共産主義労働者党全国協議会

1.基本情報

【名称】共産主義労働者党全国協議会

【結成】1973年4月

【機関紙】『統一』

共産主義労働者党は’71年秋に、沖縄闘争や武装闘争をめぐって労働者革命派(後に全国委員会結成)、プロレタリア革命派(後に全国協議会結成)、赤色戦線派の三つに事実上分裂した。労働者革命派の樋口篤三の革命家・労働運動家列伝④革命家の人間像――春日庄次郎(下)―日本で稀な革命家の人間像 晩年の10年―に よれば、事前に武装闘争を察知していた警察のガサ入れによって会計帳簿や党員名簿が押収されている状況下で、’71年秋に赤色戦線派が武装闘争を踏み切ろうとしたのを、労働運動に依拠し中央委員7名を擁する労働者革命派と学生運動出身で指導部に居た白川書記長らプロレタリア革命派が同調して阻止し、完全に分裂。その後’72年12月に赤色戦線派が共労党赤色戦線派結成。労革派はプロ革派との統一を模索するも成らず、プロ革派は’73年4月に共労党全国協を結成、労革派は’74年3月労働者党全国委を結成した。

2.ヘルメット

≪青年組織≫

【名称】プロレタリア青年同盟

【結成】1973年

【ヘルメット】赤地に「プロ青同」

1976.05.16 その後、ゲートに来た労働者、学生。

『銃口は人民にむけられていた-日本原自衛隊投石事件写真集-』7頁より

上の写真の部分拡大版。

共労党の学生組織プロレタリア学生同盟は、前年に始まった上部団体共労党の分裂に伴って'72年に分裂。その後'73年にプロレタリア青年同盟を結成した

70年代は三里塚闘争で活躍。管制塔占拠党派三派の一つである。実際に管制塔占拠闘争を闘ったのはプロ青同が結成した三里塚を闘う青年先鋒隊。赤ヘルに★が一つ輝くヘルメットで管制塔内の機器を破壊。ヘリに向かってピースをしている写真は有名。

いづれのヘルメットも空と大地の歴史館が収蔵・展示している。

3.実物資料

・共産主義労働者党プロレタリア革命派機関紙『統一』地方合同版10号 共産主義労働者党九州・岡山・大阪・京都・愛知委員会 1973.02.01付

プロ革派が結成した共労党全国協が改称した「自治・連帯・エコロジーをめざす政治グループ・蒼生」の“政治新聞”『グローカル』571号(2000年7月10日)への田中真人氏の投稿「『統一・グローカル』通巻1000号 常に変革の立場から時代にコミット」によれば、1971年秋の共労党の事実上の三分裂により、機関紙『統一』は1971年12月21日付 第213号(通巻419号)で休刊状態となり、赤色戦線派は『赤色戦線』『赤火』を発行して通巻420号以下を名乗ったが、1974年春には停刊。プロレタリア革命派は九州・岡山・大阪・京都・愛知の五府県委員会による「地方合同版」を1972年4月から翌年春まで10号刊行し、その後は「再刊準備版」に移行。上の地方合同版は、10号出された内の最終号である。

・三里塚を闘う青年先鋒隊のゼッケン(空港開港後、87年頃)

とある方からお譲りいただきました。ありがとうございました。

現役で使用されていたころの写真が、戦旗派コレクションさん内の1987年の頁にありまして、年代を特定することができました。