安保批判の会に対する「警告書」

大日本愛国党といえば、かつて赤尾敏総裁が数寄屋橋で行っていた辻説法で、また東京都内においては山手線の高架下などで多く見られた独特のステ貼りで知られる著名な右翼団体である。

警告書の宛先となっている安保批判の会は主に芸術家や文化人による団体であった。この「警告書」は、昭和34(1959)年11月9日付となっており、その1ヶ月前の10月9日に同団体が結成されている。

≪参考≫ 安保批判の会 ビラ

この「警告書」には入手時から大日本愛国党幹部2名(愛国党機関紙「愛国新聞」編輯部長 中堂利夫・大日本愛国党参与 浅沼美知雄)の名刺が入っており、おそらくこの両名が「警告書」を携えて安保批判の会に抗議申し入れに来たのではないかと思われる。