2025.09. 26 全国通訳案内士1次筆記試験合格発表(予定)
2024年7月 佐渡金山(新潟)が世界遺産に登録された。
これにより
日本の世界遺産は、
全部で26件。
文化遺産が21件、自然遺産が5件となった。
参考:『日本の世界遺産一覧』文化庁 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_isan/ichiran/
富岡製糸場と絹産業遺産群10周年、紀伊山地の霊場と参詣道20周年、古都京都の文化財30周年
*飛鳥・藤原の宮都の推薦が決定。
世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれ、そして私たちが未来の世代に引き継いでいくべきかけがえのない宝物です。UNESCOは、世界遺産を”人類共通の遺産”として保護・保全していくための国際的な協力体制を築く国際条約として、1972年第17回UNESCO総会にて「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(通称:世界遺産条約)を採択しました。
世界遺産は、私たち一人ひとりが守り伝えていくべき人類共通の遺産であるとして、日本ユネスコ協会連盟では、草の根レベルでの保護・保全活動を進めています。(日本ユネスコ連盟HPの説明による。下線はちよろぎ)
(i)
人間の創造的才能を表す傑作である。
(ii)
建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
(iii)
現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
(iv)
歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
(v)
あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又は、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本である(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの)
(vi)
顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。
(vii)
最上級の自然現象、又は、類まれな自然美・美的価値を有する地域を包含する。
(viii)
生命進化の記録や、地形形成における重要な進行中の地質学的過程、あるいは重要な地形学的又は自然地理学的特徴といった、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な見本である。
(ix)
陸上・淡水域・沿岸・海洋の生態系や動植物群集の進化、発展において、重要な進行中の生態学的過程又は生物学的過程を代表する顕著な見本である。
(x)
学術上又は保全上顕著な普遍的価値を有する絶滅のおそれのある種の生息地など、生物多様性の生息域内保全にとって最も重要な自然の生息地を包含する。
(上記日本ユネスコ連盟HPより)
「ICCROM」(International Centre for the Study of the Preservation and Restoration of Cultural Property)(文化財保存修復研究国際センター):ICCROMは、昭和31(1956)年のUNESCO第9回総会で創設が決議され、昭和34(1959)年以降ローマに本部を置いている政府間組織で、動産、不動産を問わず、広く文化遺産を対象としているのが特徴で、世界遺産委員会の諮問機関として知られる(参考)。文化遺産の保全状況の監視や国際的援助要請の審議も行う。
「ICOMOS」: ICOMOSとは、国際記念物遺跡会議(ICOMOS/ International Council on Monuments and Sites)のことで、文化遺産保護に関わる国際的な非政府組織(NGO)です。1964年、ヴェニスで開催されたSecond International Congress of Architects and Technicians of Historic Monuments (第2回歴史記念建造物関係建築家技術者国際会議)で、記念物と遺跡の保存と修復に関する国際憲章(一般には「ヴェニス憲章」の名で知られています)が採択され、この憲章の精神を国際的に実現していく組織として、ICOMOSを設立することが決定されました。(ICOMOS Japan)
「IUCN」:国際自然保護連合日本委員会(Japan Committee for IUCN)は、世界最大の自然保護ネットワークIUCNに日本から参画する団体が連携し日本と世界の自然保護を支援するために1980年に作られた組織です。(IUCN Japan)
世界遺産・国宝等における防火対策5か年計画等について(文化庁) https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/hogofukyu/92050501.html
フランスパリのノートルダム大聖堂での火災や首里城跡での火災などの惨事が,他の国宝・重要文化財や史跡等に所在する建造物で生じないよう,緊急状況調査結果等を踏まえ,文化庁では,「世界遺産・国宝等における防火対策5か年計画」及び「文化財の防火対策ガイドライン」を策定しました。
旅するように学ぶ世界遺産『法隆寺地域の仏教建造物群』(世界遺産検定公式)→https://youtu.be/9pSf5NtXfGI?si=g8ooEkJk-uGq9Eex 五重塔は何階建て?
2015年撮影(ちよろぎ)
兵庫県姫路市にある日本の城。江戸時代初期(1618年にほぼ完成)に建てられた天守や櫓等の主要建造物が現存し(現存天守は5城のみ)、国宝や重要文化財に指定されている。また、主郭部を含む中堀の内側は「姫路城跡」として国の特別史跡に指定されている。また、ユネスコの世界遺産リストにも登録され、日本100名城などに選定されている。家康好みの白漆喰で塗られた白亜の美しい姿から白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう。 (1993年登録。文化遺産)
平山城で、天守のある姫山と西の丸のある鷺山を中心として、その周囲の地形を利用し城下町を内包した総構え(内曲輪は東西465m南北543m、外曲輪は東西1418m南北1854m)を形成している。堀は姫山の北東麓を起点にして左回りに城北東部の野里まで総延長約12.5kmあり、内堀で囲んだ1周目は内曲輪、中堀で囲んだ2周目は中曲輪、外堀で囲んだ3周目は外曲輪といい、3重の螺旋を描くような曲輪構造で渦郭式縄張を形成している(内曲輪だけに注目すると階郭式)。
『旅するように学ぶ世界遺産『姫路城』~世界の城めぐり④~』世界遺産検定公式→https://youtu.be/w--UROlp1FY?si=TdJS9KzWz6DWxjCx 明治時代廃城令で、姫路城はいくらで売られた? プロパティゾーンとバッファーゾーン。
鹿児島県の大隅半島佐田岬の南南西約60kmの海上に位置する島。島の90%が森林である。近隣の種子島や口永良部島などと共に大隅諸島を形成する。南方に位置するトカラ列島や奄美群島などとともに南西諸島を構成する。
九州最高峰の山、宮之浦岳(標高1936m)がある。自然が豊かで、屋久島国立公園の中核をなし、世界遺産の一つに登録されている。(1993年登録。自然遺産)
屋久島はほぼ全域が山地であり、1,000mから1,900m級の山々の連なりは八重岳と呼ばれ洋上アルプスの異名もある。中央部には日本百名山の一つで九州地方最高峰の宮之浦岳 (1,936m) がそびえる。このような中央部の高峰は奥岳と呼ばれ、永田岳を除き海岸部の人里から望むことはできない。
地質的には西南日本外帯の四万十帯に属し、島外周部は日向層群(旧称・熊毛層群)の第三紀堆積岩からなり、中央山岳部は直径約25kmの巨大な花崗岩が貫入している。屋久島の高山はこの1550万年前にできた花崗岩がその後に隆起して形成された。また激しい雨による侵食の結果として残された花崗岩塊が点在し、永田岳の山頂付近に見られるローソク岩のような岩塔が林立する。一般に花崗岩は広い間隔で節理が発達するため巨大な岩塊が生まれる。さらに島の北西-南東方向および、北東-南西方向に発達した渓谷や尾根筋も節理の方向に沿って侵食が進んだ結果である。
『勉強して行きたくなった世界遺産第2位『屋久島』』世界遺産検定公式→ https://youtu.be/Nr_mOFdQNdA?si=9ogqbwtCep9IMqGY 屋久島では標高により気候帯の異なった植生がみられるが、その名称は?
白神山地核心地域
青森県から秋田県にまたがる山地帯の総称。 屋久島とならんで1993年(平成5年)12月、日本で初めてのユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された。そこには「人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布」(世界遺産登録理由)と記されている。 13万ヘクタール(東京ドーム28,000個くらい)。世界最大規模。ニホンカモシカ、クマタカ、フジミドリシジミなど希少な動植物の宝庫。
地質的には主に9000万年前(中生代白亜紀)の花崗岩を基盤としており、当時の日本列島はユーラシア大陸と地続きだった。その後、海底下にあった2000万年から1200万年前(新生代第三紀中新世)にかけ海底の火山活動があり、白神山地の大部分はそのときの堆積岩(凝灰岩、泥岩、砂岩)や貫入岩類(流紋岩、石英閃緑岩等)で構成されている。
白神山地全体の面積は約13万haでそのうち約1万7千ha (169.7km2) がユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されている。青森県側の面積はそのうち74%の126.3km2を占め、残る43.4km2は秋田県北西部にあたる。
景観を守るために西目屋村では屋根をブナの森をイメージした西目屋グリーンにそろえている。水陸両用バス。岩木山。嶽温泉(硫黄泉)。不老ふ死温泉(日本海を望みながらの露天風呂。含鉄ナトリウム塩化物強温泉 効能:神経痛、腰痛、皮膚病、リウマチなど)。
嶽きみ(たけきみ)(名産のトウモロコシ)。深浦マグロ(大間は冬マグロだが、深浦は夏マグロで県内漁獲量一。本マグロ)。
マタギの狩猟禁止問題。
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『白神山地』』世界遺産検定公式→ https://youtu.be/iuzqFgvpMnc?si=3VeqMvAdSKGku4tq 白神山地でかつて狩猟を生業にしていた人々は? ミルフィーユ状態の腐葉土が命を育む
古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)(こときょうとのぶんかざい(きょうとし、うじし、おおつし))は、その名が示すように京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2府県3市に点在する構成資産17件から成るユネスコの世界遺産リスト登録物件(文化遺産)である。1994年に日本で5件目の世界遺産として登録された。
構成遺産は、点在する17か所の寺社と城郭で構成される。現在の構成遺産は、国宝建造物があるか、庭園が特別名勝に指定されているものだけで構成されている(清水寺の一部として指定されている地主神社(重要文化財)・延暦寺の一部として指定されている比叡山(史跡・一部は天然記念物)を除く)。一部は特別史跡にも指定されている。 賀茂別雷神社(上賀茂神社)・賀茂御祖神社(下鴨神社 )・教王護国寺(東寺) ・清水寺 (地主神社含む)・延暦寺 (広範囲に及ぶ境内地(比叡山)の全てを含む)(滋賀県大津市坂本)・醍醐寺 (院家(塔頭)寺院の三宝院を含む )・仁和寺(別称・御室御所)・平等院(京都府宇治市)・ 宇治上神社(京都府宇治市) ・高山寺 ・西芳寺(別称・苔寺)・天龍寺 ・鹿苑寺(相国寺塔頭、別称・金閣寺) ・慈照寺(相国寺塔頭、別称・銀閣寺) ・龍安寺(妙心寺塔頭、石庭が世界的に有名)・ 西本願寺(本願寺) ・二条城(元離宮二条城 )。
参考:『旅するように学ぶ世界遺産『古都京都の文化財』』世界遺産検定公式→ https://youtu.be/dZ1g1H1POmA?si=Dsl6uhHvV2yAMK4e 建物でなく庭園が構成要素として登録されているものは? 時代ではなく794年~1867年の長きにわたって政治・文化の中心であったことが評価されている。
飛越地方の白川郷(岐阜県大野郡白川村と岐阜県高山市荘川町)と五箇山(富山県南砺市)にある合掌造りの集落群である。1995年(平成7年)12月9日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、日本では6件目の世界遺産となった。
合掌造り(がっしょうづくり)は、日本の住宅建築様式の一つである。急勾配の屋根を持ち、現存する合掌造りの屋根は45度から60度まで、傾きにかなりの幅がある 。名称の由来は、掌を合わせたように三角形に組む丸太組みを「合掌」と呼ぶことから来たと推測されており、豪雪対策や水はけを考慮したものと推測されている。屋根組には釘を一本も使わず、丈夫な縄で固定する。保全のために30年~40年に一度大規模な補修や屋根(萱葺き)の吹き替えを行う必要がある。これは大きな人手と時間を要する大掛かりなものであるため、住民総出で行われた。合掌造り家屋の中では家内工業として和紙漉き、塩硝作り、養蚕が行われていたが、養蚕業は明治以降も行われ、家屋の大型化に寄与した。
また、この地域は、白山信仰の修験者や平家の落人伝説とも結びつきが深い。
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『白川郷・五箇山の合掌造り集落』』世界遺産検定公式 https://youtu.be/aa6HF5Qzskw?si=Zenap_pNSjHs0nnr
1945年(昭和20年)8月6日8時15分に広島市に投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える建造物(被爆建造物)である。広島平和記念碑(ひろしまへいわきねんひ、英: Hiroshima Peace Memorial)とも呼ばれる。もともとは広島県のさまざまな物産を展示するための広島県物産陳列館として開館され、戦時中から原爆投下時までは広島県産業奨励館と呼ばれていた。1953年(昭和28年)に、所有権が広島県から広島市に移転されるなかで、原爆ドームこと産業奨励館廃墟の除去(負の遺産の保持はつらいと市民からの訴えがあったが)はひとまず留保され、1955年(昭和30年)には丹下健三の設計による広島記念公園(平和公園)が完成した。この公園は、原爆ドームを北の起点として原爆死没者慰霊碑・広島平和記念資料館が南北方向に一直線上に位置するよう設計されており、原爆ドームをシンボルとして際立たせる意図があった。 1992年(平成4年)に政府が世界遺産条約を受諾したことを契機に、同年9月に広島市議会が「原爆ドームを国の世界遺産候補リストに登録するよう要望する」意見書を採択。市長は翌年1月に要望書を文化庁に提出した。 当初政府は、米国・中国などを刺激したくないとの政治的配慮で消極的であったが、それが刺激となって多数の署名を得、1995年3月、文部省(当時。現・文科省)は文化財保護法に基づく史跡名勝天然記念物指定基準を改正し、同年6月に原爆ドームを国の史跡に指定、同年9月に原爆ドームを世界遺産に推薦した。
1996年12月5日にユネスコの世界遺産(文化遺産)(ID775)に登録が決定、平和を訴える記念碑として、特に負の世界遺産と呼ばれている。
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『白川郷・五箇山の合掌造り集落』』世界遺産検定公式チャンネル https://youtu.be/aa6HF5Qzskw?si=-Fw8h7GORVL67uSi ブルーノ・タウト
広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社。式内社(名神(みょうじん)大社)、安芸国一宮。
広島県広島湾に浮かぶ厳島の北東部、弥山(みせん)(標高535m)北麓に鎮座する。厳島は一般に「安芸の宮島」とも呼ばれ日本三景(宮城県松島・京都府天橋立・厳島神社の宮島)の1つに数えられている。(弥山を借景にしている)
平家からの信仰で有名で、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられた。社殿は現在、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されている。そのほか、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品を多数納めている。
厳島神社の平舞台(国宝:附(つけたり)指定)は日本三舞台(大阪市天王寺の石舞台・大坂住吉大社の石舞台・厳島神社の平舞台)の1つに数えられるほか、海上に立つ高さ16mの大鳥居(重要文化財)は日本三大鳥居(春日大社と敦賀気比神宮の大鳥居・厳島神社の大鳥居)の1つである。また、夏に行われる例祭は「管弦祭」として知られる。
古くは「伊都岐島神社」とも記された。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。祭神は市杵島(いちきしま)姫命・田心(たごり)姫命・湍津(たぎつ)姫命の3柱であり、宗像三女神と総称される。
平成8年(1996年)12月にユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されている。
参考動画:『勉強して行きたくなった世界遺産第8位『厳島神社』』(世界遺産検定公式Youtube) https://youtu.be/a2wZaJ2XneU?si=HXfGb4gALbN8ZMw6 フェリー 大鳥居の柱は地中に固定されておらず、鳥居自身の重さで自立している。海上に浮かぶ木造建築であり、それが残されていることが評価されている。板の隙間。板材 (널빤지)。すきま(틈)。寝殿造
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『古都奈良の文化財』』世界遺産検定公式(youtube) https://youtu.be/CG1glgbJg3g?si=aiRnPM22YjtTQXRg 鹿が人間と共存する。鹿島大社。食害もあるので段階的に守る。
1999年12月2日にモロッコのマラケシュで開催されたユネスコ世界遺産委員会で文化遺産として登録された。登録名は「日光の社寺」である。
関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀る。三猿・眠り猫・陽明門(日暮御門(日が暮れるまで見ても見るところがある))で有名。
103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が登録されている。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『日光の社寺』』世界遺産検定公式(youtube) https://youtu.be/VmE_DLhMaCo?si=JQ-crL8Wxw-WwwWS 自然と信仰がうまく溶け合う地。天海・家光。陽明門。輪王寺は家光。東方薬師瑠璃光如来。
沖縄本島南部を中心に点在するグスクなどの琉球王国の史跡群から構成されるユネスコの世界遺産(文化遺産)である。2000年11月30日(CET)に、日本で11件目の世界遺産として登録された。
なお、各グスクの登録の名称は下記のとおり「じょうあと」で、「ぐすくあと」、「じょうせき」とはしていない。
構成遺産としては、今帰仁城跡(なきじんじょうあと) 、座喜味城跡(ざきみじょうあと) 、勝連城跡(かつれんじょうあと) 、中城城跡(なかぐすくじょうあと) 、首里城跡(しゅりじょうあと)、 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん) (御嶽は、琉球神道における祭祀などを行う施設) 、玉陵(たまうどぅん) (琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓 )、識名園(しきなえん) 、斎場御嶽(せーふぁうたき) 。写真は斎場御嶽。(以上、wikipedia)
15世紀前半にこれらを統一して琉球王国が成立しました。中国・朝鮮・日本・東南アジア諸国との広域の交易を経済的な基盤とし、当時の日本の文化とは異なった国際色豊かな独特の文化が形成されました。その特色を如実に反映している文化遺産が城(グスク)です。 (文化遺産オンライン)
参考動画:『琉球王国のグスク及び関連遺跡群』OPEN EV 沖縄県教育委員会 教育支援ビデオ(youtube) https://youtu.be/YYxpxZk1WE0?si=FqJ3FwMersnxFukn 失われた琉球社会の象徴として世界遺産。玉殿。洗骨。カーブを描いた石垣を持つぐすく。護佐丸。
和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野参詣道)を登録対象とする世界遺産(文化遺産)。2004年7月7日に登録され、2016年10月26日に登録範囲の「軽微な変更」がなされた。
登録時の規模は、核となるエリアと、その保護のための周辺地域を合わせて日本の世界文化遺産では最大となる1万1865.3ヘクタールにおよぶ[2]。標高1000メートル級の山々が連なる紀伊山地は、太古から自然を神格化して崇める信仰が盛んな地域で、古代の都がおかれた奈良盆地近辺の人々の信仰を集めていた[1]。6世紀に大陸から日本に仏教が伝わってからは、7世紀後半に山岳修行の地となっていき、9世紀に伝わった真言密教は高野山、10世紀から11世紀にかけて盛んになった修験道は吉野・大峰や熊野三山が主な修行の場となった。特に熊野三山は神道の信仰の場でもあった。高野山、吉野・大峰、熊野三山は三大霊場として、神仏習合の思想によって密接なかかわりをもち、各霊場へと結ばれる参詣道として、大辺路、中辺路、小辺路、大峰奥駈道、伊勢路、高野山町石道が整備されていった。
日本の世界遺産で初めて道が登録されたものであり、文化遺産のカテゴリーのなかでも、人間の営みと自然の特異な結びつきを示す名勝・庭園・遺跡などを意味する「文化的景観」にも初めて選ばれた。
写真は熊野古道。
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』~聖地、パワースポット編⑤~』世界遺産検定公式(youtube)
2005年(平成17年)7月17日、南アフリカ共和国ダーバンで行われた『第29回ユネスコ世界遺産委員会』で「自然遺産」登録が決まった。
北海道東部に位置する知床半島は、北半球における流氷の南限とされ、流氷下のアイスアルジー(氷に付着した藻類)や流氷形成時の鉛直混合により作られる栄養塩の豊かな中層水がもたらす植物性のプランクトンの大増殖を基礎とした食物網を通して、多種多様な生物が生息・生育する地域となっている。生息するシロザケ(サケ)、カラフトマス、サクラマス、オショロコマが、海と川を行き来し、これらを重要な餌資源とするヒグマやシマフクロウ、オオワシ(日本で見られる最大級の鳥。北海道でのみ見られる)、オジロワシといった大型の哺乳類や絶滅のおそれのある猛禽類(他の動物を捕食する鳥)をはじめ海棲哺乳類(海獣)、海鳥など様々な生きものが生息し、北方系と南方系の野生生物が混生するなど、海域と陸域の自然環境が密接に影響し合い、多様な生物相と生物間相互作用に支えられた豊かな生態系を形成している。また、火山活動により形成された急峻な知床連山、山麓を覆う原生的な森林、切り立つ海岸断崖、多様な湿原・湖沼など様々な景観が凝縮され、優れた自然美を有している 。
↑世界自然遺産の諮問機関は、ICOMOSではなく、IUCNであることに注意。
写真は、カムイワッカの滝。
参考動画:『勉強して行きたくなった世界遺産第6位『知床』』『旅するように学ぶ世界遺産』世界遺産検定公式YouTubeチャンネル https://youtu.be/EZdBMxRPnsA?si=jVZ4VIRj_syK7LNB 流氷から供給される栄養から食物連鎖による、『生物多様性を示す登録基準(x)』が認められている(上記の登録遺産の基準参照)。1964年国立公園を受けて開発。ナショナル・トラスト運動(英国)を参考に100平方米運動で知床の自然が守られた。
島根県大田市にある戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)。上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされている。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)とも呼ばれた。明治期以降は枯渇した銀に代わり、銅などが採鉱された。大田市。
2007年5月、各国から推薦された世界遺産登録候補を審査するユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が、遺跡の「顕著な普遍的価値」の証明が不十分であることを理由に「石見銀山は登録延期が適当」と勧告し、政府や地元は登録は極めて難しいと判断したが、ユネスコの日本政府が勧告に反論する110ページにわたる英文の「補足情報」を送るなどしたところ、また、石見銀山が伐採した分だけ植林していたこと、自然と人間の共生、採掘→精錬→運搬→搬出と言う産業としての一連の流れを表現している点などが認められ、2007年に登録を認められた。間歩。
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『石見銀山遺跡とその文化的景観』』『旅するように学ぶ世界遺産』世界遺産検定公式YouTubeチャンネル https://youtu.be/FnyiFNV4i8c?si=mXyhAn1EoxLHYYWS 日本で2番目に文化的景観が認められた。産業遺産としては日本初。かつては全世界の銀生産の三分の一を産出していた。石見銀山で病気を防ぐためや毒を中和させる目的で使っていたものは何?坑道~作業場~信仰の場~生活の場~ひそかに運び込むための森の道~港すべてが世界遺産。また江戸時代とそれ以降で堀りかたの丁寧さの違いがあることにも注目。
参考動画:『「ようこそ石見銀山へ~石見銀山とは?」紹介動画』石見銀山世界遺産センター https://youtu.be/p15oVUFuQg0?si=Ucj8ZfUfWvIFA5OJ 銀鉱山跡(16世紀~20世紀)(龍源寺間歩、大久保間歩が公開)と鉱山町(大森の町並み、温泉津の町並み)・山城跡・街道(銀鉱山と鉱山集落~港の2本の輸送路)・港と港町(銀の積み出し、銀山の必要物資の搬入)・沖泊 訪れたことがないとちょっとわかりにくい。
東京都小笠原村に所在。東京都特別区の南南東約1,000キロメートルの太平洋上にある30余の島々からなる。総面積は104平方キロメートル。南鳥島、沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原・マリアナ島弧(伊豆・小笠原弧)の一部をなす。小笠原諸島は別名をボニン諸島 (Bonin Islands)という。
2011年(平成23年)6月24日:国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の第35回世界遺産委員会にて、世界自然遺産に登録が決定(正式登録は6月29日)。
民間人が居住するのは父島・母島の2島。2020年現在、人口は、父島2173人、母島456人である。自衛隊などの公務員が常駐する島としては父島・硫黄島・南鳥島がある 。これらを除く島は無人島である。
小笠原諸島は生物地理区の区分上において、日本で唯一オセアニア区に属している。また、形成以来ずっと大陸から隔絶していたため、島の生物は独自の進化を遂げており、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれるほど、貴重な動植物が多い。しかし、人間が持ち込んだ生物や島の開発などが原因でオガサワラオオコウモリやオガサワラノスリ、アカガシラカラスバト、ハハジマメグロなどの動物やムニンツツジ、ムニンノボタンといった植物など、いくつかの固有種は絶滅の危機に瀕している。周辺の海域では鯨やイルカが生息しており、それらを見るために島を訪れる人も多い。また陸上では、人間が持ち込み野生化したヤギも生息しており、森林の破壊や表土の流失、固有植物の食害などの問題をもたらしている。
参考動画:『勉強して行きたくなった世界遺産第7位『小笠原諸島』』『旅するように学ぶ世界遺産』世界遺産検定公式YouTubeチャンネル https://youtu.be/8SH0mYNnjYQ?si=aNNwTQhhhYCblbgq 首都に自然遺産はめずらしい。都心から南へ1000㎞。誕生してから一度も列島や大陸と陸続きになったことがない海洋島。ボニンブルー(ボニンはBO-NIN諸島(無人島)から)。多くの固有種。独自の生態系。危機に瀕している。外来種のアカギ、ヤギ、グリーンアノール(北米原産)、アリ(中国産)。適応放散とは。
平泉(ひらいずみ)は、日本の東北地方、岩手県南西部(古代の陸奥国磐井郡)にある古くからの地名であり、現在の岩手県西磐井郡平泉町の中心部にあたる。
この地域一帯には平安時代末期、奥州藤原氏が栄えた時代の寺院や遺跡群が多く残り、そのうち5件が「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の名で、2011年6月26日(現地時間:6月25日)にユネスコの世界遺産リストに登録された。日本の世界遺産の中では12番目に登録された文化遺産であり、東北地方では初の世界文化遺産となった。
イコモスはすべての世界遺産登録基準に満たないと勧告し、登録延期が決議されたが、見直しや登録地の再構成を図った結果、以下の基準により、登録が発表された。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
登録を受けて岩手県知事の達増拓也は、世界遺産委員会の場でスピーチを行った。その中では以下のように、2011年3月11日に発生した東日本大震災から3ヶ月あまりという時期に登録されたことの意義と感謝が表明されている。
構成資産は、中尊寺 (金色堂・覆(さや、おおい)堂・経蔵)・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山となった。
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―』』『旅するように学ぶ世界遺産』世界遺産検定公式YouTubeチャンネル https://youtu.be/iTXUtUMUAYU?si=W8vZCwiLOG__LEcc
2013年にUNESCOの世界遺産リストに登録された日本の世界遺産である。静岡県と山梨県にまたがる日本最高峰の富士山は、古来富士信仰が育まれた霊峰であるとともに、葛飾北斎の富嶽三十六景などに代表される芸術上の主要な題材として、日本国内のみならず国際的にも大きな影響を及ぼした景観を形成している。
浮世絵に描かれた富士山は西洋美術にも影響を与えた。葛飾北斎や歌川広重の浮世絵を通じ、ヨーロッパではいわゆるジャポニスムの風潮がおこり、たとえばフィンセント・ファン・ゴッホの作品『タンギー爺さん』には、浮世絵(歌川広重『冨士三十六景』)の模写という形で背景に富士山が描かれている。
1990年代初めから、富士山をユネスコの世界遺産に登録しようという運動が活発になった。 当初は世界遺産のうち、自然遺産への登録が検討されていたが、 火山としての平凡性や固有種生態系の無さなどを国際自然保護連合(IUCN)(←文化遺産担当のイコモスでないことに注意)から指摘され、環境管理(特にゴミ問題の解決)が困難なため、政府は推薦を見送った。また、開発が行われていた山梨県側の富士五湖の業者の調整も行い、また、名称を「富士山」から「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」へと変更し、三保松原の事実誤認訂正書を送付するなどを経て、2013年に「文化遺産」として登録された。
なお、富士山は海辺から山頂まで続く美しい円錐形の山である。高さは3,776m。
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『富士山―信仰の対象と芸術の源泉』』『旅するように学ぶ世界遺産』世界遺産検定公式YouTubeチャンネル https://youtu.be/EzOWrinyN7I?si=r278GbtG1TAiH_3j
富士山は見るとうれしい気分になる?日本人の文化や生活に大きな影響を与えてきた山。円錐形。美しい山。聖なる山。遥拝。登拝。富士講。国内外の芸術作品に影響。ゴッホ「タンギー爺さん」。信仰の対象。信仰と芸術の源泉。富士山の頂上を保有するのはどこ?←意外..。富士山は噴火を繰り返して約1万~3000年前(縄文~弥生)に今の形になった。人々は怖れ・畏怖の念を抱いたのではないか。現天皇につながる血筋。徳川家康。浅間造り。
群馬県富岡市の富岡製糸場、および伊勢崎市、藤岡市、下仁田町の2市1町に点在する養蚕関連の史跡によって構成される文化遺産であり、2014年6月の第38回世界遺産委員会(ドーハ)において、世界遺産として登録された。
当初は4市3町1村の10件の文化財群で構成されていたが、世界遺産としての価値の証明の観点などから絞込みが行なわれ、最終的に、官営模範工場として開業し、日本の製糸業の発展に大きな影響を及ぼした富岡製糸場(富岡市)、「清涼育」と呼ばれる養蚕技術を確立し、養蚕農家の様式にも影響を与えた人物の住宅であった田島弥平旧宅(伊勢崎市)、「清温育」と呼ばれる養蚕技術を確立し、蚕業学校によって知識や技術の普及を図った組織のありようを伝える高山社跡(藤岡市)、冷涼な環境での蚕種貯蔵によって、春だけでなく夏から秋にかけての養蚕を可能にし、ひいては生糸生産量の増大にも貢献した荒船風穴(下仁田町)という4件の構成資産が選定された。
既存の世界遺産には産業遺産も多く含まれるが、絹産業を価値の中心にすえた物件は存在せず、上記4物件が絹産業の技術交流や技術革新になした貢献は、世界遺産としての顕著な普遍的価値を備えているという判断からの推薦であり、2013年1月に世界遺産センターに正式な推薦書が受理された。
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『富岡製糸場と絹産業遺産群』』『旅するように学ぶ世界遺産』世界遺産検定公式YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/watch?v=PTY9iySeJXY
富岡製糸場は現在稼働しておらず、コンサートや展示場として別の楽しみ方ができる場所となっている。建物も美しく、開業当時の繰糸所(そうしじょ)や繭倉庫などが良い保存状態で残っている。1871年(明治4年)建設開始、翌年に主な建物が完成した。建設を計画したのはお雇い外国人のポール・ブリュナ(フランス人)。当時世界最大規模。周辺の関連施設として田島弥平旧宅(養蚕農家)、高山社跡(養蚕教育機関)、荒船風穴(国内最大規模の蚕の卵の貯蔵施設)の3つが登録されている。富岡製糸場の主要な建物で採用された木骨レンガ造りのレンガの積み方を何というか?←見た目が美しい、強度は比較すると強度は無い、レンガを多く使う。ブリュナの指導によるもの。フランスでは蚕の病気、中国は内乱で養蚕できず、日本で生糸を輸出するチャンスだった。しかし家内生産で品質が良くなかったので品質向上・安定供給を目指して官営工場を作った。もともと養蚕の盛んな土地柄、水・石炭が豊富、広い土地が確保しやすかった。繰糸所をトラス構造としてまん中に柱を建てなくてよいようにした。広いスペースを作り、機械を沢山入れられるようにした。
2015年の第39回世界遺産委員会でUNESCOの世界遺産リストに登録された日本の世界遺産の一つであり、山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県に点在する。西洋から非西洋世界への技術移転と日本の伝統文化を融合させ、1850年代から1910年(幕末 - 明治時代)までに急速な発展をとげた炭鉱、鉄鋼業、造船業に関する文化遺産であり、稼働遺産を含む世界遺産は日本では初めてとなった。
登録に当たり、韓国政府は、構成資産のうち、長崎造船所や端島炭坑など7つの施設で第二次世界大戦中に多くの朝鮮人が徴用され、多くの犠牲者を出したというのが主な理由であり、全23施設のうち7施設の申請撤回を求めた。また、中国外交部も韓国の働きかけに応じ、中国人が働かされた施設があるとして登録反対を表明した。これに対し日本の岸田文雄外相(当時)は、この遺産群の対象年代は1850年代から1910年であり、徴用が行われた年代とは異なると反論した。しかし文部省や外務省の依頼もあり、強制労働の文言を受入れて登録された。これを受けて、新聞各社で論議を呼んだ。
構成資産は、8つのエリア、全23資産により構成されている。
初期・
発展期
萩(萩反射炉、
大板山たたら製鉄遺跡等)
鹿児島(集成館)
韮山(韮山反射炉)
釜石(橋野鉄鉱山・高炉跡)
萩(恵美須ヶ鼻造船所跡等)
佐賀(三重津海軍所跡)
鹿児島(集成館)
長崎(小菅修船場等)
長崎(高島炭鉱、端島炭鉱等)
三池(三角西(旧)港)
産業形成期
八幡(八幡製鐡所)
長崎(長崎造船所)
三池(三池炭鉱、三池港)
参考動画:『世界文化遺産 明治日本の産業革命遺産(萩城下町)』萩市観光課公式チャンネル「はぎたび-hagi tabi-」 https://youtu.be/bM_FAWuMCJw?si=GqTMta57CcYDybFQ
参考動画:『明治日本の産業革命遺産』長崎世界遺産推進室 https://youtu.be/DyZWtMEyHoU?si=_-EJUC-QvuKzAaPQ
参考動画:『近代日本の礎、世界遺産へ!明治日本の産業革命遺産(15/05/05)』ANNnewsCH https://youtu.be/euWHVEvCiqQ?si=KHOizP5gRK4oFhak
参考チャンネル 世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」保存活用事業 https://www.youtube.com/@%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%96%87%E5%8C%96%E9%81%BA%E7%94%A3%E6%98%8E%E6%B2%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC/videos (長崎関連施設を説明)
663highland, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=663096による
東京都。※フランス・ドイツ・スイス・ベルギー・アルゼンチン・インド
20世紀の近代建築運動に多大な影響を及ぼした一人であるル・コルビュジエの作品群、ことにその中でも傑作とされる住宅、工場、宗教建築などをまとめて世界遺産リストに登録した物件である。世界各地に残るル・コルビュジエの建築作品のうち、フランスを中心とする7か国に残る建築群が対象となっており、大陸を跨ぐ初の世界遺産登録となった。
日本の構成遺産は、東京都台東区の国立西洋美術館である。実業家松方幸次郎が20世紀初めにヨーロッパで収集した印象派などの19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションがコレクションの基礎となっている。松方コレクションは第二次世界大戦後、フランス政府により敵国資産として差し押さえられていたが、コレクションを収蔵する美術館を新たに設置することを条件として返還されることとなり、当館が建設された。
世界遺産としてのル・コルビュジエの建築作品の構成遺産は、「サヴォア邸(フランス)」、「レマン湖畔の小さな家(スイス)」など17の建築作品からなる。詳しくは→『ル・コルビュジエの建築作品‐近代建築運動への顕著な貢献‐』文化遺産オンラインへ
【フランス(10資産)】ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸、サヴォア邸と庭師小屋、ペサックの集合住宅、カップ・マルタンの休暇小屋、ポルト・モリトーの集合住宅、マルセイユのユニテ・ダビタシオン、ロンシャンの礼拝堂、ラ・トゥーレットの修道院、サン・ディエの工場、フィルミニの文化の家、【日本(1資産)】 国立西洋美術館、【ドイツ(1資産)】ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅、【スイス(2資産)】レマン湖畔の小さな家、イムーブル・クラルテ、【ベルギー(1資産)】ギエット邸、【アルゼンチン(1資産)】クルチェット邸、【インド(1資産)】チャンディガールのキャピトル・コンプレックス
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『ル・コルビュジエの建築作品:近代建築運動への顕著な貢献』~近現代建築編⑤~』『旅するように学ぶ世界遺産』世界遺産検定公式YouTubeチャンネル https://youtu.be/2B01mv2h1w0?si=AV7Adlbm5NbcOwoM
ピロティ(2階部分を柱でのみ支える、空中に浮いたような軽やかな印象)・モデュロール(階段などの施設に人体をもとにした尺度をあてはめる)・無限成長美術館(展示作品が増えてもらせん状に展示空間を増設できる)・
参考動画:『ル・コルビュジェ☆超入門・20世紀近代建築の巨匠☆』ZA・建築塾 https://youtu.be/aWi58tcsUWg?si=4s1Zb738mR-_V2EK 近代的建築の実際を体験して回ることで独学で建築を収めた20世紀近代建築の巨匠ル・コルビジェの建築物とその理論。
ユネスコの世界遺産リスト登録物件(2017年登録。文化遺産)で、日本の世界遺産の中では21番目に登録された。福岡県の宗像市及び福津市内にある宗像三女神を祀る宗像大社信仰や、大宮司家宗像氏にまつわる史跡・文化財を対象とするものであり、自然崇拝を元とする固有の信仰・祭祀が4世紀以来現代まで継承されている点などが評価されている。世界遺産委員会では、航海と結びつく世界遺産の少なさを補完する物件という観点からも評価された。
湖池屋が協賛して宗像の海で獲れた穴子や宗像産の醤油で味付けしたポテトチップスを販売し一袋当たり1円を海の環境保全活動に寄付したり、化学成分を含む石鹸廃水が海を汚すため1990年代から廃油を再利用した手づくりの石鹸製作と使用に取り組んできたことが海外でも高い評価を得ている。
構成遺産は、宗像大社沖津宮(おきつみや(公式HPではおきつぐう))(沖ノ島、小屋島、御門柱、天狗岩)・宗像大社沖津宮遥拝所・宗像大社中津宮(なかつみや)・宗像大社辺津宮(へつみや)・新原(しんばる)奴山(ぬやま)古墳群(宗像氏の古墳群)。
参考動画:『旅するように学ぶ世界遺産『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』』『旅するように学ぶ世界遺産』世界遺産検定公式YouTubeチャンネル https://youtu.be/8JJL_cVUY3A?si=3EjALkxRCrmWsahM
日本の多神教の流れがわかる遺跡。神宿る島。沖津宮は、島全体がご神体のため、一般の人は上陸不可。玄界灘。福岡県宗像市。宗像三女神。宗像大社は、辺津宮、中津宮、沖津宮の総称。約8万点の奉献品はすべて国宝指定。そのことから、どんな異名を持つか?
構成遺産は、
宗像大社沖津宮(沖ノ島,小屋島,御門柱,天狗岩)、宗像大社沖津宮遙拝所、宗像大社中津宮、宗像大社辺津宮、新原・奴山古墳群
頭ヶ島天主堂
長崎県と熊本県に残る12件の構成資産から成るUNESCOの世界遺産リスト登録物件である。 もとは「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として登録が目指されたが、潜伏キリシタンに価値の焦点を絞る形で構成資産が再考された結果、現在の名称になった。2018年6月30日、第42回世界遺産委員会において登録が決定した。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、江戸時代250年間の禁教令下における厳しい弾圧の中、宣教師不在でありながら、信者のみで信仰を守り通しながらも、孤立せずに一般社会との関わりも持ちつつ、共同体を存続させるための生き方・暮らし方を創造したことが評価され、ユネスコの世界遺産に登録された。
バチカン(ローマ教皇庁)は、「聖霊が宣教師の説教を通じて灯した火は、カトリック共同体の祈りの生活を隠れて維持した平信徒の中に息づいてきた」とするフランシスコ教皇の談話を発表した。
構成遺産は、大浦天主堂・外海の出津(そとめのしつ)集落・外海の大野集落・原城跡・黒島の集落・平戸島の聖地と集落(安満岳と春日集落・中江ノ島、平戸島の文化的景観)・野崎島の集落跡・頭ケ島の集落・久賀島の集落・奈留島の江上集落・天草の﨑津集落。
大阪府堺市、羽曳野市、藤井寺市にある45件49基の古墳群の総称。百舌鳥古墳群及び古市古墳群に含まれる。
2019年7月6日の第43回世界遺産委員会で正式に世界文化遺産に登録された。
百舌鳥・古市古墳群は2007年の文化庁による世界遺産候補地公募に「百舌鳥・古市古墳群-仁徳天皇陵をはじめとする巨大古墳群-」として応募し、2010年11月に世界遺産センターに受理され正式に暫定リストに掲載された。2019年7月6日、アゼルバイジャンのバクーにて開催されていた第43回世界遺産委員会において、百舌鳥・古市古墳群の登録が決定した。大阪府下では初の、宮内庁によって治定されている陵(皇室関連施設)としても初の世界遺産登録となる。
構成遺産は、百舌鳥エリアに大仙陵古墳(仁徳天皇陵治定)など23基、古市エリアに誉田(こんだ)御廟山(ごびょうやま)古墳(応神天皇陵)など26基の前方後円墳・円墳・方墳・帆立貝形古墳が認定されている。
国際連合教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の世界遺産リスト記載物件であり、日本の自然遺産としては5番目に登録された。その名の通り、鹿児島県の奄美大島と徳之島、沖縄県の沖縄本島北部(国頭村、大宜味村、東村)と西表島の4島からなる。
暫定リストへの追加記載が決まった当初の名称は奄美・琉球だったが、ユネスコから名称の変更要請を受けて、現在の名称に変更し、世界遺産センターへの推薦書の提出が閣議了解された。2021年5月10日に自然遺産の諮問機関である国際自然保護連合(IUCN)から登録勧告が出され、オンライン形式で開催された第44回世界遺産委員会拡大会合において、7月26日に登録が決定した。
登録基準は生物多様性
(10) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。
屋久島は1993年に世界遺産に登録されている。奄美大島を含む奄美・琉球との相違点として、動物相(主に哺乳類・爬虫類・両生類)として屋久島と奄美大島の間(トカラ海峡)に渡瀬線が引かれており、生物分布が根本的に異なっている事が挙げられる。
三内丸山遺跡
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された北海道(道南)・北東北にある縄文時代の遺跡群の総称(ID1632)。発掘された考古遺跡のみで構成されるものとしては、国内初の世界遺産となる。
遺跡は北海道・青森県・岩手県・秋田県の1道3県に点在している。
狩猟・採集・漁労を基盤とした定住生活に顕著な普遍的価値があることを推薦事由に上げているが、縄文文化全体に言えることであり、北海道・北東北に限定されることではないとする指摘も出ていた。文化審議会からも、全国約9万箇所に縄文遺跡が分布するにもかかわらず、「なぜこの4道県なのか」と疑問が呈されている他、資産を17に絞ったことについても、普遍的価値を「17遺跡で過不足なく説明できているのか」「17遺跡ありきで始まり、普遍的価値を後付けしている印象」と指摘され、さらなる見直しを求められた。2017年8月、4道県等はプロジェクトチームを発足させ、推薦書の改定作業に着手、12月に「集落」の変遷に軸を置いて説明することで顕著な普遍的価値や地域の特異性を明らかにする方向性で見直しを行うことで一致した。「シンボル的な存在」であり、知名度の高い三内丸山遺跡と他の構成遺産では、世界遺産登録の審査の基準の一つである観光客の受け入れ態勢やガイダンス設備の充実の度合いに大きな差があるとされ、登録に向けた課題となっている。
佐渡金山遺跡
インド・ニューデリーで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は(2024年7月)27日、新潟県の「佐渡島(さど)の金山」について、世界文化遺産への登録を決めた。日本の文化遺産としては21件目で、自然遺産も合わせた世界遺産は26件となった。
ユネスコの諮問機関は6月、日本に登録内容の一部修正などを求める「情報照会」を勧告していた。政府や地元自治体は明治以降の史跡が多い地区の除外といった要請を受け入れ、今回の審査に臨み、同委員会ではこうした対応が評価された。
同委員会は「世界の他の地域で採鉱などの機械化が進んだ時代に、高度な手工業を継続したアジアにおける他に類を見ない事例」と評価した。
佐渡金山を巡っては委員国でもある韓国が朝鮮半島出身者の強制労働があったとし、登録に反対していた経緯がある。政府関係者によると、日本側が佐渡市内の博物館で朝鮮半島出身者を含む鉱山の労働者に関する新たな展示を始めることなどを決め、韓国側と合意に至った。
27日の世界遺産委員会では、韓国を含む全会一致で登録が決議された。
佐渡金山は「西三川(にしみかわ)砂金山」と「相川鶴子(つるし)金銀山」の2つで構成される日本を代表する金山の一つ。17世紀には世界最大級の金の生産地となり、1989年まで操業を続けていた。採掘や精錬などの遺構、鉱山集落跡などが残る。
佐渡金山の価値は人力による独自の鉱山技術によって、機械化された鉱山を上回る質・量の金を生み出したことにあるとされる。
引用:『佐渡金山「高度な手工業」評価 世界遺産に決定』日本経済新聞(オンライン)
現在推薦中の文化遺産はありません。
(文化庁)
参考記事:『令和6年度における世界文化遺産の推薦候補に係る文化審議会答申について』文化庁 令和6年9月9日
9月9日(月)に開催された文化審議会世界文化遺産部会において、「飛鳥・藤原の宮都」を本年度の世界文化遺産の推薦候補とすることが答申されました。詳細は別紙の通りです。
別紙→https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/94111101_02.pdf
課題はあるものの、全体として顕著な普遍的価値が認められ得ると考えられ、かつ、基本的には構成資産は十分な保護措置を受けていることなどから、今年度推薦することが適当と思われる世界文化遺産の候補物件として、本物件を選定する。
参考資料:「飛鳥・藤原の宮都」概要→https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/94111101_03.pdf
参考:『「飛鳥・藤原の宮都」世界遺産の国内推薦候補に ならナビ*』NHK+(配信9/16まで)
https://plus.nhk.jp/watch/st/290_g1_2024090959079?playlist_id=a42e778b-769c-4ddc-a363-d085110b5fc2
「飛鳥・藤原の宮都」は明日香村と橿原市、桜井市に広がる6世紀末から8世紀初の飛鳥時代の宮殿・寺院の跡、古墳など22件の文化財で構成される。飛鳥宮跡(飛鳥浄御原宮など)、藤原宮跡、石舞台古墳、飛鳥寺跡、高松塚古墳、キトラ古墳など
「日本」という国家が東アジアとの交流を通じて成立したことがわかる例のない文化遺産であることが世界遺産にふさわしい価値があるとする。
詳しくは「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の項参照。
世界遺産条約を締約した国は,将来世界遺産一覧表に記載する計画のある物件を「暫定一覧表」としてUNESCOに提出します。世界遺産委員会へ推薦書を提出し審査をされるには,事前に暫定一覧表に記載されている必要があります。
現在,日本の暫定一覧表には文化遺産4件が記載されています。
『日本の暫定一覧表記載遺産』文化庁
1992年に日本の世界遺産暫定リストに記載された文化遺産。構成資産は、鶴岡八幡宮と荏柄(えがら)天神社の2つの神社、建長寺・円覚寺・鎌倉大仏をはじめとする9つの寺院、永福寺(ようふくじ)跡をはじめとする3つの寺院跡、北条氏常盤亭跡、朝夷奈(あさひな)切通(きりどおし)、名越(なごえ)切通など5つの切通、和賀江嶋(わかえじま/わかえのしま)の港跡。登録地域は577ha、それを保護する緩衝地帯1466haで、朝夷奈切通の一部と称名寺が横浜市、名越切通の一部と和賀江嶋の一部が逗子市に含まれ、それ以外はすべて鎌倉市に属している。源頼朝によって幕府が開かれた鎌倉は、武家の支配体制が築かれた場所であり、草創期以降の武家文化を現代に伝えている。三方を囲まれた山の稜線を掘り下げた交通路、切通がつくられ、山肌に入りこんだ谷(谷戸)に武家や僧侶の墓、供養のための仏殿などがつくられ、海上には現存最古の築港・和賀江嶋が設けられた。また、茶の湯、禅など、その後の日本文化の根幹を成す文化が育まれた。そこで、文化審議会の後押しもあり、2012年1月に推薦書が世界遺産センターに提出され、9月に国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の調査団が訪れた。しかし2013年4月に「登録にふさわしくない」との勧告を受けた。その主たる理由は、「当時の都市計画や経済生活などを示す資産が含まれておらず、武家の文化的伝統を伝承する物的証拠が少ない」とされた。ユネスコ世界遺産委員会で正式に「不登録」が決定されると再推薦ができなくなるため、推薦を取り下げて、神奈川県や鎌倉市などは再推薦の機会を待つことにした。
出典 講談社世界遺産詳解
現状においては、イコモスが認める顕著な普遍的価値の証明が可能な新たなコンセプトの構築にはさらに時間を要することから、直ちに世界遺産登録の再推薦に向けた推薦書案を作成できる状況にはないと令和元年(2019年)11月に判断しました。 (出典:「鎌倉」世界遺産登録を目指してHP)
1992年に日本の世界遺産暫定リストに記載された城郭。彦根城は、1622年に完成し、徳川家譜代の井伊氏35万石の居城とされた。城郭建築最盛期の17世紀初頭の遺産であり、明治時代に入り、彦根城も廃城が決定していたが破却を逃れた。その理由として、明治天皇が城の保存を命じたという説などがある。築城以来5回の大改修が行われ、直近の改修は1996年、天守の屋根瓦の吹き替えと白壁の塗り替えが行われた。城主の居室部分も含め城郭の全体像が良好に保存されており、その美しさには定評がある。松本城、犬山城、姫路城と並んで彦根城の天守は国宝に指定されている。天守をはじめ二重の濠や石垣、城壁など、世界的にも高い評価を得ている日本の城郭建築の粋といえるものである。
出典 講談社世界遺産詳解
上記参照↑
構成遺産:飛鳥宮跡、飛鳥京跡苑池、飛鳥水落遺跡、酒船石遺跡、飛鳥寺跡、橘寺跡(橘寺境内)、山田寺跡、川原寺跡、檜隈寺跡、石舞台古墳、菖蒲池古墳、牽牛子塚古墳、藤原宮跡・藤原京朱雀大路跡、大和三山、大官大寺跡、本薬師寺跡、天武・持統天皇陵古墳、中尾山古墳、キトラ古墳、高松塚古墳
所在地(市町村):奈良県橿原市、桜井市、明日香村
暫定記載年:平成19年(2007年)
都道府県所管課:奈良県文化・教育・くらし創造部文化資源活用課活用企画・世界遺産係(世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会事務局)
(出処:文化遺産オンライン)
2007年に日本の世界遺産暫定リストに記載された古代遺跡。奈良県の高市郡明日香(あすか)村、橿原市、桜井市の一帯は、古代に都がありその関連遺跡が保存されている。592年に推古天皇が飛鳥に豊浦宮を開き、694年に持統天皇が藤原京に遷都し、710年には元明天皇が平城京に遷都した。飛鳥京・藤原京は、およそ約120年間、都が置かれた古都である。遺跡の大半は地下に遺存し、歴史的建造物はないが、古代を髣髴(ほうふつ)させる豊かな自然と、古代都市の威厳を備えた独特の雰囲気が残っている。世界遺産への登録を目指す資産は、橘寺旧境内地、岩屋山古墳、伝飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)跡、飛鳥水落遺跡、飛鳥稲淵宮殿跡、飛鳥池工房遺跡、飛鳥京跡苑池などの飛鳥京の遺跡と藤原宮跡、藤原京朱雀大路跡などの藤原京の遺跡、さらに石舞台古墳・高松塚古墳・キトラ古墳などの名だたる古墳をはじめとする多くの古墳群と川原寺跡・大官大寺跡・飛鳥寺跡などの寺院跡、大和三山(耳成山・畝傍山(うねびやま)・天香具山(あまのかぐやま))などである。
出典 講談社世界遺産詳解
中尊寺金色堂
2011年に登録された世界遺産(文化遺産)。2013年には、拡張申請のために再度、世界遺産国内暫定リストに記載された。日本列島の東北地方、岩手県南部に位置し、11~12世紀に栄華を誇り、浄土を夢見た奥州藤原氏ゆかりの遺跡として知られる。登録の対象となったのは、岩手県西磐井(にしいわい)郡平泉町にある中尊寺(ちゅうそんじ)、毛越寺(もうつうじ)、金鶏山、無量光院跡、観自在王院跡の5件。中尊寺金色堂(こんじきどう)には藤原4代の墓がある(3代との説もある)。また、これらに関連した4つの庭園は、浄土思想を表した理想郷の光景として造営された。日本独特の自然信仰である神道の影響を受けつつ定着した仏教、その思想に基づく建築や作庭の日本的な在り方を見ることができる。なお2012年8月に、世界遺産に登録された5物件に加え、柳之御所(やなぎのごしょ)遺跡、達谷窟(たっこくのいわや)、白鳥舘(しろとりたて)遺跡(奥州市)、長者ケ原廃寺(はいじ)跡(奥州市)、骨寺村(ほねでらむら)荘園遺跡(一関市)などを加えた拡張登録をめざすことが決定され、国内暫定リストに記載された。これらのうち、柳之御所遺跡は、2011年の登録決定前に「浄土思想との関連性が希薄」として登録物件からの除外が決定され、その他は、2008年の登録延期決定後の再検討で、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の評価で「文化的景観や浄土思想との結びつきなどに関して十分な説明ができていない」ということで除外された経緯がある。◇英名はHiraizumi-Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land
出典 講談社世界遺産詳解
参考:『世界遺産へ、佐渡金山の推薦書正式版を再提出 24年の登録目指す』(朝日新聞) https://www.asahi.com/articles/ASR1N4GQRR1NUCVL00J.html
佐渡の次は、彦根城と藤原京が有力とされている。