仏教(四諦の教え)の現代化
仏教の始祖である釈尊(釈迦牟尼世尊、シャカ、ブッダ)の教えの基本は、四諦(シタイ、四つの真理)という用語で説明されます。その四つとは、苦諦(クタイ)、集諦(ジッタイ)、滅諦(メッタイ)、道諦(ドウタイ)で、それぞれ「人生苦の存在」「苦の原因」「苦の滅尽」「苦を滅尽する道(方法)」を表します(『ブッダのことば』の解説を参照)。しかし、科学的認識方法の確立していない時代(BC500頃)の教えには、今日的にみて修正すべき重大事象があり(例えば、人生苦については、四苦八苦や煩悩のような否定的側面だけでなく、快楽や意味目的も人生の実相として肯定的に存在しています。)、また臨床心理学や言語学の進展による知見も、「仏教の現代化」に大きく貢献すると思われます。そこで現代仏教の閉塞状況を打開する一方途として、「四諦の教え」を現代化する提案をしてみたいと思います。(なお、別稿「仏教の現代化」を参照していただけたら幸いです。)
1) 人生苦は避けられない(苦諦)
仏教における苦諦とは、四苦八苦といわれる人生苦、すなわち生理的苦痛としての生老病死(四苦)と、 社会的・心身的苦痛(愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦 )のことで、これらは誰もが否定的感情反応(不快、不安、恐怖、抑鬱、怒りなど)を起こし、忌避したい生理的心理的動因となります。そしてそれらが通常以上に過度に心理的負担を与えると心身症的・神経症的混乱をもたらし、否定的感情に対する対処・適応困難(不適応)状態となります。ブッダによれば、欲求が満たされた快的・肯定的感情状態になっても、それを求めて昂進すると欲望は高まり心の平安を得るられずに、欲求不満となって苦しみがつのることになります。人生苦は避けられないし、自ら苦の悪循環に陥ることも多いのです。
2) 人生苦の根源は、生存欲求の実現困難性にある(集諦)
人間の生存欲求である「個体と種の永続性」を巡る否定的感情の増大が人生苦の根源となります(苦諦)。通常の日常生活では、人間は欲求を充足するために快と不快の生理的感情(情動)反応で、快を求め苦を避ける行動を判断・選択します。しかし、快不快の感情・判断は、生得的かつ習得(学習)的な判断基準(価値観)をもち、幼少期からの家庭・社会環境の中で形成される生育歴 に影響されます。とりわけ病的な人生苦の反応(不安症、過敏症、強迫神経症など)は、いわゆる欲求不満耐性の有無・強弱において、過度に神経質な気質や性格の人は、個性の違いはありますが、人生苦を感じやすく悲観的な見方をしやすくなります。通常においても生存欲求を充たすことや快適感情を持続させることは難しく、苦楽の縁起的因果性の根源は生存そのものにあるとされます。しかしそれでは厭世的な悲観論に陥るので、ブッダは修行などの努力・精進で永続的幸福(解脱・悟り)を得る方法を見いだすため、欲求充足への「執着」を「縁起の法」で克服する智慧を完成しました(空の知識・般若波羅蜜 )。
3) 人生苦の克服と永続的幸福の獲得(滅諦)
人生苦に対処・克服し、快適さを追求しながら永続的幸福を獲得するには、その人の個性に合わせて幼少期や成長期に形成された過敏症、不安症などの克服をめざす必要があります。そして、その方法としては、欲求や感情のような無意識の動因の自覚と言語的統制が必要になります。それを可能にするように人生観・世界観を形成することは人生の大きな課題です。かつて人間は、宗教や伝承によって神仏を創造し、人生苦からの解放と慰安を見いだしてきました。それらの苦しみ(罪業)を克服するために、ブッダは出家修行という高い目標をめざし、またその知識は当時としては最高のものでしたが、多くの人にとっては理解が難しかったのです。 しかし今やわれわれは、科学的知識にもとづいた新しい「生命言語理論」によって、仮想の言語的被造物である神・仏に依存しなくても、また過度な見栄や独善や享楽に陥らなくても、そして適度な物質的豊かさと正義・公正な社会を維持することができるなら、すべての人間が人生苦の克服と永続的幸福を獲得できる時代が来ているのです。
4) 精神的成長を通じて自己自身と人間関係を豊かにする(道諦)
①教育(成長):幼少時よりの訓育、道義的社会の構成員としての自覚
②知識(英知):人間は言語的・社会的存在、個人の尊厳と社会的連帯、自然と社会の科学的理解
③修養(自律):心身の鍛錬(学問・体育)、自己省察(瞑想)、社会参加、自己表現(芸能スポーツ)
④共育(信頼):小集団における相互信頼の育成とそのための行動の規範、自己理解、他者理解
<人間の精神的成長とは>
① 人間の言語と文化・文明の発達
人間を含む動物は、「個体と種の維持存続」という欲求(目的)を充足(実現)させるために、快(肯定的情動)を求め、不快(否定的情動)を避ける行動をとる。そして、人間はそれらの欲求や感情を動因として、言語的な創造力による豊かさと安楽・快適さをめざし、自然を変え人間特有の文化・文明を発展させてきた。
② 人間は欲求の充足のために快と不快の感情反応で行動の基本的判断を行い、その認識と行動を言語によって意味付け合理化して、自らの個体と集団の存続をより適応的なものにしてきた。
③ しかし、多様で変転する環境(自然と社会)は、欲求の実現を阻み、容易に安定的持続的生存を許しません。自然においては天変地異と生命の有限性、社会においては利己心による利害の対立と認識能力の限界による自他無理解と虚偽が蔓延し、社会の混乱をもたらします。
④ そこで 人間以外の動物は自然(本能)に身を任せますがが、言語を獲得した人間は、自然の運動と人間の行動の法則性を探求し、世界を言語的に解釈し(what how why etc.)快適で適応的に改変・創造し、文化と文明を発展させようとしてきました。しかし、21世紀の今日にあって、その結果はどうだったでしょう?
⑤結論として<人間の精神的成長>には、単に仏教的悟りの追求(自己修養や宗教的救済)だけでなく、科学的認識に基づいた人間と社会の正しい理解と道徳的社会の建設が必要となることがわかります。そのために次のページとスライドをご覧ください⇒ 「幸福の三類型」 「永続的幸福の条件」 「新社会契約と道徳的社会主義」 「危機の時代の捉え方」 「新社会契約論」
※ 仏教の現代化とは、人生苦に対する臨床心理学的治療・克服方法の確立である
「生きよう。そして永続的幸福を獲得しよう!」これは生命が自己に対して、言葉で告げる最高・最善のメッセージです。ここで永続的幸福とは、仏教の求める涅槃(ネハン、悟り、安らぎ)の境地のことです