神奈川左派は、旧統一派から叛旗派・情況派が分裂した後に成立した戦旗派内の一フラクション。神奈川県委員会機関誌『左派』を結集軸としたため「神奈川左派」または単に「左派」と呼ばれた。
叛旗派・情況派が分裂した後の戦旗派内の党内闘争の口火を切ったのはこの神奈川左派であるとされる。
12・18ブントが共同で発行した『共産主義』14号('71.02.01付)の冒頭に収録された「八派共闘解体 蜂起をめざす単一党建設を」は、'71年1月の共産主義者同盟第十回中央委員会で採択され、共産主義者同盟中央委員会、即ち12・18ブント名義で発表された文書であるが、これによれば、神奈川左派と烽火派は'71年1月頃までに、5ヶ月間に亘る組織的討議と厳格な統一文書を通して統一、「左派」フラクションを形成していたといい、12・18ブントは、この左派フラクションを『支配的グループとした『鉄の戦線』に依るいわゆる「さらぎ派」との連合ブンドである』という。この12・18ブントの〝正式な〟見解によれば、12・18ブントは戦旗中央派に対して批判的な神奈川左派、烽火派、鉄の戦線派の3派対等の合同ブントとは言えず、正確には2+1派という形式なのである。
12・18ブントが沖縄デー闘争で戦旗中央派に破れて以降の神奈川左派の系譜というのは未だなお調査中であるが、烽火派に合流した者や、烽火派を通して赤報派に合流した者もいて、神奈川左派は自然消滅したという。
【ヘルメット】不明。
おそらく独自の隊列を構成したことはないのではないかと考えられる。