団の情報交換の必要性だけでなく、主体的・能動的な認知への欲求・好奇心によって、現生人類ホモ・サピエンスが情報の的確な文法表現を獲得・創造することにつながったのです。

すなわち、言語の起源は、言語が単なる情報の伝達や記憶の手段にとどまらず、言語記号の意味や情報の的確な表現や、認識内容による欲求・感情や行動のコントロール(という機能)と関係があるということなのです。動物にも音声(鳴声や叫び)等による情報の伝達が行われますが、それらは類人猿でさえ直接的刺激に対してのみの(直知的)反応です。しかし人間は、言語記号を操作することによって直知できない対象を創造(想像)・表現・伝達します。言語の文法的操作は、対象の指示(what)とその状態や関係性(how)を表現します。これらの思考過程は、動物も直知的(刺激反応的鳴声・動作等)に行っていますが、人間だけに可能な疑問(5W1H等)の解明は、言語・文法の起源だけでなく論理や科学的思考、そして宗教・哲学・文化・文明の起源解明の鍵になります。(詳しくは「言語とは何か―解明の意義」をご覧下さい。)