社会主義労働者同盟

1.基本情報

【名称】社会主義労働者同盟

【結成】1966年11月

社会主義革新運動、統一社会主義同盟内の社会主義統一有志会、日本のこえ派多数などが結集して構改派系の統一組織としての性格を有する共産主義労働者党結党へ向かう中で、社会主義革新運動内の統一反対派の中村は’66年7月に社革を脱退し、11月に社会主義労働者同盟を結成した。

2.ヘルメット

≪学生組織≫

【名称】共産主義学生同盟

【結成】1967年初め

【ヘルメット】緑地に「共学同」。

1970.05.15 羽田空港に突入をアピールし、大師橋下埋立地で部隊に突き当たる全共斗など(愛知外相訪ジャカルタ阻止斗争)

社労同の学生組織としては共学同が存在する。ブログ版においては長らく’68年結成との記述になっていたが、匿名の方のご指摘により誤りが判明したほか、文献を紹介して戴いたことにより共学同内部の細かい事情もわかった。(これの経緯についてはボリューム(E:)ブログ版の記事全国自治会共同闘争会議諸派その4 共産主義学生同盟のコメント欄参照。)その文献は『回想の全共闘運動-今語る学生叛乱の時代』(彩流社、2011年10月)であり、その中の93頁以降、共学同教育大支部指導委員会書記長前田氏の記述に詳しい。氏は共学同の前身である共青時代からの同盟員で、中心となって共学同を結成した人物である。

共学同の前身は前述の通り日本共産主義青年同盟(共青)である。共青は社会主義労働者同盟を結成した中村が所属していた社革の青年組織である。共学同の結成までは、社労同の青年組織は長らく共青であったと思われる。尤も共青とそもそもの上部組織である社革との関係は’66年頃には希薄(95頁)であり、共学同の発足に関しても社労同からの干渉があったことを示す記述はない。

共青は’65年春の自治会選挙で民青に敗北するまで長らく教育大の文・理自治会を掌握していたが、この敗北により共青系の指導は崩壊し、唯一持ちこたえていた農学部自治会も同年秋の選挙で敗北した。

このような危機的情勢の中で’66年末から’67年初に共学同結成という形での組織再建が行われた。中心となったのは教育大の’64、’65年入学組の共青同盟員12、3名であった。自治会は民青系に、学内のベトナム反戦運動組織の主導権は同じ構改派である統社同に握られていた。

同年10・8の佐藤訪ベト阻止闘争(第一次羽田事件)においてはノンヘルの自治会共闘の部隊が穴守橋付近にてデモ中に機動隊からの暴行でけが人を出し、共学同はこれを受けていち早く緑色のヘルメットを被った。KSBの組み文字を共学同のマークとしたとのことで、恐らく共学同のドイツ語訳の頭文字であろう。

あまり大きな組織ではないので写真は少ないが、毎日ムックシリーズ20世紀の記憶『連合赤軍“狼”達の時代 1969-1975』26頁の69年7月頃の教育大の写真に幾つか見える。