2025.09. 26 全国通訳案内士1次筆記試験合格発表
草津温泉(群馬県吾妻郡草津町)、有馬温泉(兵庫県神戸市)、下呂温泉(岐阜県下呂市) - 林羅山の漢詩文集『羅山林先生文集』巻第3(1662年)または万里集九の漢詩文集『梅花無尽蔵』(1502年)による。
『日本三大一覧』Wikipediaより抜粋
上記はあくまで林羅山のチョイスで、人によって三名泉は異なることがある。
また、下呂温泉には三名泉の選択者と言う事で、万里集九・林羅山の像がある。
参考動画:『【究極の温泉旅行】1日で日本三名泉を全制覇! 草津・下呂・有馬』
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有馬温泉(神戸市)、玉造温泉(島根県松江市)、榊原温泉(三重県津市) - 『枕草子』による
『日本三大一覧』Wikipediaより抜粋
熱海温泉・南紀白浜温泉・別府温泉
『日本三大一覧』Wikipediaより抜粋
順徳天皇によって選出されたと伝えられる
秋保温泉【名取の御湯】(宮城県仙台市)、別所温泉【信濃の御湯】(長野県上田市)、野沢温泉【犬養の御湯】(長野県下高井郡野沢温泉村)
『日本三大一覧』wikipediaより
川中温泉(群馬県吾妻郡東吾妻町)、龍神温泉(和歌山県田辺市)、湯の川温泉(島根県出雲市)
『日本三大一覧』wikipediaより
定山渓温泉(札幌市)、登別温泉(登別市)、湯の川温泉(函館市)
『日本三大一覧』Wikipediaより抜粋
北海道札幌市南西部,豊平川上流の渓谷にある温泉。泉質は食塩泉。泉温は 53~86℃で湯量も豊富。古くからアイヌには知られていたが,明治の初め,越前の僧定山が湯守となって開かれた。 1918年札幌市豊平からの定山渓鉄道 (1969廃止) の開通後発展し,札幌,小樽の奥座敷となった。近年,旅館や保養所の新設,改築が進み,収容力も増加。中山峠を越えて洞爺湖への観光ルート (国道 230号線) の中継点でもある。支笏洞爺国立公園の一部。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
北海道南西部,登別市の日和山南西麓の標高約 200mに位置する北海道第1の温泉。地獄谷の地熱地帯に湧出する温泉を引き湯するほか,温泉場の各所に湧く温泉を利用。泉質は食塩泉,硫黄泉,単純泉,鉄泉など多種類である。泉温は 98℃。湯量は豊富で各旅館に内湯として引かれる。胃腸病に特効があるといわれ,湯治客が多く集る。温泉場の歴史は 1857年,滝本金蔵が湯治旅館を建てたことに始る。温泉集落内に北海道大学附属病院の分院や国立の温泉病院があり,国際観光会館もある。近くに地獄谷,大湯沼,クマ牧場,ゴルフ場があり,日和山西斜面の原生林は天然記念物に指定されている。支笏洞爺国立公園に属し,北海道観光の有力な宿泊基地となっている。太平洋沿岸を道央自動車道が通り,温泉口に登別東インターチェンジがある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
北海道南部、函館市(はこだてし)の中心街の東部にある温泉。津軽海峡に臨み、松倉川両岸に旅館が並ぶ。1654年(承応3)松前千勝丸(松前藩5代藩主高広)が湯治をしたといわれる。1869年(明治2)の箱館戦争の傷病兵療養にも利用された。泉質は塩化物泉。付近には、温泉熱を利用した市立熱帯植物園、海水浴場、函館競馬場、トラピスチヌ修道院、見晴(みはらし)公園(国の名勝「香雪園」を含む)などがある。函館空港が近く空港からのバスのほか、函館駅から市電、バスが通じる。[瀬川秀良]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本の群馬県吾妻郡草津町草津界隈(江戸時代における上野国吾妻郡草津村界隈、幕藩体制下の上州御料草津村界隈〈初期は沼田藩知行〉)に所在する温泉である。草津白根山東麓に位置する。
毎分3万2300ℓ以上の自然湧出量は日本一。室町時代には万里集九が有馬温泉や下呂温泉とともに「三名泉」とし、江戸時代には林羅山もこれらの三温泉を「天下の三名泉」と記した(日本三名泉) (cf. 1502,1662)。 江戸時代後期以降何度も作られた温泉番付の格付では、当時の最高位である大関(草津温泉は東大関)が定位置であった。
「草津温泉(くさつおんせん)」も古来からの名称であるが、かつては、「草津湯/草津の湯(くさつのゆ)、あるいは、上野国の異称である「上州」を冠して「上州草津湯/上州草津の湯」と呼ぶことが多かった。現在でもこれらを踏襲した雅称「草津の湯」「上州草津の湯」は頻用される。また、現在では「上州草津温泉」という名称も用いられるが、この表現は雅称的ニュアンスのほかに、他地域の「草津」や「草津温泉」という紛らわしい地名と明確に区別する意図を含んでいる場合がある。
当地における「草津」という地名の語源は、温泉の硫化水素臭の強いがゆえに、「臭水(くさみず、くさうず、くそうず)」にあるとされる。また、臭處(くさと)という説もある。草津山光泉寺の縁起は、『大般若波羅蜜多経』(通称・大般若経)の一節「南方有名湯是草津湯」が由来であると説いているが、大般若経にはこのような節はなく、俗説である。同寺には、源頼朝が当地を訪ねた折りに、草を刈ったところ湯が出たという話も伝わっているが、後述するように史実性は疑わしく民間語源の可能性がある。
なお、草津温泉を、上毛かるたの「く」の札で「草津(くさづ)よいとこ薬の温泉(いでゆ)」と歌っているのは、地元で「草津」を「くさづ」と読むからで、温泉水の持つ強い硫化水素臭から「くそうづ」と呼ばれたことが今日の地名の由来であるという説がある。
古くから薬湯と知られており、恋の病以外は全て効くと言い伝えられている。
『草津温泉』Wikipediaより抜粋
岐阜県中東部,下呂市にある温泉。飛騨川の上流益田川に臨み,下呂駅付近と対岸の湯ノ島に分かれる。古くから知られていたが,特に 1924年の掘削以来,豊富な湧出量を誇る。泉質は単純泉,硫黄泉。泉温 83℃。リウマチ,神経痛に効能がある。温泉街は 1934年高山本線が開通して急速に発展。名古屋,岐阜方面からの観光客が多い。飛騨木曾川国定公園に含まれる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
楽天トラベルでは、PHが9以上のアルカリ温泉であり、肌がつるつるになるので美人の湯と呼ばれる、もっと下呂温泉を堪能したい方には手形加盟旅館の中から3軒の旅館のお風呂に入れる湯巡り手形がおすすめと説明されている。
出処:『岐阜県下呂温泉』 RAKUTEN TRAVEL
さらに下呂市公式サイト「げろたび」による『下呂温泉の紹介』ページではかなり詳しく下呂温泉を紹介している。いわく、
下呂温泉の始まりは薬師如来が傷ついた一羽の白鷺に姿を変え、飛騨川で傷を癒し、源泉のありかを村人に知らせたと伝えられている。
江戸時代の儒学者 林羅山は、下呂温泉を有馬、草津とともに「天下の三名泉」と称しました。昭和5年の下呂駅開業など、JR高山線の開通や国道41号の全線開通によって発展してきた。
昭和49年からは温泉保護のため温泉の集中管理を行い、現在55度の温泉を各旅館に配湯している(混合泉)。
泉質 単純温泉(アルカリ性単純温泉)
効能 リウマチ、運動機能障害、神経症、神経麻痺、病後回復、疲労回復など
美容や健康づくりにも優れた効果
下呂温泉は、無色透明でほんのりとした湯の香りがあり、実になめらかな肌ざわりの温泉。入浴すると身体が大変温まるので血行が良くなり、疲労回復や健康増進に効果があるため「健康の湯」といわれている。また、Ph値9以上というアルカリ性特有の石鹸効果によりツルツルした肌ざわりといわれ、「美人の湯」とも呼ばれている。この泉質は運動浴にも適している。
石川県能登半島東岸の七尾市にある温泉。弁天崎の先端部にあり,七尾湾西湾にのぞむ。泉質は食塩泉。泉温は 95℃。泉源は海中にあったが,埋立てが進み,海岸沿いに近代的な旅館の並ぶ観光温泉地となった。能登半島国定公園の一部となっている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
兵庫県神戸市北区にある温泉。泉質は単純温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、放射能泉。古くからの温泉地として知られ、『日本書紀』には舒明(じょめい)天皇来訪の記載がある。僧行基(ぎょうき)はここに温泉寺を開いたという。また僧仁西(にんさい)が温泉を復興し、12の僧坊を建立。今日でも温泉に「中の坊」「御所の坊」などの名が付されている。豊臣(とよとみ)秀吉はたびたび湯治に訪れており、荒れていた温泉復興に力を尽くした。大阪、神戸に近く、閑静な保養地として知られ旅館街の近代化が進んでいる。温泉神社では正月に行基と仁西の木像に湯を注ぐ入初式があり秀吉をしのぶ茶会も催される。[藤岡ひろ子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
兵庫県神戸市北区にある温泉。六甲山地北斜面,標高約 363mに位置。古くから知られ,『日本書紀』によれば飛鳥時代に舒明天皇の行幸以来,幾度かの法皇入湯の歴史がある。建久2 (1191) 年,仁西上人が和歌山県の熊野権現の神託により温泉を修築,行基の寺を再興し,12の宿坊を開いて以来,有馬の旅館名には「坊」のつくものが多い。豊臣秀吉もたびたび入湯したといわれる。単純炭酸泉,放射能泉で泉温は 97℃。貧血症に特効がある。名所旧跡も多く,滝と桜,紅葉の名所でもある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
参考:有馬温泉HP
有馬温泉は、環境省の指針により療養泉として指定している9つの主成分(単純性温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、硫黄泉、酸性泉、放射能泉)のうち、硫黄泉と酸性泉を除く7つもの成分が含まれており、世界的にも珍しい多くの成分が混合した温泉です。
適応症
金泉(有馬温泉古来の鉄分と塩分を含んだ温泉)
炎症性および非炎症性のリウマチ疾患、外傷、手術後のリハビリテーション、慢性附属器炎、機能性不妊症、自律神経系障害、乾癬(かんせん)
銀泉(炭酸を含んだ温泉)
適応症
高血圧症、末梢動脈閉塞性疾患、機能性動脈循環障害、無治性の傷、手足の局所的循環障害
銀泉(ラドン泉を含む温泉)
適応症
硬直性脊椎症、関節の退行性症状、慢性多発性関節症、脊椎の退行性疾患、慢性痛風、関節、筋肉リウマチ、軽度の末梢性動脈血行障害、更年期障害、気管支性ぜんそく
三重県中北部、津市榊原町にある温泉。青山高原(あおやまこうげん)東麓(とうろく)の榊原川に沿う断層崖(がい)下に湧出(ゆうしゅつ)する硫黄泉。付近に七栗(ななくり)の地名があり、『枕草子(まくらのそうし)』に記された七栗の湯であるという。明治のころ一時さびれたが昭和に入って新泉源が発掘され復活した。榊原温泉病院がある。近畿日本鉄道大阪線の榊原温泉口駅があるほか、津市からもバスが通じる。[伊藤達雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
三重県津市榊原町榊原温泉振興協会 榊原温泉『お伊勢参り 湯ごりの地 榊原温泉』公式ページ
伊勢神宮が出来たころから神宮にお参りするお清めとして湯ごりが行われていた。
京から伊勢への通過点でもある「榊原温泉」は、皇女が斎宮として伊勢に下る際に、榊原温泉で身を清めてから伊勢に向かうのが正式とされていた。そのため、地元では「宮の湯」と呼んで親しまれてきた。
和歌山県西牟婁(にしむろ)郡白浜町にある温泉地。単に「白浜温泉」ともする。泉質は炭酸水素塩泉、塩化物泉など。「日本書紀」にも記述のみられる古湯で、古くは「牟婁の湯」と呼ばれた。地域団体商標。
出典 小学館デジタル大辞泉プラス
[白浜温泉]
和歌山県南西部,白浜町西部にある温泉の総称。田辺湾に近い瀬戸湾岸と白良浜沿いに続く白浜温泉,その南方の湯崎温泉などからなる。白浜温泉は 1919年に開発された新興温泉だが,湯崎温泉は愛媛県の道後温泉,兵庫県の有馬温泉と並ぶ日本最古の温泉。古くは牟婁ノ湯(むろのゆ)として記され,『日本書紀』斉明3年の条には有間皇子がここに療養したことがみえる。『万葉集』にもうたわれた古来の名湯として知られる。食塩泉,重曹泉,硫黄泉で,泉温は 42~90℃。胃腸病,神経痛などにきくといわれる。湯量が豊富で,湾岸沿いの各地で湧出。白浜側には高層ホテル,旅館が集中して歓楽的色彩が強いが,湯崎は趣を異にしており,南部には千畳敷と呼ばれる砂岩の平坦面や熱帯植物園などの観光資源が豊富にある。吉野熊野国立公園に属する。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
参考:『万葉の偉人たちが憧れた日本最古の湯 白浜温泉』わかやま歴史物語100(和歌山県観光振興課)
関西屈指の知名度と人気を誇る白浜温泉。豊富な湯量と効能豊かな泉質に加え、美しい白良浜を囲むようにホテルや旅館が立ち並ぶ様子は、風光明媚な南国リゾートとしても知られています。そんな白浜温泉は、『日本書紀』や『万葉集』に「牟婁温湯」「紀温湯」の名で登場し、有馬温泉、道後温泉と並んで「日本三古泉」のひとつに数えられる古い歴史をもっています。斉明天皇、持統天皇、文武天皇をはじめとした多くの皇族や貴族が、はるばる都から湯治に訪れたと記されており、古の都人も憧れるほどの名湯であったことが窺えます。ちなみに、皇位継承争いの中で、非業の最期を遂げることとなった悲劇の皇子・有間皇子が尋問を受けたのもこの地でした。万葉の偉人の来泉を示す史跡をはじめ、今もこんこんと尽きることなく湧き出る源泉、古くから白浜を見守ってきた古社など、その歴史を感じさせるスポットが町内に点在。そして、白浜温泉のシンボル「円月島」を筆頭にした自然が織りなす絶景、さらに豊かな海の幸を使った食事も旅に彩りを与えてくれます。
島根県北東部、松江市玉湯(たまゆ)町地区にある温泉。松江市街地の西郊にあたり、山陰の代表的温泉地として多くの観光客を集める。玉湯川渓谷の両岸に温泉街がある。少彦名命(すくなひこなのみこと)の発見と伝え、『出雲国風土記(いずものくにふどき)』にも温泉の記載がある。泉質は硫酸塩泉。河岸には約450本のサクラ並木があり、付近には出雲玉作史跡公園、出雲玉作資料館や、めのうの産地花仙山がある。山陰自動車道松江玉造インターチェンジに近く、またJR山陰本線玉造温泉駅、松江駅からバスの便がある。[野本晃史]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
参考ページ:しまね観光ナビ『玉造温泉 湯の町の情あふれる... "神の湯"と呼ばれる美肌の聖地』
奈良時代に開湯した日本最古の温泉の一つ。『出雲国風土記』では「一たび濯げば形容端正しく、再び沐すれば万病悉く除ゆ(一度入ると美しくなり、再び入ると万病が治る)」と記されています。また、製薬会社(サティス製薬)による泉質調査では、基礎水分量を165%もUPさせるという高級化粧水レベルの温泉と評価されました。玉湯川に沿って宿や食事処、土産物店などが立ち並び、味のある温泉街の風情を楽しめます。旅の疲れを癒やす3か所の足湯スポットや「恋来井戸」「恋叶い橋」といった縁結びのパワースポットもぜひチェックしてください。
【泉質:硫酸塩泉】
愛媛県松山市にある温泉。温泉の歴史は古く、「伊予温湯(いよのゆ)」「熟田津石湯(にぎたつのいわゆ)」などという。『日本書紀』『万葉集』『伊予国風土記(ふどき)』逸文、『源氏物語』などにその記述がみられ、日本最古の温泉の一つである。火山性温泉とは異なり、領家花崗(りょうけかこう)岩帯に貫入した黒雲母(くろうんも)花崗岩の裂け目から湧出(ゆうしゅつ)する温泉である。道後湯之町(ゆのまち)を通り、北西―南東方向に断層があって、源泉の多くはこの破砕帯にあり、十数か所現存する。断層の上部は厚い沖積層に覆われているので、源泉垂直深度は大きく300~500メートルに達する。泉質は単純アルカリ質、湧出量は毎分100~200リットルだが変動がある。1946年(昭和21)の南海地震では一時湧出が停止した。道後温泉本館(振鷺閣(しんろかく))は明治中期の建物で国指定重要文化財。神之湯、霊之湯(たまのゆ)、休憩所からなる共同浴場である。ほかに数か所の共同浴場があり、旅館・ホテルは約100軒を数える。各種娯楽施設、土産(みやげ)物店などがあり、一大温泉街をなしている。JR予讃(よさん)線松山駅から伊予鉄市内線が通じる。[深石一夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)