'72年6月に榎美沙子をリーダーに結成。略称「中ピ連」。'73年5月12日にピル解禁を求めて厚生省に押し掛けて公然登場した。同年10月23日には家族計画連盟主催の集会に押し掛け、経口避妊薬ピルの解禁の決議を要求するなどした。
'74年には有志で「女を泣き寝入りさせない会」を立ち上げ、離婚問題を巡って夫側の勤め先におしかけるなどの行動をとった。
人目を惹く行動が多く、後に’77年4月になって「日本女性党」を設立し、参院選に出馬するなどしたが、この行動を最後に活動は下火になった。
【ヘルメット】ピンク地に「中ピ連」、「♀」など。
1975.10.06 中ピ連医師会抗議警備 女は強し!
・中ピ連総合出版局編集発行『子殺しの女を釈放せよ!!(1)』 表紙