言葉に絶対はなく、すべて主観的相対的なものです。
言葉の正しい理解から真実の言葉を見いだしましょう。
あなたを救うのはあなた自身の言葉です。
――私は何者なのか、人間とは何であるのか。
私は何を望んでいるのか、今何をすればよいのか。
私はなぜこの世に生まれてきたのか、
親や社会から何を求められているのか。
これらの疑問への答えは、すべて言葉で示されます。
生活すること、働くこと、人間関係をよくすること、
家庭を築き、社会人としての義務を果たすこと、
趣味や教養を高め、人生を豊かで実りあるものとすること、
そして社会生活での権利も義務も助け合いも、
生活を支える労働も、すべてが困難で苦しいものであるとしても、
人間は「正しい言葉」で心を強くし、幸福を得ることができます。
それでは「正しい言葉」とは、どんな言葉でしょうか。
宗教または宗教的組織は、言葉を絶対化しようとします。
キリスト教は、「聖書」の言葉を神の言葉として絶対化します。
イスラム教は、「コーラン」をムハンマドへの神の啓示として絶対化します。
仏教は、釈尊の「悟り」の言葉を借用して「仏の救済」を絶対化します。
マルクス主義は、「科学」の名を歪めて「資本論」の言葉を絶対化します。
功利主義は、欲望のままにマネー獲得の競争に勝つことを絶対化します。
資本主義のもとでは、マネーの言葉(ドル・円etc)が絶対化され、
人々の心を誘惑します。――もっと楽しく豊かに、もっと便利で快適に、
もっと綺麗に、もっと格好よく、もっと美味しく、もっと気持ちよく・・・・。
マネーがあなたのすべての望みをかなえてくれます。――でも本当でしょうか?
「正しい言葉」は、言葉が相対的であることを、一度だけ絶対化します。
言葉の主観的相対性を自覚することが、「正しい言葉」理解の第一歩です。
言葉はそれを獲得する乳幼児において、すでに社会に存在します。
言葉は社会的な音声信号とその意味を、主観的に獲得したものです。
だから言葉(その意味)は、事実として絶対的に相対的なのです。
しかし、言葉が社会的に相対的なものであるとしても、
あなたの言葉は、あなた(個人)にとって絶対的なものとなります。
あなたの言葉が、あなたにとって絶対的なものなら、
あなたの使う言葉を、あなたにとってふさわしいものとするために、
十分に吟味してみる必要があります。
一つの言葉が人間の心(欲望や感情)を捉えると、それに反する他の言葉は、
意識的に歪められ、一つの言葉の意味強化に利用されるか、捨て去られます。
天使と悪魔、善と悪、女と男は、それぞれ対立する言葉ですが、
相互に比較し合うことによってその意味と役割が明確になります。
さらに、言葉の意味や役割が明確になることによって、
人間の心は安定し、その言葉に捉えられ依存するようになります。
私の言葉は、私自身の経験が獲得した意味を持ちます。
あなたの言葉は、あなた自身の意味を持ちます。
社会の言葉は、社会的に創られ維持された平均的意味を持ちます。
私たちに客観的に認識された対象、その対象についての共通の経験が、
私にもあなたにも、社会に共通の言葉の意味を創ります。
ところが言葉は、必ずしも真実を捉えません。
自分を偽り、自分を慰め、存在を合理化したり自虐的にしたり、
そして自らと他人を欺くこともあるのです。
過去のすべての言葉への吟味、
そして言葉自体への吟味が必要なのです。
生命は、なぜ言葉を持ったのか?・・・・・と。
人権・自由・平等・幸福追求・民主主義!愛・絆・連帯・公正、正義!
神・仏・慈愛・善・真実・信仰・救済・希望・天国?
悪魔・罪・汚れ・憎悪・欺瞞・不信・堕落・絶望・地獄?・・・・等々
人間が創り出したこれらの抽象的な言葉は、
かつては、人々の心を揺さぶり、行動に駆り立て、確信となりました。
しかし、今日の世界文明の立場から見ると、
どれ一つとして厳密な人類共通の意味を持ちません。
今流行の文明の多様性や多文化共生等という言葉では、
問題を曖昧にすることはできても、言葉自体の意味を吟味することなしには、
現代の閉塞状況を打ち破ることはできないのです。
言葉の真実と信頼とは、言葉の本質を解明することで始めて可能になります。
言葉の本質は、情報の伝達・操作・記憶とそれに伴う行動のコントロールです。
それらの詳細は「生命言語説」によって解明されます。
生命言語説は、人間理解の根源を明らかにすることによって、
今日の人類が陥っているすべての知的混迷状態を克服します。
もしも、あなたの言葉とそれを用いる心が混乱しているなら、
ぜひ「生命言語説」を学んでください。――あなたの疑問は氷解します。
◇ 人間の言葉についてもっと知ろう
人間の言葉は、欲求と感情に関わり、認識と行動に関わり、
人間の生き方や在り方に関わり、哲学や宗教に関わり、
人間関係の円滑化や破壊に関わっている。
言葉についての吟味のない「人生論」や「哲学」や「人間存在論」は、
20世紀以前の時代遅れのおしゃべりに過ぎない。
人間(自分)ののものの見方や考え方が、どのような言葉で統制されているか?
人間はそのような自己反省的な自覚によって、
自分の心をより安定した力強いものとすることができる。
★ 人間は個体として生まれ生きて、個体として死ぬが、
種として、生命として永遠に生き続けなければならない。
生き続けるということは、豊かにとか、心地よいとか、
自分の子孫や民族だけということではなく、
地球上の生命として、ヴィールスも、細菌も、植物も、動物も、
そして私達人間のすべての隣人とともに、
生命として生き続けなければならないことである。
これは言葉を獲得した生命の知性を構成する、
言葉であり、知識であり、創造力であり、希望であり、
そして、人間的な基本的価値を構成するものである。
「私は想像しがちだが,もしも知識の道具としての言語の不完全がもっと徹底的に考量されたら, 世をあれほど騒がせた論争の多くは独りでになくなり,真知への道は,そしておそらくは平和へ の道も,いまより大いに開けるだろう。」 (ロック.J『人間知性論』大槻春彦訳)
「もしわれわれが人間の知性の及びうる範囲と力とをあますところなく知り、推論に際して用いる観念の本性、われわれがそのときに働かせる作用の本性とを明らかにできるならば、これらの学問[数学、自然学、自然宗教他]がどんなに改められ、進歩するか、とても述べることはできないのである。」
(ヒューム,D. 『人性論』土岐邦夫訳)
★ 人間は、自己と世界(自然と社会)を言語化し、それらすべてを「言語的に意味づける」ことによって生きています。言語的に意味づけるとは、「いつwhen、どこでwhere、何がwhat、どのようにhow、なぜwhy」(5W1H)等の疑問を解明し、空想を含むすべての対象の関係を文法に従って表現することです。言語的表現は、文として知識や法則となり、自然現象の理解と利用を効果的に行い、自己の価値観や行動、そして社会関係の規制を行います。言語の理解は、人間や自然や社会の認識、そしてすべての学問の基礎(認識論)となります。「人間とは何か」の疑問に答える生命言語説は、今まで解明できなかった哲学を中心とする学問上のすべての難問(アポリア)を解決します。
あなたを救うのは、あなた自身が獲得した言葉・知識です。
あなたの言葉は、あなたのものの見方考え方を左右しています。
宗教・社会・経済・政治等のあらゆる組織は、
それぞれの言葉でつながり活動しています。
組織を動かすリーダーは、自らの言葉を絶対化しますが、
それを理解し用いるのはあなた自身です。
◇ 言語とは何か 、人間とは何か、何が今問題とされねばならないのか、
――「生命言語説」は、あなたの疑問をすべて氷解します――