共産主義者同盟赤軍派

1.基本情報

【名称】共産主義者同盟赤軍派

【結成】1969年8月28日

【機関紙誌】『赤軍』

(年表)旧統一派の分裂と赤軍派の成立('68.12~'69.08)

共産主義者同盟諸派では最も知名度の高い党派だろう。

1969年6月「赤軍派通達」の発刊と同時に共産主義者同盟内の一フラクとして積極的活動を始めた赤軍派は関西系活動家を主体とするグループであった。当時のブント主流派からは7月2日付の「プロレタリア通信」内で物理的解体を通告され、これに対して6日未明共産主義者同盟の仏議長を襲撃。しかしながら同日中に赤軍派部隊は報復に遭い、塩見孝也(後に赤軍派議長)など幹部は拠点のあった東京医科歯科大より拉致され中大構内に監禁される。監禁された幹部は同月24日に脱出したが、この際望月上史が転落し二ヵ月後に死亡。翌月になって塩見らは自己批判書を提出するも22日の共産同第9回大会で除名され、28日に正式に共産主義者同盟赤軍派を結成した。

9月3日には分派闘争を闘った共青同と、社学同内の赤軍派を統合して共青同赤軍派を結成し、5日には全国全共闘結成大会に於いて数にして三倍の共産同主流派の部隊を打ち破って遂に公然と姿を現わした。

一方で9月中には22日の大阪(京都)戦争や、30日の東京戦争など交番焼き討ちを主とするゲリラを経て、10月には首相官邸襲撃計画を立て、11月には実行のために大菩薩峠に於いて軍事訓練を行うも、これを察知した警察によって一網打尽にされる。この事件を大菩薩峠事件と呼ぶ。大菩薩峠では赤軍派政治局員八木健彦、上野勝輝が逮捕され、花園紀夫も事後逮捕された。

1969.11.05 大菩薩峠 福ちゃん荘

1969.11.05 大菩薩峠 福ちゃん荘前

翌’70年1月に森恒夫が赤軍派へ復帰。16日の集会では国際根拠地論が提起される。3月15日には赤軍派議長塩見孝也、中央委員前田裕一が逮捕され、中心メンバーの殆どが逮捕されてしまう。この中で30日には坂東國男が中央委員に任命される。

3月31日にはかの有名な日航機よど号ハイジャック事件が発生。そもそもは塩見や前田らも参加して行われるはずであったが、両人の逮捕で延期されていた。先に逮捕された塩見の手帳には「HJ」の文字があったが、警察はこの意味を読み取れなかった。

中心メンバーの殆どが逮捕され、また残る活動家もよど号事件へ参加したことで、指導部は空洞化した。このため、よど号事件の直後に高原浩之は川島宏、堂山道生、山田孝、物江克夫、和田千声、森恒夫を政治局員とする第二政治局を立ち上げていたが、新参のメンバーが多く、6月7日に高原浩之が逮捕されたことで赤軍派草創期の政治局は壊滅するに至った。しかも逮捕時に高原が持っていた資料に、PBM作戦の記載があったことで、警察は警戒を一層強め、山田、物江、川島らの中央委員や多くの赤軍派が逮捕され、堂山や物江らは運動から遠ざかり、政治局には森恒夫だけが残ることになった。森は革命左派と接触を重ねたほか、’71年1月には路線の違いから梅内恒夫を、出国計画(2月28日にレバノンへ出国。PFLPへ派遣され、のちに日本赤軍を結成。)を理由に重信房子を排除した7人委員会を設置して支配を強めた。森は資金獲得のためのM作戦を実行し、7人委員会も大阪、名古屋、東京の3か所に分散したが、直ぐに逮捕者が続出し、崩壊した。’71年6月までに赤軍派最強と謳われた大阪の部隊も幹部高田英世らの逮捕で壊滅。そのような後退局面にある中で7月13日には日共革命左派との間で「統一赤軍」結成で合意、15日に発足したが、「統一」という文言に対する獄中の日共革命左派川島議長の反対で約1ヶ月後に「連合赤軍」に改称、改称は8月18日に両派の間で確認された。この「連合赤軍」は飽くまで両派の軍事部分の連合と位置付けられたもので、連合赤軍発足後も、日共革命左派・赤軍派の両派は存続している。

その後連合赤軍は'72年2月にあさま山荘事件を引き起こし、崩壊するが、連合赤軍に加わったのは赤軍派の非公然部分だったため、公然部分はまだ多少残存しており、この部分や出獄した幹部らが赤軍派再興に向かって動きだすことになる。

2.ヘルメット

≪青年組織≫

【名称】共産主義青年同盟赤軍派

【ヘルメット】赤地に「赤軍」。

1970.05.29 全関東労学総決起集会 会場内で独自の行動をとる赤軍

1970.04.28 赤軍派もマスクをとれば………

≪大衆組織≫

【名称】全日本革命戦線準備会全国委員会

【ヘルメット】赤地「革命戦線」。

1970.04.28 赤軍派現れる!ふく面して集会に参加

3.実物資料

・共産同赤軍派機関紙 『赤軍』1号タイトル部 1969.09.20付

・共産同赤軍派機関紙 『赤軍』3号タイトル部 1969.10.11付

・共産同赤軍派機関誌 『赤軍』№5表紙 1969.11.23付

・共産同赤軍派機関誌 『赤軍』8号表紙 1971.03.05付

・全日本革命戦線(準)全国委員会機関誌 『革命戦線』10号表紙 日付不明

≪参考≫・共産主義者同盟赤軍派(プロ革)ヘルメット