オペラ(歌劇)は何となく敷居が高くチケットも高額になることが多いため、近寄りがたい舞台芸術だと感じる方も多いと思います。私も若いころは、舞台の上で恰幅の良い歌手が大声を張り上げて歌うもの、と思っていました。しかしひとたびその魅力に開眼すると、素晴らしい世界が広がっていることに気づき、今でも時々観劇に出かけています。


オペラの上演には、理想的にはオペラ・バレエの専用劇場と座付きのオーケストラが必要となり、劇場自体にも最新の舞台技術や機能が必要です。まず舞台そのものですが、上演中に観客から見えるのは一場面の舞台装置と情景だけですが、機能の充実した劇場では、舞台下、舞台の左右や後ろに同じサイズの舞台が用意されており、短い場面転換の時間や幕間の休憩時間中に短時間で一気に場面転換ができるようになっています。例えば東京・初台の新国立劇場『オペラパレス』には4面の舞台が用意されています。


上演に必要となる照明も最新技術が導入されており、単なる照明だけではなく、最近はプロジェクション・マッピングが使用される演出も増えてきました。制作した大道具を再演のために保存するには大規模な倉庫が必要になりますが、プロジェクション・マッピングに保管スペースは必要ありません。2023年夏のドイツ・バイロイト音楽祭では、遂に演出の一環として拡張現実(Augmented Reality – AR)が活用され、観客はゴーグルをつけて舞台上には存在しない情景を見ることになったと話題になりました。観客の反応は賛否両論だったようですが、ゴーグルを着用したまま長時間観劇するのは観客の負担が高く、途中でゴーグルを外してしまった観客もいたようです。私は新しい物好きですので、いずれそのような演出に接する機会に恵まれることを期待しています。

オペラハウスには、舞台と観客席の間に大きな穴が開いており、オーケストラ・ピット(くぼみ、塹壕)と呼ばれています。文字通りオーケストラのメンバーと指揮者が陣取るスペースです。作品にもよりますが、小編成のものは40人弱のものから、120人近くのメンバーが必要になる大編成もあります。ロンドンのロイヤル・オペラハウスでリヒャルト・シュトラウスの楽劇『エレクトラ』が上演された際には、116人のオーケストラがピットに入りきらず、舞台両横の桟敷席まではみ出していたのを目撃しました。コロナ禍ではオーケストラのメンバー間の距離を保つために、オーケストラ編成をダウンサイズして上演したものも経験しました。そしてオーケストラと観客席の間には指揮者が配置されます。オペラは多くの場合、長丁場になりますので、ご高齢の場合には椅子に座って演奏する指揮者もいます。

どのオペラハウスにも緞帳が設置されています。一口に緞帳と言ってもいくつかの種類に分類されます。単に緞帳と呼ばれるものは、通常は上下に昇降するだけの機能のものが多いようで、多目的ホールに多く設置されています。絞り緞帳とよばれるものはバレエの上演に良く使われるもので、緞帳の裏面にいくつものワイヤーが設置されており、ドレープを作りながら上下に開閉するものです。引き割り緞帳とよばれるものは、幕が真ん中から割れており、左右に開閉するものを指します。学校の講堂でよく見るタイプのものです。日本固有の緞帳として挙げられるのは歌舞伎で使用される引き幕で、舞台上手(舞台から観客席に向かって左側)、又は下手(右側)に開閉するものです。茶色・黒・緑の緞帳をご覧になった方も多いと思います。最後にオペラカーテンです。これはひきわり緞帳と同じように左右に割れているのですが、開くと同時に左右の上方に引き上げられる方式です。幕切れの際には左右上方から幕が下りてくることになります。

オペラ上演に固有の機能として舞台中央の最前部に『プロンプター・ボックス』というものがあります。プロンプターという役割は、芝居にもつきもので、万が一、役者が台詞を忘れてしまった際に、舞台横から救いの手を伸べる機能を担っています。オペラ歌手は、オーケストラが演奏する音楽にのせて、しばしば母国語ではない言語で、しかも暗譜で歌い、挙句に重い衣装やかつらをつけて芝居までこなさなければならないわけですから大変な仕事です。プロンプターはこのプロンプター・ボックスの中に陣取って、出だしの歌詞を1小節程度早めにささやいてこの難行を支援するのです。ドイツ語、フランス語、イタリア語ならまだしも、ロシア語やチェコ語などのなじみの薄い言語で上演される作品の場合、その苦労のほどがしのばれます。もちろんプロンプターは客席からは見えなくなっていますが、舞台中央のオーケストラ・ピット寄りの場所に怪しい小さな箱が見えれば、それがプロンプター・ボックスです。

舞台装置の保管も劇場関係者の頭痛の種です。大道具、小道具、衣装などを作品別に保管するためには大規模な倉庫が必要になりますが、オペラハウスが位置する大都市の真ん中に大倉庫を用意することはできないため、上演が終わると舞台装置をそっくり倉庫に運び出すことになります。同じ演目を続けて上演する場合にはオペラハウスに置きっぱなしでも構わないのかもしれませんが、オーストリアのウィーン国立歌劇場やニューヨークのメトロポリタン歌劇場のように、ほぼ日替わりで演目が入れ替わるオペラハウスは大変です。毎日のように舞台装置の入れ替えを行っているようで、日中に劇場の裏に巨大なトラックが横付けされているのを目撃することがあります。東京の新国立劇場は、千葉県銚子市に5つの巨大な倉庫を有しており、約500個のコンテナが静かに次の出番を待っているそうです。

私は開演前に自分の座席に着席して、指揮者がオーケストラ・ピットに登場する瞬間が最も心が昂ります。これから始まる上演に対する期待が最も高まるタイミングだからだと思います。オペラハウスに出かける機会があれば、演目だけでなく、休憩時間や開演前のひと時、オペラハウス自体にもぜひ目を向けてみてください。


(江の島太郎)