ベトナムに平和を!市民連合

1.基本情報

【名称】ベトナムに平和を!市民連合

【結成】1965年4月24日

【機関紙】『べ平連ニュース』

「べ平連」の略称で知られる。しかし組織立ったものではなく、ノンセクト運動と言っても良い。加盟に際しても本部への届け出などもないので何とも言えない。全共闘の様に「本人(達)が名乗れば…」と言った性質の団体である。従って比較的ラジカルな活動を好む者から穏健な活動を志向するものまで様々であって一概には言えない。大学ごとに結成されていたり、浪人生による浪平連、高校生によるヤングべ平連なども存在する。

小田実を中心に38名の文化人の呼びかけで“ベトナムに平和を、ベトナムをベトナム人に”のスローガンを掲げ、東京の清水谷公園で集会が持たれ、デモ行進の後有志200名が国労会館に集まって「ベトナムに平和を!市民・文化団体連合」が発足(後に改称)した。海外の反戦団体との提携にも積極的であった。

1968年8月にべ平連が京都で「反戦と変革に関する国際会議」を開催。同席上にて日本にJATEC(反戦脱走兵援助技術委員会)が存在し、既に日本から脱走した二人の米兵がスウェーデンに到着したことが明らかになった。

2.ヘルメット

1969.06.15 6.15統一行動

1969.06.15 統一行動 家裁角交叉点付近

1970.06.01 6月1日から毎日行われた「ベ平連」

1970.06.14 大共同行動 青山通りのフランスデモ

ヘルメットも様々なものがあり、上はその一例に過ぎない。当然ノンヘルの者も居る。

3.実物資料

・べ平連ビラ“A MESSAGE TO AMERICAN SOLDIERS №2”