大学設置の規制緩和は想定外(薬学6年制) 

国 立大学に勤務している時,ある地方の同窓会支部の総会に出席した.その懇親会で,ある病院の中堅薬剤師が熱心に主張していた「事柄」を思い出した.それは 「医学部は6年,薬学部は4年,(知識レベルにおいて)最初から負けている.イメージ的には大学と短大の差がある.(取り敢えず)6年制にして教育年限の 足並みを揃えてほしい」という主旨であった.

その後,薬学教育の6年制が実現した.準備段階における「薬学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議」の議事録が文科省ホームページ等に公開され ているが,「学部4年+修士2年制」派と「学部6年制」派の綱引き的議論が主流であり,結論的に言って修業年限を延長して「先進国並にする」ことが目的で あったと言っても過言ではない.6年制カリキュラムの準備には長い時間と苦労があったのは事実であるが,最も重要な共用試験や長期実務実習関連プログラム に関しては,方針は示されたものの実施策は未定のまま「取 り敢えず6年制教育を開始して,走りながら考える」方式であった.このことは6年制課程の教育現場で私自身が経験した事実でもある.さらに,薬剤師実務教 育を担当する教員は,教育経験に乏しく当今の学生気質の理解不足など準備不足のまま講義,実習を担当することを受け入れざるを得なかった.注)現場の職場 規律を持ち込む傾向が見られた.

そのような状況下,とりあえず6年制課程の一期生が今春誕生した.

2006年度入学者(6年制一期生)の総決算

文部科学省調査によると,2006年度の6年制の当初入学者数(東大:3年次振り分け時点を計上)は全67校(国公立17校、私立50校)で1万 1957人.2009年度,4年次に実施された共用試験の最終合格者は9338人(対入学者数比78・1%)である.5年次へ進級,実務実習を修了し,卒 業試験に合格し国家試験を受験したのは8581人(71・8%),そのうち合格者は8182人(68・4%)である.

入学時点から国試合格までの過程で,全体の約3分の1が篩に掛けられ除外されたことになる. 

最近,ある雑誌の記事を見ていたら,薬学6年制の推進のために中心になって活躍した私大M教授が,「薬系大学の乱立は想定外だった」と述べていた.当時,小泉内閣の規制緩和は同時進行していた.薬学教育改革の論議が上記のようなことであったから,社会,経済,政治状況の変化を見据えた議論を進める余裕はなかったのであろう.

薬学教育6年制改革と大学の規制緩和が重なったことは想定外 

薬学教育6年制が始まる 頃,経営が順調ではなかった大学が,小泉内閣(2001-2006)の規制緩和(大学の設置や定員を抑制する規制を大幅に緩和)に飛びつき,不人気文系学 部の改組あるいは新設により活路を見出すべく薬学部開設に走ったため,全国各地に予想を越える薬学部が誕生した.

その状況を見て,薬剤師大過剰時代が到来すると予測した医事評論家や専門家がいたが,6年制1期生の国試結果を見る限り簡単には大過剰にはならないようだ.その理由は入学者の大学入試偏差値の大幅な低下が進み,大量の落伍者を生む結果を招来しているからある.

6年制カリキュラムが創られた当時,6年制の専門教育に対応するためには,最低でも大学入試の偏差値が55程度は必要と 言われていた.完成年度である今年の卒業生(1期生)の場合,13校が卒業率70%を切り,そのうちの5校が50%以下,最低の大学は24%である.これ らの大学は予備校等が公表している大学入試偏差値の傾向と相関があり,ほとんどが50以下であり,最低は40を切った大学がある.偏差値と言ってもひと頃 の値より低く(薬学部を目指して予備校の模試を受験する学生の平均値が低下),絶対的な学力はかなり低くなっていると指摘する専門家もいる.注)河合塾の 偏差値一覧では28校が40以下である.

6年制を推進した人達は,薬剤師養成の大改革に於いてここまで人材が集まらないとは予想していなかったはずである.新設大学の多くが,定員を満たすため 学力の低い学生を受け入れなければならない「想定外の出来事」が起こっている.このような事態に直面し,「出口規制(進級試験,CBTやOSCE等の共用 試験,卒業試験等)で篩い落せばよい」と言う人がいるが(教育より研究に重点を置く教員に多い),実際には現実的ではない.座学中心の文系ならともかく理 系では低学年から実習授業があることを考えれば容易に理解してもらえるだろう.学力の低い学生を入学させた以上,底上げするために高校教科の補完授業,日 常的な補講,個人指導等ありとあらゆる方法で膨大なエネルギーを使って対応しなければならず,そのことが主目的になってしまい大学教育のレベルが低くなっ ているのが実情である.一方,そのような対応が「面倒見のよい大学」と評価される一面もあり,大学首脳がもっとも気にするところである.

新設私大薬学部の定年前に,高校の進学指導教諭との懇談会において,「かなり成績の低い子まで採りましたね」と言われたことがある.言葉の裏には「大丈 夫かな」という気持ちが読み取れた.高校としては合格実績が最重要で,6年制教育の内容を 熟知した高校教員による適切な進学指導が行われているか疑問である.薬剤師業務に関して,従来の楽な仕事というイメージが依然として払拭されていないのは 6年制を推進してきた側にも責任がある.本来6年制が志向している次世代薬剤師像を正確に理解させたら志願者は少なくなると指摘する人がいるのも事実であ る.

6年制一期生の医療現場における活躍が従来と異なるものであることが問題解決に結びつくはずであるが,実際に一期生を受け入れている現場薬剤師の話では 「過剰な期待」は禁物とのことである.本来,問題提起や解決能力を醸成することが6年制教育の主眼であったが,国試対策を先行せざるをえなかったと聞かさ れている.欠落した教育の補完のために恒常的な卒後教育が必要である.新設大学の経営者は,卒後教育の必要性まで考えているか疑問である.6年制教育の後 半部分を曖昧なまま走りだしたため,長期実務実習費用問題(実習費用55万円および期間中の宿泊費等を大学が負担するか否か)の時と同様に「そんなことと は思わなかった」と言い出す可能性がある.薬系大学の中には,学生集めのため「実務実習費用は大学が負担します」というメッセージを発しているところも出 てきたが,そのうち「卒後教育も面倒みます」というメッセージが現われるかも知れない.

注)公表されている偏差値は前期入試によるものである.推薦入試などを勘案すると平均偏差値は5.0以上低くなる(実際のデータを使った私の試算).

追記

6年制一期生の合格率は,在学中に厳選?されているので,4年制課程の場合より高く95.32%である(【6年制卒薬剤師】8182人誕生‐新課程で初の国試結果発表 : 薬事日報 ...リンク変更済_2024),国家試験予備校は4年制課程の積み残しと現役の教育に力を入れる可能性がある.国家試験の出題方式によると思うが,折角の薬学教育改革を変質させるような介入の仕方は避けてもらいたいものである(4年制課程では予備校模試の結果に怯える学部教育が存在した).

資料

審議会情報(薬学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議)-文部 ...(国会図書館収集データ) リンク修正(2024.4.6)

薬学教育の改善・充実について(中間まとめ)(文科省) 

薬学教育の質の確保等に関する質問主意書 右の質問主意書を国会法第 ...    (PDF) リンク修正(2024.4.6)

筆者のプロフィール

2005年3月 熊本大学薬学部定年退職(薬物設計学,情報処理学)

2005年4月 崇城大学薬学部教授,学科主任(二期)

2010年3月 崇城大学定年退職

再就職した新設私大薬学部では,薬学4年制課程(1回生)の教育および6年制課程学生(1. 2. 3年生)の基礎教育を経験しました.

(2012/12/14)