共産主義者同盟プロレタリア派

1.基本情報

【名称】共産主義者同盟プロレタリア派

【結成】1974年3月

【機関紙】『プロレタリア』

第二次共産同元幹部竹内陽一は関係筋の情報によれば、二次ブント内では赤軍派に近い左派であったといい、赤軍派結成に参加するも後に離脱。ブントの党内闘争が収まったのち、戦旗派の一部明大出身幹部を巻き込んでの組織立ち上げを企図し、「プロ通派」の名称まで用意したものの叶わず、’74年3月に結成したのがこのセクトであるという。労働者組織として首都青年労働者社会主義研究会(首都社研)を持ち、共産同首都社研派とも通称され、指導者竹内の名をとって「竹内ブント」「竹ブン」とも呼ばれた。

学生組織は反帝学生戦線(AISF)。明治大学二部文学部自治会(駿台文学会)を掌握、その他に中大にも存在。

’76年6月15日には宮下公園で開催された「反安保16周年集会」において、共産同全国委、西田戦旗派、赤軍派(プロ革)、游撃派らと共闘機関として全国政治共闘を結成するも、翌’77年内部抗争で瓦解。

革労協が明大から放逐されて以降、中大で一部活動家が活動を行っていたというが、その後の消息は不明。

2.ヘルメット

≪学生組織≫

【名称】反帝学生戦線(AISF)

【ヘルメット】赤地に「反帝学戦」、側面部や後部に「AISF」、「明大」、「BUND」。

1985年初め ’85年学費値上げ阻止闘争(明大新入生歓迎実 ’85年度パンフ 19頁)

1997.05.27 5.27狭山中央闘争を闘う明大糾弾共闘ら(1997年 第47回和泉祭パンフ 33頁)

二部文学部自治会(駿台文学会)としては赤地に「駿台文学会」のヘルメットを被っていた。