仏教と「みすゞ観音」

童謡詩人金子みすゞは、

なぜ「観音菩薩」と言えるのでしょうか。

観音さまに人の心はわかっても、人には観音さまの大きな御心わからない。

わからないけどありがたい、わからないからありがたい。

わたしの心のよりどころ、小さなおててを合わせます。

研究主筆 大江矩夫

不世出の天才詩人金子みすゞは、不幸な結婚の結果、文学的素養のない放蕩な夫によって詩作の断念を迫られ、性病に感染し、3歳の愛娘を残して自ら26歳の命を絶ちました。彼女の優しく透明で空想(詩情)に生きる孤独な心は、誰に相談することもできず、幼子を守るための自死という決断をせざるをえませんでした。彼女の決断を我々は様々に解釈することができます。

私は彼女の詩人としての全生涯を生かし肯定するために、また彼女が憧れとした仏(空想上の祖父と父)に迎えられるように、そして幼い命や見逃されがちな小さく弱いものたちへの慈しみの心の持ち主であることから、彼女を観音(観世音菩薩=阿弥陀仏の化身)の化身、すなわち<みすゞ観音>と見なさざるを得ません。多くの人にとって、彼女の詩の無垢で純粋な世界に心洗われ癒されるだけで、そんな理屈はどうでもいいでしょうが、彼女の悲劇の結末を彼女の立場に立って、何とか救ってみたいのです。

話はとても複雑なのですが、私の立場は、仏教的世界の解釈であって、必ずしも一般的に彼女の詩によって現世的利益(共感、慰め、救い、愉悦、または好奇心の充足)を得ているかどうか、彼女の生涯の何を薄幸というかというような評価ではありません。そこでもう少し詳しく、彼女の心に宿っている「菩薩の精神」「慈悲の心」を自己流に解釈してみます。

(1) 観音さま、すなわち観音菩薩(カンノンボサツ)には様々の姿があります。観音菩薩は、人々(衆生)の苦しみの声を聴き、苦しみのありさまを見届け、そのような人たちを自在に救ってくれる慈悲深い菩薩(悟りを求めながら衆生を救済する修行者=阿弥陀仏の化身)です。生命あるもの(衆生)だけでなく、この世に存在するすべてのものには何らかの意味があります。この存在するすべてのもの(森羅万象)に対する慈しみの心、これはカウンセリングの精神にもつながります。

「遊ぼう」っていうと/「遊ぼう」っていう。// 「ばか」っていうと/「ばか」っていう。// 「もう遊ばない」っていうと/「遊ばない」っていう。// そうして、あとで/さみしくなって、// 「ごめんね」っていうと/「ごめんね」っていう。// こだまでしょうか、/いいえ、だれでも。 (「こだまでしょうか」)

打たれぬ土は/踏まれぬ土は/要(イ)らない土か。

いえいえそれは/名のない草の/お宿をするよ。(「」)

私は好きになりたいな、/何なんでもかんでもみぃんな。

葱(ネギ)も、トマトも、おさかなも、/残らず好きになりたいな。(「みんなを好きに」)

(2) みすゞの童謡詩においては、小さく弱いもの、一般の人には見えにくいものにも共感と癒しのまなざしを向けています。そのような日陰になりがちな存在に目を向け、慈悲の心で優しく救いの手をのべます。これらの詩は、家族(祖父、父、弟、母)との別離を伴う寂しさから、自然に紡ぎ出されたものでしょう。そして、彼女にそなわっている慈悲の心は、仏教における観音菩薩の本来の姿であり、彼女自身の救いや癒しだけでなく、多くの人々に感動の共感や癒し・救いを与えているのです。

朝焼小焼だ/大漁だ/大羽鰮(オオバイワシ)の/大漁だ。 浜は祭りの/ようだけど/海のなかでは/何万の/鰮のとむらい/するだろう。 (「大漁」)

(前略)母さんはやさしく/髪を撫(ナ)で、玩具(オモチャ)は箱から/こぼれてて、/それで私の/さみしいは、/何を貰(モロ)うたらなおるでしょう。(「玩具のない子が」)

白い花びら/刺(トゲ)のなか/「おぅお、痛かろ。」/そよ風が、/駈けてたすけに/行ったらば、/ほろり、ほろりと/散りました。(後略)(「野茨(ノバラ)の花」)

散ったお花のたましひは、/み仏さまの花ぞのに、/ひとつ残らずうまれるの。(後略)(「花のたましひ」)

(3) みすゞの青春時代は、祖父や父を知らず、運命とたたかう気丈な母の愛情を受けとめきれず、寂しい心を空想と多くの本に囲まれる中で癒していました。そして、詩作・投稿によって詩人西条八十から「若き童謡詩人の中の巨星」としての居場所を得たものの、不幸な結婚が彼女の人生を狂わせてしまいました。幼い我が子へ愛情をそそぎましたが、病魔に冒された困難な境涯で詩作を断念し、わが子の「玉の言葉」を書き留め、自分の大切にしてきた仏の心の世界と幼い命を、自らを犠牲にして救おうとしました。

(前略)私がさびしいときに、/お母さんはやさしいの。/私がさびしいときに、/仏(ホトケ)さまはさびしいの。(「さびしいとき」)

(前略)忘れていても、仏さま、/いつもみていてくださるの。/だから、私はそういうの、/「ありがと、ありがと、仏さま。」

黄金(キン)の御殿のようだけど、/これは、ちいさな御門(ゴモン)なの。/いつも私がいい子なら、/いつか通ってゆけるのよ。(「お仏壇」)

ダレカ、ダレカ、ドコノコカ、/オブウチャンノ子、/ダレカ、ダレカ、/オバアチャンノ子/オ母チャンハドコノ子カ、/ヨソノ子。(「南京玉」愛娘ふさえ3歳の言葉)

実弟宛の遺書

「私の人生はこれまで人の言いなりの人生でした。今度だけは、自分の意志を通します。」

(4) みすゞは、すべての生命(衆生)だけでなく、すべての存在(森羅万象・有情無情)に対する優しいまなざしでその声を聴き、自己の運命を理解して、我が身の困難を引き受けました。彼女は漁師町の寺院によく通いました。またその町仙崎とその自然の森羅万象を愛しました。菩薩は与楽抜苦(衆生に楽を与え苦しみを抜く)の慈悲の心を持ち、悟りの境地を求める修行者のことであり、この世にあるすべての存在の、とりわけ小さいもの弱いもの、目に見えないものに愛情と共感を示します。それは菩薩に通じる平安な居場所を、自らとすべての存在に与えようとした彼女の心と一致するものです。

どこだって私がいるの、/私のほかに、私がいるの。

通りじゃ店の硝子(ガラス)のなかに、/うちへ帰れば時計のなかに。

お台所じゃお盆にいるし、/雨のふる日は、路(ミチ)にまでいるの。

けれどもなぜか、いつ見ても、/お空にゃ決していないのよ。 (「」)

鈴と、小鳥と、それから私。/みんなちがって、みんないい。 (「私と小鳥と鈴と」)

いつか、ゆびきりしたけれど、/あれきり会わぬ豊(ホウ)ちゃんは、/そらのおくにへかえったの。/蓮華(レンゲ)のはなのふるなかを、/天童(テンドウ)たちにまもられて。/(中略)

失くなったものはみんなみんな、/もとのお家(ウチ)へかえるのよ。 (「失くなったもの」)

小さい波が来てかえる、/入江の岸のみちでした。/私のお手々ひいてたは、/知らない旅のお坊さま。/なぜか、このごろおもうこと、「お父さまではないか知ら。」(後略) (「お坊さま」)

垣がひくうて/朝顔は、/どこへすがろと/ さがしてる。/(中略)/のびろ、朝顔、/まっすぐに、/ 納屋のひさしが/ もう近い。 (「朝顔のつる」)

おてんと様のお使いが/揃って空をたちました。/みちで出会ったみなみ風、/(何しに、どこへ。)とききました。/(中略)

一人はやさしく、おとなしく、/(わたしは清いたましいの、/のぼる反(ソリ)橋かけるのよ。)/残った一人はさみしそう。/(私は「影(カゲ)」をつくるため、/やっぱりいっしょにまいります。) (「日の光」)

巻末手記

――できました、/できました、/かわいい詩集ができました。

我とわが身に訓(オシ)うれど、/心おどらず/さみしさよ。

夏暮れ/秋もはや更(フ)けぬ、/針もつひまのわが手わざ、/ただにむなしき心地する。

誰に見しょうぞ、/我さえも、心足らわず/さみしさよ。

(ああ、ついに、/登り得ずして帰り来し、/山のすがたは/雲に消ゆ。)

とにかくに/むなしきわざと知りながら、/秋の灯(トモシ)の更くるまを、/ただひたむきに/書きて来し。

明日よりは、/何を書こうぞ/さみしさよ。(「さみしい王女」)

雲の湧(ワ)くのはあすこいら、/虹の根もともあすこいら。

いつかお舟でゆきたいな、/海の果(ハテ)までゆきたいな。

(中略)

あかいなつめをもぐように、/きれいな星が手で採れる、/海の果までゆきたいな。(「海の果」)

◇◆ 金子みすゞの願いが実現し、さみしさが癒され、人々に理解されますように・・・・「みすゞ観音」として

南無阿弥陀仏 南無観世音菩薩 南無みすゞ観音 合 掌

「 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでもすでに生まれたもので も、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。」 (『ブッダのことば』中村元 訳 147、149)

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★☆ 観音さまの心は、誰の心にも存在します

金子みすゞを観音菩薩としてとらえることは、彼女の内面を表現する詩が、小さく弱いものや見えないものにも注がれ、それらの存在を肯定的にとらえて、安らぎや救いを求める人々の寂しく悲しい心を癒してくれるところからきています。現実にも、弟正祐氏が述懐しているように「自分をなくしても、まわりが幸せならそれで嬉しい」(正祐回想)という「照ちゃん[みすゞの本名]の不可思議な心境」「手のとどかぬ程の特異な境地」(正祐日記・二月二日)は、自らの命を犠牲にして、幼い愛娘の命を守ろうとした最後の決意に現れています。これは、単なる母性愛というより、彼女の培ってきた精神的な安らぎ(心の糧)を、我が子に与えたいという強い意志の表れでした。

菩薩は、生きてゆくことの労苦を癒し、衆生を迷いから解放して悟りを開かせ、永遠の安らぎのある極楽浄土へいけるよう救済します。彼女においてはすでに、死後に残された三部の詩集において浄土に達する準備はできていたのです。しかし、彼女が自己の内面の葛藤と調和、そこから湧き出る安らかな詩情と救済を伝えたいのは、ただ二人の理解者(弟正祐と西條八十)だけでした。また、遺書に見られるように、自己の命を絶ち我が子に「心の豊かさ」を期待したのは、理不尽な男社会への抗議と言うより、自分自身の身内に起こりうる悲しい運命を(あまり知られたくないと)より深刻にとらえていたからではないでしょうか。彼女の心の内を知ることは誰にもできませんが、寂しさを越え憧れを実現するのは浄土においてしかない、と感じたみすゞの究極の選択だったのではないかと思われます。

みすゞが観音とされなければならないのは、生きることの不条理と理不尽さが世界の常態だった時代にあっては、多くの人にとって阿弥陀如来や観音菩薩によってしか永遠の心の安らぎや救いを得られなかったことに一つの原因があります。彼女の生きていた時代と社会、その窮屈さと不条理が、彼女を弱いもの小さきもの見えないものにも眼を向け、共感的に救いの手を延べる観音菩薩にしたのです。だからもし、当時、彼女の遺稿詩集三部作(全512詩)を公にしていれば、観音菩薩としての彼女への同情は深まり、逆に身内への「○○○殺し」という非難が起こっていたかも知れません。それは観音である彼女には、はっきりと見通せていたはずです。三部作を託された正祐と西條にも彼女の意志と願いは伝わっていたのです。そのことが当時の因習的社会にあって二人に公表をはばかられた理由でしょう。

三部作を公表しなかったのは彼女の意志(「自分の作品は、西條先生と僕にだけわかってもらえればいいの」=矢崎氏による正祐の言葉)であり、それを守り通そうとした正祐と西條の悲痛と配慮は想像するに余りあります(もし彼女が公表を意図していたなら、すべてに控えめな彼女が二部も手書きを作る必要はありません)。みすゞが夫の理不尽を拒み、母ミチや夫松蔵そしてみすゞと縁のあるすべての人々の悲しみを知りつつ、愛しい幼子と自分の心をこの世に留めるためには、まさに自死を以て訴える以外になかったのです。しかし、この時点ではみすゞは、観音ではあり得ません。みすゞが観音となるのは、忘れ去られようとしていた現世でのみすゞの寂しさと哀しさの物語と仏教的な詩情が、詩人矢崎節夫氏によって掘り起こされることになったことによります。

金子みすゞは、仏教関係者によってその宗教的世界観が高く評価されています。観音菩薩は様々の姿に(在家信者にも)化身して法を説きます(『観音経』)。みすゞの詩は、上記の『金子みすゞは、なぜ「観音菩薩」と言えるのでしょうか』で説明したように「仏教的な縁起と慈悲」の世界で構成されています。それはみすゞ生前の公表された詩だけでは明らかになりません(生前公表90詩。宗教的なものは少ない)。矢崎氏の努力によってみすゞの偉業と悲劇が発掘されてはじめてその全容が知られるようになったのです。生前のみすゞの意志には反していますが、「みすゞの甦り」によって、始めてみすゞは、「みすゞ観音」になったのです。これは仏教的縁起で言えば、菩薩に化身した「阿弥陀仏の計らい」と考えざるを得ません。

多くの人が金子みすゞの詩によって癒され、生きることを勇気づけられるようになるのはなぜでしょうか。それは人生のある過程で誰しも味わう孤独と悲しみ、憧れや希望を、深い宗教的な感性と天才的な表現力によって、魂を浄化させる仏教的な詩的世界を我々に残してくれたからです。我々は彼女の残してくれた珠玉の詩(言葉)と彼女自身に感謝しなければなりません。みすゞの詩は、それを鑑賞する人によって、様々な感慨を呼び起こします。しかし、仏教的な背景を理解してこそ、彼女の深い心の思いを共有することができるのです。彼女の詩に共感できる人は、すでに観音の心を持っていると言えるでしょう。

(前略)朝と晩とに忘れずに、/私もお礼をあげるのよ。そしてそのとき思うのよ、いちんち忘れていたことを。

忘れていても、仏さま、/いつもみていてくださるの。だから、私はそういうの、「ありがと、ありがと、仏さま。」(『お仏壇』)

<引用・参照文献>

『金子みすゞ全集』与田凖一他編 JULA出版局 1984

『童謡詩人金子みすゞの生涯』 矢崎節夫著 JULA出版局 1993.

『(別冊太陽)金子みすゞ 生誕一〇〇年記念』矢崎節夫監修 平凡社 2003

『(文藝別冊)金子みすゞ : 魂の詩人』 河出書房新社 2011

『金子みすゞふたたび』今野勉著 小学館2007

『金子みすゞいのちのうた・1』上山, 外松著 JULA出版局 2002

『金子みすゞいのちのうた・2』石川、山本、尾崎著 JULA出版局 2002

『金子みすゞ詩と真実』詩と詩論研究会編 勉誠出版2000

『金子みすゞ永遠の母性』詩と詩論研究会編 勉誠出版2001

『金子みすゞいのち見つめる旅』中川真昭著 本願寺出版社 2003

『金子みすゞ美しさと哀しみの詩』詩と詩論研究会編 勉誠出版2004

『金子みすゞ母の心子の心』詩と詩論研究会編 勉誠出版 2009

『金子みすゞ永遠の抒情』詩と詩論研究会編 勉誠出版 2010

『金子みすゞ再発見―新しい詩人像を求めて』堀切実 木原豊美著勉誠出版 2014

『大法輪』2011年10月号 特集:金子みすゞと仏教

金子みすゞ net詩集

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★☆ 観音信仰は、カウンセリングの新しい人間観に変わる

さて以上の物語は、日本で独自に形成されてきた旧来の大乗仏教の世界観に依拠して、強引に金子みすゞを観音菩薩に浄化転生しようとしたものです。そして、このことは科学的知識のほとんどない迷妄の時代ならいざ知らず、今日では全くの創作話であることは言うまでもありません。

しかし、封建的な制度の残る旧時代の天才みすゞの存在が、自然的宗教的信仰の恩恵と男尊女卑の現実という制約を受けていたことによって、彼女に旧仏教の菩薩としての栄誉を与えることは、決して荒唐無稽なことではありません。それゆえに、当研究所の所論「生命言語理論」に、新たな生き方を求めようとするわれわれにとって、彼女は「旧来の仏教」における「最後の菩薩」ということになります。

これからの「現代化された新しい仏教」は、仏や菩薩によって救済・成仏するというより、科学的な臨床的生理心理学の正しい知識にもとづいて、自らを主体的に、または、人間関係のあらゆる場面において相互にカウンセリング的な対応をすることによって、個々人の内面(心)に菩薩や釈尊の到達した悟りや涅槃の境地を見いだし確立する時代になります。

これは、いわゆる自力による覚醒・浄化・涅槃・成仏の思想ですが、実際には主観的な心の世界であり、菩薩や阿弥陀仏のような他力の援助者も必要とします(ある条件の下ではキリスト教やイスラム教においても同様の境地)。また他力で、様々の手段・方便で悟りに達する場合であっても、究極にはその人の心の問題であるので、自力努力は必要であるし、またそれによって生存中の悟りの境地である「有余涅槃」も可能になるのです。

★ 金子みすゞと仏教とカウンセリング

さて、「治療的な」カウンセリングについて、金子みすゞの次の詩はとても大切なことを教えています。

「(前略)私がさびしいときに、/お母さんはやさしいの。//私がさびしいときに、/仏(ホトケ)さまはさびし いの。」(「さびしいとき」)

この詩で、あなたは、お母さんの対応と、仏さまの対応とどちらが、《より》カウンセリング的だと思われますか?

優しいお母さんの対応は、当然、直接に子どもの寂しい心を癒し慰めてくれますので、カウンセリング的な対応と言えるでしょう。しかし《より》カウンセリング的(治療的)なのは、仏さまの寂しそうな(ようにみえる=主観的な)姿なのです。なぜでしょうか。

治療的なカウンセリング関係は、日常接している母子の濃密な人間関係ではありません。心の傷を負った来談者(クライエント)と治療者(カウンセラー・セラピスト)の関係は一時的なものです。母親は、子どもの寂しさを受け容れ、あなたのことを愛しているから心配しなくていいよ、と全面的に優しく支えられます。しかし、治療者はそうはいきません。あくまでも本人の自己治癒力・成長力をたより、それを引き出す役割を果たします(カウンセリングマインド)。

お母さんの対応は、子どもの依頼心(甘え)を充たし、心の安定を与えます。それに対し、治療者の対応は、子ども(来談者)の寂しさ(否定的感情)を共感的(受容的であって許容的ではない)に理解し、心の安定・自信を与えるとともに、自己治癒力を引き出します。同時に、認知療法的手法によって自己理解を促し、それを肯定的に言語化することができれば、カウンセリングは終了することになります。

カウンセリングは、「他力」を必要としますが、治療の最終目標は「自力救済」による自立または自律をめざします。仏教において「他力」とは釈尊の教えを教わることであり、「自力」とは自己努力によって教えを学び、心の安定・平安を得ることです。さて、上記の「さびしいとき」の詩で、「私がさびしいときに、/仏(ホトケ)さまはさびしいの」は、何を表現し、子どもの気持ちになって何を訴えようとしたのでしょうか。

このことを理解するには、この表現が母親の優しい受けとめよりもあとにきて、結論的に仏様による寂しさの受け止めに救いを見いだしていること、すなわち、カウンセリング的な「こだま」のように「さびしさ」が受容され響き合っていることに、真の安らぎ・癒しを見いだしていることから考える必要があります。

一見素っ気なさそうに見える「こだま」としての「仏さまはさびしいの」が、みすゞ(子ども)にとって、より心の安定・平安と癒しを与えてくれるという次元の高い共感的理解となるのです。子ども(みすゞ)が期待するものは、至上の愛とされる母親の愛を越えて、自分の寂しさを本当に理解し共有してくださっているという仏の慈悲に、真の安らぎ・救いを見いだしているのです。これは、みすゞが自覚していたということでなくとも、みすゞが求めたものが一時的感性的な愛情や慰めではなく、仏によってはじめて得られる永続的精神的な「救いや安らぎ」だったということを示しています。

このような高い次元の(精神的・永続的な)救いや安らぎは、誰もが求めて得ることができますが、それを求めて理解できる人にしか得ることはできません。当時のみすゞにとって自分の本当の「寂しい心」を理解し癒してくれるのは、彼女の心を支えてきた空想の中の仏さま(森羅万象に宿る仏性)だけだったのです。

★ 「みすゞ観音」の心を現代に生かそう

――「みすゞ観音」の心とカウンセリングマインド―― (つづく)

《 鈴と、小鳥と、それから私。// みんなちがって、みんないい。 》 金子みすゞ

《 われわれは/小さなことでは、ちがっているが/大きなことでは、みんなおなじだ。 》 J.R.ベッヒャー

<参考>

幸福論と宗教批判 仏教の現代化