筆者が若いころに住んだことのあるアメリカのイリノイ州シカゴ市は、アメリカでニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐ第3の大都会です。日本から直行便も飛んでいますが、今一つ日本ではバズらない街ではないかと思いますので、今日は私設シカゴ応援団の私が第2の故郷シカゴのご紹介をしましょう。


シカゴ市はアメリカの中西部の中心都市で、五大湖の一つ、ミシガン湖に面した街で、市内を走る環状の高架鉄道(『エル“L”-Elevated System』と呼ばれています)が走るループ(環状Loop)地区のあたりには全米屈指の摩天楼がそびえる大都会です。もともとアメリカ先住民族が穀物や毛皮などの産物の交換を行った交易の中心地が街の発祥と言われており、20世紀には航空、水運、鉄道の拠点となりました。

実はアメリカでシカゴ、と言うと真っ先に言われるのが恵まれない気候の話ではないかと思います。冬は非常に寒く、夏は湿度が高く気温も高くなるため、みじめな気候、などと言われたりします。確かに冬の寒さは格別で、気温は摂氏マイナス20度くらいまでは下がりますし、Windy City(風の町)という有り難くない別名までもらっているように風も強く、体感温度は気温以下になることもしばしばです。ところがシカゴの建物はどこもセントラル・ヒーティングによる暖房が行き届いており、駐車場も屋内が多いことから、室内はもとより、車で外出する時も住民が寒い思いをすることはそれほど多くはありません。マイナス20度では徒歩で外出することはほとんどないのです。自宅の中ではTシャツに短パンで過ごすことも可能です。夏は確かに蒸し暑くなりますが、その期間はそれほど長くはなく、過ごしにくい時期は2週間程度で過ぎ去りますので、日本のようにいつまでも残暑に悩まされることはありません。冬の到来は早く、新学年が始まる9月下旬にはかなり涼しくなります。10月以降は寒い日が続きますが、11月ごろに短期間、晴天が続き、日中は暖かく、夜は冷え込む日が続くことがあり、これを現地ではインディアン・サマーと呼んでいます。素晴らしい快晴の日にどこまでも続く平原の中のハイウェイを走ると、アメリカ大陸の広大さを実感することができます。秋には短期間ですが、鮮やかな赤や黄色の紅葉も楽しめます。

シカゴはギャングの町、というこれまた有り難くない別称をつけられてしまっていますが、これは1920年代の禁酒法の時代に、シカゴを拠点に暗躍したギャング、アル・カポネ(英語ではアル・カポンと発音されます)が原因です。イタリア系移民の子としてニュー

ヨークに生まれたアル・カポネは禁酒法が施行されていた時代のアメリカで、シカゴの高級ホテルに居住しながら密造酒の販売、賭博場の経営などで暗黒街を築いた人物です。しかしながらこのシカゴの暗黒街やギャングが跋扈する時代はすでに過去のもので、現在のシカゴ市は場所と時間の選択さえ誤らなければ、比較的治安は悪くありません。シカゴ市の北にはミシガン湖沿いに、美しい学園都市のエバンストンや、ウィネトカ、ウィルメット、グレンコー、レイクフォレストなどの全米屈指の高級住宅街が広がっています。とはいえ、他のアメリカの大都市と同様に、人通りの絶える深夜の一人歩きや、いわくつきの地域に足を踏み入れるのは絶対にやめておくべきでしょう。これは一歩日本を出たら、必ず守りたい自衛策です。

シカゴは数々の映画やテレビドラマの撮影地となりました。ロバート・レッドフォート、ポール・ニューマン主演の映画「スティング」(1973年)は禁酒法時代のシカゴが舞台です。ハリソン・フォード主演の映画「逃亡者」(1993年)も同じシカゴが舞台で、高架鉄道(エル)が登場しました。テレビドラマでは日本でも放映され、1994年~2009年まで続いた「ER救急救命室」ではシカゴにある「クック郡病院」が撮影に使用されました。このドラマにも頻繁に高架鉄道(エル)が出てきたため、私は懐かしさも相まって、このドラマの大ファンになりました。

シカゴにはイタリアの巨匠リッカルド・ムーティ率いるシカゴ交響楽団や水準の高いオペラの楽しめるシカゴ・リリックオペラ、ブルースやジャズなどのアメリカ産音楽、一日では見切れないほどの巨大なシカゴ美術館、ミュージーアム・キャンパス地区にはフィールド自然史博物館、アドラー天文学博物館、シェッド水族館の3つの施設が隣接しています。寒い日でも楽しめる室内エンターテイメントがシカゴにはひしめき合っています。シカゴ市や近郊には世界的に著名なシカゴ大学、ノースウェスタン大学、ロヨラ大学などの教育機関も集まっています。私はようやく春を迎える5月になると大学のキャンパスの庭に黄色・白・紫色のクロッカスの花が一斉に咲きだす美しい風景を忘れることができません。

スポーツ好きの皆さんにはシカゴが誇るプロスポーツ観戦をお勧めします。日本でも知名度の高い野球チーム「シカゴ・カブス」はシカゴ市北部にある「リグレーフィールド」を本拠地としています。テレビ中継で外野フェンスにツタの生い茂る光景を目にしたことがある方も多いかもしれません。もう一つの野球チーム「シカゴ・ホワイトソックス」はシカゴ市南部の「ギャランティード・レート・フィールド(旧名コミスキーパーク)」を拠点としています。バスケットボールチームは文句なしに「シカゴ・ブルズ」です。ブルズの最盛期は何といってもスーパースターのマイケル・ジョーダンとスコッティ・ピッペンをそろえた1990年~1993年で、この3シーズ連続で全米チャンピオンとなった「スリーピート」の際には、シカゴの街中が歓声に包まれたものです。日本ではなかなか見られないプロスポーツもアメリカのスポーツ観戦の醍醐味で、アメリカンフットボールの「シカゴ・ベアーズ」やアイスホッケーの「シカゴ・ブラックホークス」も地元では大人気です。いずれにしても年間を通して必ず何かスポーツ観戦ができるようにシーズン期間が上手に設定されており、スポーツマーケティング先進国のアメリカを垣間見るのも面白いのではないかと思います。


人種のるつぼであるアメリカですが、シカゴもその例から漏れることはありません。シカゴは古くからドイツ、イタリア、アイルランド、スウェーデン、チェコ(ボヘミア)、ポーランド、ウクライナなどのヨーロッパ諸国からの移民が多かったことから、これらの国々の文化を色濃く残した街が形成されました。現在でも旧ポーランド人街のマックスウェル街ではではおいしいポーランド風ソーセージやホットドッグを購入することができます。グルメという点ではシカゴ・ピザも見逃せません。これはイタリア風ピザというよりは、ミートパイに近い食べ物と言えるでしょう。ディープディッシュ(Deep Dish)・ピザとも呼ばれ、ケーキ型のような深い容器にピザ生地を敷き、その中にまずたっぷりのチーズを載せ、挽肉やソーセージなどの具とトマトソースを詰め込み、じっくり焼き上げたものです。正統派シカゴ・ピザの厚さは最低3.1センチとされています。お店によっては厚さが5センチ~10センチのものまであるそうです。お昼に一切れ食べただけで、普通の日本人は夜まで満腹になること請け合いです。

シカゴ市の中心の大部分は、1871年のシカゴ大火で古い建物が軒並み焼け落ちたことが、街全体の再開発を進展させる契機になったと言われています。その後、次々と摩天楼が建設され、現在の街の中心となっていきました。シカゴ大火で焼け残った建物のうち唯一現存するものは「ウォーター・タワー」と呼ばれる水道塔で、歴史的建造物として位置づけられています。北ミシガン通りのウォーター・タワーの位置する場所からシカゴ川までの間は別名「マグニフィセント・マイル」(すごい1マイル)と呼ばれ、高級店、百貨店、カフェなどがひしめく街随一のショッピング街です。シカゴの街はその他にも素晴らしい建造物やアートが随所に配置されており、気候の良い時期であれば街歩きで楽しいひと時を過ごすこともできます。

最後に本職の空港のお話をしましょう。シカゴにはオヘア空港とミッドウェイ空港の2つの空港がありますが、国際線やフルサービス航空会社が発着するのはシカゴ市の北西に位置しているオヘア空港です。滑走路は8本、ターミナルビルは4つの巨大空港です。アメリカの大手航空会社ユナイテッド航空とアメリカン航空の2社が拠点(ハブ)空港としており、全米第3位の発着旅客数を誇ります。市内から高架鉄道(エル)のブルー・ラインも乗り入れしており、高速道路や駐車場も完備しているので、バスや自家用車でのアクセスも便利です。東京(羽田・成田)とシカゴ間は毎日、直行便で結ばれており、シカゴからさらに国内線に乗り換えて全米各地、カナダ各地などに乗り継ぐことも可能です。


さて、皆さん、シカゴに興味を持っていただけましたでしょうか。

(江の島太郎)