マルクス主義青年同盟

1.基本情報

【名称】マルクス主義青年同盟(準)→マルクス主義青年同盟

【結成】1974年頃

【機関紙】『党旗』

【機関誌】『共産青年』→『党人』

【公然拠点】紅灯社→党旗社

【結成声明】マルクス主義青年同盟(準)結成声明

マルクス主義青年同盟(準)は’74年頃、ML派の流れを汲む解放委員会と旧マル戦派系の佐野茂樹指導下のレーニン研究会との組織合同により結成される。

解放委員会はML派が幹部クラスの大量逮捕に伴い’71年5月頃内紛の末に事実上崩壊した後、’72年8月に残存メンバーが結成した組織であり、レーニン研究会はマルクス・レーニン主義及び毛沢東思想を掲げて’71年9月に結成された組織であった。

なお名称の「(準)」については「準備会」を示すのが通例であるが、マル青同(準)の場合はそうではない。結成声明によれば、「青年同盟としての組織活動を準備会として展開すると云う意味ではなく、さらに四つの観点の実現のために苦闘し、その過程で 多くの真摯なるマルクス主義者、党派と指導(部)の堅実な集中を一歩一歩確実になしとげる、と云うことの決意表明であり、真摯なるマルクス主義者、党派を 自負する多数の同志たちに対する、団結して共に、現状の混乱を克服しよう、と云う熱烈な呼びかけを、青年同盟として行なっている、と云う意味なのである。」としている。

この「(準)」がいつとれたのかについては調査中である。

2.ヘルメット

【ヘルメット】赤地に「青年同盟」、後ろに「マル青同」。

1974.10.31 狭山闘争デモ警備 部落解放同盟は、日比谷公園に19,000人を集めて集会を行ったのちデモに出発した。(注:マル青同の隊列は奥の右端に見切れている方。)

1975.04.12 都知事選街頭演説警備 都知事選で「反帝、反社帝」を叫んで騒ぎを起こしたマル青同。 部隊によりマル青同を分離

1975.05.01 第51回メーデー警備 マル青同の無届デモ 2人を検挙

共産主義者同盟の系譜に属する赤ヘルを装備し、戦闘服に身を固める独特のファッションを確立。

2015年になって若手の共産趣味者がこのマル青同のカラー写真を「発見」し、twitter上で報告したことで話題となった。

当該写真が含まれていたのは、国籍は不明だが、欧米人が'79年に訪日したときの写真群で、Flickr上にアップされていた。その中に5月1日のメーデー集会の写真が含まれており、そのうち2葉の写真でマル青同が確認できる。

Link: May Day Demonstrator - Tokyo 1979 , Demonstrators w/Helmets - Tokyo 1079

この写真の存在で左上腕部に腕章をしており、その腕章の赤白赤という色合いが、ML派のモヒカンメット、或いは学生戦線であるSFL旗・ML旗の色合いを継承していることが確認された。(ML派の旗としては、中央に大きく「ML」、下部に「日本マルクスレーニン主義者同盟」と染め抜かれた旗のほか、赤白赤の色合いの旗の中央の白の部分に「ML」と黒く書かれた旗も存在する。)

3.実物資料

・マルクス主義青年同盟(準)政治理論機関誌『共産青年』創刊号表紙 1974.01.27付

・マルクス主義青年同盟(準)機関紙 「党旗」1号 1974.05.09付