⛰ 1981年12月31日(木)~ 1982年1月1日(金) 大菩薩峠 カリヤ、マエモリ、ヤマダ、信賀、芳賀
12月31日 晴れ、 1月1日 晴れ
行程: 自宅(22:50)---(車)---(22:45)根津(0:20)---(車)---(4:30)大菩薩駐車場(6:00)・・・(6:50)大菩薩峠(7:30)・・・(8:30)駐車場(9:30)---(車)---(12:00)根津(12:00)---(車)---(12:45)自宅
一年を締めくくり、翌年を素晴らしいものにするため、初日の出を見ようと大菩薩へ登ったのは去年であった。そのおかげで初めての海外旅行(オーストラリア)へ行くことができ、無事に帰ることができた。今年も良いことがありますようにと大菩薩へ初日の出を見に行くこととした。大晦日の夜、根津でカリヤ、マエモリ、ヤマダの3人(日医大の看護婦さん)と合流、一路大菩薩へ。4:00に駐車場に着くが、信賀班(信賀君、芳賀君)がいない。6:00まで待ってみたが来ない。仕方なく出発する。すでに空はちょっとだけ明るくなっている。そういえば、今年は風もなく全然寒くない。雪もない。富士山が明るくなるのを見ながら峠を目指す。峠のちょっと下からは全力疾走。間に合った。峠に着いてすぐに陽が昇った。今年も良いことがありますように、と初日の出を拝み、記念写真を撮る。近くの小屋で甘酒を飲んで下山する。駐車場に着くと信賀班がいた。なんでも下のほうの駐車場で寝ていたそうで、朝日で目が覚めたとのこと。ここで、お汁粉を作ってみんなでいただき、信賀班と別れる。
今回は昨冬のボーナスで買ったばかりの登山靴を履いて登った。ちょっと脛が痛かった。まだまだ足に合わせるには時間がかかりそうだ。
追記:
芳賀君も高校時代の同級生。柔道部を半年(?)で辞めた根性なしです。でも、女の子には持てていました。日医大のカリヤさんは文京学習教という組織で知り合ったひとで、私の家内の先輩です。他の2人の方は初対面でした。皆、素敵な人達です。
1982年1月31日(日) 晴れ 奥武蔵メインルート 私ひとり
行程:大泉(5:49)‐‐‐(電車)360円‐‐‐(7:07)正丸(7:20)・・・(9:00)伊豆ヶ岳(9:50)・・・(11:50)子の権現(コーヒー130円)(12:30)・・・(13:30)竹寺(13:40)・・・(14:25)小滝バス停(14:34)‐‐‐(バス)360円‐‐‐(15:25)飯能(そば200円)‐‐‐(電車)230円‐‐‐(15:47)大泉
靴の足慣らしがてら、奥武蔵メインルートを行く。去年もこの時期に伊豆ヶ岳へ行ったがガスコンロが使えずひもじい思いをした。今回はB型コンロがあるので心強い。さて、大泉駅6時前の電車で正丸駅を目指す。駅で登山靴に履き替える。アスファルトの道を歩くとビブラム減るもんね。でも正丸駅から30分くらいはアスファルトの道でした。駅前の水道で水を入れようとしたが、凍っていて出ない。駅員さんにお願いして水を頂きました。去年きつかった雪の鳴き鳴き坂は登山靴のためかあまり苦にならなかったが、鎖場の登りは靴が固く登りにくい。ちょっと苦労した。頂上は素晴らしい天気で、池袋や新宿の高層ビルがはっきり見える。1/27から煙草をやめているが、この景色を見ながらの一服は最高だろうな、と思った。
さて、朝飯をと思いお湯を沸かそうとすると、あれー、火が弱い。30分ぐらいたっても、ぬるま湯にしかならない。ラーメンが作れない。あきらめてぬるいコーヒーとコンビーフをかじって出発する。子の権現でそばでも食べるか。子の権現に着いたが、今はそばの類はないって。バスの時間を聞き、竹寺へ向かう。バスで飯能へ。ここでそばを食べる。うまかったあ。
去年同様、コンロが使えなかった。白ガスのコンロ買おうっと。あと、竹寺からの下りはきつかったなあ。
追記:
コンロの不調の原因は当時わからなかったが、今思うと、ガスボンベが原因だったと思う。1981年の伊豆ヶ岳登山の追記でも書いたが、このころ寒冷地用ガスボンベの存在を知らなかった。そもそもあったのかなあ? この後、スベヤ123R という白ガス用のコンロを買った。これは強力だった。
この山行記録では、伊豆ヶ岳から子の権現までの歩行の記録(感想)がない。結構上下があり、きつい山道だが、当時は何とも感じず歩けたのかな。それともお腹がすいて必死だったのかなあ。あと、伊豆ヶ岳山頂からの景色も書いているが、今は全く展望ありません。木が成長した?
1982年2月14日(日) 晴れ 武甲山 妻坂峠 私ひとり
自宅(6:25)‐‐‐(電車)440円‐‐‐(8:00)横瀬(8:15)・・・(12:00)武甲山(12:40)・・・(13:44)生川(13:54)・・・(14:37)妻坂峠(14:42)・・・(15:40)名郷(15:51)‐‐‐(バス)450円‐‐‐飯能‐‐‐(電車)230円‐‐‐大泉
削られてしまった武甲山は登山禁止かと思っていたが、途中までなら登れると聞き、出発する。横瀬駅では数人登山者がいたが、皆、表参道から登るようで、私のように西参道から登る人はいなかった。1時間ほど靴の履き心地を調整しながら一般道を歩く。山道になると、あちこちに雪が現れ始める。30分ぐらいすると雪だらけとなる。20~30cm積もっているところもあれば、踏み固められてアイスバーンのようになっているところもある。このあたりから見える秩父盆地は素晴らしい景色だ。猟銃を持った猟師さんたちに出会う。「大きなイノシシがいるから気を付けて」と言われた。さて、今まで休んでいないことに気付き、朝飯兼昼飯とする。ゆっくり食事を摂り、その後、山頂を目指す。
頂上は展望台のようになっており、両神山、浅間山、赤城山の景色は最高だ。それと対象にこの山の削られた姿がとても痛々しい。この山は山岳信仰の山ではないか。セメント会社だけではなく、秩父の盆地人間にも腹が立つ。
さて、雪の積もった雑木林帯の表参道を下る。途中、凍った滝が見事だ。生川に着き、このまま横瀬に降りるのももったいないので、地図を見て、妻坂峠を越えて名郷まで歩き、バスで飯能駅に戻ることにした。峠への登り口は林の中の暗い道で沢に沿って登る。途中で沢を渡り、山道となる。そんなにきつい上りではないが、体力を使い果てる直前なのでゆっくりと登る。峠からは、武甲山の削られたところは見えないので、とても美しい山に見える。急な坂を下り、名郷でワインを買って、バスに乗る。今度は、大持や子持を歩いてみたいなあ。
追記:
秩父の皆さん、ごめんなさい。山を始めて2年ぐらい、のめりこみ始めていて、山を神聖視していた時期です(今もそうですが)。秩父市街から見た削られた武甲山がかわいそうでなりませんでした。ネットで調べると、日本の高度成長期を支えた山、南斜面は石灰岩ではないので、山自体はなくならないとのこと。できるだけ未来に自然を残したいですね。
1982年2月21日(日) 曇りのち雨のち雪 御前山 信賀 私
自宅(8:30)---(車)---(10:45)奥多摩湖・・・(11:15)御前山登り口・・・(12:10)大ブナ・・・(崖から落ちる)・・・(13:10)奥多摩湖周遊道 ・・・(13:30)奥多摩湖 ---(車)---自宅
アイゼンを買い、試してみたいと思っていたら、信賀氏より山へ行こうとのお誘いがあり、御前山へ行くこととなった。天気はあまりよくない。朝から暗く曇っている。奥多摩周遊道を歩いて登り口へ。いきなり急な登りとなる、少し歩くと小雨がぱらついてきた。大ブナ尾根に出たところで登山中止とし、戻ることにする。ただ、来た道を戻るのはつまらないので、直接駐車場に出る道をとる。この道は尾根沿いに下りる道で、雪も多少あるがアイゼンを使うほどではない。雪の上の足跡を頼りに進むが、道を間違ったようだ(足跡の人も間違ったようだ)。そのままちょっと進むと、周遊道が見えたが、道路までは5m位の崖を下らなくてはならない。「安全が確認出来たら呼ぶからね。」と信賀氏が先に下る。なんとなく、待っているのがもったいなく、信賀氏の横を降り始めた。小さな岩につま先をかけて、両手は草を掴みながら下る。次の瞬間、手に握っていた草が根っこから抜けた。そして足場の岩が崩れた。体が回った。我に返ったとき、上を向いて寝ていた。息ができない。何がどうなったか理解するまで時間がかかった。背中が痛く、眼鏡をかけていない。信賀氏が降りてきて「大丈夫か。」と聞く。眼鏡を探しながら、大事のないことを伝える。信賀氏の話では、後ろ向きに1回転半廻りながら3mくらい、そして背中から落ちたそうだ。リックがクッションになってくれた。湖畔で昼飯を食べ、奥多摩有料経由で帰宅する。落ちた衝撃でカメラ(オリンパスXA)のケースを割ってしまった。ケースがなかったらカメラ本体を壊していたかも。初めての経験。
後日談:翌日から2日間ほど、背中の痛みが続き、首が回らなかった。その後も、疲れると背中が痛くなる症状が続いた。
追記:
信賀氏のいうことを聞いていれば落ちなかったと反省。頭から落ちていたら死んでたかも。今まで、登山中にいろいろなアクシデントに会ったけど、これが一番危険だったと思う。注意しよう。道に迷ったら戻ることだね。
1982年4月11日(日) 快晴 雲取山 私
自宅(7:00)---バイク---(9:05)林道終点(9:20)・・・(9:45)三条ノ湯(9:52)・・・(11:27)三条ダルミ(11:35)・・・(12:02)雲取山(13:50)・・・(14:20)雲取小屋(14:20)・・・(14:50)雲取山(14:50)・・・(15:10)三条ダルミ(15:20)・・・(16:25)三条ノ湯(16:25)・・・(16:45)林道終点---バイク---(20:00頃)自宅
今日は高見さんの結婚式の日である。おめでとうを言おうと思い静岡県が見える所へ行くことにする。身近に静岡県を見すためには富士山を見れば良いわけであり、東京一高い雲取山山頂から見ることにした。バイクを林道終点に停め、見慣れた道を三条の湯を目指す。小屋からは急な登りがちょっと続くが、途中、小さな(小指の先くらいの)石が目の上に当たった。けがも何もないが、なんでこんな石が落ちてくるのだろう?ちょっと不思議。頂上は天気も良く、景色も良い。奥秩父の山々、両神山、大菩薩連嶺が手に取るようだ。更に大菩薩の奥に富士山がかっこ良い姿を見せている。富士山を見ながら小声で「おめでとう」と・・・。
ここで、富士山を見ながら1時間ほどトカゲをして、雲取小屋方面に下りる。小屋から雲取山を巻く道が地図にあったので、その巻き道を通って三条ダルミへ出ようと思ったのだ。頂上から雲取小屋までは雪だらけでアイスバーンもある。数日前に降った雪だけではないようだ。北斜面は雪が解けにくいのだろう。南斜面は雪なんかないのに。さて、巻き道に入るとすぐに、沢だと思うのだが、何重にも凍っているように道をふさいでいる。行って行けないことはなさそうだが、その氷がかなり下まで滑り台のように続いている。この道はあきらめて、雲取山山頂に戻り、来た道を下った。高見さんにおめでとうが言えてよかった。
山頂にて、富士山を見ていたら、なんだか無性に富士山の絵を描きたくなった。カメラでは捉えられない何かを絵なら捉えられるような気がしてきたのだ。こんな気持ちになったのは初めてだ。
追記:
高見さんは、私の理科大の同級生の高校時代の同級生の女の子の大学(富士短期大学)のお友達で、東京大学の五月祭を見たいとかで、私が案内役でお会いしました。その後、一緒に飲んだりしました。お兄さんが海外遠征もしている山屋さんで一度だけお会いしました。かっこいい人でした。この時山の絵を描きたいと思いましたが、その後、まったく書いていません。やっぱり、芸術的な要素を持ってはいないのでしょうね。
1982年4月18日(日) 腫れ 武甲山 私
自宅(8:10)‐‐‐バイク‐‐‐(10:50)生川(11:00)・・・(12:30)武甲山(14:30)・・・(15:20)生川(15:40)‐‐‐バイク()グリーンライン経由‐‐‐自宅
先週の雲取山山頂でのトカゲの心地よさが忘れられず、武甲山へ登ってトカゲをしようと出発する。今回は表参道から登り、往復する。バイクでコンクリート工場のなんとなく白っぽい道を走る。こんなところ歩きたくないなあ。林道になり、登山者の横を走るが、なんか冷たい目で見られているような気がする。生川の駐車場らしきところにバイクを置いて頂上を目指す。表参道といっても、暗い道だ。頂上ではでは前回同様素晴らしい景色が疲れをいやしてくれる。ギザギザの両神山、白い山容をした浅間山はまだ冬山だ。下を見ると、これも前回同様ムカついてしまう。そう、石灰採掘場だ。さて頂上からちょっと下がったところ、大持山、子持山、妻坂峠、武川岳がよく見える斜面で昼食を取る。天気は最高、ぽかぽかで眺めも良い。小1時間ほど横になっていると、5人ほどのパーティが来て、私の近くで事を始めた。しばらくして、一人の男性が、「トンビだ!」、他の男性も「ほんとだトンビだ!」と。私が目を開けてみると、やや下方にトンビらしき鳥が飛んでいたのだが、次の瞬間、カーカーと鳴いた。カラスだったのですね。なんかおかしかったね。この頃思うんだけど、天気の良い山の上でのトカゲってほんとにいいな。これからは花や鳥を見ながら’、ゆとりのある登山をしてみたいな。
追記:
武甲山の悪口を言っても行ってしまうのは、好きな山なのでしょうね。体力的にもちょうどよいのかもしれません。ゆとりの登山、いまだにできないですねえ。
以下、工事中
1982年5月1日(土)~4日(日) 金峰山 信賀 私
1982年7月10日(土)~11日(日) 富士山 私
1982年9月3日(金)~6日(日) 谷川岳 小松 信賀 私
1982年10月1日(金)~3日(日) 至仏山 尾瀬ヶ原 中村 安本 中野 山内 刈谷 私 その他総勢26名
1982年11月3日(水) 高水三山 工学部職員組合:吉田、安本、金井、斎藤、私、他(??) 学習協:俵さん親子、高木、赤羽、前沢)
1982年11月13日(土)~14日(日) 雲取山 TCC:小松、信賀、高橋、山本(陽)、山本(鈴)、私