日本共産党「人民に訴ふ」

戦前、戦中を通して日本共産党の関係者は苛烈な弾圧を受けており、敗戦時獄中には徳田球一ら幹部をはじめとした政治犯がいた。

しかし日本の敗戦によっても、たちまち彼らが自由の身になるといったことはなく、10月4日にGHQが発令した、いわゆる「人権指令」によってようやく釈放されたのは10月10日のことであった。

10月10日に釈放された徳田球一や志賀義雄らを歓迎すべく、芝区田村町飛行館に於いて14時より、「自由戦士出獄歓迎人民大会」が開催されたが、当の徳田や志賀は米軍に連行され、出席できなかった。

今回紹介する資料「人民に訴ふ」は、この自由戦士出獄歓迎人民大会において販売されたものであり、恐らく戦後共産党が正式に販売したはじめての文書であろうと思われる。(・・・とかテキトーなことを書いてますが、他にもっとはやい時期のものがあれば教えてください。)

この文書や10月10日の動きについては、井上學,「1945年10月10日『政治犯釈放』」,2013,慶應義塾経済学会,『三田学会雑誌』vol.105,№4,pp.761-776にくわしい。

1945.10.10 人民に訴ふ(表)

1945.10.10 人民に訴ふ(裏・部分)

この「人民に訴ふ」には関係者のものと思われる鉛筆のメモがある。

芝区田村町停車場角飛行館ニ於テ皆午前十時解放サレ午後二時ヨリ出獄者歓迎会アリ此紙ヲ金一円デ売ル 出獄者酒井、神山ナド獄内ノ残虐ヲ訴ヘ、徳田志賀ハ獄内ノ様子陳情ノ為米軍第一騎兵師団ニ赴キ会ニ出席セズ 演説中天皇制廃止ノ声アルヤ全聴衆拍手セムト云 此時出獄者徳田球一、志賀義雄ノ二人ガ騎兵師団ニ赴キタルコトト後ニ聞ケバ米軍ガ会場ニ於テ両人ヲ入場前ニ自働車にノセ師団ヘ連レ帰リタルモノニテ、師団ニテハ両人ヲ大ニ待遇シテ吾夜ヲ遇サシメタリシテヨリ、両人ハ米軍ノ干渉ヲ憤レリト云

このおよそ10日後の10月21日、京都新聞会館にて解放運動犠牲者同志出獄歓迎集会がひらかれ、ここでも「人民に訴ふ」が販売されたが、こちらはガリ版刷の文書であったようだ。

1945.10.21 人民に訴ふ(表)

この「人民に訴ふ」にも、先に紹介したのと同じ関係者のものと思われる鉛筆のメモがある。なお判読不明部分は○とした。

廿、十、廿一夜 京都新聞会館ニテ出獄者歓迎講演会ニテ之ヲ売ル 東京ニテ用ヒシモノト内容同一ナリ 同夜ノ出席者ハ東京場合ト同様ニ鮮人多シ 講演後米軍将校○○テ米国ノ監理 政治ノ功績ヲ述ベヌ 鮮人大学生ハ大学批判ヲ行ヒタリト云

また、この集会で歌われたという記述のある「赤旗の歌」の歌詞カードもあるので、紹介する。