誤りのある可能性大なので各自文献にあたることを推奨する。
≪第一次共産主義者同盟の分裂から解体まで≫
60年安保闘争の終結とともに、その総括をめぐってブント指導部は、外部からも内部からも批判の矢面に立たされる。
1960.03 共産同第4回大会 ブント中央は指導力を事実上喪失。
1960.07.29-30 共産同第5回大会 内部矛盾を露呈。事実上の流会。
1960.08.10 共産同指導部を批判する学生派は清水丈夫書記長代理以下で臨時政治局を設置。
⇒分派抗争表面化
1960.09 学生派が分裂。それぞれ革命の通達派、プロレタリア通信派を結成。
・革命の通達派:服部信司を中心とする極左的な東大グループ
・プロレタリア通信派:清水丈夫、姫岡玲治らが中心となった中間的なグループ。
1960.10 旧政治局の労対派、森田実らが戦旗派を結成。
⇒ブントが革命の通達派、プロレタリア通信派、戦旗派の三潮流に整然化。
プロレタリア通信派が全学連とブントの主導権を一応掌握。 →学生派再統一を図るも失敗。
1961.02.25 学生派再統一に反対する林紘義(栗木伸一)、田川和夫らが分派宣言を行い、共産主義の旗派を結成。(機関紙「共産主義の旗」第5号http://www.mcg-j.org/japan/history/kyousan.html)
⇒革通派、プロ通派、戦旗派、共旗派が分立。
※但し関西では関西社学同が一切分裂することなく残存。
この状況に革共同全国委が集中的批判を浴びせるとともに積極的に介入。
1961.02 戦旗派は革共同全国委と基本的に主張が一致するとして、同派との統一を決議。陶山健一(分裂後中核派へ)、森茂(鈴木啓一。分裂後革マル派へ)らこの方針の支持者が革命的戦旗派を結成。
1961.03 清水丈夫が革共同全国委へ加入し、プロ通派が解散。
(プロ通派の解体に関して、革共同全国委は1961.03.25付『前進』26号上の論文「すべての革命的共産主義者は革共同全国委員会に結集せよ」において、「戦旗派の『統一』決議が共産主義者同盟の解体過程に投じた影響を検討」する中で「影響は…真正ブントの拠点であったプロ通派の分解と事実上の解体として結果した」とする。詳細に関しては革共同再建協HP掲載の「本多延嘉著作選」第一巻を参照のことhttp://kakukyodo.jp/h.tyosakusen/no1025.html)
1961.04.20 革命的戦旗派が解体と、機関紙「戦旗」廃刊を宣言し革共同全国委へ合流。
この頃60年末以来の星野中ら中心人物の引退で革通派が事実上消滅。
1961.04.05-06 全学連27回中央委員会で共産同の解体を確認。
篠原浩一郎社学同委員長から社学同解散とマル学同=革共同全国委への結集が宣言される。
⇒第一次共産主義者同盟が名実ともに消滅
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後の共産主義の旗派の系譜
1961.12 共旗派が日本共産労働党結成を呼びかける。
1961.12.29 日本共産労働党結成準備会(委員長・田川和夫)を開催。
1962.04 日本共産労働党結党。
1962.12 日本共産労働党が共産主義者同盟に改称。(議長・林紘義)
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≪共産主義者同盟の再建と第二次共産主義者同盟成立への途≫
1961.07 マル学同へ結集しなかったブントの残存勢力が社学同再建を志向。
1961.07.11 中大・福地、早大・古賀、東大・山崎らの社学同活動家が「社学同再建アピール」発表。のちにSECT6形成。
1961.08.11 東大革通派が社学同再建準備委員会名義で機関紙『希望』を発行。 のちの東京社学同書記局(反事務局派)。
1961.10.07 全学連執行部派(マル学同派)とは別に都学連第14回大会を単独開催。社学同再建準備委派の執行部選出。
1961.11.13 東京社学同が新たに発足。
1961.12.05 福地議長ら社学同全国事務局派がSECT6を結成。(詳細は『SECT6+大正闘争資料集』を確認のこと)
1961.12.15-16 社学同再建準備委員会全国支部代表者会議開催。
1962.02 旧革通派系が全国事務局派粉砕のアピールを行なう。
1962.03.30 旧革通派系はSECT6の全国事務局派を除名した東京社学同書記局を設置。新都委(委員長・佐竹茂)を選出。この都委が関西社学同(京都府委)と提携。
1962.04.26 関西共産主義者同盟結成。委員長・飛鳥浩次郎 機関紙『烽火』 関西社学同も同時結成。
1962.09.15-16 東京社学同と関西社学同による全国大会開催。社学同全国委員会確立。委員長・味岡修
1962-1963 社青同、構改派と共に〝反代々木・反マル学同〟の三派連合形成。
1963.08 三派連合から構改派離脱後、中核派参加。社学同全国委・社青同・中核派の三派連合形成。
1963末-1964 社学同全国委が三派(マル戦派、ML派、関西社学同)に分裂。
1963.11 社学同ML派が新しい前衛党結成のための準備組織としてマルクス・レーニン主義者同盟結成。委員長・豊浦清(東大)。
・社学同マルクス主義戦線派:石田寿一(東大)、望月彰(東学大)らが1962.12に結成の研究グループ。『マルクス主義戦線』を発行。ML派の形成後、同派との間の対立激化。
1964.02 ML派が社学同ML派の書記局設置。
1964.02 ML派の書記局に対抗して共産同内少数派とともにマル戦派が新書記局設置。
1964.03.21-22 マル戦派、共産同再建大会を開催。共産主義者同盟(マルクス主義戦線)に改称。
1964.04 ML派が共産同ML派結成。
1964.06 マル戦派から中大の味岡派が分裂、独立社学同結成。
1965.03 共産主義者同盟の統一問題発生。ML派から統一賛成派が離脱して独立社学同と共に独立統一派を結成。ML派は少数派に。
1965.07.31 関西社学同と独立統一派が合併し統一派に。社学同全国委員会を結成。
委員長・高橋茂夫(中大)、副委員長・塩見孝也(京大)、高原浩之(京大)、書記長・斎藤克彦(明大)。
1965.08 社学同統一派が共産同(統一委員会)結成。機関紙『先駆』より先駆派とも。
1966.09 再建六回大会開催。統一派とマル戦派が合同し共産主義者同盟成立。
議長・高橋良彦(松本礼二)、書記長・服部信司(水沢史郎)。しかし内部的な対立はなおも残る。
1966.10 社学同でも統一派とマル戦派が合同。社学同統一派が成立。委員長・成島忠夫
⇒第二次共産主義者同盟成立
≪関連≫
・(年表)二次共産同分裂から旧マル戦派系三派成立まで('68.03~'68.12)
・(年表)旧統一派の分裂と赤軍派の成立('68.12~'69.08)