⛰ 7月6日(日) くもり 伊豆ヶ岳(851.4m) ひとり
正丸駅(12:00位)・・・伊豆ヶ岳(13:30位)・・・正丸峠下(14:30位)・・・正丸駅(15:15位)
槍ヶ岳の足慣らしとして伊豆ヶ岳に登る。バイクを正丸駅のそばの食堂に置かせてもらう。天気は曇りでちょっと霧がかかっていた。太陽は1回も顔を見せなかった。下りで1回コケ、足首を痛めたようだが、大したことはないようだ。
⛰ 7月25日(金)~28日(月) 槍ヶ岳(3190m) 信賀、私
7/25 自宅---(車)---新保高温泉
車で新穂高温泉へ向かう。17:00到着。温泉に入りたかったが、明日は早いので降りてきてから入ることにしてキャンプ場にテントを張る、車は駐車場に置きっぱなし。
7/26 晴れ、山の上は雨
新穂高温泉(6:00)・・・槍平小屋(11:30)・・・槍岳山荘(17:00)
早朝に出発。だんだらな林道を歩く。林道が終わり、やたら石が多い道となる。昼前に槍平小屋に着く。少し先で昼めし。慣れないキャラバンシューズで足が痛かったが、苦になるほどではない。時間が早かったので、1時間ぐらい休む。南岳だと思うが、素晴らしい眺めである。これが高山なのか、と感動。少し歩くと、急な登りになってきた。と同時に、あれだけ晴れていた空が曇ってきた。疲れで休む間隔が狭まり、20分ごとに休むようになっていた。下を見ると霧のような雲のようなものが、猛烈な勢いで上ってくる。休んでいると、中年男性と若い人が片手にビニール袋を持ち、ごみを拾いながら、そして、腰を下ろしている人に「高山植物に気を付けてくださいね。」と言いながら登ってきた。とっても感動したが、僕にはごみを拾いながら登る気力も体力もなかった。
とうとう雨が降り出した。ポンチョをかぶっても容赦なく降ってくる。休憩の間隔は10分くらいになってしまい、信賀と差が付き、待ってもらうといった山行になってしまった。やっと稜線に出た。しかし、そこからキャンプ場(槍の肩)までが短いが長かった。槍ヶ岳山荘に到着。ついに3,000mを超えたことを知った。キャンプ場はいっぱいでテントを張れず、仕方なく小屋に泊まることにする。でも、このあと、濡れた体でテントを張って、飯を作るなんてことはできそうになかった。山小屋は高いなあ。素泊まりで、3,500円。それに無茶苦茶混んでいる。布団に入ったのは19時頃だと思う、寝返りができない、夜中にトイレに行ったら、寝る場所がなくなっていた。「御免なさい」と言いながら割り込んで眠った。
7/27 雨のち曇りのち晴れ
行程時刻の記述なし
目が覚めたら、晴れているといいなあ、と思い起きる。しっかり雨が降っていた。なんとなく、体がだるい。飯を食い、出発準備ができたのは8時過ぎであった。どうにか雨はやんだが、霧で真っ白だ。槍ヶ岳に登るか登らないかを迷っているときに、小屋の雷警報が鳴った。でも、ビビりながら登ることにした。ポンチョをシャツのおなかに入れて、岩場を登る。鎖や鉄製の杭、梯子が岩に撃ち込まれている。霧で視界がないため、逆に高度感がないことがよかったかも。30分くらいで、頂上に到着。本当に狭いところで、祠があった。先に登っていた人とちょっとお話をして下る。小屋に戻り、すぐに出発。来た道を戻る。
下りはきつかった。しっかりと足にまめができて、つぶれて、痛い。天気は途中からよくなってきた。18時前にキャンプ場に着いた。疲れた体でテントを張って、飯を食い、温泉に入って、ビールで乾杯!やったね、槍ヶ岳!やったね3,000mオーバー!いやあ、山にかぶれそう。
7/28 曇り
行程時刻の記述なし
車で東京へ。途中の安房峠では奥穂高岳や焼岳がよく見えた。無事帰宅。疲れたけど、憧れの山に登ったぞー!
追記:
自分の体形、体力では山登りは無理だとずっと思っていました。一緒に登った信賀氏は、高校からの友人で、高校の柔道部の仲間です。この年の夏前、荻窪駅で飲み会があり、ちょっと早くに着いた私は近くの書店へ。そこで、槍ヶ岳の写真が表紙の山渓だったか、岳人だったかを見て、無性に行きたくなり、飲み会で信賀氏にそのことを話すと、じゃあ、行こうかという話になりました。信賀氏は中学時代に山登りをしていたそうで、経験者です。重いテントを持ってもらいました。彼がいなかったら、山登りはしなかったかもしれません。
⛰ 10月17日(金)~19日(月) 八ヶ岳(2899m) 井坂、山本、山本さんの友人2人、恩給局山岳部の方々、私
10/17 曇りのち晴れ 自宅---(長野行き夜行)---列車新宿
初めての夜行での登山。中央本線の夜行列車は初めて乗るなあ。ジュンちゃんたち3人は美濃戸山荘に前泊しており、仕事の都合で井坂君と私は夜行で追いかけることになった。20:30から並んで、どうにか座れた。えらい混みようで、また、久しぶりの夜行であまり寝られなかった。
19/18 くもり 茅野駅---バス---美濃戸口・・・美濃戸山・・・行者小屋・・・赤岳行者小屋・・・美濃戸山荘 (時刻記述なし)
茅野駅からはバスで美濃戸口へ。そこから林道を歩く。美濃戸山荘には8時ごろ到着。彼女たちは出発準備OK。私のリックに余裕があるとみると、ここに歩荷が誕生した。はい、お弁当、はい、お茶、水、缶詰という具合。みんなのリックはデイパック並みにかわいいのだ。井坂もデイパックだ。
さて、南沢コースを2時間ほどで行者小屋へ。八ヶ岳がまじかに見えてきた。これから登るのかと思うとビビッてしまう。文三郎新道はところどころ鎖があり、ちょっときつかった。途中、恩給局山岳部の遭難慰霊碑へ寄り、そこで昼飯。風が強く、えらく寒い。セーターを美濃戸山荘に置いてきてしまったのは間違いだ。カッパの下にお尻引き用の新聞紙を入れて、寒さをこらえた。慰霊碑からは足場の良くないところを登り、赤岳山頂に。ここも寒い。すぐ下山にかかるが、道を間違えて県界尾根を少し下ってしまった。すぐに八ヶ岳経験者のジュンちゃんが気づいて引き返す。なんとこの5人、誰も地図、コンパスを持っていなかった。反省反省。石室からの地蔵尾根は鎖場の連続だったが、なんか楽しかった。行者小屋からの下りの途中で陽は落ち、明かりを点けて歩くが、懐中電灯を持ってきたのは、ジュンちゃんと私だけ。なんかすごいパーティだ。
美濃戸山荘では、恩給局山岳部の方たちと大宴会。ふんどしの締め方講習会が始まるし、私の「おいしい顔」が受けた。だめだあ、もう寝よっと。
10/19 雨
10時頃、小屋を出て帰路東京へ。車中、酔っぱらったおっさんとひと悶着あったが、無事東京へ。来年も八ッに行くぞー
追記:
恩給局山岳部の遭難は新田次郎氏の本にも記述があります。一緒に歩いたジュンちゃんと井坂は理科大特許研の仲間でジュンちゃんは恩給局に勤めていました。この山行は恩給局山岳部の遭難された方への慰霊の山行でした。車中のトラブル、記憶にありません。
⛰ 11月1日(土)~2日(日) 大菩薩嶺(2057m) 阿川、信賀、私
11/1 晴れ 自宅---(車)---荻窪---(車)---柳沢峠
夜8時半、カローラ30で自宅から荻窪へ。阿川氏、信賀氏を拾い出発、柳沢峠に着く。車から降りると寒くて寒くて、テントを張り終えたときには車のガラスが凍っていた。テントの中でお酒を飲んだが暖まらない。夜、何度か寒くて目が覚めた。
11/2 晴れのち曇りのち雨 柳沢峠・・・大菩薩嶺・・・賽の河原・・・大菩薩峠・・・上日川峠・・・裂石・・・柳沢峠
寒くてシュラフから出られなく、出発したのは9時を過ぎていた。天気も良く富士山。甲府盆地がよく見えた。大菩薩嶺で昼飯、賽の河原、大菩薩峠、上日川峠を経て裂石に下りる。このとき、阿川氏がダウン。雨も降り出し、信賀氏が軽身で柳沢峠まで走って行って車を持ってくることにし、我々はゆっくり歩いていく。裂石からは10Kmあり、登りだ。国道なので車がビュンビュン飛ばすのである。真っ暗になり、とぼとぼ歩いていると、後ろからタクシーが。1,000円で峠まで行ってくれるとのこと。よかったあ。信賀氏は2Kmくらい先にいた。峠まで、あと5~6Kmぐらいのところかな。いや~疲れまんな、車道歩きは。
追記:
阿川氏も信賀氏と同じく、高校時代柔道部の仲間です。カローラ30は父親が買い換えたばかりの新車でしたが、当時の排ガス規制対応とかで、燃費が悪かったのを覚えています。