共産主義労働者党赤色戦線派

1.基本情報

【名称】共産主義労働者党[通称:赤色戦線派]

【結成】1972年12月

【機関紙】『赤火』

共産主義労働者党は’71年秋に、沖縄闘争や武装闘争をめぐって労働者革命派(後に全国委員会結成)、プロレタリア革命派(後に全国協議会結成)、赤色戦線派の三つに事実上分裂した。労働者革命派の樋口篤三の革命家・労働運動家列伝④革命家の人間像――春日庄次郎(下)―日本で稀な革命家の人間像 晩年の10年―に よれば、事前に武装闘争を察知していた警察のガサ入れによって会計帳簿や党員名簿が押収されている状況下で、’71年秋に赤色戦線派が武装闘争を踏み切ろうとしたのを、労働運動に依拠し中央委員7名を擁する労働者革命派と学生運動出身で指導部に居た白川書記長らプロレタリア革命派が同調して阻止し、完全に三分裂したという。

その後’72年12月に赤色戦線派は共労党赤色戦線派を結成した。

2.ヘルメット

【名称】赤色戦線

【ヘルメット】赤地に「赤色戦線」

無題 (『あゆみ』機動隊創設30周年記念特集号126頁)

赤色戦線派の勢力はそれほど強くないために写真で確認するのはなかなかに困難で、三里塚関係の写真集で写り込んでいるのを確認している(書名失念)。上掲の写真は警察の内部向け記念誌に掲載された写真だが、場所日時等は一切不明である。なお、参照可能な写真としては戦旗日向派の写真を展示している元活動家の方々のサイト、戦旗派コレクション内、1975.9.30天皇訪米阻止闘争 多摩川緑地公園の写真一枚目左側に写り込んでいるのが見える。

3.実物資料

・共産主義労働者党[赤色戦線派]全国政治新聞『赤火』№1 共産主義労働者党 1973.10.01付