イデオロギーの復権

◇イデオロギーの役割の再認識

―イデオロギーの復興:新たな価値の創造のために―

 かつて19世紀の中頃、マルクスとエンゲルスは『ドイツ・イデオロギー』というドイツ観念論批判を執筆して、その草稿がロシア革命後公刊され、唯物史観の基本的展開が示されていると高く評価された。つまり、人類の歴史は、生産諸関係や市民社会(「土台」としての経済関係・下部構造)が発展段階を規定し、国家の政治形態や様々の思想(イデオロギー諸形態としての上部構造)が、それらの土台の上に普遍性・中立性を装って出現してくることを解明した。その後、『経済学批判』の「序言」において唯物史観の定式(公式)としてまとめられたのである。

 その定式では、意識(イデオロギー)と存在(社会的存在)との関係を「人間の意識が彼らの存在を規定するのではなくて、むしろ逆に人間の社会的存在が彼らの意識を規定する」とされている。しかし、われわれの「生命言語説」においては、意識と存在の関係は、相互的(より正確には相依的・縁起的)であり、意識は、社会的に規定されつつ、同時に社会の在り方を規定していると考える。というのも、意識は言語的であるため創造的であり、かつ自己の存在を意味づけ合理化するものだからである。

 たとえばマルクス主義的「階級意識」は、単に抑圧に対する反発(闘争)ばかりでなく、社会主義社会への「意識変革」を伴って社会的存在を変えていく。また、資本主義的経済成長論者(の意識)は、社会的不満を抑制するため福祉制度を導入して、社会の在り方を変えようとする。このように、物質的利害関係にもとづく社会関係は、意識としての階級的自覚を規定することもできるが、強者にすり寄り弱肉強食の利害関係を推進することもあるのである。「序言」で「物質的生活の生産様式[土台・下部構造]は、社会的・政治的・精神的な生活過程一般[上部構造]を制約する」([ ]内は引用者による)というのは、逆も「相依的」に真なのである。

 つまり、政治形態を含む思想的イデオロギーが、社会的存在を規定し、一方では、社会主義の建設維持に向かわせるし、他方では、社会主義に脅威を感じて市場原理主義や新自由主義という思想が創作され、両者のせめぎ合いの中で生産様式にも多様な形態が生まれるのである。そこで両者を両極として様々の中間的イデオロギーが創作されるけれども、いずれも決定的ではないので、むき出しの利己主義、弱肉強食、民族主義などが現れ、グローバル世界の中で問題が山積して閉塞状況となり、国際組織も十分に対応できないのが現代社会の特徴と言っていいだろう。

 かつて、ダニエル・ベルは、「豊かな社会」の到来を背景にして『イデオロギーの終焉』(1960)という時代を画する論文を書き、今や必要なのは、マルクス主義のような観念的なイデオロギー的構想による社会の全面的変革ではない。科学的知識と技術とを用いた社会の部分的改造のつみ重ねで、資本主義と社会主義の階級闘争的対立は終わり、イデオロギーという概念は死語になりつつあると述べた。しかし、ベルはイデオロギーの人間的本質やマルクス思想そのものの欠陥を解明したわけではない。今日では、旧来の宗教や哲学等を含む様々の伝統的イデオロギーが混乱をしており、それらを集約して人類の統合を可能にするような普遍的イデオロギーが求められているのである。

 そこで、われわれは、「生命言語説」を提示して「イデオロギーの復興」という言葉でこの閉塞状況にある混沌を終焉させられると考える。すなわち「生命言語説」は、人類の未来のための永続的な普遍的基準となるべき「人間とは何か」の解答、すなわち「人間の本質」を解明し、人類の文化と文明の更なる統一的な成長・発展に寄与できるものである。このような言明は大胆なものであるとは言え、その原理は今日の常識的知識によって理解可能で難解なものではない。

 人類は、進化の過程において直立歩行し、自由な両手と言語を獲得することによって、大脳が発達し自然を活用・支配する能力を身につけた。とりわけ言語は、今まで未解明の部分が多かったが、単に情報の伝達手段としてだけではなく、認識手段として新たな情報や知識が構築・創造され、人間の行動が決定・方向付けられることが重視されるようになってきた(認知行動心理学)。人間は、日常的に、自己の存在や行動を言語的に意味づけ・合理化しながら生きている。この原則は、宗教や哲学、学問や技術、伝統や慣習の中でも当てはまるが、従来は、あまり関心が示されず、当然のこととして「言語論」や「哲学的認識論」としても十分取り上げてこられなかった。

 しかし、今日、科学技術の進展に伴い、経済の飛躍的発展とグローバル化が進み、地球一体化とともに資源の枯渇や環境破壊によって、人類の平和的生存や生物の多様性も脅かすような事態が生じてきた。それにも拘わらず、地球的諸課題に対応するイデオロギー的状況は極めてお粗末(「哲学や政治経済学等の思想的状況の貧困)で、三大宗教における古色蒼然とした教義の隠然とした影響力、政治経済活動の基本となる人権や民主主義の思想的限界、資本主義と社会主義をめぐる諸課題、そしてこれらの混乱に拍車をかける道徳的腐敗による利己主義と民族主義と強権主義の横行、真理の探究を目的とする学問の専門細分化と批判的精神の衰退――どれをとっても解決困難と思えるが、その根本は人間理解の根源となる言語理解の限界であった。

 われわれの「生命言語説」は、学問・知識の基盤となる言語理解を可能にする(認識論の革新)ことによって、人間理解の普遍性を確立することを容易にすることができる。つまり、生命としての人間の生き方、ものの見方や考え方、社会的責任等についての従来の宗教・哲学・倫理等における基本的価値観の変革によって、他の人文的諸学問(人類学・心理学・社会学・政治経済学等々)が、世界平和や人間の諸権利の確保、民主主義の確立についての共通理解を可能にする。とくに、現代社会を支配する功利主義的個人主義の社会契約観や幸福追求権を修正し、互助互恵・平和共存の「世界連邦」のもとに、万民のための「永続的幸福追求権」を実現することを目標にイデオロギーの復権を提案します。

 なおそれぞれの主張や用語の詳細については「人間存在研究所」のサイトをご覧下さい。

 ややスケールの大きなアイデアですが、諸氏の積極的・建設的な批判を仰ぎます。