生命言語理論の意義

「生命言語理論(Life-Words theory)」の意義 人間と社会のQ&A

  ――人間は、言語を獲得した生命である――  言語とは 言語の起源 人間存在研究所

 人間は、地上の生命の最高の生存形態だから、人間を規定する言語は、生命の生存様式の本質から解明しなければならない。

 その理論こそ「生命言語理論」である。

 これ以外の言語理論はすべて泡沫のごとく消え去る。

 わたしたち人間は、生命であることや言語を持つことから逃れる(無視する)ことはできません。だからこそ常に、われわれの人生の意味や物事を考える場合、また森羅万象について科学する場合には、生命であることや言語を持つことの意味を考えねばならないのです。

 また、言語の認識論的意義を解明できない旧来の観念論や唯物論は、生命言語論によって克服されます。これからの科学哲学・認識論は、言葉を持つ生命としての自覚からのみ出発できます。学問・知識は、人間の幸福で平和な永続的生存のために新たなステージを迎えるのです。生命言語理論によって、人間は神仏の存在を必要としなくても、自らを力強く生かしていける人類共通の智恵を持つことができます。

 なぜなら、言葉は、神が人間に与えたものではなく、生命が自ら獲得したもの だからです。全知全能の神は、言語を獲得した人間の被造物なのです。では、なぜ人間は、神という完全、無限、全能な存在を創造したのでしょうか?それは人間(生命)の不完全性、有限性、脆弱性を、自らの言語的創造性(想像能力)によって補い、自らを救済しようとしたからなのです。人間が言語を獲得したことの意味の究明が、人間存在の難問(アポリア)の多くを解決してくれます。 


 ――自分の中に生命を発見しよう―― ――自分の中の生命性に気づこう――

 “はじめに言葉があり、言葉は生命の創造物です。人間とは言葉を獲得した生命です。人間は言葉によって神を創り、自らの存在を神によって意味づけました。人間の創造物は、すべて言葉(音声信号)の制約を受けています。石器も火も呪術も制度も、あらゆる文化・文明、すなわち、人間の生活や行動の在り方・様式が、言葉によって秩序づけられています。言葉を持つ人間は、自然を変え利用することはできますが、超越することはできません。全生命の持続的生存のために、地球・自然との調和をめざすのが、言語を獲得した生命の使命なのです。”

生命には生存の維持・存続という意味(目的)があり、生命として言語を獲得し生命進化の頂点にある人間は、その生命存在の意味(個体と種の存続)を言語的に的確に表現し(「生き続けよう」と)、体現しなければなりません。言語獲得の意義は、生命が環境の状態(刺激・情報)を言語的に認知し、社会的(相互的)に伝達・共有し、言語的思考(理性・ロゴス)によって的確に生存活動を行えるようにするものです。ただ、認知や伝達には誤りや意図的な欺き・嘘があり、道具としての言語は十分慎重に検討して理性的に使うのが望ましいものです。

生命言語理論」の構造はシンプルである。

 言語は、生命の適応的生存のために進化したものであり、生命が自然と社会環境に対して、適応的に認識・行動するための最高度の生存様式である。この事実を前提とせず、言語は自然によって選択されたかのような進化論の議論は、人間性を正しく理解できない。(「自然選択説批判」参照) 

人間は、欲求や興味・関心に従って、自然と社会環境の状態を、何が(what)どのように(how)存在するか認識して音声信号(言語=主語+述語)化する。そして、それらを再構成(判断・思考)して、自己の欲求と感情に基づいた観念的世界(知識)をつくり、その世界観に従って世界を合理化(意味づけ)しながら生存・行動する存在である。

 それゆえ、言語についての理解は、自己のものの見方や生き方(観念・知識)についての反省を迫り、既成の知識(価値観やイデオロギー)の相対化をもたらす。人間の(賦与的・獲得的)知識は、自己の経験を欲求と関心と感情に従って言語的に構成したものである。 

 今日までの宗教的・哲学的・科学的なすべての知識は、「生命言語理論」によって見直されなければならない。創造神も数学的知識も哲学的知識も科学的法則も言語なくして存在しない

 『人間存在論』は、そのような人間存在の根源的問題意識に従って、言語論を革新し、現代文明の基盤をなしている西洋的思考様式を再検討し、新たなものの見方考え方を提唱して、人類の直面する閉塞状況を打開しようとする。 

 人類の歴史によって育まれた多様な伝統的文化や生き方は、人類共通の本質的普遍的知識によって改変され発展されなければならない。地球上の生命と人類の持続的共生は、「生命言語理論」の正しい理解によってはじめて可能となる。「生命言語理論」に目覚めた人は、生きることの意味をみいだし、自らの使命を自覚して、新しい人生を永続的幸福のうちに生きることができる。

 

人類共存のための新しい知恵とは、 正しい言葉と知識にもとづく意志的感情が、人間の心を強め、互助と共生の関係を促進し、生命と人間の尊厳を高めることである。正しい言葉と知識とは、生命言語説による心の理解と新しい社会契約の思想である

生命言語説は人間にとっての知識の根拠を基礎づけ、その存在意義を解明し、知識、科学、学問、人間的価値の創造・発展に寄与する根本理論となる。

人間存在についての科学的真実は、神が世界と人間を創造したのではなく、逆に、人間が神と人間の文明社会を創造したということである。なんのためか?地上に出現した不安定な生命存在である人間が、言語的存在となって自らの存在を意味づけ、強化し、安定・成長し、地上に欲望肥大の楽園を創ろうとしたためである。人間の言語的創造力が、有限な生命である人間を、創造神のように偉大なものとし、また同時に、世界を破滅させる悪魔のように自己破壊的なものとしたのである。世界(生命と人類文明)を破滅から救うためには、まず人間を人間たらしめている本質である言語(知識)と自己の心に対する洞察を深め、人類文明の成長発展を、公正と正義にもとづく調和・抑制的なものにしなければならない。

★ 人生についてよく考え、正しく悩み、正しく楽しみ、正しく行動しよう。

                          重要!!ダーウィン自然選択説批判 

――すべての命を大切にしよう―― ――生命が言語を獲得したことの意義を考えよう――  


<生命言語理論の意義>

人間は、自己と社会に持続性を求めて生きていこうとする欲求(個体と種の維持欲求)があり、快不快の感情(快を求め不快を避ける生理的反応)によって反応行動し、言葉によってその行動を意味づけ、制約し、防御し、拡大しながら生きています。

 人間特有の言葉という音声信号は、意図の表現・伝達(という反応)だけでなく、状況を言語的に認識して自己の行動を制御することができます。言葉は、理性的な意識や自我を形成し、言語的二次的欲求と結合した意志的感情(言語的欲求・願望・命令I want,will,must ~という刺激への反応)の働きによって行動を合理的に制御します。しかし反面で、社会的制約の強さによって抑圧された無意識の欲求(貪欲や性欲)や否定的感情(不安や怒り、憎しみや嫉妬等)は、否定的な複雑感情を形成し、言語的合理的解決を困難にして、時には神経症的症状をもたらします。 

 他方「生命言語理論(Life-Words Theory,LWT)」は、地上の全生命の未来に責任を持つ理論です。

 なぜなら、人類に課せられた基本的道徳命題は、未来への調和的永続性だからです。現在の浪費的な人類文明は、その近代西洋的な楽観的合理主義にもとづく刹那的享楽的価値観(功利主義)によって、生命存続が可能な地球環境を破壊するような物質的拡大の道を歩んでいるからです。旧来の人間や社会についての理論・知識・イデオロギーは、三大宗教や哲学、政治経済学を含めてすべて、閉塞状況にある今日の世界的問題解決に役立ちません。なぜなら、今日の学問における人間自身や知識自体のについての根源の理解に到っていないからです。生命言語理論は、この根源的課題の解明から出発しています。

 地球上の生命(生細胞)には、三十数億年前の生命誕生以来、生き続けるという目的があります。その目的は、無限の環境の変化に対応して個体を維持し、種の存続を図ることです。そして、生命進化の頂点に位置する人間は、生命の最高の生存手段(情報の認知処理手段)である言語を獲得したことによって、この言語を用いて生命と人間存在の意味と目的を解明しなければならないのです。言語を獲得した生命である人間は、人間の本質である言語を持つことの意義を理解し、今日の地球規模の危機を克服しなければなりません。


<生命と動物の進化論>

 生命は、原始地球に誕生して以来、無数の生存形態(種)に進化多様化)してきたが、それらは①なぜ、②何のために、そして、③どのようにして行われてきたのでしょうか?――その答を得るために、生命の生存原則、動物には行動原則を知る必要があります。

 生命の生存原則としては、まず、「生命は、不断に変化する原始地球環境の所産であり、危険と安全を伴う無限に多様な環境での永続的生存を目的としている」ことを前提としなければならない。その上で、全生命に共通する三大生存原則は、

A.生命の原初的恒常性維持機能(代謝・適応・生殖)の存続追求、

B.無限で多様な地球環境への有限な恒常性維持のための生存形態の多様化、

C.多様な生化学的変異と無限で多様な環境への適応生存(適応選択進化論)

と考えられる。それに加えて、

 動物の行動原則は、次のようになります。(動物は多細胞・後生動物。海綿・平板動物は除く。)

A.生命(動物)は、環境における無限の刺激情報の中から、生命恒常性の維持(欲求の充足)のために、刺激を選択的に知覚(受容)し、快を求め不快を避ける行動をとる。

B.欲求が充足され生存が維持される場合、快反応として中枢神経系で快楽物質(ドーパミン等)が放出され、快感情(主に哺乳類の快楽、安心、満足等の肯定的感情)を知覚し、その経験は主に神経細胞に記憶され(学習)、次の快を求める行動に向かいます。

C.反対に、生命恒常性の維持に障害がおこり、安全や快楽を損なう事象が発生するようになる場合、不快感情(不快や苦痛、怒りや恐れ等)が生じ、快感情と同じように、その経験は記憶され、不快を与える事象(原因)から逃避したり、その事象を排除・克服しようとします。

D.快を求め不快を避け内的恒常性を求める過程で、外的環境に対しての行動手段(感覚器官や胴手足等の筋肉器官)や行動様式は、生命の刺激反応原則に従って、知覚・判断・記憶・行動を制御する神経系の発達を伴い、中枢・末梢神経等の分化・統一へと進化してきました。


<諸問題解決のためのいくつかの命題>

【前提】人間の本質は、言語による創造性である。言語の創造性は、対象(自然現象やそのイメージ等)を主語名詞と述語動詞(形容詞等)に言語記号化して、対象(名詞what)とその状態(動詞・形容詞等how)を大脳内に再構成することによって想像・イメージ化することです。言語的創造性は、自然という対象に単に依存(反応)するだけでなく、それを言語的認識・思考によって大脳内で再構成して蓄積(記憶)し、さらに社会的に拡大・再構成して人間的文化を創造することである。

1)人間の本質は、言語を獲得した生命である。

2)人間は自らの存在を自覚(対象化)した唯一の生命である。

3)人間は言語の獲得によって、自らの世界(文化)を創造し意味づけながら生きる存在となった。

4)人間の言語は、意図伝達や相互理解だけでなく、行動を方向づける心・精神の構成要素である。

5)人間は、自然の法則だけでなく、人間の構成・創造した言語的知識(宗教・哲学・科学等)によって行動する。

6)人間が当面している混乱と閉塞状況は、利己的な欲得や感情だけでなく人間的知識・思想の貧困による。

7)人間の精神的貧困は、西洋近代の物質的功利主義・科学主義に由来する(宗教、哲学、心理学等)。

8)人間の物質的貧困は、現代の政治経済を支えるスミス・マルクス・ダーウィンの思想に由来する。

9)人間の諸権利についての普遍的思想は、有限な存在である人間の永続的幸福追求から始めることができる。

10)そのために、人間と生命の生存する地球の保全と平和共存のための世界連邦を建設すること。

【補足1】言語的思考の創造的本質は、「何がwhat、どのようにhowあるかbe?」という主語(対象名詞)と述語(状態と関係を示す動詞・形容詞)の叙述構造(文法)によって、対象の状態や対象間の相互関係性を新たに創造(再構成・作文)することにある。他の動物(猿や小鳥など)の鳴声には、直接的認知や行動から分離可能な脳内の再構成機能(言語による内的思考・内言)がないため、論理だけの試行錯誤や洞察による再構成(創造)が不可能である。 

【補足2】精神的貧困とは、生命や人間についての混乱した普遍的知識の不在である。そのため、宗教的・民族的・思想的対立(いわゆるイデオロギー対立)が止まず、解決可能な物質的経済的利害の対立が克服されず、平和や人権の確立、共存共栄・互助互恵の信頼感や連帯も損なわれる。物質的貧困とは、精神的貧困と密接に関連するが、とりわけ科学技術が発展し生産力の飛躍的発展にもかかわらず、先進国の格差の拡大、途上国の絶対的貧困が解決しない理由は、現代社会の基盤となっている資本主義的自由競争(階級闘争を含む)を推進する思想を確立した、西欧近代の巨人的思想家Smith/Marx/Dawin(S・M・D)の知的業績によるところが大きい。現代の知的物質的閉塞状況は、西洋思想の限界内にとどまる彼らの強力な思想を克服することなしに始まらない。そのための思想的基盤が「生命言語説」である。


 ★ 宗教(神・仏)を含む人間の文化・文明は、すべて人間の言語的創造力の被造物

 古来人間は、「人間とは何か?」または「私とは何か?」という疑問をもち続けてきました。

 その結果は多様でしたが、もっとも広範に普及したのはユダヤ教の『創世記』に由来する、神(造物主・創造神)の被造物という考え(「神は自分のかたちに人を創造された」1-27)でした。キリスト教やイスラム教は、人生の不条理や労苦の根源を、神の命令(「善悪を知る木」の実を食べるな)に背いたアダムとイブが、原罪(命令・契約違反)を負って楽園を追放されたことに始まると解釈します。そして、永遠の救済は神への信仰とそれに対する恩寵によって、死後の天国での永遠の生命が得られると説きます。

 それに対して、仏教の開祖釈尊(シャカ)は、生老病死等の人間(動物)の労苦の根源を、生存への執着(無知・無明に始まる欲望の縁起)にあると考え、明知と瞑想によって執着を滅却すれば、永続的幸福である涅槃(解脱、悟り)の境地が得られると説きました。彼にとって現世の幸福は、理法(明知=四諦の法)にもとづく自己救済によって得られるもので、次のように表現しています。「私は、何びとの雇い人でもない。自ら得たもの(理法)によって全世界を歩む。他人に雇われる必要はない。」(『ブッダのことば』25) 

 両者の違いは明らかです。ユダヤ教の伝統は、労苦からの救済を求める神の恩寵への信仰であり、釈尊の教えは、人生苦を克服して解脱を得る知恵と努力(精進)への信仰です。仏教は、後世、菩薩信仰による大乗の教えが広まりましたが、『般若心経』に見られるように、知恵(般若)の宗教であることに変わりはありませんでした。両者において人生の不条理や労苦からの救済は、救世主への信仰であれ、解脱への信仰であれ、ともに高潔な人格者によって説かれた『聖書』や『仏典』に表現されている言葉です。これらの聖句における知恵の本質は言語で表されています。それでは言語の本質とは何でしょうか?

 生命言語説では、言語の本質が理解できれば、神・仏やその永遠性・絶対性が、人間の言語的創造力の被造物であることがわかると考えます。神・仏も文化・文明も、すべて人間の言語的創造力(構想力・思考力)によって、築かれてきたものなのです。これまでのあらゆる人間論、人生論、宗教論や思想・哲学においては、言語への理解が不十分で、幸福や平和、人間福祉は十分実現されてきませんでした。人間存在とその心的機能における言語の役割、とりわけ言語的創造力の理解は、ジョン・ロックも指摘しているように平和や人生苦の克服のための必要条件です。なぜそう言えるのでしょうか?

 なぜなら言語的創造力とは、人間のすべての対象(森羅万象)を言語記号化し、分類して再構成する言語能力のことだからです。「雨はなぜ降るのか?」「なぜ人は死ぬのか?」「なぜ願いが実現しないのか?」「なぜ人々は傷つけあうのか?」疑問は無限にふくらみますが、このような問いは人間言語においてはじめて可能になったのです。対象の分類と、それらの意味づけや評価のための疑問に対する解答(対象の意味づけと再構成=文の生成)が、他の動物には不可能であったのですが、これが人間だけに可能な言語的創造力であり、人間を知的存在・ホモサピエンスにしたのです。

 さらに、言語的創造力の深層には、それを推進する食欲や安全欲や性欲等の生命存続の欲求と、快不快という生理的反応としての感情があることを忘れてはいけません。言語的創造力とは何か?それは人間の認識能力が、言語の獲得(一語文、おそらくネアンデルタール人以前)と神経系の発達によって大幅に拡大し、生存欲求を実現しようとする認識と行動が、言語思考力(対象の言語記号化・洞察力・対象の再構成力)を大幅に高められたことによります。神・仏やその永遠性・絶対性、そして文化や文明の発展と繁栄、さらに戦争や破壊や犯罪、国家や民主主義による市民社会の利害の調整等々の社会活動などすべての人間活動には、人間の心を構成する欲求と感情と言語的創造力が関係しているのです。

 気候変動や環境汚染問題、資源エネルギー問題、南北問題、宗教や民族対立、貧困や格差の問題等々人類や生命の存続を脅かす人類共通の問題は、まずは人類の普遍性を理解することなしに解決できません。多様な価値観の相互理解とともに、人間の本質が言語であることの理解が普遍性を持つことが問題解決の第一歩になると思われます。

(参照「言語とは何か」)


言語とは何か 、人間とは何か、人生を生きる意味とは何か、何が今問題とされねばならないのか、 何があなたを救うのか、そして、何があなたを強くするのでしょうか?

――「生命言語説」は、あなたの疑問をすべて氷解します――by yamada

あなたを救うのは、あなた自身が獲得した言葉・知識です。

あなたの言葉は、あなたのものの見方考え方を左右しています。

宗教・社会・経済・政治等のあらゆる組織は、

それぞれの言葉でつながり活動しています。

組織を動かす指導者は、自らの言葉を絶対化しますが、

それを理解し用いるのはあなた自身です。

言葉に絶対はなく、すべて主観的相対的なものです。

言葉の正しい理解から真実の言葉を見いだしましょう。


生活すること、働くこと、人間関係をよくすること、

家庭を築き、社会人としての義務を果たすこと、

趣味や教養を高め、人生を豊かで実りあるものとすること、

そして社会生活での権利も義務も助け合いも、

生活を支える労働も、すべてが困難で苦しいものであるとしても、

人間は「正しい言葉」で心を強くし、幸福を得ることができます。

 

それでは「正しい言葉」とは、どんな言葉でしょうか。

宗教または宗教的組織は、言葉を絶対化しようとします。

キリスト教は、「聖書」の言葉を神の言葉として絶対化します。

イスラム教は、「コーラン」をムハンマドへの神の啓示として絶対化します。

仏教は、釈尊の「悟り」の言葉を借用して「仏の救済」を絶対化します。

マルクス主義は、「科学」の名を歪めて「資本論」の言葉を絶対化します。

功利主義は、欲望のままにマネー獲得の競争に勝つことを絶対化します。

資本主義のもとでは、マネーの言葉(ドル・円etc)が絶対化され、

人々の心を誘惑します。――もっと楽しく豊かに、もっと便利で快適に、

もっと綺麗に、もっと格好よく、もっと美味しく、もっと気持ちよく・・・・。

マネーがあなたのすべての望みをかなえてくれます。――でも本当でしょうか?

 

「正しい言葉」は、言葉が相対的であることを、一度だけ絶対化します。

言葉の「主観的相対性」を自覚することが、「正しい言葉」理解の第一歩です。

言葉はそれを獲得する乳幼児において、すでに社会に存在します。

言葉は社会的な音声信号とその意味を、主観的に獲得したものです。

だから言葉(その意味)は、事実として絶対的に相対的なのです。

しかし、言葉が社会的に相対的なものであるとしても、

あなたの言葉は、あなた(個人)にとって絶対的なものとなります。

あなたの言葉が、あなたにとって絶対的なものなら、

あなたの使う言葉を、あなたにとってふさわしいものとするために、

十分に吟味してみる必要があります。

 

一つの言葉が人間の心(欲望や感情)を捉えると、それに反する他の言葉は、

意識的に歪められ、一つの言葉の意味強化に利用されるか、捨て去られます。

天使と悪魔、善と悪、女と男は、それぞれ対立する言葉ですが、

相互に比較し合うことによってその意味と役割が明確になります。

さらに、言葉の意味や役割が明確になることによって、

人間の心は安定し、その言葉に捉えられ依存するようになります。

 

私の言葉は、私自身の経験が獲得した意味を持ちます。

あなたの言葉は、あなた自身の意味を持ちます。

社会の言葉は、社会的に創られ維持された「平均的意味」を持ちます。

私たちに客観的に認識された対象、その対象についての共通の経験が、

私にもあなたにも、「社会に共通の言葉の意味」を創ります。

ところが言葉は、必ずしも真実を捉えません。

自分を偽り、自分を慰め、存在を合理化したり自虐的にしたり、

そして自らと他人を欺くこともあるのです。

過去のすべての言葉への吟味、

そして言葉自体への吟味が必要なのです。

生命は、なぜに言葉を持ったのか?・・・・・と。

 

人権・自由・平等・幸福追求・民主主義!愛・絆・連帯・公正、正義!

神・仏・慈愛・善・真実・信仰・救済・希望・天国?

悪魔・罪・汚れ・憎悪・欺瞞・不信・堕落・絶望・地獄?・・・・等々

人間が創り出したこれらの抽象的な言葉は、

かつては、人々の心を揺さぶり、行動に駆り立て、確信となりました。

しかし、今日の世界文明の立場から見ると、

どれ一つとして厳密に共通の意味を持ちません。

文化・文明の多様性や多文化共生等という言葉では、

言葉自体の意味を確定することなくして、

現代の閉塞状況を打ち破ることはできないのです。.

 

言葉の真実と信頼とは、言葉の本質を解明することで始めて可能になります。

言葉の本質は、情報の伝達・操作・創造・記憶とそれに伴う行動のコントロールです。

それらの詳細は「生命言語説」によって解明されます。

生命言語説は、人間理解の根源を明らかにすることによって、

今日の人類が陥っているすべての知的混迷状態を克服します。

もしも、あなたの言葉とそれを用いる心が混乱しているなら、

ぜひ「生命言語説」を学んでください。――あなたの疑問は氷解します。

 

 人間は、自分の中に生命と言語を発見することによって、

宇宙と全生命と自己がつながり、世界を持続可能なものに変えていくことができます。


※参照生命とは何か 言語とは何か 心とは何か 言語の起源 ダーウィン自然選択説批判 マルクス批判 資本論批判 日本文化論 人間存在研究所


補足《生命と言語の創造性》

 生命言語説による構造主義の批判で、「生命や言語の創造性」とはどのような根拠があるのか?と問われることがあります。

 まず「生命の創造性」については、<生命の進化(多様化)そのものに創造性がある>ことを指しています。創造性とは今までにない新しいものを創ることです。生命は、それまで地球上に存在しなかった物質(例えば種々のタンパク質)や、新たな生存形態(進化・多様化にみられる組織や器官、代謝や生殖等の無数の機能)を創ります。地球という特殊な自然に生命が誕生したことには何らの目的はなく、原始地球環境の物理化学的必然にもとづいて誕生しました。しかし、新たに誕生した生命細胞にとっては、生命誕生まで存在しなかった「生命の生存形態を維持存続させるという目的」が発生しました。生命にとってはその目的を存続させるため、無限の変化と多様性という厳しくも優しい(生と死をもたらす)環境に適応し安定的に生存するため、多様な生存形態を<創造(創生)>せざるを得ませんでした。

 生命の起源(誕生)は、不確定な要素が多く、多様な環境に応じて何種類かが生命として誕生し滅亡してきたと考えられます(検証不能です)。原始地球という特殊で無限の多様性と変化に富む環境(熱水鉱床か温泉溜まりかなど)の有機物に富むスープの中で、生命(恒常性維持と分裂再生する微少な細胞・液胞)が誕生したとして、その後の環境の不断の変化や多様性に適応した様々な生存形態をとることになりました(数億年の不安定な生存)。それらの意味で、生命の誕生は、自然による<受動的>産物と言えますが、生命誕生後の生存形態は、無数の化学物質の持続的な生化学反応構造(システム)として、多様な環境に適応した生存形態を<創造的に>形成してきたと考えられます。この微少な単細胞生物の存在は、環境変化のあらゆる困難を乗り越えて、遺伝子変異を伴いながら生命自らを<主体的に>変質(多様化)させてきました。生命進化の長いスパンでみれば、生命は、量子化学(生物物理学)的背景のもとで生化学反応を継続(生命恒常性の維持)するために、不安定な生存環境のもとで生滅(再生・創造と死滅・破壊)や共生と闘争を繰り返しながら進化・多様化、そして維持・存続・安定の道を歩んできたのです(生化学反応の創造性)。

 さらに、人類に特徴的な<言語の創造性>については、対象(情報刺激・意味・シニフィエ)を音声記号(言葉・シニフィアン)化するのは、ソシュールの言うように恣意的で、特に創造的とは言えませんが、しかし、文法に従って文を構成する、すなわち<対象を再構成することは創造性>を含みます。それは言語表現が、対象の状態や主体の判断、すなわち、何がどのように在り、どう判断するか(what,how,why?etc.)という名詞主語と動詞述語の結合や目的語(対象名詞)との関係の叙述(再構成)において、現象や意図を必ずしも<ありのまま>客観的に表現したものではない(主観的である)ことを意味します。

 つまり、言語表現(考え話すこと、単語を紡ぐこと)は、多少とも主観的な要素を持ち、無限に多様な現象の一面を切り取って再構成(表現)しているに過ぎないのです。だから言葉による表現や理解は、常に疑問がつきまとい、正確を期すためには関係代名詞的表現(説明付加)が必要になるのです(例I have a friend who lives in Kyoto.)。文の創造性とは、単なる事実の再構築ではなく、空想や虚偽の構成・創造を含むのです。構造主義が、言葉の構造や形式を強調するだけでは、構造に潜む創造性を見抜けないのです。だから、構造を否定するのではなく「構造から創造へ」というスローガンが必要なのです。そこから望ましい人間的個性(自己・自我)の創造や社会の創造が生まれてくるのです。

 以上のように、まず生命は、生命形態の維持存続という目的を実現するために、進化(生存形態の多様化)の動因として、遺伝子の制御や主体的選択を含む創造性を持ちます。さらに人間は、言語を獲得したことによって、神仏や神秘的救済という世界や人生の意味づけを行い、自然の法則性を見いだして科学技術を発展させ、社会に格差的秩序を創造的に(自由主義者の言うように自生的放任的競争的にではなく)創りだしたのです。そしてこのような資本主義的イデオロギーを創造した主たる思想家こそ、<スミス・マルクス・ダーウィン、(Smith・Marx・Dawin)の自然法思想>なのです。以上追加説明です。