青学共闘編『管制塔に赤旗が翻った日』34頁によれば、第四インターの青年組織日本共産青年同盟の呼びかけにより、シンパ層も含めた現地闘争組織として結成された。組織の性格や役割を巡って内部であらゆる意見が出て議論となったが、決着がつかないまま以下の2つの点が確認・決定された。一つ目は、青年共闘を中心として援農運動と結合しながら、現地の地理を知りデモ隊列を強化する訓練を全国的に行なうことであり、二つ目は学生共闘が来たるべき鉄塔決戦にむけて進撃拠点たるテント村を建設し、長期にわたる闘争体制を確立することであった。
青学共闘は訓練を通じて開港阻止決戦の中核的存在に成長し、鉄パイプやバイクヘルによる武装を行ない、’77年10月には赤(正確には暗めの赤色)ヤッケと赤のバイクヘルという服装で統一された。
【名称】三里塚を闘う青年共闘
【ヘルメット】赤地に「青年共闘」。
【名称】三里塚空港粉砕学生共闘
【ヘルメット】赤地に「学生共闘」。
1978.04.02 勝利のデモかちとる青学共闘(第四インター『世界革命』518号 1978.04.10付)