チョムスキー批判2
★ チョムスキーにおける普遍文法解明の限界
―「思考と言語」の生成と動物の認知能力の連続性について―
チョムスキーは、デカルト言語学の合理主義的・科学的探求の精神に基づき、言語生成の普遍的原理を追求した。しかし、「句構造規則で生成された深層構造」と「思考と言語の関係(人間的思考における言語の機能)」に関する説明は、他の動物の認知行動様式との「連続性と発展(断絶)性」(の区別)を見逃したために、「言語生成の真の原理」は生得的な深層の内部に謎として隠され、「言語と思考」の本質的理解を困難にしてしまいました。
人間の本質である言語的表現と言語的思考は、他の高等動物の認知行動様式(刺激反応・判断性に由来する)にも共通する外界探求の認知的本質(能力)をもっています。すなわち危険物や獲物などの「認知対象の確定(what何が?)とその状態(howどのように)や関係性(対象と対象間の関係)の認知・洞察」が、人間の言語表現の構造と同根であることの理解の欠如という致命的な限界を生じさせました。それは、人間の言語的思考が、他の高等動物の認知行動の基本であるwhat_ how疑問(状況認識・認知過程・問題解決・好奇心の充足)形式に由来し、言語記号によって構造化されたことを深く考察しなかったことによります。
チョムスキーは次のように言います。
“彼ら[類人猿]は人間とほぼ同じ聴覚系を持っていますが、人間の幼児がほとんど反射的に思考を構築し表現するための複雑なシステムを発達させるきっかけとなる音から何も学びません。そして、他の動物はしばしば人間の能力をはるかに超える驚くべき認知能力を発揮しますが、人間の思考に少しでも類似するものはないように思われます。” (Noam Chomsky Minimalism: Where Are We Now, and Where Can We Hope to Go 言語研究(Gengo Kenkyu)160: 1–41 2021 [ ]と下線は引用者による)
チョムスキーの議論は一見正しいように見えますが、重要な点を見落としています。まず思考を構築し表現するのは音声だけではありません。視覚や動作も思考を構築します。そして最も重要な共通点は、動物の思考が、人間の思考と同様、まず思考の対象(what)を確定し、その状態(how)を確認し、自らの行動を判断・決定することです。このような共通の認知過程は、人間を含む動物の生存を保障する本能的生得的な神経生理的過程です。しかし、両者の決定的な違いは、動物の思考や洞察の対象が、直接的知覚刺激として存在することが必須であることです。チンパンジーの高度な思考を要するゲームや遊びへの関心は、その対象が直接知覚され、しかもほとんどは餌という誘因を必要とします。しかし人間はチンパンジーと異なり、ゲームや遊びを自ら頭の中で創作し、自らの興味関心にもとづいて操作・行動することができる。なぜ人間にはそれが可能なのか?それは、人間の思考が、動物的生得的認知過程(what_how疑問)にもとづいて対象を言語記号化し、脳内で対象記号(言語)を再構成(文生成)することができるからです。以上のことをチョムスキーの「標準理論」に合わせて説明すれば、句構造規則による深層構造とは、動物とも共通しうる「what_ how認知過程」であり、変形規則である表層構造とは「what_how疑問解明過程」と言うことができます。しかるにチョムスキーは上記引用のように説明して、言語(普遍文法)起源の解明を停止させるのです。
上の図を見てください。トラの人間認知と、人間のトラ認知の共通点と相違点を考えます。トラ(判断行動主体)は人間(刺激対象)を見て、何がどうしているか(what, how)を確認し、襲うべきか、退くべきかを判断します。同様に、人間(判断行動主体)もトラ(刺激対象)を見て、何がどうしているか(what, how)を確認し、トラに襲われないように逃げながら仲間に伝えることを考えます。ここで両者共通なのは、対象(what、名詞主語)の確認と対象の状態(how、動詞述語)の把握(認知)の様式(仕方)です。
この様式は、生命活動の基本である刺激反応性から進化的に生じ、環境(外界)の変動に対する生命の認知と判断行動の基本的様式となっており、多細胞動物では神経細胞がこの役割を担います。神経細胞は知覚(受容器)と適応的判断(中枢)と筋肉刺激(反応器)を結合(情報伝達と処理)して、生命(有機体)の適応的活動を制御します。つまり、人間の言語活動もまた動物の認知行動様式から進化し、対象(名詞)の確定と対象の状態(動詞)の認知が、音声記号によって指示・分解され結合・判断されたもの、すなわち主語(対象名詞)+述語(状態動詞)や目的語(対象名詞)+助詞(時空関係)などのような、生成文法でいう「句構造」を成立させるのです。そして句構造は、必ず対象名詞・何whatや状態動詞(形容詞)・どのようにhowを含み、名詞や動詞を限定または修飾して「意味を限定する」品詞(助動詞、副詞、形容詞、助詞など)を加え、文の意味を明確にします。逆に意味を明確にすることは、対象名詞の状態や関係性に対する疑問を明確にすることでもあるのです。すなわち、5W1H(「何が、何をWhat」「どのようにHow」「なぜWhy」「いつWhen」「どこでWhere」「誰がWho)」)を中心に、疑問詞(疑問代名詞や疑問副詞)という動物に由来を持つ生理的認知能力を言語記号化したものなのです。
① 私は少年です。 (私+は)+(少年+です)
*(私+少年)も意味が理解できれば可。明確にするには助詞や動詞が必要。
①’ I am a boy. (I +am)+(a+boy) 誰がwho、何としてwhat、どうあるかhow
*(I+boy)も意味が理解できれば可。明確にするには語順や限定詞や動詞が必要。
② 母親が彼女の子供におやつを与えた。
{(母親+が)+[(彼女+の)+(子供+に)]+(おやつ+を)}+与えた
②’ The mother gave her child a snack.
{[(The +mother)+ gave ]+(her+ child)}+(a+snack)
*誰がwho、誰のwhose、誰にwhom、何をwhat、どうしたhow
③ 母親が、三時になったので、庭で遊んでいる彼女の子供に、おやつを与えた。
③’ It was three o'clock, so the mother gave her child a snack while he was playing in the garden.
*誰がwho、いつwhen、どこでwhere、どのようなhow、誰にwhom、何をwhat、どうしたhow