【名称】共産主義者同盟(紅旗)
【結成】1976年3月
【機関紙】『紅旗』
【理論誌】『紅旗』
赤軍派再建を企図した大久保文人によるグループ、『プロレタリア独裁』編集委員会が、’76年3月に共産主義者同盟全国委員会(ボルシェビキ)と組織合同して、共産主義者同盟(紅旗)を結成した。全国委(ボルシェヴィキ)は烽火派から分裂した加納(久松)を中心とするグループであった。
しかし組織合同後間もなく、1年を俟たずして’77年2月に大久保・松平・生田らのグループと、加納・本田らのグループに分裂した。形としては大久保らのグループが第2回大会に於いて加納らのグループの活動家、本田、加納、上原、岡、田中らを「党乗っとりの陰謀」があったとして除名している。
除名された加納らは、飽くまで組織問題に関する党内闘争に過ぎなかったにも拘わらず大久保・松平・生田らの「経済主義三人組」が分裂行動を無制限に拡大したがために分裂に陥ったとして、再統合を呼びかけつつ離脱したが、組織の大半は大久保らに従って留まった。
紅旗派は’80年1月10日に共産主義者同盟(労働者組織委員会)を吸収したが、同派の詳細は不明である。一説にはブントを名乗っているものの、ブントの潮流ではなくフロント系の組織だという。
’81年9月には共産主義者同盟(革命の旗)と合同し、共産主義者同盟(赫旗)を結成した。
詳細不明。一応ヘルメットは着用していたのではないかと思われる。
1977.07.24 「年内開港粉砕!」機動隊を撃破して進撃する三里塚闘争(紅旗派中央機関紙「紅旗」17号 1977.08.10付)
・共産主義者同盟(紅旗)中央機関紙『紅旗』17号 表題部 1977.08.10付
・共産主義者同盟(紅旗)理論誌『紅旗』創刊号 表紙 1980.08付